はてなキーワード: 親ばかとは
任天堂の岩田社長は高校生の頃、アルバイトをして買ったヒューレット・パッカード社の電卓でプログラミングを学び、制作したゲームはヒューレット・パッカードの本社を驚かせた、そうです。有名なコンピュータ技術者が「マイコンからプログラミングを始めた」と語るのを、ごく普通に見かけます。興味を持ちはじめた子供は、すごい勢いで知識を吸収し、技術を身につけていくのだろうと思います。
自分の子供時代を思い出してみます。当時マイコンやプログラミングに興味はありましたが、そういうハードウェアはとても高価でしたし、(自分で言うのもなんですが)聞き分けのいい子供だったので、親にねだることをしませんでした。買い与えられたファミコンをやり、部活と勉強をして終わり、という中学生でした。X68000を持っている友達の家に遊びに行ったり、そこでパソコン雑誌を読んだりしましたが、深入りはしませんでした。
で、今、ソフトウェアではない技術者をやっています。本業の仕事を進めるために簡単なプログラミングをします。本業ではないからでしょうが、コードを書いているととても楽しく、自分にはソフトウェアの才能があるように錯覚します。そして妄想します。もし、あの子供時代にマイコンを手に入れていたならば、いったいどういう進路を選んでいたのだろう?
中学生になる娘がいます。親ばかですが、娘は漫画っぽい絵を上手に書きます。最近「ペンタブレットが欲しい」と言い始めました。
私には絵の才能がありません。でも、絵を描ける人たちがインターネットで楽しく交流をしているのを見ると、娘がもっと本気で絵を描きたいと願うならば、液タブでも躊躇せずに買ってあげたい、と考えます。同時に、今の自分は「マイコンを与えられなかった子供」の延長上にあることを思うと、漫画絵なんて描かずに部活、勉強を頑張れよ、とも言いたくなります。
疑問が二つ。
・なんで元増田は元増田が不利な環境に身を置いているのですか?
わたしは不細工に産まれて育ちました。
物心ついた頃、近所でのわたしのあだ名は「ブスちゃん」でした。
わたしより不細工な顔はそりゃ世間には大勢いる(と思いたい)けど、
わたしの顔は成長の過程で親に「そんな顔に産んでしまってごめんね」や
「お父さんもお母さんも美男美女だと言われてるのにどうしてあなたはこんな顔に……」とか
何度も何度も繰り返し耳にタコができて腐って発酵してクリーチャーが産まれそうなくらいの回数言われるほどバランスの崩れた顔です。
(誤解があるといけませんので、いっておきますが、わたしの親はわたしにピンクのふわふわしたドレス着せた写真を仕事仲間に「うちの子にドレス着せたらこんなにかわいい写真が撮れたから」と見せて回ってしまう親ばかです。その写真のわたしはわたし自身が見ても不細工にしか見えない)
わたしの不細工さ故にアドバイスをされてきました。
今のままだと将来結婚出来ないよ、とみんな言ってました。
「あなたより不細工が多い学校に行けば、相対的にあなたは可愛い子になれるよ」
「勉強を頑張ってよい高校や大学に行きなさい。学歴が高ければ容姿なんて気にされない」
「顔はどうしようもないけど、身嗜みには気をつけて。清潔感をもちなさい」
「シャツを着るなら、アイロンをかけてないシャツよりもかけたシャツを、黒や灰色のシャツよりベージュや白色のシャツを選べば清潔感がでますよ」
「顔の造りよりも、肌のきめがよいことや色が白いことが美人に見せるには大事。顔の日焼け防止と産毛処理は常に完璧にしなさい」
「毎月美容院で髪を切りなさい。髪型さえ整っていれば遠目には美人に見える」
「髪が綺麗だと清潔感があるように見えるから、トリートメントはしっかりしなさい」
「不細工でも慣れたらかわいく見えるときもある。多くの人に笑顔で話しかけてあなたの顔に慣れてもらいなさい」
「あなたの声とその口調と速さは人に不快感を与えるから、もっと声をおさえて、ゆっくり言葉を区切って話してみなさい」
