はてなキーワード: 右派とは
TPPに加わらずASEAN+3(ないし+5)でやっていくべきだ、という意見が自民党を中心にあるのだけど、そもそも自民党には今後も絶対TPPに加わらないという自信があるのか?
つまり、ASEANに日中韓を加えた集団を作りつつ、中韓相手に(現在中国主導になっているASEAN+3で)外交的な主導権を掌握し、アメリカを中心とした新TPP軍と伍して戦う、という状態を長期的に続ける覚悟が本当にあるのだろうか。
今はまだアメリカの加盟も例外項目でもめてる状態だから日本も例外項目ゴリ押せる余地あるけど、後から「中韓に主導権取られたのでTPPに入れてください」とか「日中韓+ASEAN軍がTPP軍にボロクソに負けたのでTPPに入れてください」とかは絶対無しだぜ。TPPと交渉すらしないってのは「日本がTPPをアメリカごと踏みつぶして、後からアメリカを(アメリカに極めて不利な条件で)加えてASEAN+6にする」か「日中連合軍によりTPPが窮地に陥って、アメリカが(日本に極めて有利な条件で)TPPへの寝返りを求めてくる」のが勝利条件だからな?
でもさ、無理だと思うんだよね。
正直TPP交渉すらしないってのは単なる問題の先送りというか、例によって例のごとく日本伝統のJapanese Tobashi Schemeそのものだよね。年金にしろ国債にしろ、時代をさかのぼるなら戦争だってそう、問題を先送りして見ない振りをしてのっぴきならなくなってからハードランディングというお家芸。
アメリカだって今日本がTPPに加わってくれたら対中戦線が20年は短縮できるわけだから本当はすごく欲しいキャスティングボートなんだよ。ニュージーランドなんてでかい口利いてるけどチンカス。日本はこれは譲れないというものをきちんと持った上で、駄目なら席を立つ、という態度で堂々とTPP交渉に行けばいい。日本に有利な条件でTPPに加盟して日米で中国の商慣行に圧力を掛けられる、というのが日本にとって理想型なのは間違いないんだから。
逆に考えて、なんでアメポチで名高い自民党のしかも清和会がTPPに強く反対しているのはかなり微妙。ASEAN+3の方がいい、とか本気で言っているとは思えない。むしろ本来ならアメリカの意向に従って真っ先にTPP加盟を主張する集団だろう。
今の日本政府は、中国との交渉ならともかくアメリカとの交渉ならかなり強硬な交渉をするという意味で日本の国益には有利だと思われる。逆にアメリカにとってはめんどくさい相手かも知れない(だからアメリカ経済界は自民が政権奪還するまで日本の加盟を先送りさせたがっている) 民主党右派は経団連を中心とした日本の経済界の意向を、自民党清和会はアメリカ経済界の意向を、それぞれ反映してしまったが故のねじれなのかなぁ、などと思ったりする。
農業や労働者の保護を口実に何をしたいかは皆さんもご存知でしょう。日本解体です!!
