はてなキーワード: 意匠とは
個人的に日の丸も君が代もそれ自体はどちらかというと好きな方だけど強要するのは反対派な俺参上。
日の丸や君が代を強要する人が少なからずいる以上、「自由の敵の象徴」だからじゃないかな。逆に考えて、強要したいって人は何故強要したいのかって考えてみるといい。それがまさしく自由を尊重したい人々にとっては反対したくなる理由だろう。俺も強要のコンテキストで日の丸が出てくると(日の丸自体は好きだけど)日の丸が穢されていることに反吐が出るよ。
ただまあ、あくまで個人的にはだけど、日の丸は元々「日出る国~」の故事にちなんだものでこれは別に全体主義とか軍国主義とか自由への敵対なんかとは関係なく単純に「極東にあってますます繁栄する国」くらいの意味でしかなく、意匠的なシンプルさとも相まって非常に良いものだと思ってる。君が代も、まあそりゃ戦前までは帝政の継続みたいな意味合いでやってたんだろうけど、今でも天皇は日本国憲法下の日本国の象徴であるわけだから「今の日本国」が末永く繁栄しますようにって意味でもちゃんと通るわけで、ものすごく良いとは思わない(正直メロディの方はいけてないと思う)が積極的に反対するほどとは思わない。
でも、強要したい人々は、そういうのとは違う意味合いで国旗国歌ととらえているだろうし、だから強硬に反対する人々も反対しているんだろう。ぶっちゃけ、強要する側も反対する側も国旗国歌は正直全体主義の象徴だよね。
なんか幼児っぽい笑顔とか幼児っぽいしぐさとかそういうことになるじゃん。日本の場合。
唇とんがらすアレも幼児のしぐさだよね。パーマンのメットと同じ意匠。あと上目遣いとかさあ。
あれらを見ると頭にチョップとかしたくなるんだよ。イライラして。
想像してご覧なさい。素っ裸で微笑んでいる女を。ほら、おっきしてきたでしょう。
例えば今ここで力いっぱい「可愛い女の子」をやってくださいって話になるとさあ
昨今の日本文化に文句があるのよ。
例えば今ここで力いっぱい「可愛い女の子」をやってくださいって話になるとさあ
なんか幼児っぽい笑顔とか幼児っぽいしぐさとかそういうことになるじゃん。日本の場合。
唇とんがらすアレも幼児のしぐさだよね。パーマンのメットと同じ意匠。あと上目遣いとかさあ。
あれらを見ると頭にチョップとかしたくなるんだよ。イライラして。
本当にあれは魅力的か?
ああいうのをやる女もそれを少なからず需要(受容?)してる男も。
好きな子でもあれやってるの見ると途端にブタのように見えてくる。
女の子が自分で鏡にカメラ向けて撮った「可愛いワタシ」の写真も
しまりのある挑戦的な表情をするんだよね。
俺は断然あっちがいい。
なあ頼むよ。
毛の生えそろったような歳の人間が幼児の擬態をして媚びるのも、それを喜ぶのも、
不気味だろ。なあ。
一級建築士事務所 所在地 : 神奈川県横浜市 所属団体 : 社団法人 神奈川県建築士事務所協会、 横浜市建築事務所協会 登録資格 : 応急危険度判定士、 耐震診断士、 県建築物調査・鑑定業務事務所、個人情報取扱業務登録 仕事分野 : 建築意匠(企画・設計・監理)、 宅地造成 及 開発計画、 調査鑑定 など 得意用途 : 住宅、 共同住宅、 幼稚園、 店舗 など 姿 勢 : " 今、必要なのは専門家です。 誰でも家はつくれますが、 誰にも家は造れません。21世紀をリードする楽しい住まいづくりをします。 " 相談無料。 HP : http://homepage2.nifty.com/kamakurakentiku/# vironviron 2010/01/27 18:04 キーワードの宣伝利用は規約違反
# tkamakuratkamakura 2010/02/01 15:02 登録内容変更
* 鎌倉建築設計事務所@20100201150209 (2010/02/01 15:02:09)tkamakuratkamakura change category to 一般 CommentsAdd Star
* 鎌倉建築設計事務所@20100201143622 (2010/02/01 14:36:22)tkamakuratkamakura 0a1 CommentsAdd Star
