はてなキーワード: 内閣人事局とは
http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/090727/stt0907270906001-n1.htm
民主党は26日、国家公務員の幹部人事を一元化する内閣人事局について、現在の政府・与党が目指していた来年4月の設置を先送りする方針を固めた。民主党が政権を獲得した場合、公務員への労働基本権付与のあり方を検討し直す必要があるためで、関連法案を来年の通常国会に提出するには、内閣人事局の設置にさらに時間がかかると判断した。
公務員制度改革に関する政府の関連法案は、省庁の縦割りをなくし、内閣主導の人事を可能にする内閣人事局の設置が柱。だが、先の通常国会で衆院解散となって関連法案が廃案となったことから、民主党として新たに法案を策定する必要が出てきた。
民主党が、労働基本権の付与にこだわりを見せるのは、労働基本権の付与を求める官公労や自治労が、同党の支持団体である日本労働組合総連合会(連合)の傘下にあり、これら労組の意向に配慮せざるを得ないためだ。23日に発表した政策集でも、「公務員の労働基本権の回復」を明示している。内閣人事局の設置を急ぐあまり、労働基本権付与について結論を先送りすれば、政策集に明記した公約との整合性が問われることも考慮した。
そもそも、省庁が増えすぎて、問題が発生した時に、どの省庁に割り振れば良いのかの判断が難しくなった上に、複数の省庁にまたがった問題である事が判明した時に、天下り先が作れそうなら奪い合いになり、作れなさそうならば押し付け合いになるという状況にあきれ果て、縦割りがまずいという事で、複数の省庁をまとめて総数を減らしたのが、省庁統合である。
省庁統合によって大臣のポストも事務次官のポストも減ったわけで、死ぬ前に一度で良いから大臣をやって、自宅の門前に簡易交番を置いて警官に立番してもらいたいとか、事務次官をやってから天下りたいといった、筋違いの欲望を抑制しなければならなくなった。
小泉改革が、当選回数が多い大臣候補クラスの代議士や事務次官までもう少しという所まで競争してきた官僚にとって、蛇蠍の如くに嫌われていたのも、むべなるかなという所である。
それを引き継いだ安倍政権は、少なくとも、行政においては間違った事はしていない。ただ、国民の支持によって支えられているという支持基盤を、衆議院の3分の2という数字でしか認識できなかった為に、衆参同時選挙に踏み切れず、参議院で負け、直近の民意という錦の御旗を野党に奪われてしまった。衆議院の3分の2を振り回すのに、やたらと苦労ばかりするようになっていき、ついには投げ出さざるを得なくなった。
問題は、福田政権である。小泉・安倍時代の反主流派を取り込むために、消費者庁の新設という方法で、大臣級や事務次官級のポストを増やし、方針を転換してしまった。軽い神輿になり、小泉・安倍時代の反主流派に力を蓄えさせてしまい、あげくに、小泉改革を完全否定する悪役を押し付けられる状態になった。プッツン辞任と言われているが、そうでもしなければ、面子が維持できなかったのであろう。
小泉・安倍時代の冷や飯食いが主流派に返り咲いた麻生政権は、反動といっていいぐらいに、昔に戻っている。それも、森・小泉になる前の、財政赤字を膨らませてしまった小渕政権に近い状態にある。小渕内閣では6194億円分の地域振興券をばら撒き、麻生政権では2兆円の定額給付金をばら撒いている。小淵内閣では30兆円をバブル不況の景気対策に使い、麻生政権は事業総額75兆円をアメリカ発経済危機の景気対策に使おうとしている。
小淵内閣の時の30兆円にまるっきり効果が無かった事が検証済みなのに、なぜ麻生内閣はその倍以上の景気対策を行おうとしているのか。答えは簡単で、景気対策という建前を使って、選挙区や天下り先にじゃんじゃん現金をぶち込もうという話だからである。
