「ポジティブな言葉は上っ面でネガティブな言葉こそが本性である」という勘違いはまさに2chメンタリティだったなあ。あと2chの開設は1999年だよ。
吹奏楽部のエンジョイ派だったがガチ勢に嫌われて辞めた。ただ、嫌われることはやっていたと思う。
まず、真面目に練習をしていなかった。メニューは一応こなしていたけれど、メニュー以外に好きな曲を吹いたりしていたら嫌われた。
次に、意識の違いがあった。私は部活動は学校生活のおまけと思っていたけれど、ガチ勢的にはその発言は許せなかったらしく嫌われた。
それに、余計なことに口を出しすぎた。私とガチ勢は同じパートだったのだけれど、ガチ勢はガチの割にはリズムをよく間違えていた。気づくのは、同じパートの私か先生だけだ。先生にも注意されていたが、たまに私が注意するとすげー嫌な顔をされた。当たり前だ。向こうにとって私はろくに練習もしない、歴も短い素人なのにそんなこと注意されて嫌な気持ちにならないわけがない。しかし、当時の私はそういう機微に気がつかないくらい鈍感だった。
他にも色々あっただろう。鈍感な私でも気づいたのは上記の3点だったが、時すでに遅し。ガチ勢はのちに部長になり気がつけば私はいづらい空気になっており辞める他なかった。
もう一回やったらバンするって書いてない?
自分は昔,2chを見ていた.ほとんど書き込んだことはない.初めて見たのは高校生のときだろうか.1997年くらい? 家に自分のお金でネットをひいたんだっけかな.確か当時は月に接続時間10時間とかそういう契約だったと思う.ページを読み込んではちまちま切断して接続時間を節約していた.
イラストサイトを見たり,怪しい海外の○○なサイトを見たり,んでもって結局何を一番見ていたのかというと2chだった.特にどの板というわけでなく,ニュース系や趣味を見ていたかな.ここでの刺激はすごかった.第一印象として,みんなすごく頭がいいんだなと思った.上っ面じゃない文章がそこには溢れていて,普段自分の周りで起きないような会話だらけだった.例えば何か海外で紛争があったりする.そしたら当時に自分だったら「平和が一番」レベルの感想しか持たなかった.だけど2chでは「勝手に血を流しあえ」とか「俺には関係ない」という正直な自分本位な感想だったり,国際情勢を鑑みての発言だったり,なんというか上っ面じゃないものにあふれていた.逆に自分の考えは相当上っ面なんだと思った.人は思ったよりも「我」が強い生き物なんだなと気づいた.
何が言いたいのかっていうと当時のネットの登場は,高校生の自分にとっては,上っ面メンタリティを破壊したものだった,ということだ.標準的な教育を通して推奨される応答ではない,自分にとって関係あるかどうかそれに根ざしたもの,そしてそれをお互いが譲れないということ,そういうものがネットにあふれていた.「氏ね」「あぼーん」「逝ってよし」「DQN」などで表現された嘲笑がネットにあふれていた時代だった.
最初期の直接的嘲笑の時代から少し時間が流れ,VIP的な時代が来る.時代的に2002年~2008年くらいか? VIPに書き込みしたことがない人でも以下の顔文字がwebやネトゲに氾濫したことは覚えているだろう.名称は内藤ホライゾンとかブーンとか言うらしい.うざばか系顔文字(^ω^)の時代だ.これまでの直接的な嘲笑から少し生活感のあるひねりや皮肉が加えられたような表現,「○○なんだお」「○○なんですお」.
この顔文字や「~だお」表現の直接的な意図としては,「氏ね」などと同じく嘲笑であるものの,幼さから来るフレンドリー感や必死さをばかにするようなシニカルなニュアンスや冗談ぽさが増えたように感じる.「氏ね」は使ったことはないがネトゲで(^ω^)や「だお」は使ったことが自分にはある.使ったことがあるどころかネトゲでは多用し多用されていたと思う.「氏ね」はweb上のバトルでしか存在しなかったが,(^ω^)はWeb上の会話として用いられ,やがてwebから出てきたような表現かなと.
結局のところ,これら表現は望まれたのだと思う.ああ! 他人をシニカルにバカにしたい! けど「氏ね」だと直接的すぎて使うのが忍びないし,知ってる人には使えない...→(^ω^)コレでいいじゃん! → 爆発的に利用されVIPというまるで人格めいたものが認識される →やがて一般的にも広がりアングラ感が薄れてる → 少しダサさを帯び始める.確かに今使ったら年寄り扱いされそうな表現ではあるな.