東京都青少年健全育成条例に賛成する発言をした、チャンネル桜の水島総氏に対する皮肉です。
TPP反対のチャンネル桜がTPP賛成の保守派に「なぜチャンネル桜は左翼といっしょになってTPPに反対してるんだ!?」と言われたら血相変えて怒るのではないでしょうか。
俺もTPP反対派ってJAとか医師会とかのような利益団体を除けば左派が多いな…って最初は思ってたけど、
JAの反対署名の賛同者のリストを見れば、保守・右派色が強いそうそうたる顔ぶれも反対派に名を連ねていることが分かるだろう。
TPPがどのような影響を及ぼすのか、俺にはさっぱり分からない。
ただ、ウヨサヨで賛否を分けるのがあまりにナンセンスだということを改めて明らかにしたことは100%確実に間違いない。
それにもかかわらず、ネット上では民主党が推進するから反対という、天の邪鬼的な発想しかできない奴がいる。
民主党の議員も半数近くがJAの反対署名に賛同しているのだが。
(余談だが、俺は慎重寄り。)
「6.11新宿・原発やめろデモ」において発生した、20歳学生に対する集団リンチ
「6.11新宿・原発やめろデモ(http://611shinjuku.tumblr.com/)」において、20歳の学生に対する、集団リンチ事件。
「ヘイトスピーチに反対する会」有志
柏崎正憲 栗原学 常野雄次郎(@toled) ほくしゅ(@hokusyu82) 山口素明 ほか2人
デフレ脱却議連の主要メンバーには、外国人参政権に反対し、靖国神社にも参拝している代表的な議員がたくさんいます。彼らを売国呼ばわりする人は、外国人参政権賛成&靖国粉砕という思想を持っているのでしょう。バレバレすぎる尾崎っぷりに引くわ。 #defle
https://twitter.com/smith796000/status/71184832067153921
リフレクラスタとネトウヨクラスタの融合が見られるとはw リフレ派はリフレ政策への賛成という紐帯が存在するのみで党派性がないなんて寝言をほざいていた方々は、上念氏をきちんと批判するんでしょうな? そういう言動が、リフレ派に党派性があるという誤解を招くのだから止めろ、と。
ついでに、リフレへの賛意がネトウヨ的主張への政治的動員に流用されるのではとの懸念を表明した人々に対して、
まあ、率直にいって、いまさら右派と左派とかよく本人もわかってないような対立軸持ち出して、ある特定の経済政策を主張する人を批判する場合は、1)その主張する人が感情的に嫌、2)別な私的利益を守りたい のいずれかでほぼ間違いないと思う。そうでなければ、ただの古臭い思想ボケ
http://twitter.com/hidetomitanaka/status/21626737559
と的外れ極まる言いがかりで応じていた田中センセは、当然謝罪してしかるべきだけど、謝罪できるだけの知能と誠実さがあれば、そもそもこんな言いがかりはしませんわなw
http://anond.hatelabo.jp/20110312092739
「そういうときには叱らなければ」というのは右も左も真ん中も関係ない。
これはその通りだね。問題なのは、はてなでは今回の地震でもそうだけど、不謹慎発言を批判するところを「ネトウヨめ!」というネトウヨ批判になって、結局、不謹慎発言の問題は考えていないということ。
Togetter - 「地震のどさくさに差別をたれ流す人々」
はてなブックマーク - Togetter - 「地震のどさくさに差別をたれ流す人々」
http://b.hatena.ne.jp/entry/togetter.com/li/110468
このはてブで日の丸とか言ってるのは、単に日の丸を批判できたらいいやとか、あるいは、これに反応してネトウヨ批判したいだけというのが散見してるんだが。単に、「「正義」の名の元に晒し上げて衆目を集めて誰かを見下して優越感を得たい」というのは、はてなサヨクの常套だからね。
その証拠に、Twitterではサヨクもこの光景がエヴァンゲリオンみたいに見えたとかのリツイートなんかで賛同もして、これだけの破滅的な地震の被災者を無視して、被害者が死んだりすることに好意的につぶやいているのとかいるんだよ。
ウヨクの貧困者への対応は人権侵害とか言っておきながら、Twitterで「ネトウヨは低収入の貧乏人だからバカ」とか言っているサヨクがはてなダイアリーで反貧困のことを言ってたり、そういう集会に行っていることとかは、都合が悪いからネトウヨ批判とかしているはてなサヨクはそういうことは書かないよね。
「思うにこの手のデマは同国人達が厳しく叱らなければ、子ども(精神年齢が)は聞く耳もたん」というのは、はてなサヨクはまさにそうだよ。ネトウヨのひどい奴らは、保守派がかなり批判してるんだけど、はてなサヨクのバカな奴らは左派が批判しなさすぎるから。左派はバカサヨに甘すぎるんだよね。
Twitterを見てたら、さっきのアニメとか漫画に重ねて言ってたりね、はてなサヨクは漫画の権利とか言ってるが、漫画の権利とか言うのは、こういう大地震の時に不謹慎な漫画の比喩を言うことなのかね。
Twitterで右派の問題を批判するなら、左派も批判しないといけないが、あまりに一方的だな。Twitterの右派の不謹慎な発言を保守派が批判するのに比べれば、Twitterの左派の不謹慎な発言を左派が批判することがあまりに少なすぎるのはなんでなのか?
