はてなキーワード: 系譜とは
忍者が「散!」の掛け声でシュバッと解散する表現を最初にやったのはどのフィクション作品なのだろう
気になるねえ
実在した本物の忍者も「散」の掛け声を使用していた……というわけではあるまい(未調査)
うおーこれ調べるの大変だ
これ以前にもあるとは思うんだが……いわゆる忍者ものの歴史は長い、昭和中期ごろから沢山書かれている
うーん、『忍者ゲーム「散!」』というゲームが引っ掛かってしまって思うように検索が捗らない
例えば『忍法帖』シリーズなんかで「散」の掛け声を使っていたのかどうか、とか……内容ほとんど知らないからこれを機に掻い摘んで読むか見るかするのもいいか……
『忍者学大全』という本があるようだが「散」に言及あるかしら……8000円もする!流石にぽちっと買えない値段だ
角川選書から出ている『忍者の歴史』あたりを先に読んでみるのがいいか
あと、こういう初出調べにはこのまとめが役に立つ
元祖や系譜、起源、お約束、新語などに関する「まとめのまとめ」&関連リンク 『初出・系譜ポータル』 - Togetter
ずばり「フィクション作品における忍者のイメージの変遷」みたいな先行研究がどっかにありそう
それを一本釣りできれば最高
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そういえばアニメの『忍たま乱太郎』でも「散!」の掛け声だったかどうかは忘れたけれどシュバッと解散するシーンがあったような気がするな……
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虐待されていた
今でこそ5人に話せば5人全員が驚いた顔で「それは大変でしたね」と言ってくれるような生活ぶりだったものの、
虐待されている最中にはそれを説明する言葉を持たなかったので、周りの人には信じてもらえず、
虐待内容そのものよりも、周りの人から「被害妄想の強い子だ」と思われているのを察するのが辛かった
特にいい人が「困った子だなぁ」という苦笑を浮かべ、やんわりと離れていくのが悲しかった
今ではもっともな対応であり、私がまともな人だと思った人はやっぱりまともな感性を持っていると再確認する一方で、
やはりそのまともの輪に自分は入ることができなかったのが心に暗い影を落としている
子供なりの精一杯の考えと努力も、家庭環境という重く暗い渦から逃れる術にはなり得なかった
足掻けば足掻くほど沈み、努力も工夫も系譜という鎖の延長線から外れることのないことを知り、
現実と地続きに存在したかつての絶望は、それが遠い過去になった今も、時々現実の些細な出来事をきっかけに眼前に現れる
引きずり込まれ、呑み込まれ、全てが無価値になる絶望だけの生に塗りつぶされる
人々の日常の平穏さの延長線上、たとえば薄い集合住宅のドア一枚を挟んだところに、
どれほど人の尊厳を無意味にする支配と暴力が巧妙に隠されているかを知っていて、
それが忘れられない。生きているすべての瞬間に、自分を無価値だと感じる瞬間への暗示がかかっている
それらは誰にも届かないし、誰にも価値を認めてもらえない
だから人の価値観に身を委ね、人が好きだと言ったものだけを私の判断基準に据える
私には得るものがあっても、私が見せることのできる新しい世界はどこにもない
私の本当の、暗い世界は人には見せられない
他の人が溌剌とした生を謳歌する時間を、ひたすらに生きるための忍従に費やした
城は私が動揺するたびに音もなく崩れる
崩れる前、どんな形をしていたかも覚えていない
人は人格というものを確かめ合うためにこの城の形を確かめるものだから、
慌てて急ごしらえの城を建て、それらは一時的に人の目に留まり、
次に会う時には全く異なる城ができている
大きさはさほど変わらず、形は既に原型を留めない
城は本来、人生と共に増築されて大きく、深くなるものだけれども
私は変化し続ける奥行きのない城を建てては壊している
思い出話の中で、ふと他の人が私について話してくれることがあり、
記憶の茫漠の彼方の、私にとっては他人事のようなそのエピソードを聞くと、
私より他の人の中に私の影が残っていることを知る
私の中に私はいない
私はいないし、私以外の誰もいない
それを証明できる私がいない
それでも生きている
生きながら死んでいて、死んでいるのに消費している
今日もまた窓の外が明るい
昨日、博多駅の丸善にユリイカのpanpanya特集号とpanpanyaの漫画を買いに行った
panpanyaの漫画は大分前に全部手放してしまったから、買いなおして評論と読み比べながらニヤニヤしようと思ったのだけど、漫画の方は一冊も売ってなかった
バスターミナルの方も行ってみたけど、こちらも一冊も置いてなかった
仕方ないのでユリイカだけ買って、今日地元のイオンのヴィレッジヴァンガードに行くことにした
久しぶりに渡るイオンの建物二つをつなぐ陸橋は塗装が剥げたり、階段部分の金具が錆びたりしていて時の流れを感じさせた
