さっき完成したジグソーパズルとかあげたい
意見が対立しているわけだが、いい方法がある。俺は元増田は妄想癖が強いと思う。理由は元増田の話には根拠がないと思うからだ。
君の願望はわかった。
俺個人は、集団的自衛権なしで今までやってきたのが不思議という考えなんだよね。君が期待する硬派な説明でなくてすまんが俺の理解は以下のとおり。
君の最初の質問「どのように抑止力やそうしたものが高まったのか」に戻る。
日本が集団的自衛権を絶対に行使しないことが分かっている前提なら、日本と利害が相反する近隣のC国の指導者は以下の行動をとることによって、日本の総合的軍事力を削ぎ、自国の意志を日本に強制(要するに侵略)することが可能である。
中学の時にいじめによってメンタルを病んでしまい、四年ほど家で療養生活をしてここ二年でやっと完全に薬なしの生活ができるようになった。
多剤処方をされたせいで遠回りをしてしまったのだが、現在は精神的にも安定している。
ただ、中学の時からの四年間。普通の人たちが高校に通ったり大学に進学している間に私はただずっと家にいた。人生に絶望していたし、毎日泣いて過ごしていた。
薬を飲まなくても生活できるようになった頃、世界が違って見えた。死にたい気持ちもぱったりとなくなって、生きてみるのも悪くないように思えた。
本を読むことが苦痛じゃなくなった。文章を書くこともできた。頭の中の靄がはれた。
だけど、これは普通の人の普通の状態だ。私はこの四年間、時間が止まっていたのだ。
冷静に考えると死にたくなりそうだけど、精神的に病んでない状態だとそうでもない。不思議なものだ。
この四年間、普通の人が普通にしてきたことを私ははじめなきゃならない。高卒資格を取るために学校に通わなければ、働かなければ、うまく人と話せるようにならなければ。
そのハードルは高い。今、ゆっくりと努力してはいるが、劣等感はついてまわる。
初対面の人には「どうして」と聞かれるし、そのたびに冷や汗をかく。これはどうしようもないことだ。だけど割り切れない。
ただ、こんなぼろぼろの私でも認めてくれる友人や恋人がいるから今の間はどうにか持っているのだと思う。
みんなが私のように恵まれることはないだろう。もっとしんどい思いをしている人はたくさんいることも知っている。
だけど、歯を食いしばって生きていたら「あの時に死ななくてよかったかも」と思える瞬間が一度くらいはあるかもしれない。少なくとも、私にはあった。それも何度もあった。
でも、そんな瞬間があったって私の人生は「詰んだ」ままだ。詰んだって死ななきゃいけないわけじゃない。詰んだ後も生きなきゃならないし、ずっと詰んだままでもないだろう。
これから先、本当の意味での詰みが訪れるかもしれないけど、その時はその時だ。
確実に訪れるかわからない将来に怯えて今死ぬ必要はないだろう。私たちのような心配性の人間はそれくらいに思っていた方が生きやすいよ。
中学校の頃好きだった人が出産したことをfacebookで知った。コメントを残すか悩んだけど、いいねだけで済ました。おめでとう。とっくに吹っ切れてるはずなのに、やっぱり心に何か残る…それでも、おめでとう。幸せにな。
恥ずかしいから誰にも話すアテもないし大して面白い話でもないので増田に書く。
王様の耳はロバの耳ー!!
途中で別れたりヨリが戻ったりして結局5年くらい付き合っていた。
別れた理由はこっちのせいで会社の同僚がどうにも好きになってしまったから。
泣いてすがる彼女にヒドイ事したもんだ。
で、その会社の同僚。
メールとかで連絡してるうちに嫌がられて振られた。
付き合うまで行かなかった。
そこから8年くらい何もなし。合コンとかにも呼ばれて出たりもしたけど、
積極的にどうこうしようという気になれず。
好きになっちゃったんだなあ。これが。
でも優しいところがあったり、実はこの子寂しがりなんだな、
っていうのが見たりしてどうにも好きになっちゃったのよねえ。
話も合ったし。たまに一緒に飯食ったりして。おっさんウキウキですよ。
まあ振られますわな。
「言わなきゃ良かったのに・・・」って言われましたわ。
今は社内で異動になって別の部署にいる。
なんでみんなそんなにホイホイ恋して上手い事やれるんですか。。。
英文の私訳をちょこちょこすることがあって、違和感もたれないようにするにはどうすればよいかググって理解した内容を自分のメモとしてまとめてみる。
The heat | 力点 |
killed | 支点 |
many people | 作用点 |
と考えると分かりやすい。
つまり、「kill」という動作が「The heat」から発せられて「many people」が受け取ったということになる。
前は | 生きている状態 |
今は | 死んでいる状態 |
と変わったので、その状態変化を意味する「亡くなる」を遣う。
この後は
という形で文に足していけばよい。
次の例文に違和感を持たれるだろうか。私は覚える。
―――郵便局の窓口にて 局員:いらっしゃいませ 客:すみません、5枚の桜のマークの切手を下さい
数量詞の遊離とはふつう動詞を修飾するべき数量詞が別のところを修飾してしまう現象だ。上の例文だと「桜のマークの切手を5枚下さい」となるのが自然で、その場合は「下さい」を修飾することになる。
「すみません、5枚、桜のマークの切手を下さい」と言うこともできるが、これも同じく「下さい」を修飾している。遊離先の場所が変わっただけだ。
冒頭の例文も郵便局の例文と同じように考えることができる。「たくさんの人が亡くなった」と表現することもできるが、上記の遊離がされていないからどことなく翻訳調になってしまう。「亡くなった」を修飾するようにして、「人がたくさん亡くなった」とすれば自然な文章が出来上がる。
数量詞遊離はロジック面で不自然な文から自然な文に変える働きがある。
それ以上に重要なのがスルに着目するのかナルに着目するのかという考え方の違いだ。無生物主語の文に違和感を強烈に覚えるのもこうした考え方の違いなんだろう。この違いを覚えていると、英語の読み書きが楽になるんじゃないかと思う。
上付きでも便器に付きそうになるんですが……
久しぶりにムーが読みたくなった。
酢豚は歯ごたえを出すように揚げてあるんだが