はてなキーワード: 朝鮮学校とは
大元の増田の記事には大いに共感したし、生の声がこうやって匿名で聞けるのありがたい。
これは郷土愛に憧れてるオレ?みたいなものかもしれない。
沖縄の人間はもう民族意識みたいな思考はなくなりつつあるし現実として旧琉球王国なる国は滅びてるんだし。
これは俺が婆さんから言われたことが、ずっと胸に突き刺さってるからだ。実感として。
婆さんはほとんど島から出たこともない島口しか話せない婆さんで、今だったら“中国の四川省奥地で発見された仙人”とかテレビに出てきそうなぐらい昔話の世界がぴったりの婆さんだった。
その婆さんにある時、ヤマトゥと毛唐には絶対近づくなよ悪い奴だからと吐き捨てるように何度も言い含められたことがあって、その時はちょうど叔母が米兵と結婚するとかの時で日本人も嫌いだと公言する完璧な攘夷婆さんだったから親類一同婆さんをなだめている時だったんだよな後から思うと。
小学生ぐらいの俺にはその剣幕がすごい印象に残ってんだよね。
婆さんからあいつらは悪い奴だ憎め、と繰り返し言われたらそりゃ子供には突き刺さるんだよ。
沖縄はもしかしたら朝鮮半島以上に日本からひどい目にあったかもしらんけど、俺の生活には関係ないこと。ただ事実としては知っておこうと思うだけ。
反日教育なんかするようなことがあったら島んちゅとして断固反対。
でもうちらの島は小さいからあんまないんだよねそういう教育やら運動。本島には左巻きが跋扈してるから追い出さんといかんと思うが。
こんにちは、http://anond.hatelabo.jp/20090415055817で民族学校通ってた在日です。
そうなんですよね、韓国の方から見ると在日っていわゆる中国本国から見た華僑、でなきゃ日本から見た日系ブラジル人みたいなものらしくって、うちの母の店でバイトしてた韓国の留学生達と話して最初はかなりショック受けた記憶あります。えー!私達民族の誇りを…とか学校で言ってるのにそっちから見たらそうなの?!って。なんか(民族派の?)在日の片想いなんだなあって。
言葉話せてもアリラン(済州島アリランとか密陽アリランとか何種類もある)歌えてもそこは一緒だし十把一絡げっぽかったです。
「韓国語お上手ですねー(にこやかに)」って何だよ!私は日本ビイキの微笑ましい外人さんみたいな扱いかよ!とか心の中で脱力しつつツッコミ入れた記憶があります。
向こうから見たら日本人だし日本から見たら韓国/朝鮮人だし宙ぶらりんな状態だから、振り子の振れ方にも色々あって今の増田みたいなある意味百花繚乱状態になるのかなーとか思いました。私自身他の在日の方の話を読ませてもらって目から鱗がぼろんぼろん落ちました。聞かせてくれてありがとうございます。増田達それぞれで枝分かれしてく先の一つ一つがすごく説得力あって、大元の増田にとても感謝してます。
私は結構国籍にこだわりがあって、というか朝鮮籍に、かな。そこらへんは父母の影響で。
朝鮮籍=北朝鮮ともあまり思ってないし(そういうふうに見られることも多いってことは理解してる)。それでも韓国籍に変えることは考えてるんだけど。
でも今は宙ぶらりんに留っとこうかなと思ってます。どっちでもねーならそれはそれでもう「在日」っていう一つの民族でいんじゃね?とアホなこと考えたりするし。オールドカマーの血筋ってもうそう言ってもいいんじゃないかっていう気になることもある。もちろんそんな簡単な話じゃないんだけど、あれこれ考えて面倒くさくなるとそんな考えが浮かぶ。すぐ考え直すけど。
自分自身についてもいつまでも(いろんな意味で)ガキなヤツがいるみたいにいつまでも宙ぶらりんのヤツがいてもいいじゃんというすごくいい加減なところに着地しつつある。
朝鮮学校の中で親類縁者がなく更にオタクという非主流だったせいでコミュニティからも浮いてたし、何より自分が非モテ非コミュで家族を持つ気がないからだろうけれどw 守るものができちゃったらそうも言ってられなくなるのかもしれないけど、その時はその時だと思うことにしてる。
うまくまとまらなくて申し訳ないけれど、韓国/朝鮮語話せたり民謡歌えたところであんまり変わらないですよー、ってちょっと伝えたかったので書きました。なんかピント外れてたらすんません。
「全員帰せばいいのに」って言う根拠は、在日の人の主張が判を押したように「強制連行!」「謝罪!」「賠償!」って言われるので、だったら終戦時に全員帰らせるのが一番よかったんだなーと理解したから
つまり君は「強制連行!」「謝罪!」「賠償!」って言われるのが嫌で、それに反論するため「だけ」に論を組み立ててた訳ね。それは凄く不真面目だよ。
実際追い返してたら追い返された人がどうなっただろうかとか、追い返されたくない人がいたかもとか、強制連行された訳じゃない人はどう扱うべきだったかとか、そういうことも考えようよ。
1. 最初は「朝鮮」という国の国籍を有し、その領土に住んでいた。外国人ではない。
2. 日韓併合が起こり、「日本」の国籍を有し、日本国の朝鮮地方に住む人になった。外国人ではない。
3. 内地に引っ越し、「日本」の国籍を有し、日本国の内地に住む人になった。外国人ではない。
4. 敗戦後日本政府の決定で日本国籍を失い「朝鮮籍」という国籍のようなものを有し、日本に住む人になった。外国人になった。
1~3の間はずっと外国人ではなかったのに、4.の日本政府の決定で日本国籍を失って外国人になってるでしょうが。
元のデータって言われても、日韓併合から終戦までに35年たってるんだけど。いきなりそんな昔のデータに戻されても困る人もいることは分かるでしょ。特に内地で生活してた人の中には。
ちなみに、「日本在住の朝鮮人はとりあえず日本国籍にして、自発的に離脱した人だけ外国人にする」とか、「一定期間を決めて届出をした人は日本人扱いにして、それ以外の人は外国人」って扱いにしてたらどんな問題が発生したの?
そんなの、人によって違うに決まってるじゃん。でも、日本政府はそれを聞かなかったんだよ。
それとも、朝鮮人でも希望者は日本国民にしろ、という主張なのかな?