「ブスが人のことを悪く言うと普通の人の何倍も自分に返ってくるから。嫌なことされたら笑顔で跳ね返しなさい」
「(性格が歪んでるから)フリだけでもその性格を直そうと努力して。努力してると思わせるだけで、周りからの印象が良くなるから」
みんながいうほどわたしが心身ともに不細工だとは思いたくなかったけど、
アドバイスは聞き入れて、よほど理不尽なことじゃなければ言う通りにするようにしてみました。
中学は、小学校より偏差値の高い地域の学校を選びました。可愛い子が多くてわたしのブス扱いは変わりませんでしたが、勉強を頑張ったら試験の順位が高いからと人間扱いをしてもらえました。
高校は、偏差値はすごく高いけど不細工ばかりで有名な学校を選びました。清潔感に気をつけていたら、ブス扱いされなくなって、男女ともに友達がいっぱいできました。
大学は、地味で真面目な人が多いことが知られる大学へ進みました。できるだけ多くの人に笑顔でゆっくり丁寧に話しかけて、性格をよく見せようと心掛けているうちに、彼氏ができました。
もしあなたが本当にブスなら、周りに何か助言されているはず。
その助言、悪口だと思って聞き流す前に試してみませんか。
風邪をひいてつらい中、頑張って寒い駅で待って座れたボックスシートでまったりしていたら、途中の駅から乗り込んできたのが子連れ。
子供が騒ぐのをとめるのは立っていた父親。
バカ母が、折角子供が集中して外をみてるのにケツをつついてわざわざ騒がせる。馬鹿すぎる。
この母親、口開きっぱなしだし、くさい。
子供がすることなんだから何でも許せとばかりに、座った時に何度も子供の靴で他人の荷物、他人の洋服を汚す。
いい加減、これ以上よごさないでくれ!という気持ちで、「これ以上はやめてもらえませんか?」と言ったが、結局奴らが降りるという時にまた汚された。
別の日ののバカ母は、子供が騒ぐ以上の大声で、友達?とのおしゃべりで騒音を出しまくっていた。
こんなのが親なのか?
年末年始じゃない時は、抱っこ紐を使って周りに注意を払うちゃんとした母親をみかけたけどな。
「面白写真、ラーメン、誰と会った、ペット、子供」と看破していた人がいた。
「ラーメン、面白写真、誰と会った」ばかり投稿しているから、人のこと言えないが。
自分はペット飼っていないから、ペットを投稿することはないが、
自分に全く理解不能なのは、「子供」ネタをどんどん投稿する人。
自分もごくまれに子供に少し関係する話題を投稿することも、なくはないが、
常に「十数年後に、子供、および子供の利害関係者が、このページを見る可能性がある」
ということを、頭に入れている。
なので、子供が不利になる可能性がある投稿は、ゼッタイに行わない。
例えば「子供の失敗談」。
親から見たら「子供の無邪気な失敗」で終わる話が、他人が見たら「子供の人格を疑ってしまうような、深刻な話」
と取る可能性だって、ある。
そうした場合に、「不用意に親がそのような失敗談を投稿したことで、子供の人生が阻害される」ことは、
あってはならない。
ましてや、子供の「実名」や「写真」などは、とてもとても、載せることはありえない。
しかし、世の中には大胆不敵な人がいて、平気で子供の実名や写真をフェイスブックに載せる人がいるらしい。
一種の親バカだが、開き直って「親ばか共和国」なんてページも存在するから、恐れ入る。
http://www.facebook.com/oyabaka.japan
このページが、フェイスブック非会員にも見られるページなのかどうか知らないが、
ここのメンバーと自分は面識も何もないのに、メンバーの子供の写真は「見放題」である。
ということは、変質者がフェイスブック登録しても、見放題な訳だ。
彼らの目を覚まさせるために、「この写真をダウンロードして、自分のブログに貼り付ける嫌がらせをしてやろうか」
とも思ったが、まあ自分も子を持つ親なので、そこまでの凸撃行為は、やめておこう。
イチローの打率っつより、ジュニアアイドルの両親は100%気違いなんじゃないの?