呆れてきたので原因を考えてみようと思った。
日本における、一票の格差は恒常的に最大5倍に達したままである。先の参院選で高知の広田一氏は13万7千票で当選したが、神奈川の千葉景子法相(民主)は69万7千票を集めて落選している。全体にとって不利益な政策がとれられたとしてもフェアな競争がなされていないのであればいたしかたないというものだ。
政治への新規参入はほとんど成功しない。政治家家業の大抵は世継ぎかのれん分けだ。
有権者は投票すべき政治家がいかな人物であるのかという品定めを行う機会というものをほぼ得ることができない。政見放送は粗さえ出さなければ話題にもならないし、見られもしない。文書図画は決められた枚数しか配ってはならないし、選挙カーは名前の連呼しか許されてない。選挙期間中はWEBの更新はダメだとか本当に意味がわからないが、そうした現状を是とするのは既存の政治家だ。新規参入を防ぐための策はきちんと機能しているといっていい。
選挙前に配られる官報?には学歴と略歴とがんばりますぐらいのことしか書いていない。しかもみんな自由形式で書きたいことしか書かないから比較もできない。地獄の業火に焼かれろ的な「とんでも」は発見できても、普通の候補者だと違いがわからない。ネットショップで価格もスペックも比較できず写真だけで選べという店であたり商品が引けるわけがない。この場合消費者がとりうる選択肢は限られる。どこかの既知のブランド品から無難な商品を買うか、さもなくば買わないかだ。
結果、約半数が投票に行かないし、地方の首長選挙は現職が9割の勝率となる。保守的なのではなく、新規が得体が知れなすぎるのだ。誰に投票していいかもわかっていない有権者など、確率的な数でしかない。だから当選するために確実に投票してくれる組織を囲い込むことに政治家は腐心する。そのために地盤やお金が必要となり、結果、特定の組織に利益誘導的にならざるを得ない。たとえその組織の利益が大多数の利益を損ねるものだとしてもだ。バラバラに動く有権者は特定の利益のために組織だって行動する人たちのまえに為す術などあろうはずがない。
もっといえば罪刑法定主義なのかも怪しいところだ。判例主義といったところで検察と裁判の判検交流に代表されるように三権分立など建前になってしまっている。厳密にしてしまえば、物事なににつけても対立がうまれ滞ってしまうので、そのような体制のほうがいいこともあるだろう。だがバランスは重要だ。現状は人治が法や道理を押しのけるまでになっているのではないかと思う。
例えば先日可決された東京都の青少年保護育成条例の改正に代表されるように、法は立てるが、運用するのは、お目こぼしをするのは我々だという暗黙の権力行使を許していてはそもそも政治家は必要ではない。議会も必要ではない。
政治家自身、何を議論して、何を決めて、それがどんな結果を及ぼしているのかにまで想像力が働いていないのだろう。やはり局所利益誘導的なのだ。決定には関与しても、立ち上げにも、運用にも、またそれが為されているのかの確認にも公正に関与できていない。政治家がただの多数決要員なら無差別に選出された陪審員でやったほうがよほどいい。
以上の原因と仮定から、スキャンダルや醜聞にまみれ、日本の政治の質が低かったとしても致し方ない。
自浄効果も期待できず新規参入も無理なら当然の帰結だ。絶望した!