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* 鎌倉建築設計事務所@20100127180401 (2010/01/27 18:04:01)vironviron change category to 削除予定キーワード CommentsAdd Star
* 鎌倉建築設計事務所@20100126112008 (2010/01/26 11:20:08)tkamakuratkamakura 5a6,8 CommentsAdd Star
* 鎌倉建築設計事務所@20100126111256 (2010/01/26 11:12:56)tkamakuratkamakura appendCommentsAdd Star
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“マイホームを建てる!”一生に何度もあることではありません。 「こんなはずでは・・・」「こうしておけば良かった・・・」という事がないようにしたいものです。 一級建築士として多くの住宅を設計してきた経験から、失敗しない“家づくり”のためのアドバイスや建築に関して個人的に感じていることなどを書いたブログ「住宅設計のアドバイス」 : http://housefine.blogspot.com/
失敗しない“家づくり”のためのアドバイスや建築に関して個人的に感じていることなどを書いた一級建築士のブログ。 URL : http://housefine.blogspot.com/
住んでいるところ 横浜市
建築設計事務所リンク * 株式会社 鎌倉建築設計事務所
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いつの時代にも青春に特有の不安や「自分探し」があるのではないか。世間でいうほど絶対的貧困状態に置かれた若者は多くない(フリーターは被扶養者であることが多い)。かつての新左翼も政治運動としてはナンセンスで、全共闘はマルクス主義というよりアナーキズムに近かった。60年安保も、学生のエリート意識による「集団的なストレス発散」だった。
こういう若者の不安を食い物にする連中はいつの時代にもいるもので、著者が企画した対談で『蟹工船』ブームを起こした雨宮処凜やモリタクなどの「貧困ビジネス」は、ちょっとした成長産業だ。しかしかつての新左翼や原理などと同様、こういうカルトは何も解決しない。ただ新左翼は日本の高度成長の最中にそれを批判する見当違いのお遊びにすぎなかったが、いまロスジェネの直面しているのは日本社会の本物の病だ。
ところが雨宮・モリタク的な貧困ビジネスは、彼らに迎合して再分配によって問題が解決するかのような幻想を振りまく。NHKの「クローズアップ現代」で「“助けて”と言えない30代」という番組が今年最高の視聴率を記録したそうだが、メディアにとっても貧困や自分探しはおいしいビジネスだ。しかし若者を孤立させているのが「新自由主義」による「自己責任」論だとかいうのは、お門違いもいいところだ。それはかつて新左翼が「日帝」とか「独占資本」などの藁人形を相手に闘ったのと同じである。
思えば「アプレゲール」が実存主義を語り、全共闘が疎外論を語ったのも、自分探しのバリエーションだったのかもしれない。最近は哲学ネタもつきたので、社会学がお手軽な不安の理論武装になっているようだ。こうした意匠は時代とともに変わるもので、経済成長で解決するわけではない。雨宮的なアジテーションは、『しがみつかない生き方』みたいな人生論と大差ないのだろう。本書がこの点を指摘したのはおもしろいが、中身は二次資料の切り貼りで読む価値はない。
トレス発見厨の原動力は嫉妬だからね。イラスト以外の著作物に対する尊敬が無い人が多いよ。
前にネット上でその手の人と論争していて、
写真からのトレス(意匠のある建築物やデザインされた物が写っている場合)や版権物の同人については問題ないの?って指摘したら、
おまえみたいな奴が表現の幅を狭めると言ってキレられてしまった。
プロとしてお金を儲けたり、pixivで注目を集めたりして利益を手にした人間が許せないんだろうね。
難癖つけて潰すことができればそれでいいのだろう。
