そしたら変身したり炎を吐けたりするだろうし、就職に有利な気がする
それに長生きできそうだし、ワンチャンドラゴンボールも作れそう
今の親は育ての親で、「実は黙っていたんだが…」みたいな展開、ある気がする
親には感謝してるけど、自分がドラゴンの血を引いてることは知っておきたいもんな
明日聞いてみよう
理科大はいるね(大学院で旧帝大とかに行ったケースも含む)。旧帝大以外の地方国立もぽつぽついる。あとは筑波大も多い。逆に私立は早慶と理科大を除いてほとんど見ない気がするな。立命館とか関西の方の大学はいくつかあるかな。
>ヒカキンのことを言いたいんだろうけど、あれは相手の女がおかしかっただけ
それは確かにそうなんだけどあのスピードであれだけ誠心誠意謝罪できる人って他になかなかいないと思うんだけど
なにそれ
>松本人志も最初そっちに持っていこうと思ったんだろうけど
どこがだよっ?何をどうみたらそうなるんだよ
一人一人聞くのか。いいよ。語ってやるから来いよ。
卑屈な人と関わるのは一番しんどい
そう思わない私みたいなのもいるからこういうの読んで落ち込む必要はないよ
そういう人もいるんだなって知っておいて、面と向かって言われたときに激昂したり取り乱さなければそれでいい
卑屈根暗の方がいい
叩いて叩いて、それで死人が増えれば満足ですか?
自分の軸がないとか話がつまらないとかそもそも受け身過ぎる割に男性への要求は多いとかは女性のデフォルトとして
”何故か”話が盛り上がらなかったのを相手の男のせいにする他責性人間が多いんだよな婚活女って
自分が話下手とか聞き下手とか態度悪かったとか、思う所無いんだろうか
生まれは地方の港町。5人家族、3人兄弟の3番目(姉、姉、自分)。
平屋の町営住宅で、トイレは和式のぼっとん便所。そんな家に俺は生まれた。
それが母親の口癖だったように思う。事実、実家を出るまでわたしは実家が裕福だと感じたことはただの一度もない。
高校生の時、友達が遊びに来た時「お前の家のトイレ臭せぇ」ってとても遠回しに言われたことを覚えている。(うちのトイレはハエ取りキンチョールスプレーの匂いが常にしており、なんとも言えない匂いを放っていた)
父親は公務員だが酒飲みで、自宅にはよく借金取りが来た。夜、2人組の男を母親が玄関先でを追い返したことを今でも覚えている。
父は家の中でよく暴言を吐いた。そして暴れた。
狭いリビングの中で大声を出して暴れることもよくあり、皿が良く家の中を飛び交った。
「やめてよ!!!」という声を出して、裏庭に逃げたこともある。
隣人の森田さんに何度かその話をしたことがあったが、自分の親よりも年上だった森田さん。今思えばすべて事情を把握していたのだろう。
「大変だねぇ」みたいなことを言われた記憶が何度かある。
欲しいおもちゃも満足に買ってもらえなかった。
1980年代生まれなので、ファミコン、スーパーファミコンドストライク世代。
自宅ではスーパーマリオの動く紙芝居みたいのを作って、その上でキャラクターを模した手作りの置物を動かして「ぽよーん」とか「キノコゲット!」とか言っていた。
だから母親が牛乳配達をしていたため、どうしても余る牛乳パックを重ねてひな壇を作って、その上に包装紙を貼って「おひなさまできたー」みたいなこともやった記憶がある。
注。一応私は男です。
小さな港町。裕福な家庭なんてそうそういないのだが、自宅から歩いて100mくらいのところに、たまたまお金持ちの同級生が住んでいたことも、「うちは貧乏なんだ」と思うことを加速させる一因にもなった。
彼の家は一軒家、3階建て。広い庭あり。
冬休みは家族みんなでハワイに行く。よくお土産をもらっていた(その時にもらった野球鉛筆はいまでも捨てられずに保管してある)
彼のおじいちゃんはとても野球好きで、彼にとても情熱を注いで野球を教えていた。(親が子供に野球を教える。。。のおじいちゃんバージョン)
俺の家ではとうてい変えるはずのない、ティーバッティング用のネットを自宅に用意し、休日も野球の練習が出来る環境があった。
彼の家にあるものが、うちにはない。
彼の家では誕生日に豪華な食事が出るが、うちではケーキと父親が居酒屋で買ってきた七面鳥くらい。
小学校でも「びんぼーびんぼー」といじめられていた記憶がある。
うちは、家も狭いしシャワーも無いし、トイレはぼっとん便所だし。
服だってほしいものも変えないし。ビンボーなんだ。そうなんだ。 本気でそう思っていた(今でも多少はそう思っている)
