最近、生きたいと思うようになった。
これまでの人生、私はあまり生きたくなかった。別に明日死んでもかまわないし、世界が消滅してもよいと思っていた。けれど、そう思いつつも自分で死ねなかった。理由は第一に、痛いことや苦しいことに対する恐怖に負けていたから。第二に、親に面倒をかけたり悲しませたりすることを避けたかったから。私の勝手で死ぬのに、私以外の人にダメージを与えたくなかった。私が死ねば、私を知っている全ての人から私の存在がすっと消えて無くなってしまえばよいと願ったが、そんな都合のよいことができるわけもなく。
こういう思考に至ったのはいじめられた経験が原因なんだろうと思う。田舎に引っ越した小学生半ばから中学生の間は、波はあれどもいじめられ続けていた。悪口とか仲間はずれとか無視とかの程度だったけれど、人間不信を植え付けるには十分だった。そんな子供に学校以外の世界を見いだせるわけもなく、そこで否定されれば自分の大部分を否定されたに等しい。負けず嫌いだったので、その場その場はこんなくだらない奴らに負けてたまるかという気持ちで乗り切ってきたけれど、正直もう勘弁とずっと思っていた。
1999年の7の月に人類は滅びるというノストラダムスの大予言、私はこれを七割くらい信じていた。そこまで生きれば合法的に死ねる、解放されるのだろうという望みだった。そこまでとりあえずそれらしく生きていけばよいと、そう思い続けてきた。
けれど世界は滅亡しなかった。正直焦った。話が違うじゃんか。私は将来のことなんかまるで考えていなかった。大学は全くもって趣味の学部を選び、就職難の中どうにか中小のIT企業にもぐりこんだ。どうせその先は無いんだから何だってよいと思っていた。
そんな裏切られた気持ちの中、仕事が辛く上司のパワハラも加わって鬱病らしい状態になる。逃げたい死にたい。毎日女子トイレや電車で声を殺して涙を流す。ちょうど家の近所にマンションが建築中で、あそこに忍び込んで飛び降りたいと毎日思う。朝晩駅で電車に飛び込みたいと思う。足を踏み出したこともある。負けず嫌いの性格が災いして、仕事にはどうにか行けるものの、休日は外に出られなくなる。最低限の家事を歯を食いしばってこなし、あとは過眠と不眠を繰り返す。明確に死にたいと思いながら生きることはさらに苦しいと思い知らされた。
その後、状況の変化によりどうにかまともに戻ったものの、根底ではやはり生きたくない気持ちは続く。とりあえず親が死ぬまでは自分では死ぬまい、それが子供としての義務だろうと。そこを目標に生きよう、まだまだ長いけれど、楽しいと思えることを少しずつ増やして乗り切って行こうと考えた。
さらにその後、思いがけず恋人が出来てとんとん拍子に結婚に至った。あ、これで死ねなくなったと思った。けれどまあ結婚したといっても何があるかわからんし、結婚生活も平和に続くばっかりじゃないと覚悟していたのだが、その心づもりが幸いしたのか結婚4年、至って平和に暮らせている。この先も何があるかわからない、けれど明日を迎えたい、生きたいと思うようになった。明日世界が消えて無くなるのは嫌だと思うようになった。数ヶ月前に流産したことも大きかった。望んで妊娠したのだけど、子供というのは未来なんだとつくづく実感した。そしてその存在を突然失った時に、私は再び子供が欲しいと心底思った。初めて未来を切実に望んだのだ。
ここまでくるのに二十余年。長かった。けれど生きてきてよかった。今やっとそう思えるようになった。そしてこれから、生きていきたい。
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