お題:外向、内向、直感、感覚、感情、思考、判断、知覚 / 殴り書き。
直感の反対は経験だと思っていた。
直感の反対は感覚らしい。経験的な物を感覚と言うからかも知れない。学習した内容を言葉にするよりも、体感で目分量をよく使う。直感というのは勘であるけれど、本能的な勘であるから不得手。経験的な勘を頼るので感覚だろうと思った。俺は、どっちも苦手なのだけれど……。
自分は内向肌だと知っていた。そんな俺はいつものように酒の席で、外に向けてギャーギャー騒いでいるように見せかけて、派手に散らしていた。ある程度した後、いつもいつも部屋に閉じこもったりお手洗いと言って一人の時間を作る。そうしてその日もいつものようだった。俺は適当に言い散らかした後、酸素不足に陥ったような気分で、酒の席を後にした。個室で息を吸い治し、手洗い場の水を飲んで顔を洗った。酷い面だった。そうして席に戻る前、我ながら醜悪なことに部屋の様子をそっと探った。いつもいつも自分が好かれているのか嫌われているのか、話題に挙がっているのかいないのか探ってしまう。もう癖になっていた。部屋の様子が自分がいたときよりも和やかであるとか、そういう風なのを肌で感じようとする。感じて、その場から即刻さろうと思えた。
しかし、即刻バックレルのは許されない。
俺は何もなかったかのようにこっそり戻って「いやあすいませんでしたあ」といった。どの口がいえたもんだろう。再び息苦しさから口早に言葉を吐き出していらないことまで言ってしまう。わざわざ陶酔に浸るように酒の数を増やしたり、何かの興味に飛びつこうとする。バカみたいだと思っている。息苦しさから金魚が口をぱくぱくと開けたり閉めたりしているような物なのだ。酸素が足りない。酸素が足りない。酸素が足りない。酸素が足りない。酸素が。酸素が。酸素が!
こんな俺に思慮なんて合ったものじゃない。いつもなら思考好きからその場では黙っていた。けれども俺はそんな柄じゃないと知っていた。いつだって感情を重視している。判断よりも知覚を重視している。頭がいいと何人かいってきたけれど、そんなことはない。知覚を重視して判断を捨て、思考を捨て去り感情を重視すれば如何に内向的な人間でもバカをやる。感情も知覚も制御しているのは論理・経験・思考であり、判断が全てを司っているからだ。気取ったバカなおしゃべりはもう沢山だ。
ある程度わざと酒を飲んで、もう一回個室に俺は戻った。
戸を開ければ、中年のふとっちょが「おい、大丈夫か?」と問うてきた。
ああ、平気だと俺は返す。
それから、ふとっちょは俺と話した。そうして俺は「如何にあの場が嫌だったか」と嘆いた。
席に誘ったのはふとっちょだった。ふとっちょも席の連中もみんな悪くない。悪いのは俺だとひたすら嘆いた。
ひとしきり話し終えた後、ふとっちょは俺の肩を叩いて、もういいといった。