父に対して「お母さんに手を出したらぶっ殺すからな!(黒歴史)」と言って家を出たのも、あの狭い平屋の町営住宅だった。
社会に出て20年。自分は実家のことを「金持ち」だと思ったことはただの一度もない。本当にただの一度もない。
ただ最近「うちって貧乏だが、実は実家が太いというやつなのでは?」と思うようになった。
この年齢になってくると、やれ親の介護だ、やれ両親が亡くなった。家族の問題、毒親だの、いろいろな話を聞く。
職場でたまたま一緒になった同い年のヤツも、在宅勤務なのだが、その理由が母親の介護らしく、事実業務中に「(親の介護用の)アラートが鳴ったから」との理由でちょくちょく業務を中座する。
今日久しぶりに再会した、前職の知り合いも「何の前触れもなく父親が亡くなって、実家の仕事を引き継ぐことになった。加えて、兄が認知症っぽくなって、その対応に一人で追われていた」とたった1年なのに、とてもやつれた顔をしていた。
この時思った。
「家族が健康で、かつ自分に口を出してこない(なんなら必要なときに金銭的な支援をしてくれる」というのは相当な資産なのでは? そしてそれは「実家が太い」と言い表していいのではないだろうか。
実は、「家族の健康は資産」という言葉は、数年前に知人に言われた言葉である(その知人とはもう連絡が取れない。あぁ。悲しい)
もちろん家ガチャもあるだろうし、家族ガチャ兄弟ガチャもあると思う。
うちの家庭は前述の通り、借金まみれ、貧乏、父は酒飲み(のちに自己破産)、姉2人はそれぞれ違う新宗教に入っているなど、傍から見ると普通の家庭では無いと思う。母も、新宗教ではないにしてもある宗教の熱心な信者だ。この話を他人にすると「へえ。凄いね・・(消え入りそうな声)」とよく言われる。
土地も無ければ、財産もたぶんない。人脈もコネも学歴も無い。両親は2人とも大学に行っていない。母親は確か高校にも行っていない気がした。
世間的な定義に照らし合わせるならどう考えても太い家では無い。それどころかただの貧乏家庭である。
それでも、その両親はわたしに何の干渉もしてこず、かつ80近くになった今でも子供に迷惑をかけることなく元気である。
父80歳。母76歳。
父はちょっと弱弱しくはなったが、それでも電話をしたら2人ともはきはき話す。母親にいたっては今でも畑仕事に精を出す。おかげで足腰は元気だ。
もし、仮に死ぬことになった場合は、費用も含めて手筈は整えているらしい。わたしとしては当然ながら生きながらえてほしいが。もっと一緒にいたい。
ただ、正直ありがたいとも思った。
実家、家庭で問題が無いという事は、それだけ自分のことにフォーカス出来る。集中できるという事を指す。
そしてこの「家庭、家族の問題に振り回されることなく自分の人生に集中できるという事は、当たり前のことではないんだ」ということに、最近まで気づかなかった。
ここ最近、職場など様々なシーンで関わる人と我が家を比較してみて、「実家が太い」とは必ずしも財産、資産などの有形資産のことばかりを言うのではないのだなと感じた。
経済的には貧乏なんだろうけれど、それでも太い。そんなわたしの実家の話し。
お見合いの席でまず二人で会話をするが、話のつまらない人は「自分の軸がない」。
仕事に思い入れがあるわけでもなく、「自分がしたい仕事」をしているわけでもない。
そういった人の趣味は、旅行、食べ歩き、散歩が多いのだが、その場限りの楽しみを追い求めている人が多い。
看護師はお金もあるせいか、海外旅行に何度も行っていたりする。
だけど、町並みがきれいだったとか、きれいな景色を見たとか、それは悪いことではないけど、
パーッと遊んで楽しかったというだけで、後に残る何かがあるわけでもない。
で、そういった女性に限って、男に依存したい考えが垣間見える。
経験的に知ってることだけど、自分の軸がない女性は(男もだけど)、男に多くを求める。
「男は〜であるべき」「男はスマートにお会計を払うもの」「車の運転はしてくれるもの」・・・。
軸のない性格の人は大抵こうだ。
なのに、偉そうだったりもする。
仕事が人生の中心ではなくても、茶道が好きで長年続けているとか、
サッカーが好きとか、プログラミングの勉強をむっちゃ頑張っているとか、
そういうのがない人って案外、多いんだなって、婚活をしていて思った。
結婚生活の楽しみは旦那(もしくは妻)がもたらしてくれると言わんばかりだ。
自分に軸がなくて行動も積極的でない人と出会うと、これは苦労しそうだと思ってしまって、お断りする。
そんなものじゃね?
何で同士討ちしてんの