まともな親が子供をロリコンの性欲解消道具として差し出すわけないし。特に母親がまともなら絶対に止める、あり得ない。まともな父親が止めないのもあり得ないと思うけど。
ロリ向けAVは気違いの親が居なければ成り立たない腐りきった業界なんだから、腐った気違い親の非常識に愚痴るのはお門違いもいい所だと思うわ。まともな親ばかりならお前らが食い物にできる子供もおらずおまんま食いあげなんだろうが。
ジュニアアイドルなんて言っても、どう見ても性欲解消を目的にしたAVなんだから、まともに勉強もできず親の為にロリ用AVに出てたような子供が、AVに出れる年齢になればAV女優しかなくなるのも道理。
【福岡】全身にアザの3歳女児死亡 21歳義父を逮捕 「おねしょやおもらしをするので腹が立った。腹をけったり、顔をたたいたりした」
ttp://tsushima.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1266859459/
133 :名無しさん@十周年 :2010/02/23(火) 08:11:37 ID:9TK4HWJU0(4)
児童相談所の職員って職務怠慢。
里親登録しているんだけど、本当に香具師らの怠慢さ、バカさかげん
子供がいない、ボランティアの人たちには、子供を委託しない、または障害児童を
委託する。
ある人が、なぜ虐待された子供たちが心の拠り所になる里親を委託しないのか?
と質問したことがある。
児童相談所の回答…
「三度の御飯を出し、可愛がる里親だと
子供が実親(虐待親)の元に帰りたがらない、里親を親と思ってしまう」とさ。
当然、子供は、虐待親と同程度の愛情と食事と会話のない生活で大人にならなければならない。
子どもの人生を弄んでいる。あいつらは、バチ絶対に当たると思う。
他にも、訴えたいこと沢山すぎるほどある。
152 :名無しさん@十周年 :sage :2010/02/23(火) 08:47:32 (p)ID:bwv30k1g0(3)
»133
酷いな、それ。
よく2chで「殺すくらいなら私にくれ」というレスを見るが、本当に子供が欲しくて、
でも授からないんだろうなぁとは思っていたけど、里親になるのもそんなに大変なんだ。
実親に虐待されたり相手にされなかったりして施設に預けられて
挙句にそんな里親に渡されるくらいなら、最初から赤ちゃんポストに入れられて
特別養子縁組とかで誰かの子供を欲しがっている夫婦実子として育てられた方が絶対幸せだわ。
232 :名無しさん@十周年 :2010/02/23(火) 12:01:16 ID:9TK4HWJU0(4)
»152
ホントだよ。
だから里親ができない施設の子供たちは、施設から年齢で追い出されると
この不況下であること、全く家庭・法律・巷に起きてる犯罪が理解できないから
自分も10年里親登録してるけど、本来なら里子に来るはずだった男児が
児童施設の職員の怠慢で2年放置され(忘れてたとさっ)子供は、期待が裏切られたから
職員が、子供を面会させたときは取り返しのつかない道に入ってしまいその子供は養育できなかった。
美辞麗句だけ言ってるけど本当は悪魔見たいな女職員(主婦・子持ち)が多い。
女独自の嫉み・嫉みがあるので、この家に行きたいって誰もが思う子無し家庭には
ワザと渡さないよ。
登録認定されたばかりの金目当ての汚い汚い婆さんに「明日、委託児童と合わせますね」と
言った職員はニヤリと陰で笑ってたの自分はしっかり見ちゃったぞ。
あれは、どー見てもワザとだな。
236 :名無しさん@十周年 :2010/02/23(火) 12:12:09 ID:9TK4HWJU0(4)
»234
自分が特権使って「神」になったつもりだろうな。
だから、自分は児童相談所と研修後ごとに文句を言い喧嘩してる。
(当然、香具師らに嫌われているので委託はされない)
247 :名無しさん@十周年 :sage :2010/02/23(火) 12:48:11 (p)ID:bwv30k1g0(3)
»236
レス読んでてゾッとした。妬み僻みなんてものもあるのか。性格悪いな。
福祉のシステムが悪いというより職員本人の資質の問題なんだろうね。
人の一生を左右させるだけの力を持ってるんだから、本当にすごい特権だよな。
248 :名無しさん@十周年 :2010/02/23(火) 12:58:58 ID:9TK4HWJU0(4)
»247
本当にひどいから再レスするが
実は、実親ばかりか「委託里親の里子に対する虐待も多い」んだな。
なぜ、児童相談所は虐待するような里親に子供を何度も委託するんだ?