もし、トレスした人間がオリジナルだとやたらと主張したり、トレス元を貶すような発言を繰り返すようなら
ある程度の粛正も必要だと思うけど、
昨今の騒動は偏執狂地味いて酷い有様だね。
色々と思う人もいるけど、せめて
http://www37.atwiki.jp/honi-honi/
の纏めも一応は目を通して欲しい
・http://loda.jp/benjo/?id=98
自分はこの二つを見て駄目だろって感じた
自分の感じたことを書いてみる、基本的にこの人を擁護できないってスタンスね
世間じゃ模写だのトレスだの言ってるけど、自分がなんか違和感、と言うか不快感に近いのを感じたのはそのレイヤじゃなくて、多分別のレイヤなんだと思う。法的と言うよりも多分道義的な面での感覚かも
図鑑とか標本箱のチョウとか見てると、見た写真をそのまんま使ったんだなって解る
「それってどうよ?」
が多分自分がこの絵に感じた違和感じゃないのかなって
この人がやったのはトレス、あるいは模写…だよね。もしかしたらフォトショ使ってそのまんま元画像をぐりぐりしたのかも知れないけど、それならもっと悪質だと思う。決して「参考にしました」とは言えない、だって小物の殆どが元の写真と変化がないし
単純にこれってパクリ…だよね
参考にするってのは一度見たものを咀嚼して、自分の頭の中で再構築して、アウトプットしてやっと言えるんじゃないかと。絵を創作物とするなら、他人の写真あるいは意匠を『そのまま』流用するのは一番やっちゃいけないことだと感じる、ましてやプロで活動している人間が、だよ?
トイレの方なんか、正直フォトショとかの加工以外でここまで落書きが一致するの?って思う
模写とかトレスでも多分ここまで同じの用意するのは相当な技量がいりそうなんだけどな…
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雑に自分の言いたいことを纏めると
人様の写真を断りもなく素材として加工して使って、それに一切触れずにあたかも「私が考えて描きました」みたいな表現ってどうなのよ?プロとして活動しているのに、人のものそのまんまパクって使ってプライドとかないの?
俺も素人なので詳しくは知らないけど、
なんとなくそれは詐欺とは違うんじゃないの?とおもったので書いておくよ。
アイディアが著作権で保護されるものだとはまったく思わないけど、
たしかに著作者人格権は自然発生だけども、じゃぁ実際にパクられた時にどうやってそれは自分の著作物をパクったものだと証明するの?
それを出版社の編集者あたりが勝手に自分のなまえで出版したとして、
原本はここにあります!
書いた日付はこの日です!
なんの根拠もないところで訴えても無意味だし証明にならないよね。
内容証明でもなんでも自分以外にそれを証明してくれる人が必要だよね。
これがブログみたいに誰かが見れる状態にあるのであれば証明は比較的容易なんだけど、
特に公にしたくもないからという理由で公開しなかった場合余計困難。
で、著作権については20人だかなんだかの、それを証明してくれる人が必要になるんじゃなかった?
著作権管理会社は著作権の発生権利を保障するだけじゃなくて、その証明をしてくれる役割もあった気がする。
1万円が高いか安いかわからないけど、
自分でやれば数百円で済んだとしても人に頼むんだらそんなのは最低ラインじゃないのかなと思う。
もしかしたら意匠を含んだもので、内容証明とかじゃまにあわなかったのかもしれないし。
少なくとも自分の権利を守りたいというその人の要望は満たされてるのであれば妥当なんじゃないかなと思ったよ。
もっとも公証人とか内容証明を使いますっていってまったく使ってなかったら詐欺だけども、
自然に発生する権利もきちんと守ろうとすればお金がかかるもんじゃないかと言ってみるよ。
あと、著作権の自然発生よりこっちの方が意外と知られていないのだけど、
所得が0円の主婦とか前年年収が150万(だっけ?)以下の人とかは特許申請料の減免があるので、
そっちの方が安いから自分でやればいいのにねと思う。
http://www.jpo.go.jp/tetuzuki/ryoukin/3_kojin.htm
これかな?