陸橋を歩く間に祖父母と小学生くらいの子供という組み合わせにのみ二度すれ違い、60歳で第二次性徴来る世界みたいだって思った
建物の中に入って、エスカレーターに乗った時にそばに硬貨を入れて動かすタイプのマッサージチェアが3つ並んでいた
頭まで覆いかぶさるタイプの近未来的なデザインのやつで、見たままをいうと宇宙船の操縦席みたいなやつ
三席とも埋まっていたんだけど、一番右端の席の人が気持ち良すぎて眠ってしまったのだろう
太ももの上とかに置いていただろう、アクエリアスのペットボトルやオロナミンCを床に落としてしまっていた
陶芸体験をやっていて、子供たちが手を泥だらけにしているのがエスカレーターから見えた
人があまり集まっておらず、ショッピングモールの煌々とした照明とつるっつるの照り返しのある床の間での陶芸は少し異質に思えた
清潔感を保ちながら誰かの生活になじんでいるイオンには、子供時代に読んだSF小説で描かれた未来の生活感を少し思い出した
他に目的もなかったのでヴィレッジヴァンガードでpanpanyaの漫画数冊と座薬みたいな見た目のソフトキャンデーを買って帰った
ユリイカを読んだら、panpanyaの漫画って私小説な感じとか、写真から風景を起こして書いている感じとか、水木しげるとかつげ義春の影響あるよねとか書いてあった
路上観察とかの赤瀬川源平の系譜だと思って読んでいたので、そういう考え方もあるかと思いながらパキッとソフトキャンデーの皮膜を奥歯で噛んで潰してねちっこい甘さを味わった
浅野いにおは写真加工で風景作っていたよなと思い出し、手で書かれているか加工しているかの違いこそあれ、ヴィレッジヴァンガードは風景が写真元な漫画を好んで置く習性があると思った午後だ
いや「ナチュラル」は単なるバスケ漫画じゃないよ、最後銃を持って逃げる子供の不安なシーンとかでてくるし、弓道クッソかっこいいとおもうし
そんで一応、スピンアウトほどじゃないけど「アレキサンドライト」とおなじキャラがいい脇役ででてくるし、
「アレキサンドライト」は明確に「サイファ」のスピンアウトなので成田美奈子はこの20年くらいはもうずっと世界観がつながってるんよ
そろそろアレキサンドライトの主人公(女顔コンプレックス)はジジイとまでいかんでも中年にはなってるだろうしみてみたいな~なんておもうでしょ
その系譜を継いだ日本人キャラがナチュラルで監督してるような気がするんよね。まあ弓ひいてるほうが年は近いけど時代が違うか。
なかなかいいもんやで
昔の作風なので俺もそんな合わない
手塚治虫って自分の作品を後から時代に合わせる形で改変するのだが、改変前よりイマイチになってるの多いよね
有名なのでいうと「新寶島」は最初のオリジナル版(合作)と改変版だと全く違いすぎて、
改変後のを読んで「えーこんなので藤子不二雄が衝撃を受けたのか」とガッカリするが、オリジナル版見ると感動する
なので、古い作品ほど、なるべくオリジナル版で読んだ方がいいと思う
あと偉大なのはストーリー漫画を量産する仕組みを発明したことだと思う
昔言われてたコマ割りが映画的、みたいのは「手塚以前からホラ、こんなのがあるよ」と系譜が指摘されてるのだが、そういう映画的なレイアウトが凄いとか以上に、映画みたいなストーリーをマンガでやる、短編でなく、ギャグでなく、単行本1冊分の長編ストーリーを次から次に送り出せるようなのは手塚治虫が発明したと言っていいんじゃないか
自分が書きたいストーリーを量産するために、コマを整理したりキャラクターを整理したりと細かいノウハウを整備舗装して、手作業の芸術家のものだったマンガを、近代化されたストーリーマンガ製造工場を打ち立てて産業化に貢献した産業人というのが凄い
『えっ、それフツーのサラリーマンの日常ですよね?女ってマジでどんだけ働く気無いん?』って描写があってドン引いた
ざっくり言うと、
書きながら思い出していてもドン引くのだが、
まぁなんやかんや商業誌に発表出来たということは、理解ある彼くんやら彼女ちゃんやらパパやらママやらを捕まえることが出来たんだと思う
あるいは、会社でリーマンやることのみ極端に耐性が低く、自身の作品を発表することに限定すればあらゆる苦労を厭わない人だったのだろう
まぁ要は、人は 『向いてること』(あらゆる苦労を厭わなくなるくらい好きなこと) と『向いてないこと』(あらゆることが苦痛になること)があるので、
しなくてもよい苦労はしなくてよいというこっちゃな
で、ワイが言いたいのはここからなんですけど、
たとえば、作家業は、100万部突破するような超売れっ子作家なら年収1000万円超え余裕だが、そうでない場合は、『祝!重版!○○万部!』の中ヒットや小ヒットを連発する必要があり、
そこそこ有名な作家でも、商業誌だけでは収入が不安定なので、同人誌も出して年収のバランスをとって1000万以上をキープしているみたいなんですけど、
まぁお金が御入用であれば是非そうしてくださいって話米?