なんで、里親の調査・身辺調査をしっかりしないんだ?」と
質問したことがある。
児童相談所の回答:
これからも皆さん、里親募集キャンペーンお願いします」っとよ。
金目当ての香具師らに他人の子供が愛せるわけないのに児童相談所の香具師らは
金目当ての香具師らの方は文句を言わないので委託する。
いつも遊んでる仲間で、家に呼ぶときうちの子だけをはずす子がいる。
でもうちに誰かが来る時は必ず「行っていい?」って聞く。
思わず子供に「おかーさん、○○君いつも呼んでくれないから呼びたくないなー」って言ったら
「ママ、それは意地悪だよ。来たいっていわれたら僕うれしいよ。呼んでいい?」って言った。
いっつも意地悪されたり、ハブにされたりしてるのにお前は・・・・。
「お友達には優しくしないとね!」と子供に教えられました。
子供が「僕も行きたい」と言って、「だめーー!」とかいじめられてるのを見て
つい涙でちゃう親ばかかもしれない私ですが、「ママ、僕平気だよ。今日はママと
のんびりしようね!」って逆に言われると、じーんとしてしまいます。
ごめん、ママも強くなるよ。
年賀状の季節がやってくる。
イヤな季節。
何がイヤかって、子供の写真を全面に貼り付けて自慢したつもりでいる輩が。
家族全員の写真なら、まあ文句は言わない。友人の変化はみていても楽しいし。
問題は、「アタシがかわいいと思っているんだから、みんなかわいいと思っているに違いない」とばかり、
写っている子どもが動物のかぶりものなんかしている日にはげんなりを通り越して吐き気すらおぼえる。
同情を引く気で書くわけではないが、私は子どもが望めないからだだ。
そのへんをわかっていてくれる友人たちは、家族全員の写真を送ってくる。
けれどそーゆーひとたちばかりではもちろんない。当たり前と云えばそうだけど。
今年さすがにむっと来たのが、年賀欠礼のはがきにも、そのあとの寒中見舞いにも、
わかっててやっているのかと、はがきを引き裂きたくなった。
もし私が、もしかして子供をもうけたら、そんな軽々しい過ちはしないつもりでいる。
そんな苦しみの日がもうすぐやってくる。
君が一人暮らししようかなと僕の目を覗き込んでいったとき、沸きあがってくる喜びと同時に不安につきあたったんだ。僕も来春から一人暮らしを予定している。このまま行けばお互いに一人暮らしを経ていずれ同棲か、もしくはその先の結婚という文字が見えてくるだろうということは当然のように二人の認識の中に横たわっている。どうなるかわからないなんてことはいくらでも言えるけれども、予感というのはそれはそれで厳然と存在しているのだから無視はできない。
まだ君にいってないことがある。街中で幼い子供を見るたびに無意識のうちに顔が緩んでしまうくらい子供が好きだけれど、同時に哀しみを抱くということ。妊婦さんを見かけるとわぁおめでたいなぁ、大変なんだろうなぁ席譲ろうと思うのと同時になんとも言えない羨望の気持ちが湧き上がってきて悲しくなること。君にはまだ伝えていない、この感情をどうやって伝えればいいかわからないから。
子供が出来にくい体質だとわかったのはそんなに前のことではない。ほかの治療をきっかけにして婦人科の門をたたくことになり、そこで発覚した。正直、思ってたよりもずっとショックだった。思ってたよりもずっと思い事実だった。薬を飲めば、治療をすれば、どうにかなるかもしれないとお医者さんは言った。わかりやすい言葉でショックの少ない言葉を選んで噛んで含めるように言ってくれた。まだ結婚してないし、若いし、こういうことはよくあることだし、実際に何もしなくても授かるということはあるから、だから結婚して子供がほしくなったときにまた検査をして、旦那さんと相談して、それからどうするか考えればいいと、お医者さんは言った。たぶんそうだろうと理性では思った。いざとなれば、養子もあるし。何度も何度も自分に向かっていった。出来にくいということが発覚する前から冗談交じりにそんなことをよく言っていた。そういう予感があったから。なんだかんだいって自分の体のことは自分はなんとなく察知しているのだ。そう痛感した。