してるじゃないですか。帰化のしくみがありますよね。希望すれば(例外はあるけれど)日本国籍取れるのはもちろんご存知ですよね。
在日の帰化はもうちょっと簡単にしてもいいとは思うし、日本で生まれた場合は国籍をあげてしまって成人したときに本人に選ばせる制度はアリだと思う。
まず、在日に向かって
だったら国に帰ればいいじゃん。
在日の人もしんどい思いもかわいそうな思いもしなくて済むし、こっちも優遇しなくて済むし。
みたいなことをいう日本人が減ると少し暮らしやすくなるだろうね。こういう発言は「外国から日本に来た外国人」に対してしか意味が通らない。(「外国から日本に来た外国人」にいう言葉としてもかなり酷いが)「日本国内を移動して内地に来てそのまま住んでる元日本人とその子孫」に言うのは筋が通らない。
あとは、民族教育やってる学校に資金援助を出すのもいいかもね。これは帰化した朝鮮系日本人にとっても有用だし。(べつに朝鮮学校に限らず、中華学校とかブラジル学校とかの他の民族学校も支援するともっと良いけどね)
海外から戻ってくるときにいちいち指紋とるとか、再入国許可を取らないで出国すると特別永住資格を失うのも止めれば良いんじゃないかな。
http://anond.hatelabo.jp/20090414170900
もうお腹いっぱいかと思いますが、ここ数日の在日コリアンの増田エントリーに触発されたので、おいらもいっちょ書いてみます。
つれづれに書くからねー長くなるかもだよー。
国籍は韓国です。旦那は日本人です。子供はいません。兄弟はみんな既婚で、配偶者は全員日本人です。
両親は朝鮮学校に通いました。父は右寄りでも左寄りでもない感じで、母はクソ真面目の右寄り(?)です。両親はハングルペラペラ(これは大人になってから自発的に学びなおしたからで、朝鮮学校に通っていたからペラペラなわけではない)ですが、自分は数十個の単語を知ってるくらいです(主に親戚を呼ぶ時と挨拶程度)。
自分は日本で生まれ、日本で育ち、日本の学校(高校まで)に通い、日本人の友人に囲まれて青春を謳歌し、今は派遣社員として日本の企業で働いています。
親戚以外で在日の知り合いはいないです。帰化した親戚もいますが、みんな仲良くしてます。
通名(名字だけ。名前は1つかないス)を使ってますが、新しく知り合う人には割りと早い段階で在日であることを言ってます。なんでそうするかって、とーちゃんがそうしているからです。親のしていることを真似するもんなんだよね、子供って。在日だと告げることですごいイヤな思いをしたこともありませんでした。残念ながら私はお勉強は苦手だったので高校は上中下でいう下の県立バカ高校で、そこで知り合った友人ももちろんお勉強のレベルは同等。もちろん在日ってのがいまいちよくわかってない。「外人?スゲー。どこ生まれ?韓国語話してみて!!!」みたいな感じw
違うんだ、国籍が韓国なんだけど日本生まれ日本育ちでね、ハングルは話せないよ、っていうと「なんだ、じゃあ日本人じゃん…」って、なんでガッカリか、コラwww
こんな感じで良くも悪くも私が在日であることは興味をもたれなかったです。20歳になってからの市長選挙かなんかときには、おまえ誰に入れるの?○○さんよろしくね、みたいなこと言われたことあったなぁ。だからー選挙権ないからー!
在日であることを告げてひどく考えさせられたことが1度だけありました。20代はイギリスに留学してました。通っていた大学はいろんな国から学生がきていて、もちろん韓国からきた学生もいました。私は普段から在日であることを隠したりしてなかったので、同じ学生寮いた韓国人のピ(仮あだな)さんにも在日であることをいいました。それはそれは普段話すように軽いノリで。そしたら、在日はコリアンとは認めないし、本国(韓国)では嫌われてる、というような主旨のことを言われたんです。我々にひどいことをした日本に住んで暮らしている在日は裏切り者だ、ということらしいです。すごいショックでした。
私は父から、朝鮮人であることは恥ではない(誇りを持てとはちと違う)から隠すこたぁない、民族の結束は大事だし助けあうもんだ、と常々言われていました。民族の結束については実感なかったけど、自分が在日であることは特別というより話しのネタくらいの感覚で、隠すことではないと思ってました。もちろん、朝鮮半島が自分のルーツであることを否定もしてない。なので、コリアンと認めてもらえないことをどう処理していいいのかわかりませんでした。
ピさんの発言はあくまでも韓国にいる韓国人の一つの意見に過ぎないし、そう思っている人もいれば違う考え方をしている人もいるでしょう。ただ、事実としてこういう意見はあるという現実。まあ、ハングルも話さなければ朝鮮半島のことも知らないので当然なんですが。日本に住んでるからいけないのか。でも生まれたときから住んでるし、もっといえば日本に生まれることを選んだのは自分ではないし…。朝鮮学校に行かなかったからいけないのか?今から韓国に行けばいいの?ハングルを話せばいいの?韓国で生活をすれば受け入れてくれるの?でも私にとって韓国は外国だしなぁ。
この「コリアンとは認めない」発言で、私は自分が存在してはいけないのような気がしました。私は自分が在日であることをあまりにも軽く考えすぎていたのではないか。なんてバカな自分。もっと真剣に向き合わなくちゃダメなんじゃない?いわゆる、アイデンティティ・クライシスでした。
冷静になって考えると、頭の中が完全に日本的でハングルも話せない自分が「韓国人でーす」とか言ってもうさんくさいよな。確かに「おまえはコリアンじゃない!」って言いたくなる気持ちもわからないでもない。そんな自分はさておき、日本で朝鮮半島式のしきたりを守り続けているうちの両親・親戚も韓国人とは認めてもらえないのかしら。でも日本に住んでるから裏切り者なのかな。
イギリスで、ああ、これはいいなって思ったことがある。中国系(イギリス生まれ、イギリス育ち、英語・広東語)のイギリス人ポール(仮名)君に「君は何人?」って聞くと堂々と「イギリス人だよ」って言う。あたりまえなんだけど、堂々と言えるってことがすごいいいなって思ったの。日本にいて「何人?」って聞かれることは99%ないけど、外国にいると聞かれる機会が多い。そんなときなんて答えたらいいのかすごい迷うんだよね。韓国人ですっていうのはウソがないが、「あ、韓国語知ってるよ。アニョハセヨー」とか言われても笑ってごまかすしかない。でも、日本人ですって答えるとウソなわけじゃん。ウソ言ってるってことが自分の中でなんか気持ち悪いんだよね。かといって、初めて会う人に「韓国人ですが日本生まれで日本育ちで日本語しか」って長いじゃん。それトゥーマッチインフォメーションじゃん。今考えれば、聞いてる側は私の国籍じゃなくてどこに住んでるのかを聞いている場合がほとんどだろうから、日本から来ましたって言えば済んだ話なんだけどね。丁度ピさんの発言とかで敏感になってて、冷静になれてなかったね。