ほにゃららでふがふがな社会に絶望した!と、いうところで思考を停止して右派左派同様ギャーギャー騒ぎたてるのも無理からぬこと。実際、じゃあ他に何か手立てあんの?と聞かれてもお手上げだ。誰か政治家の代わりをやれよといわれても、多分同じことをやらざるを得ないだろう。日本の政治はもはやこれで完成品なのだ。アラブでは、民主化民主化と騒いでいるが、日本には閉塞感はあっても打ち倒すべきシンボルもテーマもない。やはり行き止まりだ。
基本に立ち返る。
最大数の幸福を追求したいと考えるならば、人ではなく仕組みに裁量を持たせたほうがよい。そのためには公正な競争がなされなければならない。公正な競争がなされるためには、新規参入や撤退に自由度をもたせればいい。
既存の仕組みでも運用する人さえ違えば充分なのかもしれない。既存の政治市場と、並行稼動で仮想市場をつくっておいて、実際の議員の投票はこうだったけど、その地域の有権者の実際の意見はこうでした!的な仕組みがあるだけで、何がおかしいのか評価はできるようになる。というわけでYouつくって。
アフリカや中東で起こっている動きをTwitterを通して精力的に翻訳し発信していた方が、先ほど「原則として、翻訳ツイートやめることにしました。」とツイートした。残念でならない。
彼がやめる事じゃない、彼が追い詰められるほど、見せ掛けの中立を求める人々が多かった事が残念でならない。(彼には少し心を休めてほしいと個人的には思う。)
英語やその他言語の情報を追うと、主要タグのツイートだけでも恐ろしい情報量なんだ。滝のようなツイートから翻訳して伝えるには選別する必要がある。その選別する見極める作業だけで時間も精神力も知識も判断力も使う。だから彼がこの先翻訳をやめて、英語情報のRTメインになるとしても、選別作業の重さを考えれば十分ありがたい。
現実の情報量に対して個人は非力だから、情報の選別が必要だ。選別が必要ということは意思が必要なんだ。この時点で理論上の中立は無理なんだ。個人だけじゃない、大手メディアにしてもそれがすべての情報をそのまま垂れ流すものでない限り、神のような理論上の中立は不可能なんだよ。
アルジャジーラのようなメディアは、「様々な角度から、視点から」報道することをモットーにしている。メディアには、自らの立場を明確にした上で偏向した報道をするものもある。
アルジャジーラがエジプトの革命を命がけで報道し続けた時、彼らは明らかに民衆=革命側についていた。それを明確にしていた。そうでなければあれほどの報道は無理だっただろう。
そこに、見せ掛けの中立を持ち込むとどうなるだろうか?混乱が現実に起きていることであっても、結果を見出せないからポジション取りができない、報道できない、情報が遅れる、ことなかれ主義な内容になる。見せ掛けの中立が確かにある現実をあやふやなものにし、速報性を犠牲にする。結果的に正しい情報が伝わらなくなる。
見せ掛けの中立にはもう一つの危険性がある。それを妄信してしまう人がいることだ。
例えば、右派新聞と左派新聞があって、それぞれ立場を明確にしているとする。多角性を売りにしている新聞があって、記事が記名ありで右派記者と左派記者の記事が入り乱れているのでもよい。そうであれば、人は色々な視点から現実を見て、自分で考えるだろう。
逆に、中立を標榜するメディアが立場を明確にしないまま中立を後ろ盾に報道を続けたらどうなるだろう。もう一度言う、大手メディアにしてもそれがすべての情報をそのまま垂れ流すものでない限り、神のような理論上の中立は不可能なんだ。結果、何も考えない受身な人たちはそれを信じ込み、少し賢い読者は疑心暗鬼になり、そのうちのいくつかは途方もない陰謀論に救いを求めるだろう。
見せ掛けの中立の中で、本物のジャーナリズムが生き残ることは難しい。
ネットの利点は、多角的な生の情報が得られる事だ。何かを知りたいとき、多角的な情報の中から自分で判断する自由がある。それがどんなに素晴らしいことなのかもっと気づいて欲しい。本物のリテラシーは重箱の隅をつつくような知識などではなく、そうした自由と判断の中にこそあるべきなんだ。
一人の翻訳者を偏向だ、公平でない、と責めるのがどんなにナンセンスなことかわかるだろうか。ネットの利点を中立性だと勘違いしていないだろうか。だとすれば、そんな人たちは、見せ掛けの中立の報道に頼りきりで何も考えず信じ込んでいたいのと同じ気持ちでネットを利用したいだけだ。
もっと多くの人が、見せ掛けの中立を求めるのをやめ、多角性の大事さに気づくように願ってならない。
どうも右翼左翼って言葉に悪いイメージ以外なくて、それぞれがどんなものかなんてまともに考えたことなかった。
でも、左は主に変革を要求し、右は伝統を保守するってのを見ると、どうも俺は右派ではないな。
伝統なんて糞くらえな立場だし、古い街並みが高層ビルに作り替えられていく様子が好きだ。
大体伝統なんてもの自体に正当性が全くないと思う。伝統ってたかだが数百年とかでしょ。古い街並みとかも、それを壊そうとすると反発あるらしいけど、そんな家はどうせ100年前に建てられたとかじゃないのか?
