はてなキーワード: 競輪とは
横に横だけど、それ以前に、競輪競馬とかその辺って公営だし、公営カジノの話もでてきている。
必要悪についてはどう思うんだろうか?
また、本当に3000万人がSNSやってるわけじゃないし。ガチで兼ね突っ込んでるわけでもない。
問題になるほど課金する人なんて一握りなのでは?
酒とかタバコとかもある。でも、それなしでは生きられない人達もいる。
水清くして魚すまず。の例もある。
人間が人間である以上仕方がない。みないふりはできないのだろうか。 もしできないなら、ここではなく、徒党を組んで政治家のところへ行くか、政治家になれ。
ってことは、そもそもあらゆる職業を、インドのカーストみたいに世襲制にして、四の五の言わずに子供の頃から訓練したほうが効率的だよな?
なぜそうしない?
結局、「四の五の言わず訓練すれば!!」といって訓練するより、最初から向いてる仕事を探してさせたほうが効率いい。
競輪選手の才能持っていても、子育て屋、左官屋にしかなれないのは効率的か?
まぁ、自分探しってのは向いてる仕事が分からない人間のすることだから、そりゃ家の仕事を継ぐなり何なりすりゃいいさ。
でも明らかに向いてない仕事と分かっているのに、それを無理やりさせるのは、無茶な話だろ。
しかもカーストなら男も含めて色々な仕事が細分化されているが、男女は二種類しかない上、女性のみ仕事が限られるってのも矛盾した話だ。
・会話ができるか → タバコを吸いながら喫煙所で同僚とパチンコ競馬競輪風俗テレビ番組の話ができるか
・数が数えられるか → 引き継ぎなしで数字が網羅された書類を渡されて、重要な数字だけを数えて経営資料作成の基礎になる報告ができるか
・字の読み書きができるか → 引き継ぎなしで契約関係の書類を渡されて、限られた時間内で読んだ上で、得意先と折衝して双方に妥当な結論に落とし込む契約書が書けるか
・四則演算ができるか → 引き継ぎなしで数式を組んでエクセルで資料を作成し、経営資料作成の基礎になる数字を報告することができるか
就職怖い
1着から3着までを着順を含めて当てる3連単で、絶対にこないであろうというはずれ馬を除外した残りの組み合わせを全て購入した場合、取りガミにならない確率はという問題に対して、仮に、14頭立ての場合、3連単の組み合わせは全部で2184通りとなる(14*13*12)。このうち、絶対にこないからという目論見で仮に5頭を外すと、残り9頭の3連単の組み合わせは全部で504通り(9*8*7)となる。
この場合、504倍以上の配当の組み合わせがこなければ、たとえ当たっても取りガミである。
このやり方では、504倍以上の高配当でない限り、損になるということから、逆に考えると、絶対にこない馬を外した組み合わせを、配当の高い順に並べ、取りガミにならない範囲で順番に買っていけば、利益が出る可能性が出てくるということになる。
配当の高い順に並べて上から何枚までを買うと決めて、その一番下の買い目の配当が買った枚数以上であれば、そのうちのどれかがくれば確実にプラスになる。
こういった買い方は、穴場で馬券を一枚ずつ買うやり方では時間と手間がかかりすぎる、それをやる人を大穴狙いの馬券ばかりを買う為に穴場の窓口を占領する事から、穴師と呼ぶ。暴力団が仕切っているノミ屋で買うというやり方は、ノミ屋は100倍以上の配当は100倍で打ち切るから、本命や低倍率の馬券を買うのにしか使えないので不可能である。こういった買い方が一般の人にも可能になったのは、パソコンから馬券を買えるようになってからである。さらに、それなりの金額の購入資金が流入してもオッズが動かない程度に規模の大きなレース、つまり、日本の中央競馬のような場所でなければ、やれない。いくら馬券がパソコンで買えるからといって、総売上がたかだか数千万円程度の地方競馬やボートや競輪やオートレースでは、買いが入ればがくんと配当が下がってしまい、取りガミの可能性が高くなってしまうのだ。