一級二級建築士は日本の法律の下だけで役所に建築の許可を申請して申請どうりに出来ているかを役所の代わりに見届けて、役所のお墨付きをもらった人。
建築家は、他人が認めて、財産に他とは一線をきす、作品を依頼される人、建築士であるかないかは依頼者しだい、
なぜならサポートで建築士の構造、設備、意匠の収まりの専門家が付けば大きな問題はほぼなく。
逆にの想像力や経験の無い建築士に託す事を考えたら、はるかに完成度は高くなるし、しかも美しい。
さて、安藤忠雄さんはその考えでいけば、建築は独学であり、ある意味完璧です、好き嫌いは当然あるでしょうが、芸術性の高い世界は全てそんなものです、才能は遺伝しないし、まして教わるものでもない。
そもそも、わが国の建築は、戦後から一貫して、30年~長くて7~80年で壊してきたのですから、多少進化はしましたが、今だ未完成。
ヨーロッパの様に築100年~600年と住み続ける文化は今だありませんし。
事、都市計画では既存の都市を見れば一目瞭然、未成熟、安藤さんの都市理論にも、甲乙をつけられる先駆者もいません。
確かに古都はありますが、中間がありません、明治~平成にかけては欧米の猿真似。
日本の気候文化に現代の様式をバランスよく織り交ぜた建築文化は今だ不在、まだ後100年正直、かかるでしょうね。
ただ、ある意味安藤さんら少数の建築家が思考錯誤する御かげで少しずつ進化していくのでしょうね
ちなみの、世界的建築家(構造の魔術師)フランスのレンゾピアノが手がけた、パリシャルルドゴール空港の屋根は一部施工精度が及ばず崩壊しました。
新凱旋門は既にあってはならないクラックが入って崩れかけてます。
マ、人が作るものなんてそんなものです。
ついこのあいだまで音楽なんてものは、絵画や彫刻みたいに金持ち文化人のものだったんじゃないかなって思う。
音楽も録音できるようになって、大量生産できるようになって、いわゆる「作品」、「誰かのもの」じゃなくなったんじゃないかと。
CDなんてものはプレーヤーのボタンを押すと曲が流れる、もはや「楽器」みたいなものだ。
電気ポットのデザインに意匠者の息遣いを感じられるほど、僕らは敏感ではなく、ただなんとなく生きてる。
同じように、音楽を聴くという行為に対して、コーラを選ぶかスプライトを選ぶかくらいの軽さくらいにしか曲そのものに考える部分はない。
俺の場合ね。
中学時代、マッカーサーと呼ばれたロマンスグレーの美術教師は言った。
「本当にすばらしい芸術とは、万人にわかるものか、それとも一部の人にしかわからないものか」
生徒たちは沈黙する。
教室をサングラスの裏からひとねめした後、とくにもったいぶるそぶりも見せずマッカーサーは続けた。
「答えは、一部の人にしかわからないもの、だ」
ざわ・・・ざわ・・・(※誇張)
「真に優れた芸術とは、それが真に優れたものだとわかる能力のある者が見て初めて良さがわかるものである。万人に良さがわかるものは真に優れたものではない」
はりつめた空気を揺り動かすかのように鳴り出すチャイムの音に合わせて振り向くと、
「覚えておくように」
看守の残すそれに似た靴音を響かせマッカーサーは教室を去っていった。
覚えておくようにと言われたその言葉を聞いて以来、わたしはずっとその理由を疑問として抱えながら生きてきました。
しかし、未だにその答えは見出せていません(マッカーサーには怖くて聞けていません)。
「真に優れたものだとわかる能力のある者」とそうでない者の差が、本当の意味で存在するのかどうかの、すっきりとした納得がいかないからです。