で、ポール。ポール君と普段の会話してると、話の内容によっては「自分はチャイニーズじゃん、そんで家では中華料理がうんぬんかんうん」とか「みてわかるじゃん、おれはチャイニーズだよw」みたいな発言もあるんだけど、国籍はどこかっていうと断然迷いなくイギリスなわけ。イギリスにはインドあたりからの移民もたくさんいるのですが、サリー着て見るからにインド人のおばちゃんもきっと堂々とイギリス人ですって言うと思う。サリー着てかなりお年を召したおばあさんがたとえカタコトの英語しか話せなくても国籍はイギリス。そっかぁ、国籍=民族じゃないんだね…っていうことを痛感したわけです。民族性を保持しつつ、在住する国の国籍を有するっていいなぁ。それなら自分は朝鮮系日本人っていう存在になれたらスゲーいい!と思ったわけ。
本名で帰化だ!それで丸く収まるよ!そんな話を母親にした。もっと賛成してくれると思ったのに、どうも反応がイマイチ。そもそも帰化することが納得できないらしい。おかーちゃん、帰化する=朝鮮を捨てるじゃないんだよ、私の国籍がどこでも私が朝鮮民族ってことは変わらないじゃん?って何度も説明したけど、やっぱり受け入れられないらしい。ちなみに、この人は朝鮮と韓国が別の国であるということさえも納得いかない人なのです。朝鮮半島は朝鮮民族の土地であり、もともと1つの国よ?ってな。それはさておき、帰化の話があんまり通じないから、国籍に頼る民族性なんてクソくらえだ、ばーか!みたいなこといってケンカになったこともある(しかもソウルの電車内でw)。
なんでおかーちゃんは頑なに帰化したくないのか?それの一つに教育の違いがあるんだろうと思った。朝鮮学校で何をどう学んだのかは知らないが、私が日本の学校で学んだこととは違うんだ。帰化することは民族を捨てるって思想なんだろう。最近は、自分は帰化しないが、あなた世代は日本人と結婚する人も多いから帰化するのも理解しないといけないと思う、にだんだん変わってきたようだ。でも内心は帰化に対する負の感情があるのがわかる。母親に帰化の話すると、なんともいえない怒りというか悲しみというか、非常に複雑な表情を見せるんだよね。親にそんな思いをさせるのかと思うと帰化は非常に躊躇する。
ま、ただでさえ帰化は時間と金がかかるし。ブクマコメを見てると、帰化の手続きが大変なんだって知らなかった人も多かったみたいですね~。そらそうか。昔はものすごいイジワルな面接官がいて、その面接でキレて帰化できなかったか途中で投げ出したかした人もいたとかいないとか聞くよ。今は随分改善されているらしいです。
とりあえず自分は帰化は今は見送り。両親がいなくなったら考えるかも。
ニュースをみててふと思ったことがある。もし自分がボランティア活動でアラブの国に行ったとして、誘拐されたら?日本人が誘拐されたときは日本政府の介入がありましたよね(具体的なことはわからないですが)。もし韓国籍の私がアラブで誘拐されたら韓国政府が介入する…んだよね?そんで無事に救出されたとしてどこに戻る?…日本に戻ったら韓国人は怒るよね?あたりまえだよな。でも日本政府が在日韓国人を助ける義理はないよね?もし助けたとしても、日本国民は納得いかないよね?じゃあどっちの政府も無視するかな?…されたとしても文句は言えないなぁ、この辺はどうなるんだろうなと疑問に思った。あ、私はボランティア活動してるわけでもないし、この先もその予定はないですよ。ただ、国籍が重要なときってあるんだよなって思ったのです。在日韓国人として日本に住んでいて不便も不自由もない(そりゃ役所関係ではコマゴマとありますけど、たいしたことない)のでこのままでオッケーみたいなところがあるんですが、そんな軽いノリで問題を先送りにしていいのかって思わなくもない。
本国にいる韓国人もさまざま、在日もさまざまです。私のようにちょっとおバカな在日だっているんです。一世、二世、三世でもかなり違うし、学校教育や家庭がどんな環境だったかで意識は違うと思う。みんなそれぞれに悩んだり悩まなかったりしてるはず。どっちが正しくて、どっちが間違ってるなんてことはないと思います。
それから、在日ってことで悩んでばっかりいたわけでもなくて、在日ゆえのおもしろい話とかもたくさんあるんですよ。ネットで公開できる話かどうかわからないので書けないですけどw
…ハゲるほど悩んだわけでもないですが、現時点では「場合によって韓国人でもあり、場合によっては日本人でもある」ということで自分の中で決着をつけ、今はのほほんと暮らしています。
5年後、10年後はどういうふうに変わっているかわかりませんけどね。
http://anond.hatelabo.jp/20090414170900
何やらはてなで在日が話題になっているようなので、便乗してみる。
私も在日であった。そして、割と成長するまで自分が朝鮮人だという事を知らなかった口である。でも、通名を使用していなかったので自分が外国人だという事は知っていた。どういう事なのかというと、私は自分の事を中国人だと考えており、朝鮮人だとは思っていなかったのである。おそらく、友人も自分を中国人だと思っていたと思う。
何せ名字が「李」で(ちなみに、自分の名前は日本式だった。例だけど、李 一郎みたいな感じ)、周りで外国人と言えば中国人、朝鮮人は一人もいなかった。さらに、我が家の稼業はラーメン屋だった。これで中国人じゃないなんて、ギャグとしか思えない。
朝鮮人だと知ったのは、おそらく中学に入った頃だと思う。どうしてなのか、きっかけは忘れたが、親に「我が家は中国人なのか」と聞いて、帰ってきた答えが「いや、朝鮮だよ」だったのだけは覚えている。その時に思ったのは、驚きよりも「朝鮮ってどこ?」だった。
当時はまだ小泉純一郎も首相になっていない時代だったので、ニュースに興味もなく成績も学校で下の方だった中学生にとって、朝鮮というのは未知の国でしかなかった。韓国の北だよ、と言われてようやく分かった(当時はソウルオリンピックが開催されていたので、さすがに韓国くらいは知っていた。大韓航空機爆破事件も知らなかったほど、当時の自分はニュースに興味がなかった)
そんな感じだったので、朝鮮人だと分かった後も、自分が朝鮮人だと気にする事は無かった。中国人だとの意識も抜けなかった。周りに朝鮮人が一人もいないのだから、朝鮮学校なんて物もなく、私は小学校から短大まで、日本の学校に通った。名字が珍しい事以外、差別をされた経験もなければ、在日だからと同情された事もなかったので、朝鮮人と強烈に意識する事は皆無だった。
家ではキムチが出た記憶が無く、おそらくは他の日本人と同様の食生活だったと思う。休日の昼は必ず餃子とラーメンだったのはご愛敬だけど。親からも、朝鮮人の誇りだとか、金日成の話なんて聞いた事はなかった。今思えば、不自然なくらい、朝鮮の匂いなんて物が無かった家だったと思う。親戚付き合いも皆無と言って良く、自分は祖父母以外に親戚に会った事がない。聞けば、祖父母には兄弟がいたらしいけど、朝鮮戦争のごたごたで亡くなったらしい。
朝鮮人だと強烈に意識したのは、拉致問題だったかな。社会人になっていたけど、相変わらず一部の人(例えば、勤め先の社長とか)以外、私を朝鮮人だと知る人はいなかった。私が、積極的に朝鮮人だと言う事がなかったからだ。何せ、朝鮮人だと言ったところで、朝鮮半島の事なんか、韓国の首都がソウル、北朝鮮の首都は平壌だという事くらいしか知らないのだ。