100年前なんて歴史で言えば最近だよ。そんなものにしがみついてる姿が哀れでしょうがない。さっさとぶっ壊せって言いたくなる。
日本の伝統とかも全然興味ない。冠婚葬祭全然興味ない。葬式なんか絶対やりたくないし自分が死んでからもしてほしくない。
伝統って守ることが大切だって言うけど、違うだろって思う。伝統は必要だから守られるのであって、必要なくなれば守る必要はない。
で、この考え方はどうやら左派・左翼に分類されるらしいんだがなんか違うんだよな。
単に保守的な思想が嫌いというだけで、俺は別に社会主義も共産主義も支持してない。うまくいかなかったものを支持する理由はない。
なんか、左派と言われると違う気がするのは、左派と呼ばれる思想がすごく古臭いから。革新という割には随分昔から同じことしかしてない気がするからかな。
保守には全然そういう感じがしない。なにしろ昔から「伝統を守れ」って言うだけでいいんだから。古くなるということがない。そもそも右派は元から頭が古い(俺に言わせれば)
革新がいまいち支持されないのは多分不況だからだろうな。未来が不安だらけなのに革新なんかいらねーよってことだろう。今の生活すら危うい人たちが保守的な思想にすがりつくのも分かる気がする。
そんなわけで、右派系な人のブログで、過去、石原知事の発言を、
ネットを一切見ない還暦過ぎのうちの親父がまさにそういう態度(「言論の自由」なんて言ってないが)だが
うちの親父は情強なのかい。
そんなのあんまり見た事がないんだけど。
過去、問題発言が話題になるたびに、ウヨは「マスゴミが恣意的に発言を切り出してる」とか怒ったけど、
実は石原知事の発言をノーカット生放送(今回のは雑誌記事だけど)するとこういうことになる、
というのはわりと知ってる人は知っていた。
別に秘密でもないことを「限られた情強の俺達だけはしっていたが!」と騒いでるようにしか見えないし
あなたの脳のミラーニューロンで作り出した「ネトウヨ」と取っ組み合ってるようにしか見えない。
ネットの若年層にせよ
非ネットの年配者層にせよ
論点次第では石原不支持に説得することは十分可能だと俺は見る。
過去、問題発言が話題になるたびに、ウヨは「マスゴミが恣意的に発言を切り出してる」とか怒ったけど、実は石原知事の発言をノーカット生放送(今回のは雑誌記事だけど)するとこういうことになる、というのはわりと知ってる人は知っていた。
生の発言からだけじゃなくても、大きな話題にならないレベルの報道された「石原知事の発言」と事実関係を細かくチェックしてたりすると、ね。
そんなわけで、右派系な人のブログで、過去、石原知事の発言を、言論の自由の観点でしか擁護してない人、総合的な政治手腕の点から消去法で石原さんしか投票する選択肢がない、とか言ってた人、そんな人はたぶん情強だ。逆に、問題発言が報道されるたびにマスコミに憤激してる人はネトウヨの可能性が高い。
私は日本は企業や公務員・公務員的な系列といったものが「大きな社会」のような「大きなメンバーシップ」を形成していたと思う。しかしこれは今後じわじわと解体され、なのに欧州風の大きな社会も築けず、米国風の自立と連帯もなく、人びとは細分化するだろう。
そして細分化された人びとの正義を吸収する形で、大きな政府が希求されてしまうのではないかと懸念している。ネットで見られる正義によるヒステリックなバッシングはその前兆ではないだろうか。その点において右派左派もまった同構造でもある。
そもそも日本の場合、「大きなメンバーシップ」を実質支えていた政府資産が巨額すぎた。だからここまで赤字が可能になっている面があった。よく日本の財政を家計に例えて年収の何倍もの借金というが、この奇妙な疑似家計は莫大なストックをもっているからのことだった。
この国家資産は、これまでは微妙に日本国民のメンバーシップをも担保していた。だから、国民はこの国家を信頼していたのだろう。困ったことがあれば、そしてそれが正義なら、国が補償すると確信しているし、正義があればそれが実現できると夢見ている。その正義の夢だけがしだいに大きな亡霊のように存在するようになるだろう。政府資産が潤沢にあるかぎり、この亡霊は維持できるだろう。