もっと言えば、「”真に”優れたものだとわかる能力」って何ですか?ってことです。それが「真に優れたものだとわかる能力」だってことを、保証してくれるのは誰なの? わかると思っている人の自己満足ではないの? それとも限られた「真に優れたものだとわかる能力」のある者同士? もしくは「『真に優れたものだとわかる能力』だとわかる能力」のある者なんてのがまたいるの? いずれにしても一部の人にしかわからない良さ、それってその一部の人たちの嗜好とどう違うの?ってことです。
嗜好であるにしても、それがその限られた人たちの豊富な知識や経験に裏うちされたものだってことはわかるのです。ですが、その豊富な知識や経験を有する人だけが「良い」とわかるものが、そうでない人も含めてより多くの人が「良い」と感じるものより上である理由がわからないのです。逆に言えば、多くの人が「良い」と感じるものを、わざわざ「いやそれは本当は優れてないんだよ」ということにできる意味がわからないということです。
それこそ、より優れた芸術作品とは、この多種多様な嗜好をもつ知的生命たちのより多くの固体に、「良い」と認識されるものではないのでしょうか。
ごく一部の者にとっての「良い」ものは、所詮その一部の者たちにとって優れたものでしかない、というわけではない理由はあるのでしょうか。
例えば私は漫画を描きますが、いくら私が技巧を凝らして、「これはすばらしいものだ」と思えるものができたとしても、見てもらった人々に「つまらない」「面白くない」と言われたら意味がありません。
「いや、このコマがこうなっている理由は、これこれこうだから。そしてここに歴史あるあの物語から換骨奪胎した暗喩を印象的に配し、それがまたここの斬新な伏線とのシナジー効果で・・・」等と説明すればできますし、そういう意匠に気付く人にだけ「おー、面白いね」と思ってもらえること、それ自体に意義が無いとは言いません。ただ、気付かないような万人でも「面白い」と思えるものよりそういうものが上だとはとても思えない、思える理由がないのです。
多くの人たちの支持を得ているものは、それだけで価値があると思うのです。
小室哲也の音楽は、大衆支持されこそすれ、一部では曲の軽薄さを馬鹿にされていたりもします。
「小室の音楽ってのは、薄っぺらいというか全部こんな感じで、こういう風にすれば全部小室の曲っぽくできる」
っていうのを実践してもらって、
「ほんとだー」
と感心したことがあります。
しかし、私は小室の曲は耳に心地よいと思う”大衆”の1人でした。そして、他ならぬ私が心地よいものは私にとって心地よいものに他ならず、内情を知ったからと言って耳に心地よくなくなるものではありません。私の「良い」は、私以外誰にも覆せないわけですし、それは誰にとっても同じことです。
そもそも「良い」と言っている人が感じているその良さが、真なる良さなのかそうではない低レベルな良さなのかなど、誰がどのようにして決めることができるのでしょう。決められないのだとすれば、その作品を「良い」とする者すべてが、その作品に対しては「優れたものだとわかる能力のある者」であり、「優れたものだとわかる能力のある者」を多く生み出せる作品ほど、真に良い作品なのではないでしょうか。
もしそうではないのだとしたら、誰かマッカーサー先生の残した言葉に説明を加え、どうか私にもわかるように教えてください。
そして小室哲也は、どんな曲が”多くの”人に「良い」と思われるかに気付いて、その良いものを、「良い」と思われる時期に、できうる限り提供しておこうとした、才能と熱意のあった人物ではないでしょうか。
<<注>> いまも才能があるかはわかりません。そしていくら才能があっても人に迷惑を掛けることは宜しくありません。私が評価しているのは、あくまで彼のかつての音楽に関してのことです。