ただ、通名は使用してなかったので、周りは自分の事を中国人だと思っていた。自分自身、中国語も喋れないが、中国人だとは思う事はあっても、朝鮮人だと思う事はなかった(本気で中国人だと思ったわけではなく、中国人という単語を「外国の人間」という感じで使っていた)。だから、拉致の時も、私は何も言われなかったが、私自身が自分の国籍を気持ち悪いと思った。こんな野蛮な連中と、同一の民族に思われたらかなわない。そう思い、とっとと帰化してしまおうと思った。
こういうと、ひょっとしたら「日本は昔野蛮だっただろう」と言う人もいそうだけど、その時に私は生まれていないのだから、その辺の事は個人的に「どうでも良い」事だ。正直、六十年も前の事をいまさら蒸し返すのは、馬鹿馬鹿しいとしか思えない。
だいたい、親の代から日本に住んで、日本語をしゃべり、日本の会社に務めているのに、日本国籍を持っていないなんて、どうにも不自然で仕方がない。正直、日本が好きか嫌いか以前の問題だった。帰化に関しては、ぶっちゃけ拉致発覚以前から考えていた事だったけど、拉致問題で踏ん切りがついた。
書類が集まらなくてやたら時間がかかったけど、取り敢えず拉致発覚の1年半後くらいに日本に帰化した。名前はそのまま。苦労した割にあまり「日本人になった」という達成感も実感はなく、金がかかって損した気分にもなったが(だって、何も変わってないのにお金は数十万円もかかったんだぞ)、現在私は日本人である。
私の家は、通名を使用していなかったので、外国人だとは知っていたが、在日朝鮮人ではなく中国人だと思っていた事は先述した通りである。そして、以降も朝鮮人としての自我は、全く芽生えなかった。ひょっとしたら、差別をされたら、逆に朝鮮人としての意識も出てきただろう。だけど、幸運な事に、私はそういう機会がほとんどなかった。
ただ、自分が自分を朝鮮人だと思えなかった最大の理由は、それは、我が家に朝鮮との繋がりを示す物が殆ど無かったからだと思う。前にも書いたが、キムチをはじめ、朝鮮の料理すら殆ど食卓には無かったのである。せめて、誰か親戚でもいれば朝鮮人としての意識も育っていたかもしれないが、これも無かった。これは、以下のような理由らしい。
先にも言ったように、祖父母は命からがら朝鮮戦争から逃れてきたらしく、親戚一同は皆殺しになったらしい。
曲がりなりにも同胞に家族を殺されたせいなのか、祖父母は朝鮮に関係する物を意識して遠ざけるようになったらしい。我が家が妙に朝鮮の匂いがしなかったのは、祖父母の教育のせいらしい。殺された親や兄弟の為に、「李」という名字は残しつつ、子や孫(つまり、私や、私の父)には日本名を付けていた。祖父母の話では、日本では意外な事に差別らしい差別を受けなかったらしい。
言い忘れていたけど、ここでいう祖父母は父方の方である。母方の祖父母は、私が生まれる前に亡くなったので、会ったことがない。ただ、聞いた話では、母方の祖父母は父方の方と違って、かなり差別を受けたらしく、意識して日本人と同化しようとしていた家のようだ(母は、例え話として太平洋戦争の時、日系アメリカ人が自分達への差別を無くそうと積極的に米軍に志願したり、アメリカ文化に同化しようとしたのと同じだと言っている)。そのため、親戚からは白い目で見られるようになってしまった。母方の親戚は父方と違って何人か日本にいるらしいのだけど、全く付き合いが無くなってしまった。そして、母親も普通の日本人と殆ど変わらない人間となったのである。ちなみに、母の家は日本に同化しようとしたのに日本国籍ではないのだけど、単純に金がなかったかららしい。母方の祖父母は、晩年かなり身体を壊しており、治療費がかなりかかっていたらしく、帰化費用も惜しかったのだとか。
まあ、こうして、我が家は朝鮮人の家系でありながら、私は朝鮮人としての意識が皆無の人間として育った訳である。
今でも日本人かと問われたら、何となく違和感があるけど(子供の頃は、中国人だと思っていたわけだし)、少なくとも朝鮮人だと聞かれたら、はっきりと首を横に振れる。
ここまで長い文章書いて、何か意味があるのかなとも自分で思ってしまったけど、まあこういう朝鮮人としての意識を最近まで全く持っていなかった在日もいるということで。
4月15日・・・ディズニーランドの在日率が上がる日にこんな話題が流行るなんてね。
僕は(たぶん)もう少し上の年代。
ずっと本名で暮らして、日本の企業に勤めて、日本人の妻と結婚した。
子供はまだいないけど、出来たらその子はしばらく二重国籍になる。
二十歳になったら国籍を韓国と日本のどちらに選ばないとならない。
僕の国籍は元々は朝鮮籍だったが、会社に入ったときに、国籍を韓国に変えている。
海外出張を考えるとさすがに朝鮮籍は面倒が多すぎるし、韓国も金大中が大統領になってのが理由。
さて、書きたかったのは帰化の話だ。
変な断りをしておくけど、最初の、
http://anond.hatelabo.jp/20090414170900
の人を否定するつもりはない。
彼女のアイデンティティが日本人により近く、現時点の自分が嫌だと言うのであれば、
帰化の選択は正しいと思っている。
ただ、僕の選択は全く違うし、だから否定的に書いているように見えるかも知れない。
それだけ断っておく。
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僕は帰化をする気がない。
通名を使う気もない。
利便性の話をしたら、日本に住むなら日本国籍を取る方が楽に決まっている。
だから、変えないのは気持ちの問題だけだ。
では何故変えないか。
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まず第一に親が変えていないことが大きい。
帰化した方が楽のは僕等よりも親の代の方が恩恵が大きかったはずだ。
詳しくきけたことはないが、それでもやはり昔の方が差別は直接的で強烈にあったらしい。
もっと言えば、祖父の代はそれ以上に厳しかったはずだ。
だから、僕もそのルーツを守りたいと思っている。
それは次に国籍を変えない理由となる。
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次の点は、変えるためには、日本人にならないといけない点だ。
いや、当たり前のことだと思うかも知れないけど、もう一度書く。
この大本の記事が何故あれほど圧倒的な支持を得たのか。
簡単な話だと思う。
それはそうだ。
日本人の立場からすれば、日本を賞賛して、崇めて、そういう日本人になりたいって言ってくれる人は
好きに決まっている。
当たり前の感情。
けど、僕はそうじゃない。
それを嫌って否定して、その上でしかなれないのなら、日本人になる気は全くない。
日本が嫌いと言っているわけじゃない。
僕の血と日本国籍が同等でなく同時に存在出来ないのが気に入らないんだ。
以上が僕が帰化をしない理由だ。
こう書いたら、多分、反発の方が多いだろう。
日本の大好きな、郷に入れば郷に従え、という同調圧力とかいう奴だ。
けどさ、日本語で生活をして、日本の歌を聴き本を読みドラマを見て、日本で日本人と一緒に仕事して、
将来、韓国系日本人というのがある程度以上の市民権を得るのだとしたら、僕は国籍を変えるかも知れない。
例えば、サッカーで韓国を応援する韓国系日本人がいて、その存在を日本は認めるだろうか?