もっとも、パソコンで公営競技の投票券を購入すると、当たり券の履歴が残ってしまう。公営競技の配当金は、基礎控除と当たり券の購入資金だけしか経費控除できず、外れ券分の費用は控除されない事になっている為に、申告しないと、莫大な追徴課税をかけられる事になるのであった。
パソコンからの購入で高配当券を総買いという手法は、必勝法として有効であるが、本気でやると税務署から目をつけられるという罠であり、まともに申告したら、利益は無くなるという結果が待っている。
多少なりとも税務署の恐ろしさを知っている人ならば、絶対に手を出さない手法なのだが、やってしまう人がいたようである。まぁ、外人ならば仕方が無いのかもしれないねぇ。祖国で食い詰めて日本に逃げてきた不良品だろうし。
もう何年か前の出来事。
その頃自分は定職についておらず、日雇いで倉庫のピッキングをしていた。
自分の経験したいくつかのバイトの中でも、もうしたくないバイトとして1、2を争うくらい。
大学生くらいのお兄ちゃんが携帯で、あたりを気にせずしゃべっていた。
もう携帯電話のマナーはそれなりに行き渡っていた頃で、周りの人もなんとなく見てる。
そんな中、彼に声をかけた酔っ払いの親父がいた。
酔っ払い親父VSチャラいお兄ちゃんの戦いは火蓋を切らず、
酔っ払いだけどGJ!!
よく言った、おっさん!!
車内は一気に二人を生温かく見守る雰囲気に。
親父は従順なお兄ちゃんが気に入ったらしく、彼が電話を切ったことを褒めたりして、
しばらく絡んでいた。
やがて親父は財布から五千円札を取り出して、お兄ちゃんに差し出した。
「ほれ、受けとんなよ。携帯電話切ったご褒美。俺ぁ今日競輪で勝って機嫌いいのよww」
え?ちょ、おっさんww
今さっきまで、おっさんこの小さな車内でヒーローだったのにww
その五千円イミフww
おっさんの株、大暴落ww
携帯切るのは当たり前で、ご褒美もらうようなことじゃないww
お兄ちゃんは当然断っていたのだが、いいからいいからと押し付けられて、
結局受け取っていた。
「ありがとうございます」って恥ずかしそうながら、すごい笑顔だった。
当時私の日給はたしか七千円あたりだったのだが、交通費等をさっぴくと、
実質六千円くらい。
私が一日かかって稼いだ金額のほぼ同額を、
車内マナーを守っていなかったお兄ちゃんが一瞬にして手に入れるこの理不尽。
車内マナー守らないから、誰か俺にも五千円くれ!!
思わず心の中で絶叫してしまったとしても、罰は当たらないと思う。
おっさんは機嫌がよくてお金をあげただけだろうから、誰も損した人はいない。
お兄ちゃんは通話相手と一緒に、
あぶく銭で酔っ払い親父を肴に、楽しく一杯飲んだのかもしれない。
私は釈然としないまま電車を降りた。
10年ぐらいぶりに某地方都市の実家に帰ってきたら、パチ屋がやたら増えてた。
駅前にあったビジネスホテルも百貨店もレンタルビデオ屋も全部パチ屋になってた。
国道沿いの打ちっぱなしゴルフ場もパチ屋になってたそれでも足りなくて田んぼだったところにジャスコみたいにでかいパチ屋ができてた。地元のテレビCMもパチばかりだ。
それだけパチ人口が多いのだろうが、あいつらはいったいどこから出てきてどこへ行くのか?
同じバクチでも競馬や競輪はCMもほとんど見ないし、場外馬券売場もまず見当たらない。
宝くじはあちこちに売場があるが、行列ができるのは年末ジャンボの時くらい。毎日のように抽選やって るのに買う人をなかなか見掛けない。
なぜパチばかり?
確かに俺自身はギャンブルやらない人間だが、競馬競輪系や宝くじはまだ理解できる。そもそもパチほどやる人いないし。
この10年で娯楽の種類は増えたはずなのに、むしろパチが盛り上がってるって何でだ???