君も子供は好きで、こないだすれ違ったときも目に入れてもきっと痛くないよって笑ってたからたぶん親ばかになるんだろうな、ということを思って笑った。はっきりとは言葉にしていないけれども会話の端々に未来のこと、将来のこと、仕事のこと、住む場所、家、死んだあとのこともずっと一緒にいることを前提で話が出る。その中にもちろん子供の話も出る。そのたびに言いよどむ。君は気づいているのかいないのか、自分の中ではっきりしないからなのかそれ以上は突っ込んでこないけれども、いつも心のどこかに引っかかっている。
もしかしたら、これが原因で別れるということもあるんだろうか。子供が出来にくいなら無理だと君は言うだろうか。言うかもしれない。いや、それは二の次かもしれない。それだけではないからいいんだよという気はするけれども、いくら二人の間の問題とはいえ、子供が出来ないことでさらされるプレッシャーというのに耐えろと僕はいえない。子供がどうとかはひとまず関係ないといわれて喜べるか。うれしいだろう。でも喜べるか?今後治療をすることがあったとしてそのときに君につらく当たったりしないか、周囲を恨んだりしないか。理屈ではわかっている。誰のせいでもない、たまたま運が悪かっただけでそういう体質で、何も自分が生むことにこだわらなくてもそれならそれで方法はある。そんなことはわかってるし、調べてもいる。だけど。だけど理屈じゃないんだ。
遺伝子ははっきり言ってどうでもいい。自分の遺伝子を残したいなんて思わないし、養子で全然かまわないと思っている。子供は子供だ。たぶん腹が立つこともあるだろうが、そういうことを含めてもできるものなら家族というものはほしい。お産怖いし、痛いって聞くし、死ぬかもしれないし、産科もなくなってるしとか考えると養子を取るという選択肢はそんなにネガティブな選択肢ではない。おそらくもし君が、僕が出来にくくてもそれでもかまわない結婚しようという人であるならば、養子という選択肢も積極的に考えるだろうと思う。だけどあらゆる養子が取れる条件を満たせるかどうかもわからないというだけではない何かが引っかかってる。自分の子供じゃなきゃだめって言うわけじゃないんだ、そういう単純な話ではないんだ。出来ないってことが、そういう事実が重くのしかかってくる。そして君がそれを受け入れてくれるかどうかもわからない。たとえ受け入れてくれたとしても自分が受け入れられるかどうかもわからない。
たぶん問題は君や、あるいは周囲や、お互いの親戚やなどではなくて、僕自身なのだろう。自分が自分の「できない」という事実を受け入れられるかどうかで世界の見方がまるで変わってしまうのだろう。出来ないかもしれないと聞かされたときから世界が変わったように。
幸せな光景を見るのはとても好きだし、そのまま幸せでいてほしいと願うのになぜか涙が出る。僕はそちら側に行きたいのに行けないかもしれない。ただスクリーンで見ている映画の中の出来事のようにつかむことは出来ない。そういう寂しさと悲しさ。配慮してほしいとは思わない。遠慮しろとも思わない。むしろもっといや、あるがままに幸せでいてほしいと思う。楽しそうでいてほしいと思う。僕は一人で悲しくなる。君は。なんていうだろう。
今年の夏はいろんな親ばかに出会ってしまった。親ばかを通り越して、バカ親だなと、思った。
服を買いに行った時、いきなり見知らぬ人に声をかけられた。おかっぱ頭の高校生位の娘を連れた、落ち着いた感じの奥様が後ろに立っていた。
「さきほど××でお洋服お買いになったでしょ?」さっき予約した洋服を取りに行ったお店でした。同じビル内だから、まぁ…だからどうしたって?