変に思う?
これが例えば、W杯でイタリアを応援するイタリア系アメリカ人なら変とは思わないはずだ。
その辺の差が埋まればあるいは変えるかも知れない。
とはいえ道はまだまだ遠いだろう。
僕が学生時代よりも、カジュアルに朝鮮半島への偏見と差別は満ちている。
その中で韓国籍を持つのは、やはり面倒なことは多い。
けど、だからこそ、いましばらくは、僕は韓国籍を持ち続けるだろう。
最後に、ちょっとだけ朝鮮学校の話を書く。
いまは、あの真っ赤な革命歴史の授業はなく親子の肖像画もない。
ニューカマーの子供で入るのがいるらしい。
それくらいには変わってきている。らしい。
法制度で言えば特別永住者制度。あとそれに伴う参政権や公務員就任権の話じゃね?
運用で言えば朝鮮総連関連施設への課税減免が06年あたりに大問題になったよね。「公の支配に属さない」朝鮮学校への補助金要求があったりさ。
こういうのも他の外国人と同じ扱いにせよと。そういうことじゃないの。
エントリ、すごく参考になりました。じゅうぶん強く利口な方だと思います。
そういえば朝鮮学校は手弁当だから保護者のがんばりにすべてがかかってると、
子供を全員朝鮮学校に通わせている叔父が言ってたのを思い出しました。
そういえば普段韓国語まったく使わないけど叔父叔母についてはチャグナボジとかサンチュンとか言ってるなあ。
ネットの嫌韓発言が死ぬほど怖いのは超同意し過ぎて握手したい気持ちでいっぱいです。
オフラインの日本人ていうか、道行く人間全部が敵に見える錯覚とか、
運営してたブログにやたら絡みに来たり嫌がらせのメールを送ったりされてて本当に削れました。
IDをさらして在日や思想を語る人に関しては個人的には勇気というより、安全を過信しすぎてる気がします。
何故なら9時になって実家に電話すれば、多分彼女の素性はすぐ分かります。
在日世界の狭さなんて分かっているはずなのに、素性がすぐに分かるような書き方で煽ったりは懸命ではありません。
それも自分が学生の頃にしていたブログで経験したから言えることだけども、
勇気と勇み足は違うし、自分の思想が正しいと思っていても自衛出来ないならすべきではないと思います。
世の中には頭のおかしい人はたくさんいるし、頭のおかしい人の行動力は本当に異常。
だからアレを勇気と思わないで欲しい。過去の私にも言い聞かせたい・・・・・・。
怖い目に遭ってからでは本当に遅いんです。
オタは嫌韓というかネトウヨ多いですよね。厨二心にビンビンくるんでしょうか。
本田菊に萌えるくらいで済ませとけって話です。中将の時局公演でも良いですけど。
私にも同じような心当たりがあるけど、生活に追われるようになったら静かになるので放置するが吉だと思います。
じゃないと傷つくだけです。
久しぶりに同年代っぽいフラットな在日の女子とやりとりが出来てうれしかったです。
色々面倒くさいけれども、適当にがんばっていきまっしょい。
http://anond.hatelabo.jp/20090414170900
強い人だなあと思った。ご結婚おめでとうございます。お幸せに。
よい文章だったのでちょっと便乗して書いてみようかなと思う。
読み返してみたら元増田に較べてグダグダな上に人間的にもよわっちいなと思ったけど在日にも色んなのがいるって記録になってくれたらなと。
私は中学校までチマチョゴリ着て電車乗って学校通ってたよ。貧乏ではあったけど父が民族の理想に燃える人だったので朝鮮学校に通ってた。
父親は総連系の(革命家に憧れ、結局今はもう精神的にボロボロな)活動家で、母は20代の時に民族意識に目覚めて本名を名乗るようになった(父親の稼ぎが悪すぎて苦労ばっかりしてきた)飲食店経営者、でもって娘はちょっと半端なオタクでサヨクというそんな一家です。
父は拉致問題発覚した時は本気で沈み込んでものすごいショック受けてた。母は「ありうるなとは思ってた」そうだ。おとんピュア過ぎるだろ。
(家にあったマルクスの資本論の中表紙に「これを理解できずして何が革命家か!」(ハングルで)と万年筆で殴り書きしてあっただけあるよ…)
…まあ、そういう「総連」の下っ端もいましたよ、と。活動としては何をやってたんだというと、在日朝鮮人の権利保障とかそういう折衝をやってた。
父も母も通名は持ってるけど私は持ってない。別に通名なんてほしくはないけどお店とか病院の予約取る時に大概名前を聞き返されるので面倒ではある。
母には日本人の血も入っててガキの頃そっちの親戚と法事なんかで集まると、私の名前を訓読みで読み下して呼ぶ人がいて「誰だそりゃ!気持ち悪い!」となったりしたし、母のイトコだかハトコだかの旦那さんに警察関係の人がいて、なんかすごく家族ごと邪険にされたのは覚えてる。父も母も後ですごく怒ってたけど、今考えるとハトコの旦那さんもかわいそうだよなあ。純日本人と結婚してるのにソッチの親戚に総連系活動家だもん。勤め先で何か言われてても不思議じゃないし、そしてやっぱりそういう話って耳に入ってくるもんだ。うちら家族に責任はないけど旦那さんにも責任はないわけで文句言うなら勤め先だろとサヨクな私は思うけど、理不尽な気持ちになることはわからなくもない。
高校からは日本の公立高校に進んだ。大学受験資格の問題とかで高校からは日本の学校へ進学する子は多い。私の場合は純粋に人間関係うざかったからなんだけど。だってクラスの半分が9年間ずっと一緒の顔ぶれ、もしかしたら12年一緒の子もいるかもしれない、って孤独なオタクからしたら恐怖だよ! 特に体育会系の強い学年だったこともあってオタクな自分からすると肩身がせまいことこの上なかったんだよ。小学校時分はいじめられっこだったしな。今でも友人は高校以後のオタク仲間がメインだし、全員日本人だ。
高校は社会科の先生が担任取ってくれた。いわゆる「サヨク的な」教師だったけれど気配りはとても上手だったし、私は在日であることを隠さず本名で涼しい顔してたこともあって苦痛に思ったことはない。政治問題社会問題を語る上で在日に触れることはあっても私個人に在日を背負わせようとはしなかった。どっちかといったら私が背負い込みすぎてて拍子抜けしたくらいだ。
外国人登録取りに行く時も、ちょうど指紋押捺が撤廃された頃だったので気にはなってたらしいけど向こうからは「公休な、わかった」と書類にハンコ押してそれっきりだった。私の方から「外登見ますー?」「おう、どれどれ」なんて言ってた。在日だからって何も特別なことはないって、そう思いたくて逆にそういうのを何気なくやり取りしようとしてたし、先生もそれは汲んでくれてたようだった。
ただ思うのは、小中と朝鮮学校という集団にいた&高校ではリベラルな教師の下で過ごしてたおかげで、自分には「在日」をかなり軽く考えてたフシがあったってことだ。「私は私だし、それでいいじゃん」って。後々どれだけずっしりのしかかってくるかも知らずに。
いやー、それにしても日本の公立高校には感動したね!