いろいろ突っ込んですんません。
丹波はマイナーかもしれんけど、篠山のデカンショ節にぼたん鍋があるですぞ。
西宮だって甲子園の他に旧阪急西宮スタジアム関連(ブレーブス・ライスボウル・三千人の吹奏楽)、
尼崎は園田競馬に尼崎競艇と、全国区に知られてておかしくないこと多数。
・・・って、この辺の話題はおっちゃん・おばちゃんレベルの話か。
関西以外のフツーの中高生だと、その中なか神戸(県庁所在地)と姫路(姫路城)ぐらいしか、
知らないんじゃないかなぁ。
次点で甲子園球場(西宮)、ハルヒの聖地巡礼(西宮周辺)、ダウンタウンの出身地(尼崎)。
よほどの地理ヲタor歴史ヲタor鉄ヲタ以外、自分の家の近所しか知らなくて、
県内でも知らないとこが多いです。
ああ、やっとこういうことを書いてくれる増田がいた。そういうことだよ、語学力って。単語とか五文型とかじゃなくて、待て単語は大事だな、でもそういうこと。ネットに英語力の磨き方とかの記事がいっぱいあるけど、ほとんど無駄。1万語覚えたからどうのって問題じゃないんだよ、これは。
クロアチアの女の子が僕にうまい表現を教えてくれた。外国語は自転車に乗るようなもんだそうですな。何回もこけて失敗して、でもそのうち乗れるようになる。つまり、慣れだ。それに自転車乗るのに別に競輪選手である必要はない。でもうまい人と下手な人はいるだろう。
だから、英語なんてきっと基本はみんなそこそこあるんだから、つべこべ言わずにひたすら使う読む、これしかないんだよ。うまい勉強法なんてないんだよ。
http://anond.hatelabo.jp/20080811061921
なんか極論に持って行きたがる人が多いが、個人的には
たばこって、無いと死ぬの?
という話にすべてが集約されていると思う。必需品でなく、無くても生きていく上では必要ない。日本における文化的な価値を紙巻きたばこについては特に価値を認める人は少ない。むしろ、他社の健康や権利を侵害している可能性が高いという点で、公共の福祉の観点から、制限すべきと言う議論が主流だ。
そういったものに高い税率をかけるのは酒税などと同じである。また、公営賭博(競馬競輪競艇等々)に高い税金がかけられているとの同じ理屈である。「必須でないものに金をかける余裕のある人から積極的に徴税することで、富を再配分している」という性質だ。(現実は富の再配分の機能は十分に果たされていないが、それは税制の仕組みの問題で今回の問題とは直接的な関係はない)
また、喫煙についてはどうあっても遺伝的なハンデではなく、後天的に発生した事象であるわけだ。また、現在は禁煙すべきと言う圧力の方が、世界的に高い。そういった点で禁煙しやすい環境は整っているといえる。しかしそれでもやめないのならば、自らの意志によるものであると考えられる。(依存症等病気であるのはまた別だ。が、それらもニコチンガムといったたばこ税がかからない代替品がある)それだけ嗜好品に金をかけられる余裕のある人々から、なぜ徴税してはいけないのか。少なくとも今は喫煙者と非喫煙者に遺伝子のレベルでの違いがあって、先天的に何かたばこを吸うという行為がすり込まれているという証明はない。
その点で、肥満の人間から肥満税を取る、というのは一見同様に見えるが、全く話が違う。肥満は遺伝的な成分が非常に大きいとする意見は医学的に主流だ。そのため、肥満税を取るというのは、問題として比較の対象にはならない。
もっとわかりやすいたとえを出そう。ガンの発生率は明らかに遺伝するが、だからといってガンになりやすい遺伝子を保持している人から税を取る、というのは人権の観点等から現在は認められないだろう。それと同じ事なので、暴論であるといわざるを得ない。
(ただしどちらもたばこと同じく、民間の保険に入るときには「喫煙歴」「肥満」や「親族のガン歴」等については申請しなければならず、それによって保険料が上がるので、民間ではふつうの事である)
煽り気味の言葉でいうならば、スピード違反で捕まったときに、捕まらない彼らと自分にはいったい何が違うのかと言うことについて考えもせず、ただたんに「俺より早く走っているやつらはたくさんいるのになんで俺ばかり捕まえるんだ」というのと同じ。自らの立場に自覚的でないだけだと指摘したい。
勘違いしているが、懲罰で上げるのではない。税収が必要だから上げるのだ。上げても負担が可能な人々に、無くても生きていけるものに課税することで負担を願う。おまけにたばこをやめても社会的な批判を浴びる事は無い時代になっている。これの何がいけない?