http://finalvent.cocolog-nifty.com/fareastblog/2010/10/post-ad8a.html
うわー
日頃左系のデモについて感じてた疑問点不満点が
参加者によって全部裏付けられたと言う感じがする。
左系の、っていうかカルチャーとして惰性でデモやってるある程度以上年齢のデモマニア連中だね。
その世代は左ばっかだったから結果的に「左系の」ってことになっちゃうけど。
「これこれの主旨です」って説明して人集めたら
それと違う内容を混ぜたりすり替えたりしてはいけない。
こんなの基本中の基本だろうに、厳密にされてない印象がある。
デモに慣れてるくせに一度もちゃんと考えてこなかったのか、
デモやりすぎて緊張感無くなった結果だらしなさや参加者の私物化が横行してるのか、まではわからん。
あの手のデモ行進は道路使用許可をもらって警察の先導で動くんだけど、列の先頭や端々で警察を挑発するやつが出てきた。お前ら、人に世話になっておいて、それはないだろ。
醜悪だよね。
仮に日頃から警察制度に何か不満があるとしても(ちゃんと自分の頭で考えた不満なのか、甚だ怪しいが…)
その場でお世話になっている、そうじゃなくてもただの現場の警察官に対して無礼や挑発に及ぶ。
1km歩いて宮下公園に戻ったところで、スピーカー持った、恐らくは主催者関係のやつが「今日は楽しかったと思いますー」。楽しんでどうする。
それそれ!まさに!
あの人達って、デモで唱えてる主張を、本気でどうにかするつもりが、ないよね!
人にわかってもらい、味方を増やし、自分達を律し、目的を達成するまでクレバーに努力する、なんてつもりはさらさらない。
警察への馬鹿馬鹿しい挑発と同じく、自分や自分達の興奮や高揚のためにやってる。
別に日常がつまらないのや何らかの慰めを求める心理を見下したりはしない。
普通に生活してる人のほとんどはそんなもんだ。
が、それに大仰な大義名分をつけて人に迷惑かけながらキャアキャアやるのが醜悪すぎる。
普通に地元の祭りに参加するのでは満たされない、歪み膨張したプライドや選民自意識があるのだろう。
というより上で述べたようなダメなデモするダメサヨクは在特会が大好きで
完全に同レベルの同類だから。匂いでわかるんだろう、同じカルチャーの担い手だってことが。
近頃デモ整理する警察官ぐらいしか相手してくれなくてつい挑発しちゃうさびしんぼうにとって
久々に現れた実感ある闘争(笑)を楽しめる、いいお友達。
あいつらはいい年した珍走団、珍走の癖して自分達の醜悪運動会を高尚なものだと言い張るカスなのだから
中核メンバーは中高年だから勝手に消えゆくカルチャーではあると思うが。
上記はあくまで中高年醜悪運動会の類を問題にする物で、
CNN http://edition.cnn.com/2010/WORLD/asiapcf/10/02/japan.anti.china.protest/index.html
とWSJ http://online.wsj.com/article/SB10001424052748704419504575527664218726440.html
とAFP http://www.google.com/hostednews/afp/article/ALeqM5hNfgT_yOUO0w_vVwz170-98KfWlg?docId=CNG.7bb3329fbab3923d23b175eda2b0410f.6a1
が記事にしていた。
日本の暴力団や右翼団体は在日朝鮮人が主体となっていて、政治的な主張は金集めの建前でしか無い。
しかし、少数では有るが、政治的な主張が本音の団体も、存在する。今回渋谷を始めとして、日本の各地で集会とデモを行ったのは、そういうグループだ。