「あの、さっき買ったお洋服、うちの○ちゃんが欲しかったものなの。だから譲ってくださらない?」え?いきなり何を言うのさ。
「勿論お洋服のお値段とプラスアルファで上乗せしますから…」予約完売の服だからって何言ってるんだ?袖もまだ通しちゃいないのに…。
いきなり何を言ってるんだろうという気分で頭がぐるぐるしてきたら、その娘も「お願いします」と、頭を下げてきた。
「いや…困ります…予約したものだし…」断り始めたら、奥様は財布を出して「おいくらなら譲ってくださるの?」と、笑顔。
「いや…譲る気はありませんので…オークションでも調べてみたらいかがでしょうか」丁寧に断ったつもりなのに引き下がらない親子は「今すぐ欲しいのよ。ね、○ちゃん」と、ごり押しです。
「無理です。諦めてください!私も凄く欲しかった服なので!すいませんが!!」と、頭を下げた。なんだかこっちが悪いような気になってきた。
そしたら奥様が「何よ、けちね!」と、怒ってきた。挙げ句「その服うちの○ちゃんの方が似合うのに!!」と、捨て台詞で去っていった。ってかおたくの娘、たまみちゃんっぽいんですが…(爆死)。
子持ちの友達とショッピングセンターに行った時、子供しかできないくじ引き大会をやっていた。景品は子供が好きそうなものが多く、友達の子供もやりたい!と、参加した。
どうせ参加賞のどうでもいいおもちゃだろうと、思ったら、着せ替え人形を当てた友人の娘。えらいハイテンションで喜んでます。
そしたら同い年位の女の子がいきなり友人娘の前に来て「それちょうだい!」「やだ!」と、言い返した瞬間、その女の子が娘を押し倒した。
人形を抱えてる所為で頭から床に倒れた娘は大泣き。慌てて「ちょっと何してるのよ!」と、しゃしゃり出た自分と友人。なのにその女の子は全く謝らず、未だに人形を狙っています。
親はどこ行ったんだ?全く…と、思っていたら、おじいちゃんおばあちゃん+両親という豪華なメンバーがやってきて、その女の子に声をかけました。
「ちょっと!」と、文句を言おうとした瞬間、ギャルっぽい母親が「人形位あげてもいいじゃんかよー、何やってくれてんだよ」と、大泣きする子供を目の前に言い出した。
父親も父親で「そうだよなー、こいつがこんなに欲しがってんのによー。ったく」悪いのはこっちかYO!
