中学の時にいじめによってメンタルを病んでしまい、四年ほど家で療養生活をしてここ二年でやっと完全に薬なしの生活ができるようになった。
多剤処方をされたせいで遠回りをしてしまったのだが、現在は精神的にも安定している。
ただ、中学の時からの四年間。普通の人たちが高校に通ったり大学に進学している間に私はただずっと家にいた。人生に絶望していたし、毎日泣いて過ごしていた。
薬を飲まなくても生活できるようになった頃、世界が違って見えた。死にたい気持ちもぱったりとなくなって、生きてみるのも悪くないように思えた。
本を読むことが苦痛じゃなくなった。文章を書くこともできた。頭の中の靄がはれた。
だけど、これは普通の人の普通の状態だ。私はこの四年間、時間が止まっていたのだ。
冷静に考えると死にたくなりそうだけど、精神的に病んでない状態だとそうでもない。不思議なものだ。
この四年間、普通の人が普通にしてきたことを私ははじめなきゃならない。高卒資格を取るために学校に通わなければ、働かなければ、うまく人と話せるようにならなければ。
そのハードルは高い。今、ゆっくりと努力してはいるが、劣等感はついてまわる。
初対面の人には「どうして」と聞かれるし、そのたびに冷や汗をかく。これはどうしようもないことだ。だけど割り切れない。
ただ、こんなぼろぼろの私でも認めてくれる友人や恋人がいるから今の間はどうにか持っているのだと思う。
みんなが私のように恵まれることはないだろう。もっとしんどい思いをしている人はたくさんいることも知っている。
だけど、歯を食いしばって生きていたら「あの時に死ななくてよかったかも」と思える瞬間が一度くらいはあるかもしれない。少なくとも、私にはあった。それも何度もあった。
でも、そんな瞬間があったって私の人生は「詰んだ」ままだ。詰んだって死ななきゃいけないわけじゃない。詰んだ後も生きなきゃならないし、ずっと詰んだままでもないだろう。
これから先、本当の意味での詰みが訪れるかもしれないけど、その時はその時だ。
確実に訪れるかわからない将来に怯えて今死ぬ必要はないだろう。私たちのような心配性の人間はそれくらいに思っていた方が生きやすいよ。
4年間泣いて暮らしていた人でも友人や恋人ができるのか。いいな。素晴らしいことだ。
中学でイジメやパワハラで挫折するのは案外ダメージが小さいけど 高校大学の時だともう取り返しが付かないイメージがあるわ サンプルは自分とその周りの人間