福岡で、中国からの観光客を乗せたバスを進路妨害して、旅行代理店からみかじめ料をせしめ取ろうとした街宣右翼とは違い、集会の許可や道路使用の許可をとって反民主党デモを行ったという話である。
今回は規模が小さかったようである。しかし、中国漁船の乱暴狼藉を記録したビデオの公開があれば、もう一荒れくるであろう。公開しなければしないで、日本政府の主張は嘘であると中国は攻勢に出てくる事になる。
サヨク学生や会社がらみの賃上げデモであれば、学生組織や会社組織といった後ろ盾の意思で行われる政治運動だが、右よりの思想でのデモや集会は、そういった後ろ盾が無い状態での運動という事であり、国民自身の自発的な行動と言える。
この手の右派デモが、日比谷公園で集合し、霞ヶ関を経て永田町という、サヨクデモのパレードコースに進出するのは、いつ頃になるのだろう。隼町交差点が封鎖されて、学生運動時代を思い出した民主党議員や大臣が、民主党本部ビルから石や火炎瓶を投下しているなんて事になると面白いのだが。
世間の小沢一郎に対する評価を見ると大体こんなものばかりだ
一つ目は個人的にはあまり気にしていないので、ここでは触れない。
金に汚いのも事実だろうし反論も難しい。
政治が愛国とか売国の善悪二元論で語れればもっと簡単な世の中だろう。
小沢一郎の評価で多いのは「自分のことしか考えていない政治屋」というもの。
だが、政治で最も難しいのは「政策を考える」事ではなく「考えた政策を実行に移すこと」である。
そして小沢一郎がかねてから言っているのは、「官僚主導から政治主導へ」ということ。
現在のシステムでは実のところ誰が権力を持ってもさほど大きな変化をもたらさない。
時の権力者が独りよがりで大きな変化を起こそうとしても、すぐに潰される。
潰される理由は簡単である。
現行のシステムを変えることに対する反発が仲間内から出てくるからである。
何故仲間内から反発があるかというと、「現行のシステムを変えることによる旨みがない」からである。
だったらどうするか?
「それが仲間内全体の旨みに繋がる」ようにすれば良い。
これまでの小沢一郎の行動は全て「二大政党制のため」の一言で片付けられる。
二大政党制とはどういうことかというと、
「選挙前に各党がマニフェストを掲げる」⇒「その党が与党となった場合にマニフェストを実行に移す」
これだけである。
もしも実行に移せなかったら、実行には移したけれども成果が挙げられなかったら、国民は失望してその党は次の選挙で大敗する。
つまり「一度掲げた政策を実行に移す」事が自分達の利益に繋がる(実行できなかった場合には不利益だけ)。
だから死に物狂いで政策を実行に移す。
更に、生ぬるい政策を掲げても選挙には勝てない。
そうなると選挙前にはかなり無茶な政策を掲げ合う事になる。
勝ってしまったら実行に移すしかない。
利害関係なんてそっちのけ、必死に実行する、でないと自分自身の政治生命が終わるのだから。
現在の与党にそこまでの必死さが感じられないのは、「どの程度本気でやれば国民が納得してくれるのか」がわかっていないからであろう。
これが選挙の大敗に繋がって痛い目を見たときに初めて努力が足りなかった事に気付くであろう。
そう考えると、前の総選挙で大敗したあの党の方が先に目覚めるかもしれない。
だが、政治主導になった場合、選挙で選ばれた人間が官僚を動かす。
これは民主主義国家では普通の事であるが、とても危険な事でもある。
「国民に有益そうな政策を掲げる人間」「外国に対し強気の人間」
色々と挙げられる。
日本ではこれまで海外と比べ政治家が「国民に対する人気取り」のようなパフォーマンスをした事は殆どない。
そう考えれば政治主導というのは政治家が「自分の愛国心をアピールいかにするか」が主体となり、永田町も右派の集まりに変貌するのではないかという期待もある。
日本の経済がそこそこ上手く行っているうちはそれで良いかもしれない。
上手くいかなかった場合にどうなるか?