何だここ! 今まで私が通ってた学校って何だったんだ!
ここは図書室はあるしプールはあるしグランド広いし音楽室は防音完璧だし!
図書室の本もちゃんと整理されててブッカーかかってるしさ! 貸し出しカード渡された時は感激したよ!
何せ中学まで図書室とは名ばかりの空き教室に事務用スチール本棚並べて、父兄からの寄付/処分品と「どう見てもフリマで買ったか公共図書館で『御自由にお持ちください』状態のものを必死で集めてきただろ!」ってな本が突っ込んであるだけだったからね! おかげでアイリッシュとか読めたんだけどさ! 小学校ではかろうじて江戸川乱歩とルパンとマガーク探偵団があったけどさ! しかも図書室が開くのなんて年に数回でその時しか貸し出しがされてなかったもんだから、マガークの続き読みたくてこっそり窓から忍び込んで無断持ち出しで全巻読破するという有様だったしな!
だから今でも本棚整理する時は子供向けにしても大丈夫そうなラノベとかSFは寄付することにしてるよ! オタクは国境や民族越えると信じてる。
(何でもかんでも手弁当でやるのが十八番の朝鮮学校だけれども、さすがに跳び箱の革を張り替える金すらないと聞いた時は思わず笑っちゃった)
あー、あとJR定期券割引とかないから! 一条校じゃないから普通の学割より割高だったくらいだから! 中学の時、定期券安くしてくださいって嘆願のハガキ書かされたし! 大人になった今だって普通に通勤定期買ってるから!
大検資格も免除してくれるところはありがたいけど大体は通信制高校に通うか大検受けてるし!
それでも今考えてみれば朝鮮学校に通って良かったとは思ってる。
言葉も一通り習得できたしチマチョゴリ着て歩くことで、わかりやすい「徴」をつけて歩くことの意味も身を以て理解した。私自身は在日の親戚がほとんどいなかったけれど、何かあるごとにクラスメイトの親類達が祭祀(法事)や集りを行ってたのを見て「民族的なもの」を肌に感じることもできたしね。その分、父兄同士のビミョーな力関係が子供達にも影響してて在日の親戚がいなかった身としては色々鬱陶しいこともあったけど。
外から見れば思想教育云々って危惧があるのはわかる。でも正直なところ教師含めて本気で「将軍様~」とか思ってる人は誰もいなくて、教科書の中身は笑っちゃうようなものだったけど(それも今は改訂されたと聞く)もうそういう部分は惰性でやってたと言うしかない。電車に乗って学校に通うから中吊りの雑誌広告とかっていやでも目に入るんだけど、見出しを読むと学校で聞いてる話とは全然違うのよ。文春新潮から朝日まで色々だけど「自分達が学校で教わってる『我が祖国』ってのはウソだよな」って生徒はみんな思ってるわけ。多色刷りの中吊りが真実を告げているように見えてくる。テレビや新聞と違って雑誌の見出しってインパクト重視だし。そこらへんの間で揺れながら話し合う子も多かった。
「将軍様~」絡みの授業はかったるかったし誰もあんな授業好きじゃなくて、気の利いた先生だったらそのコマを「怖い話」や「ビデオ鑑賞」とかにしてくれてた。
音楽の時間もコマの中で将軍様の歌とかはさっさと終わらせてクラシック観賞(別名昼寝タイム)や、朝鮮民謡、あとウェルナーの「野ばら」を朝鮮語訳にして合唱したりしてたよ。特に理系や芸術系の先生はそういうことをよくやった。宮沢賢治の本を朗読して、この物語の絵を描いてみましょうとか。
そりゃまあ勿論、カリキュラムの建前は「将軍様」「主体思想万歳」なわけでそれが自分に影響及ぼしてないとも言わないけどさ。今の北朝鮮の姿勢については否定するけど、父親のしょぼくれた背中眺めたりしてると擁護もしたくなるしさ。子金孫金(今の将軍様とその息子ね)はどーでもいいけど金パパ死んじゃった時はさすがにショックだったしな。
あと、朝鮮学校の中にいるとすっごく世界がせまくなるなと思う。校内に従兄妹やハトコも多いし親だってほとんど親類縁者、同僚同業者顔見知りだし。日本の同世代との交流なんてほとんどなくて、私なんかは近所の子達と遊んでると話したら「おまえ日本人の友達いるの?!」と言われたこともある。正直学校の友達よりよっぽど仲良かったですが何か。
晴れ着にあたるチマチョゴリは綺麗だし、他の民族衣装もかっこいいしキムチ美味いし焼肉好きだし朝鮮民謡大好きだし、ハルモニ(ばーさま)、ハラボジ(じーさま)が踊ったり歌ったりするのも素敵だし、歴史読んだらかっこいい人物いっぱいいるし、だから韓国朝鮮民族は大好きだけれども、私が付き合わなくちゃいけなかった在日コミュニティはあまり私と合わなかったのも確かだ。生徒の絶対数の少ない朝鮮学校の中で、一般的に少数派であるオタクの割合を代入したらそりゃもう孤独なことになるわけで、親類がコミュニティの中にはいなかったこともあって居心地はあまりよくなかった。窮屈な場所だったと思う。私自身は左翼だけど、父以外の総連系に関わる気はまったくない。ていうか、今関わったらきっとあの体育会系の連中に出くわすに決まってる。そのくらい狭いんだよ、あの世界は!! 結束は必要だと思うけど私はもうあの場所には戻らない。
元増田は「GO」に共感したようだけど、私は李相日の「青~Chong~」が自分の過ごした時期と重なって一番思い入れがある。パラフィン紙で顔の脂取ろうとするあたりとか。