税の公平負担の観点を引き合いに出すならば他も上げろという論ならばいくらでもすればいい。個人的には酒税も料理酒等々を除いてあげてしまえと思うし、日本ではとても必要ではない排気量の自動車の自動車税はさらに重税をかけてもかまわないと思う。さらに言えば消費税の税率に格差をつけて、生活必需品と嗜好品で明確に税率を変えるべきだとも思っている。事実そういう国はある。一律に消費税を上げる(=逆進性の高い貧者に重負担を求める税を導入する)よりは何倍もマシだと思うがどうか。
歩きたばこがだめであるなら、歩道を車で走ってはいけないように規制すればいい、これは当然で、すでに行われている。
同様に、公共の場での禁煙はすでに徹底されつつあると言っていいだろう。これは防火の観点からも有効であるので広く普及している。
だがこれらはたばこの増税の話とは話が違う。そう思うがどうだろうか。
世の中の論はなぜかそういう感情的な方向に行くが、何か間違っている気がしてならない。
問題があるとすれば一つ。ガタガタくだらない理由をつけずに「金がないからたばこ税を上げます。たばこを買う余裕がある方々に、是非負担をお願いしたい」と政治家がなぜ言わないか。そこにあると思うのだがどうか。
とりあえず一服でもして考えてみたい。
条件1:たばこを吸わないこと
女性の喫煙率は20%弱だとどこかで聞いたので、これで全体の2割は範囲外です。
条件2:お酒を呑まないこと
一滴も飲まないこと? それだとかなりハードル高めだと思います。
泥酔するまで飲まない、ある程度たしなむ程度だと、そこそこいるんじゃないかなぁ。
条件3:ギャンブルをしないこと
パチンコしない、競馬・競輪もしないくらいならある程度いそうですが、
条件4:「男遊び」をしないこと(ホストクラブ通いとか)
ホストクラブ通いはあんまりいないかもなー。
条件5:「スイーツ(笑)」じゃないこと
これがあいまいだから困る。
たとえば、スパゲッティのことをパスタと言わないこと、とかそういう細かいとこまで望んじゃうと
8割方の女性は範囲外になると思うですよ。
それは、オナニーや楽しみのための性行為を断ってしまう、それだけである。
僕は、随分昔から同性愛者にあこがれをもっていた。
彼らは異様に生産的である。母集合の少なさに反して、仕事や、芸術という分野にとてつもないアウトプットを残す。
ミシェル・フーコーなんかもそうだし、ケインズなんかもそうだ。
音楽や芸術の面だとさらに多岐に渡る。最近じゃRufus Wainwrightなんか凄まじい迫力のある曲を残している。
いつだって僕はそれを疑問に思ってきたし、自分もそうありたいと思いながらわずかながらの人生を生きてきた。
しかし、同時に、それは単純な憧憬、もしくは彼らの仕事に対する尊敬であって、決して自分は同性愛に傾くことはないこともわかっていた。
僕はやっぱり同性のハダカを見ても性的に興奮することはできないし、それよりも女性の裸体を愛撫しているほうがよく反応する。
ある意味で幸福でもあったろう、と思えるが、それは同時に喪失でもあった。
自分の才能のなさ、を呪うこととはすこし質の違った喪失感である。(※自分に才能があるとは到底思えないが、それとは違う)
それはたぶん、アメリカの白人が黒人の文化・芸術に抱く憧憬と喪失感によく似たものである。
エミネムやバーバーショップのトロイ・ギャリティのように、同質化することを望むけれど、自分自身を完璧に同質化させることはできない。
また、詳解はしないけども、今のコンシューマゲームに関る人々が、昔のコンソールのゲームをこよなく愛する感情によく似ていると思う。
そうして、ここまで考えたときに、ふと気づくことがあった。
数ヶ月前のことだ。
人間は、どんな状況においても、「子孫を残す」ことを求める傾向があると思う。たぶん、それは生物だからだろう。