フレンドリーさは急速に拡大していく,現在の到達点はなんJ語かなと.関西弁をベースに「○○ンゴ」「サンガツ」「ええんやで」などなど,なんか土着的というか生活感がぐっと出てきたというか,「氏ね」ほど直接的でなく(^ω^)ほど間接的でなく,もっと自然で素朴な飾らない我の出し方というか,時代を経てバランスした表現だと感じる.ベースが標準語ではなく関西弁というもの興味深い.繰り返すが流行っているということは便利だと思う人がたくさんいるということだ.なんJ語がこの形なのは,そんなニュアンスが無意識下に望まれたからだ.ただしなんJ的ニュアンスが現実世界よりもフレンドリーになってしまい,なんJ語を使うには現実世界は冷たすぎる,というバランス.実際職場や学校で使う所を想像すると,何?突然馴れ馴れしいんだけど?ってなる気がする.
やがて次のニュアンスがそろそろ望まれていて,何かの誤用かなんかで急速に広まるだろう.もしかしたら次は表現の変化ではないのかもしれない.2ch的なスペースはwebでは小規模なものになっており,まとめサイトでその規模が維持されているような状態だ.そういう意味ではまとめサイトは新表現を育成したり周知する苗床みたいなものだろう.しかし最近では広告ばかりで末期感があるしなあ.次は一体何が来るのか? ニュアンスの到来というのはツールの到来と違い,もう一つの世界という気もするが,次はどうなるかわからない.発散して宇宙の塵として消え,現実世界ベースのFacebook的世界のみになるのか(個人的にはコレはつまらない),Youtuberの個にぶら下がる形のカリスマ傘下型になるのか(個人的にはコレもつまらない),それともニュアンスの苗床たるまとめサイト以上のものが登場するのか.
ネットスラング,形をもたずニュアンスの共有し,まるで人格めいたものがそこにいるような気がするスペース.ツールではない人の拠り所.いくつもなく,現実世界と常にバランスして変わり続ける.そんな曖昧なものが愛しくてやまない今日このごろ.
サポートに連絡して、本人確認行った上でも修正する手段が一切無いってのが、問題視されてるってことぐらいは、読み取れてるのかな
ブコメでは「修正できないAppleの糞システム」として吹き上がってますが。
絶対にやってはいけない「Apple IDをテストで13歳未満にすること・・」 - Qiita http://qiita.com/keroppi0_0/items/b99ee679e7da87d3d649
修正できなくて困るのは、開発者のミスというか慎重さが足りなかったときくらいなんじゃない?
その開発者の人はとっても困ったかもしれないけど、子供の年齢を入力してペアレンタルコントロールを使っているユーザーはきっと何万人もいるじゃん?
その何万人もの人にとっては、「修正できないこと」によって、安心して子供にデバイスを使わせることができるわけだ。
もし、開発者のミスを救済するために修正できるようになったら、その何万人もの人からの信頼を失うことになるわけだよね。
似たようなことを以前にも見たことがあって、
iOSのアプリIDは一度作ると削除できない仕様だった。(今は削除できるようになってるけど)
今は消せるみたいだけど、iOSアプリ開発を始めた頃は、テストで気軽に作ってみたIDが消せなくてとっても困った。
そのときはAppleの糞システムと思ったけど、考えてみたら、
操作ミスなどで消してしまったら、その後の収入はパー、復旧にも何日もかかるわけで損害は計り知れない。
「俺は操作ミスなんかしねーし」と思う人がいるかもしれないが、不正侵入もあるかもしれないし、リスクは初めから取り除いておいたほうが良い。
当時からアプリIDを削除する機能がついてたのに見落としてたのかもしれないが、
自分らは「追加があるなら修正削除ももちろん作るっしょー」と思考停止してるけど、
「ユーザーに不利益を与える可能性がある機能は最初から搭載しない」
前に「偏向報道をする事は防げない」ってマスコミ自体が告白しているんだから
そもそもPKO法によって戦闘が行われている所に自衛隊を派遣してはならない、という決まりがある
今回の記述によって「政府が南スーダンが戦闘状態にあるという認識の上で自衛隊を置いているのではないか」という疑いがもたれている
裸体を人に見せることに抵抗がない人間でも
小中学生くらいの子供が自分の裸を(同性相手でも)見られるのを恥ずかしがるのって性欲とは全く違う理由のはずだから
ホモだからとか性的だからとかじゃなくて、ジロジロ見られたり裏で噂のネタになるのが不愉快だったり疲れるというのはわかるんだけど