麻生氏自身はこれで景気が良くなると信じているかもしれないが、回りで誉めそやし、協力すると申し出ている人々は、自分自身の景気が良くなるが、日本全体の景気がよくなるとは、微塵も考えていない。これでオラが地盤や金庫にごっそり金を引っ張れるとほくそ笑んでいるのである。
内閣人事局構想は、問題が発生した時に、その問題を担当する官僚を一人から複数名つけて調査させ、問題解決に必要な省庁に政治任命として送り込み、問題が解決したら、次の問題に当たらせるというやり方で、縦割りの省庁を横断して、問題解決に当たらせる為の手段でもある。
頭の悪い人のとりうる最善の策は、自分の頭を使おうとせず、頭の良い人の智恵を借りる事である。もっとも、自分の頭の出来が悪い事に気が付けないほどだから、悪い頭で精一杯考えて、正しいと思い込んで間違った事をやらかしてしまうのである。
小淵内閣の景気対策は失敗だった。しかし、2000年6月25日の第42回衆議院選挙は自民党の圧勝であった。2000年5月14日に、現職首相のまま小淵氏が死亡した為である。今年の9月までに行われる衆議院選挙で自民党が勝つ為には、同じ事をやる必要があるかもしれない。ばら撒きや地位は欲しいし、与党であり続けたいという欲深き人々は、どう動くのであろうか。軽くて馬鹿な神輿でも、使い方次第で役に立つ。もちろん、そうなる前に、福田氏のように逃げ出すという展開もありえるのだが、首相として外交がやれると有頂天になっているので、状況が見えてないかもしれないねぇ。
国政を担う者が地域の利権代表に堕してしまうのが多選の弊害であり、世襲は多選の一形態に過ぎない。本来ならば多選を規制すべきであるのだが、国替えはしたくないので、世襲を規制する事で多選禁止の骨を抜こうという狙いであろう。と、同時に、選挙が終わったら世襲禁止も骨抜きにするという展開までありえる。非世襲議員と言えども、地盤を固めた後は自分の直系子孫に世襲をしたいと考えるであろう。そういう人情に訴えかけて黙らせれば済む。
中央省庁の幹部人事を一元管理する内閣人事局構想は、政治が中央省庁の幹部人事に介入するという事である。課長級くらいまでは省庁内の純粋培養で恥を晒さないように教育する必要があるだろうが、それ以上は、政治任命によってでしか上がれないという制度を作り、官僚を政治家が使えるようにするという構想である。と、同時に、働いてくれた官僚には、相応の身の振り先を用意しなければならない。それは、当然、自身が政治家になるという事である。政治家が官僚よりも上になるというのであれば、官僚から政治家へと進むのが、当然の進路となるし、どこの馬の骨ともわからない政治家に使われるくらいならば、事務次官まで勤め上げた官僚出身の議員に使われた方がマシとなる。
その為には、落下傘候補を定期的に押し込める選挙区を作らなければならない。多選規制は、その為の手段である。内閣が変わる度、大臣が変わる度に、議員候補が生まれてしまうのだから、それを押し込める先を作らなければならない。死ぬ前に一度でいいから大臣になりたいと、無責任なポストのばら撒きをやめさせる効果も期待できる。
世襲を制限するのでは、引退する議員の後釜にしか落下傘候補を押し込めないという事になるし、議員の秘書への地盤の譲渡は世襲ではないという理屈で、後釜に押し込む事すらできなくなりかねない。これでは、官僚の身の振り先は今まで通り天下り先という事になり、国家の為に働く官僚は出てこない。省庁の傘下に天下り先を作り、そこに天下る為に、省利庁益の為にしか働かなくなるのである。埋蔵金を削り、天下り先を削るならば、その代りとなる場所を作らなければならない。
知事よりも少ない支持しか得ていない人が首相になるという事に矛盾を感じないという現実把握能力の欠落を問題にしなければならないのであろうか。