映画での朝鮮学校描写の年代差はなかなか面白くて「パッチギ!」→「GO」→「青~Chong~」の順で下ってる。そして登場人物達もどんどん「在日」である自分を捉えづらくなっていくんだよね。強固な仲間意識(パッチギ!)から、そこを突破しようとして民族に足を取られもがく子が出てきて(GO)、ぼんやり境界線の上を漂って地に足の着かないままの子が今生きてる(青)、という具合に。朝鮮学校の中にいてもそうなってる在日青少年の実情がよく見える流れだなと思う。
ついでに言うと和菓子大好き短歌大好き、京都大好き、寿司はうまいしマンガ好きだし、NO GAME,NO LIFEだと思ってるし、J-POPも民謡も好きだし、好きな作家ほとんど日本人だし、チャンバラ時代小説すっげー面白いし山田風太郎と竹本健治と火浦功は天才だと思ってる。
で、先述したようにチマチョゴリを着て歩くっていうのはなかなか忘れ難い経験で、朝鮮学校の女の子が大人びて見えるのはそれがあるからじゃないのかなって思ったりもする。「徴」をつけて歩くことはすごく振舞いを意識させられるんだよね。もう見るからに「自分は朝鮮人です!」って表明してるわけだから「私」が何かすると「朝鮮人」が何かしたことにされちゃう、っていう意識だけは絶えず持ってた。それで帰り際にB'zのCDとか買ったりもしてたわけだが。自意識過剰かもしれないが「朝鮮人の女の子がB'zのCD買ってった」って思われるのかな、と思いながら歌詞カード眺めたりしてたよ。
今はもう見かけなくなったけれど、自分が卒業した後も街でチマチョゴリの女の子を見かけると「こう見えてたんだ」って思って迂闊なことした記憶と共にアタマ抱えたくなったりもした。
聞こえよがしになんか言う人もいたが、暴力でさえなければその場ですれ違って終わりだから黙ってた。
そうやってやり過ごせばいいと思ってた。
考えてみれば本名で通すのもそれと同じようなものだし、私の日本の友人の中では「在日」と言ったら私なんだよなあと気がついて結構怖くなったりもするんだけどね。うわ、ヘマできねえ…!とか、仲がギクシャクしちゃった友人の在日観とか考えると頭抱えたくなったりもする。本名を名乗る、在日だと告げるってのは少なくともそういうことになる。代表してるつもりはないけど代表になってしまう。そうじゃなければ一番いいけど、そこはいかんともしがたいので行動には気をつけてる。
自分の「在日」がものすごく重くなったのはネットでの嫌韓発言に出くわしてからだ。
在日三世にもなると面と向かって「チョーセンジン!」を罵倒に用いる人はそういないし、元増田が書いてた通り斜め上に飛んだ気遣いの方が鬱陶しい。私が本名で渡っていけるのも、父母が通名くれなかったから名前が一つしかないてのと同時に、そんな罵倒をする方がどうかしてると私だけではなく「社会が」判断してくれると信じてたからだ。それが一世、二世の苦労を知らない、三世の中でも特にお気楽な部類の私の感慨だった。
けどネットの嫌韓コピペだの在日認定だのブログ炎上だの見てそれはガラガラと崩れてった。
見ず知らずの多くの人間が、私に流れてる血に向かってすごく軽い気持ちで憎悪を向けているのを見るのは本気で怖い。ヒットポイントをがしがし削られて死にそうな気分になる。
だからリアルでは本名を名乗るけどネットでは匿名に紛れてる。はてなのid、ある意味ではこれが私の「通名」だ。
あんな悪意と無神経を正面からかぶるなんて絶対無理だ。ネットで自ら在日であると表明しているid:F1977さんは本気ですごい。
拉致問題が大きく取り上げられてから(この問題自体はきちんと解決せねばならないと思ってる)の嫌韓、嫌朝の流れは本当にキツかったわ、うん。
例えば、私の前を歩いてる人がハンカチを落としたので、拾って「落としましたよ」と声をかけた時、「この人は笑ってありがとうと言ってくれたけど、もし私が朝鮮人だと知ったらどんな顔をするんだろう」とか考えちゃうんだよ。考えても仕方ない、意味のないことだしはっきり言って卑屈だと思う。でも考えちゃう。考えて自分で落ち込む。アホじゃないかと思いながら振り切ろうとして、なのに嫌韓なコピペや書き込みを思い出してまた沈む。
この「もし私が朝鮮人だと知ったら」というのが、通名を名乗るか本名を名乗るかid:F1977さんが逡巡することと共通するとこなのかな、と思う。もし違ってたらすんません。
そしてそういった逡巡や怯えが存在するんだよ、と伝えることの難しさにまた凹む。
結局今でも色々凹みっぱなしなんだけどねー。元からダメ人間でもあるので更に凹みがちだしなあ。オマケに非モテ非コミュなので元増田みたいにこれからの生活展望とか語れる物がないw
で、最近はどうかというと。
高校時代の友人(A)の一人と会って話す機会があったので、他の友人たちの消息も聞いてみたら、その中の一人(B)がネトウヨになったという。「はァ?!」と聞き返すとmixiで典型的嫌韓嫌中発言をしてるというので頭を抱えた。私はmixiのアカウントを持ってないので事実確認はできておらずどの程度の嫌韓発言なのかもわからない。伝聞で判断したくはないが、もし事実だったら私は泣くし多分しばらく立ち上がれないだろう。Bとは趣味が近かったおかげで一緒にでかけたりもしたし、卒業後も何度か酒を飲んだりもした。今だって会えば普通に飲める気がする。
「元からBってそんな感じだったじゃん。でも会えば普通に飲めるんじゃないの?」とAも言う。
けどなあ。
それってどういうことなんだ?