「今の低迷が外国によるものだ」という事が次第に信じられるようになっていき、国民が戦争に駆り立てられていく。
勿論これは極端に国が低迷した場合の極論である。
今の日本は不景気ではあるが、外国への敵意を煽るような発言が馬鹿にされているので、まだそこまで追い詰められているわけではない。
もう一つはマスコミの影響力である。
マスコミによって選挙の結果が左右されるような状況のまま政治主導になった場合、国家の政策のキャスティングボードをマスコミが握る事になる。
そうならないようにする為には、現在の政治無関心の国民が少しでも多く政治に関心を持つことなのではないか。
別にどの党に入れても良い、ただ自分で考えて入れるだけ。
そう考えると、「今の日本に政治主導はまだ早いのではないか?」と思ってしまう。
「二大政党制が日本に合わない」という意見もあるが、一理ある。
これらを踏まえたうえで、小沢一郎を支持するかしないかを考えるべきではないかと思う。
働くのが怖い。確かにそうだ。
人と接するのが怖い。確かにそうだ。でも、自分はこれまでは出来るだけ人と接してきた。でも、結局は人と接しても疲れるだけだ。
一人暮らしをしてみて、一人でいるのが当たり前になると、人と接するのはどんどん疲れることになる。寂しいときはネットで繋がって適当な時間まぎらわせばいい。
何も自由を犠牲にしてまでリアルなつながりを求める意味はないんだ。好きなときに好きな時間だけ繋がることが出来る。リアルの不自由なつきあいではムリだろう。
その延長に、働きたくないということがある。
まず自分が一番に感じるのは、特定の組織に属する恐怖。これは、その会社がいつつぶれるか分からないから怖いという超低次元の話ではない。
特定の組織に属するということは、特定の視点を持たざるを得なくなるということだ。それが怖い。
自分は常に遠い視点から物事を見ていたい。もちろん人間には難しいことではあるが、組織に属さないということでも、他の人よりはかなり視野を広く出来る。
これは何も会社に入っているかいないかというだけの話ではなく、学校や、特定のウェブサイトにだけ通っているとかそういうことでもまた違ってくる。
2ちゃんねるに入り浸ると、2ちゃんねるの価値観に染まってくる。2ちゃんねるの価値観なんてないと思うかもしれないが、大勢を占める意見というのは存在する。確実に。それが社会の持つ性質だ。完全にバラけることなどない。人が集まり社会を作れば必ずそうなる。だからこそ、2ちゃんねる=ネットになってはいけない。
新聞をいくつもとるというのは、現代的に言えばネットでたくさんのサイトから情報収集をするということと同義だろう。近頃はネット言論などということを言い出す勢力までいて、確かに日本では2ちゃんねる系の右派(右翼もどき?)がWikipediaを不当に改竄したり色々問題が起きてはいるが、ネットは広いのでそういう人ばかりではない。
というか、ネットが出来たことで、リアルを絶対視する理由はなくなったと言ってもいいだろう。リアルを過剰に絶対視し、ネットを軽蔑する人間の多くはネットがない半生を過ごした老人達(40歳程度の人間も含む)であり、社会の抱えるカオスという面を無視してネットの闇などと平気な顔で語る老害たちだ。
話を戻すと、働きたくないのには、まず組織に属したくないというものがある。
そして次に多くの働かない人々が言うような、組織内に存在する陰湿な部分への嫌気だ。
組織に属し組織の教育を受け、組織のために尽くす。昔なら美しいイメージで語られていたのだろうが、自由な世界を望む自分から見たら吐き気をもよおすようなイメージだ。
学校などは教師という絶対権力者の頭が古すぎるために、子供がまるで何十年か前の人間のような物言いをする。ネットに触れた人間はそれら教師達の言葉がもはやこの世界では古すぎるということを理解出来るのだが、今度は自由な世界を望むはずの大人が「ネット規制をしろ」などとほざき始める。
自分はまわりが田んぼだらけの田舎に生まれたが、洗脳教育に染まらずにここまでこれたのはネットの力が大きかった。当時ネット環境が家にある家庭は(田舎だから)ほとんどなく、自分はまわりの子供よりも2段階ほど大人になるのが速かったのかもしれない。という大それた話より、自由な世界を垣間見ることが出来たのが大きかった。学校が全てではない、学校で教えられることが全てではないとはっきりと確信出来た。
働かない自由、それは現代で言えば組織に属さない自由ということになる。
このような視点を持って働くことを拒否している人間は少ないだろうが、遠くから世界を眺めることで見えてくるものに自分はおもしろさを感じる。
しかしそれで金儲けをしようとは思わない。それのどこが悪いのだろうか。
結局彼ら(働く人々)は投げやりな態度でこう言うのだ。「金に困ってないならいいんじゃないの」と。結局彼らはその程度の理由で働いているのだろう。別に同情するつもりはないが、何と自分に嘘をつくのが好きな人たちなのだろうと不思議な気持ちだ。
働かない自由、それが次世代のキーワードになるだろう。