言い返す気力もなくなったので、その場を去る事に。ってか、祖父母もどっちが悪いかよく分からないのか…。
あーなんて言えばわかるんだ?投げ出したくなってきた。
まず再三言ってるけど「他人」なんて概念自体君がそもそも持ち込んだ訳、勝手に。元の引用にはそんなものは書いていないわけ。
で、「他人と別人では違う」って皆が言ったのは、「そこは他人じゃなくて、別人が正解だ」って意味合いで言った訳よ。
で、「別人だけど他人じゃないから、子を産める」のだと。それはつまりどういう意味かっていうと、「親と子は、性格や思考は違う、別個の人間だけれども、決して無関係の人間ではない」そんな意味合いなわけだ。
で、子は別人で他人、なんて有り得ないわけ。子が他人であるはずはない。無関係であるはずがない。別個の人間ではあるが。
問題となっているのは、「子を同一視してしまう親がいるが、子と親は、別個の人間である」ということであり、「無関係な人間である」ということじゃないんだよ。だから、まあ、もしかしたら子は別人で他人と思っている親がいるかもわからないが、少なくとも今はそこは問題じゃないわけだ。別人と他人は違う、というのはそういう意味で言われたわけ。問題となっているのは「子を同一視してしまう親と別個の人間と分かっている親」の事だ。で、君は今となってはどんなつもりなのかわからないが、最初の文
からしても、また
「なんで別人である子供のために、生活の面倒をみたりしなきゃいけないんだ?」という疑問
にあっさり変えたあたりからしても、君が「子は親と別個の人間だというが、同一視しないと子なんて産めないのではないか(または子を別人(他人ではないが、親とは違う別個の人間)だと思っていたら産めないのでないか)と思っている」という事をいいたいのだと判断するわけだ。
で、そうするとこれがおかしくなる。最初の主張からいくと
じゃなく、君は
という主張のはず。というか、前者の主張だと、そもそも君の感じてる疑問はなくなるのではないか?君は「子が別人というのはわかるが、別人だとわかったらそもそも産まないのでは?同一視する困った親ばかりが産むことになってしまうのでは?」といいたかったのだろうが、前者ではちゃっかり「別人と認識していても子供を産む」ことになっている。一体何をいいたいのか分からないのだ。
「子供は別人で他人と思う親」の話なんて、誰一人していないんだ。君が突然そんな事を言い出し、且つその人だけが「子供を産まない」ことになっているからこっちは意味が分からなくなったんだよ。分かる?
えーと。
ちょっと待って。
君、そもそも別人と他人がごっちゃになってるんだよね。
そもそも「子は他人」とは誰も言ってないんだよ。それは君が最初に勝手に言い出した(てか勘違いしてごっちゃにした?)事なわけよ。
で君はおそらく、他人と別人を同じような意味で使って、最初のこの文を書いてるわけだね。
「なんで他人である子供のために、生活の面倒をみたりしなきゃいけないんだ?」という疑問に答えられない限り、「子は別人」と思えない親ばかりが子供をつくり続けていくのではないかと思ったよ。
多分君はこの時点では、他人=別人という感覚で使ってる。皆はまず「そこが違うから!」って突っ込んでるわけよ。
そこんとこを君が整理しきれてないから、なんか下のように意味不明な事になってるわけね。
ここで今まで話してもいなかった「子供は別人で他人派」なんてのが出てきてるわけ。こんな事を思っている人は流石にいないだろうし、そこは君が引用したところでも言及してないし、大体君は、最初に他人と別人をごっちゃにして、同意語で使っていたはず。何故いきなり分け始めたのか、そもそも君は「子は別人で他人な人は子供を産まない」ではなく「子は別人な人が産まない」という主張だったろう?なぜなら「別人と他人がごっちゃになってる」と突っ込まれた後の君はこう答えてる。
「なんで別人である子供のために、生活の面倒をみたりしなきゃいけないんだ?」という疑問、にしておく。
ここからしても最初の文の
からしても、君は「別人と思える人間は産まない」「別人と思えない人間ばかりが産む」と言いたいと思われる。で、二つ上の引用から分かるように君は最初、他人と言う言葉は「別人」の代わりに使っていた程度に過ぎないわけだ。そこに明確な差は、君にとってはなかった。
しかしここにきて、
と、突然「別の言葉」として使い始めている。
ちょっと、問題提起をした君自身が「他人」と「別人」の区別がついていないようなんだ。君が話がかみ合っていないように思うのは、君のこの二つの言葉の定義がその都度ブレるからだよ。