いやいやいやいや、私は朝鮮人だから。あなたが嫌いな朝鮮人だから。別じゃないから。朝鮮人から私だけ切り分けられても困るから。ネトウヨの嫌韓発言にキリキリしてる朝鮮人だから。
「韓国人朝鮮人は嫌いだけど、おまえは嫌いじゃない」ならまだ納得する。
…と考えて、でもそんなこと聞きようもないし、第一事実確認からして怖くて出来てないし、どうすりゃいいんだと途方に暮れてたりする。頼むからAの誇張表現であっていてくれ。ていうかこんなこと一人で考えててもどうしようもないのに何やってんだろ私。
…とかそういうことを日々考えてしまう一人の在日がここにおりますよ。やっぱり割り切ることが未だに出来てないんだよなあ。
元増田とは違って、私は子供のことは考えないでいいので今のところは(父)親孝行のためにもまだ朝鮮籍でいようかと思う。韓国行きたいのも確かだからいずれ韓国籍に変えるかもしれないけど。
http://anond.hatelabo.jp/20090415070440
うわ、まさかお返事いただけるとは思わなかったので恐縮です。
ネトウヨさんの何が怖いってあの軽やかさとコストパフォーマンスです。ブログコメントたった二行でこっちは一日グロッキーだったりとかする。街に出るのも杞憂とわかっててもやっぱり怖くなりますよね。
何かあってからでは遅いという御心配もよくわかります。私が上げたidの方の文章に私は強く惹かれていて、応援したいと思うのも確かだったりします。生活を守ることと気持ちを伝えることがどこかで衝突してしまうのは苦しい。うまく着地点があるといいんですけど。
韓国は、いずれ行きたいと思っています。私も本籍地が今はどうなってるやら。肉大好き!なのでかなり夢が膨らみました。
お互い、がんばっていきまっしょい!ですね。ありがとうございました。
http://anond.hatelabo.jp/20090415073233
日本の人を考慮してないように見えるかなあ。うーん。
ちょっと思ったのは、日日間での暴力や差別についてはまた別の文脈で私は言及することにしてるかなあ。別に「在日です」と宣言する必要のない問題だし、やはり「在日」と宣言するというのはその属性をある種代表してしまうことになるから。私個人の意見なのに「在日の意見」になっちゃうと議論にとっても有害だと思う。だから私は在日とは明かしてないidでのブクマとかでしょぼしょぼとサヨクしてて、日日間での軋轢や暴力(というのが増田の指してるそれと一致するかはわからないけど)についての言及はそういうところでやってる。在日が「在日です」って断わりを入れてから物を言う時ってのは自分の経験などを語る上でそれが必要だからするのであって、必要ないなら(特にネットでは)せずに済ましたいというのが私の本音。
ついでに言うと在日は在日のことで手一杯なので、というのも結構正直なところで、権利の追求しか、と言われても「実際ここが何とかなってくれればなー」と思うこと多いしなあ。
うちのじーさまがいわゆる「無年金」の人で80過ぎまで働こうとしてたのを父が必死で説得してただでさえ少ない給料から生活費捻出してたし。そうやって実際見てると権利追求することは別に悪いとは思わないんだよね。同時に日本の人でも窮している人は権利追求すればいいと思うし半端なりにサヨクなので私は応援&支援する。
日本人は、って一括りにしてるように見えたのならそれは申し訳ないです。在日にも色々いるし日本の人にも色々いるのは当たり前ですし。
在日です、って表明するってことは相手にもある種の対応を迫ってるみたいなとこあるから(そーいうのがなくなればいいんだけどね)、個人的には気を使うようにしてる。でもみんなが気を使わなくちゃいけない!とはあまり思ってない。そうなるとまた斜め上の気遣いとか出てきちゃうと思うし。うまく折り合いつけられるといいんですけどねー。
通名に関しては、いかんせんずっと実名使ってきてるから細かいことはわからんです。役立たずですんません。もうちょっと物を調べてからもしかしたら増田でまた書くかもしれません。ただ、通名は別に在日じゃなくても使えるのではないかなあ。これも調べて考えてみます。あやふやでごめんなさい。ただ「特権」という感覚は今のところあまり持てずにいます。
チマチョゴリでの通学中、「すたーらいと☆」シリーズとガルディーンと死に急ぐ奴らの街とを矢継ぎ早に読んで惚れ込んでから十ン年、今は絶望的な思いと共にパクパクと口を開けながら新刊を待ち続けるばかりです…。
ちなみにすたーらいと☆の三作目にはニンジン嫌いの「キム・ウィルソンさん」が出てきたりする。
お昼休みに増田に来たらえらいことになっとるー?! 100ブクマ超えってなんですカー!
ついでにちょこっとお返事。
KQZ 読み物 もしかしたら知り合いなのではないかと思うくらい普遍的な話なのかと好感。ただ「歴史読んだらかっこいい人物いっぱいいるし」というくだりには「それ、ファンタジー小説だから!」と突っ込んでさしあげたい。
もしリアル知人だったら見て見ぬ振りしてやってください。すんません。
ところで、えー、金庾信とかかっこいいと思うんだけどダメですかねえ。この人、朝鮮学校の歴史の授業でも悪者扱いだったんですけど半島三国統一した人でなかなかかっこいいと思うんですよね。
HEX68 差別, 在日 火浦功に触れた時点で僕の中の何か壁みたいなものが氷解した。人を隔てるのは「血」ではないのだよなあ。
すいません、ありがとうありがとうとブクマコメント読ませて頂いて、このコメントでじわっと来ちゃったじゃないですか。お昼休みなのにー。
これ以上は自分の方がキリなくなっちゃうので、この辺で失礼します。コメントやトラバくださった方、ありがとうございました。
「昭和な街角」読みました!
火浦の新刊だーーーーー!!!と勇んで買ったものの、中を見たら全部20世紀の作品じゃねぇか!…そしてたった2ページ+数行の掌編がべらぼうに面白い上に竹本泉の挿絵も最高とか火浦過ぎるだろ火浦…。楽しいラジオは七面鳥~。
大阪に住んでる身としては、あまり大声では言いたくないが「在日の居る地区にはむやみに近づくな」ってのは、小学生でさえ知っている“常識”である。いわく、トラブルに巻き込まれる・治安が悪い・etc.etc。
自分としても在日コリアンに知り合いは居るし、在日コリアンでも個人的にはいい人も居る、というのは確かに一面の事実ではあるけど、一方でいわゆる『コミュニティ』全体として在日コリアンを見てみた場合に、それらが日本社会の発展に寄与してきたかといわれれば、“No”といわざるを得ない場面が多いのは事実だろう。げんに、全国の駅前に立地するパチンコ屋・あるいは全国各地にある朝鮮学校の土地は、そもそもいったい誰のものだったか?を想像してみればいい。そしてそれらの居住は、いつから始まったものなのか?と考えれば、『終戦後の混乱に乗じて占拠した』と考えるのが、もっともしっくりくる。
そういったひとつひとつの積み重ねが結局は、いわゆる海外でのチャイナタウン・リトルトーキョーなどと、コリアンタウンとの『周辺社会からの“信頼度”』の決定的な差となって現れてきているのだ、と私は思う。
ところで、先にあげた在日コリアンの友人たちは、学区内でも比較的成績上位の学校に居た中での同級生たちであるせいか、ガチガチの「民族主義的」な人は居なかった気がする。それを思うと、いたずらに「選民思想」を煽るような民族主義を子供たちに吹き込むというのは、結局はみなを不幸にするだけでしかない、と自分としては思うのだが。