人間が歴史上絶えて久しかったことなんてなかったわけだし、広島や長崎にだって木が生えて人も生殖したのだ。文化すらも残ってくれた。
生物だからこそ、危機に陥ったときは性交における子宮定着率が高まるのだろうし、スライムモルドだって特異な形態をとってのりきろうとするわけだ。
そして、同性愛者は生物学的には常に危機に瀕している。あたりまえだが。
だからこそ、彼らは自分の遺伝子を生物学的とは違うベクトルで残してゆく方法を無意識的に模索しているのではないか。
それこそ、ロレンスがいった
ぼくはどうして偉大な人物とされるほとんどすべての人々が、それを認めているか否かに関わらず、同性愛に向かう傾向にあるのか、そしてその結果女性の身体よりも男性の身体をいっそう愛するようになるのか---確かギリシア人がそうだったと思うのですが---、その理由を知りたいのです
の回答なのではないか。
実際そう考えてみると、合点のいくことは結構多い。
偉人ばっかだして恐縮なのだが、宗教的であれ、個人的にであれ、性活動を制限していた偉人というのは多いのである。
カントだって童貞だし、ゲーデルやヒルベルトだってそっちの執着はあまりなかったらしい。
そういえば分裂感違い君もそんなかんじのエントリ書いてた記憶がある。オナニーやめたとかなんか。※切込隊長もそうだったね
また、生物学的な生殖行為への渇望といったものから得られる感情もよく似ているといえば、性行為に貪欲すぎた人とかも挙げればキリがないほどにいる。
ここらへんだったら、専門外だけど歴史上の日本人にもとてもとてもいそうだ。※たぶん宗教的なもんが薄いから制限してた人が少ないんだろう
現代という時代は、恐ろしい時代である。
それほど才能のない僕らが、才能あるマッチョたちと対等に闘って生きていかなければならない。
そうでなければ、グローバリゼーションの中の雁行型経済発展に従って、
インドや第三国の才能ある外国人労働者におまんまを持っていかれてホームレスになってしまいかねない世界である。
僕は、この時代だからこそ、提言したいと思う。
我々は、生まれつきの才能がない僕らは、持てる思考回路をせめて有意義なものに使わねばならぬのでないか。
それを、オナニーや、楽しみのためのセックスや、男女関係の機微に帰着させるのはあまりにも軽率ではないか。
そこに脳がハマりこんでしまえば、たぶんその生殖行為こそが生物的にはあるべき姿だから、思考はそこから抜け出られない。
悪いわけではないんだろうけど、才能がない僕のような人間には、すこし損ではないか。マッチョになってからでもセックスはできる。
僕の提言はこうである。
「そして頭のキャパシティから性行為と男女関係を抜け」
たぶん、これだけで、脳は今与えられている生殖本能に危機があり、と感じるはずである。
そして、脳はそのとき脳内にある違う意味での生殖や、生殖本能につながる能力を伸ばそうとするのではないだろうか。
生まれついての同性愛者ほどの生産性は得られないかもしれないが、少なくとも、脳を使う仕事に従事している人には、少なくとも効果はあるのではないだろうか。
これは余談だが、肉体を酷使する競技に従事している人は、性行為は試合前日には絶対にしないらしい。
友人に才能ある競輪の選手がいるのだが、彼は「試合前にヤったらぜったいあかん。負ける」と言っていた。
試合前にヤったらどうなったか?そのとき、あまりの興奮に生でやったらしく、そのときの一回で子供が授かったのである。
たぶん、これも、ケースひとつだけど、人間の活動は生殖と深く関っている証明になるのではないだろうか。
まるで、イアン・マッケイみたいなハードコアの意見になっちまった。
でも、彼らだって、ありえないくらいプロダクティブだよね。