哀れみを乞うたりせず、引き続き向いてることでがんばれ
職業が理解ある彼くんやら彼女ちゃんやらパパやらママに養って貰う人の場合もそう米?
哀れみを乞うたりせず、引き続き向いてることでがんばれ
時々、140文字で暴れている虚栄心ばかり強くて研究職にとても向いてなさそうな人らもそう米?
哀れみを乞うたりせず、引き続き向いてることでがんばれ
『能力のあるなし』や『障がいのあるなし』(四肢の可動や生命維持に支障をきたすものは除く)や『出産』や『介護』じゃ基本的に無いのよな・・・
嬉々として、庶民のお嬢さんお坊ちゃんを社会不適合者にするお姫様教育と少女マンガはいい加減なんとかした方がええですわ
『どんな仕事でも無限にかわりはいるが、家族のかわりはいない』は "事実" ですけど、家族が大事であろうがお家のお仕事向いてない人は向いてないんですわ
人は 『向いてること』(あらゆる苦労を厭わなくなるくらい好きなこと) と『向いてないこと』(あらゆることが苦痛になること)があるんだね
だから、嫁だから娘だから長男だからお金稼いでないからで、役割押し付けないで、プロを頼ってくださいまし
あと、お家のお仕事向いてない人がどうやってお家のことに関わっていけば良いか?って方向で考えましょ
(でも、これも万が一の時に、相続で強く主張するになんか違う・・・とは思うよな?お家のことたくさんやった人がもらうべきだ)
・良良良ー良・良良良だった
なんかもういろんな意味で良ッ
観るという判断をして良かった
・途中まで「水↓木↑さん、バチクソに令和の受けど真ん中だし自らエロ同人の導入みてえなシチュに入ってく…」という思考が半分占めててふーん、昭和倫理観+田舎御家騒動、やね…+チラつく墓場鬼太郎の「じゃ!」 で見てたけど途中なんかこのシーンだけ絵のレベルが段違いじゃない?なテラス戦闘シーンから「この映画、意外と社会派チックな事いいおる…そういうの、好き…」ってなって引き込まれていった
・導入の記者の人が見た廃村になった描写と当時の生活があった頃の様子の対比でイイネ!ってなった
・おっねずみ男とかコウモリ猫の系譜や!と思ったら本人だった 記憶よりふた回りほど小さくなっとる…? 基本コメディリリーフだけど「俺は手を引くぜ」の闇に消えるシーンとか人ならざる者感して好き
・水木さんのバチクソ受けっぽさは狙って作られたというわけでなく偶発的なものという感じがvery very goodすぎる
・鬼太郎父、水木さんにデレるの早ない?と思ったけど恐らく行間があるやつ
つまり近親姦で世代紡いできてた一族ってこと?それハプスブルグ家みたいにならない?だからショタは病弱だったんか!今合点した
・夫婦再会シーンで引きで映る地面に転がってる瀕死状態の水木さんすき
・たまにある鬼太郎ピンチ回に出てきそうな妖怪がゴロゴロでてくる 鬼太郎父つよい
・後半の主張の感じは説教のかほりがするなあと思わなかったと言ったら嘘になるが元の鬼太郎は児童向けアニメやしズートピアのラストみたいな「言葉にして作品の言いたいことを固める」あった方が観るがわの心構えの方向性が示されてええかと思ってみてた
平日の朝イチ回だから
己みたいな層しかいないと思ってたら意外とおじさん客・男性客いて驚いた
・思い返すと「世代交代」とか「全体主義と個人のいのちだいじに」とか「ご先祖様の血脈→あっこれ鬼太郎くんのやつや!タイトルや!」とか複数テーマが滅茶苦茶匠なバランスで的確に描写されとった…もう電車でタバコガンガン喫煙してたり吸殻ポイ捨てしたり細かい描写の積み重ねが「時代の倫理観」「今から見ると引くけど当時はみんなやってたから普通だった」を確実に伝えてテーマと絡めて「伝えて」きおる…スタッフさん天才か?
・全体主義に見せかけた「おまえら特攻してこい」→「隊長は?」で首の「死んだら、アカ~ン!」本人の見えないとこで舌ペロを思い出した
・エンディングロールからも最後の最後まで良すぎじゃん…水木神原作の「鬼太郎を育てることになる」単話だけ予習してたから(いろんな意味で)これ最後どうやってあの流れに着地するんや…と思って見てたらアッ白髪……そういうの好き……アッ…エンディングが漫画なのだあいすき…アッ…虚しく宙をかく鬼太郎父の腕…でも魂に刻まれてる…そういうの好き好き侍…アッ…最高…で終わってた