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はてなキーワード: 帝銀事件とは

2019-07-20

anond:20190720001429

どう考えても無実だったり10%しか疑わしくない相手なら、そもそも死刑判決なんか出ないのが普通だろって話だよね。

いやあなたの言うことは思考実験としては分かるけど、現実的感覚としてはね。

割と衝撃なんだけど、袴田事件とか知らない? 名張毒ぶどう酒事件は? 私はどっちもどう考えても冤罪だろうと思うんだけど。波崎事件もかなり冤罪っぽいと思わない? 帝銀事件はどう?

どれも昔の事件だって? じゃあ今回の京アニ放火事件と引き合いに出されることが多い大阪個室ビデオ放火事件は? 先日日弁連支援を決定したので冤罪である可能性がかなり高いよ? 和歌山毒物カレー事件冤罪じゃないかと言われてるよね。

免田事件松山事件、財田川事件島田事件なんかは死刑囚が再審無罪判決を受けている、つまりは完全な冤罪死刑判決が確定してたわけだけどどう思う?

最終的には無罪になったけど死刑判決が出た、という事件は、たとえば幸浦事件とか二俣事件とか色々あるわけで。最近若い人は「まだ最高裁がある!」って知らないんだろうなあ(ちなワイ平成生まれ

完全に無実ってわけじゃないけど、たとえば川端町事件みたいなケースもあるわけで。

無実の人やおそらく無実であろう人に死刑判決は出まくってる。これらの事件を列挙するだけで死刑廃止を支持するには十分。

2018-07-07

死刑が不可逆的であることについての奇妙な反論

死刑存廃問題に関してはいろいろと意見があってもいいと思うし、とりわけこのような凶悪犯罪に関してやはり死刑必要ではないかという意見も当然あってしかるべきだと思う。(EUですでに廃止している国でも、国民意志としては死刑存置のほうが多かったりするし)

今回気になったのは、「死刑は不可逆である」という意見に対する下記のような反応だ。

http://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20180706182250

懲役10年の後に冤罪わかっても不可逆じゃん。冤罪問題なら懲罰全部無理やんけ。

増田は、わずかな確率であっても、増田増田の大切な人が、冤罪で(長期の)懲役刑になること(受刑中死亡する場合も含む)を許容できますか?許容できないとしたら、(長期の)懲役刑は廃止すべきだと思いますか?

http://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20180706182250

死刑は不可逆というのがいまいちわかんないんだよな。懲役は可逆なのか?不可逆だよね?

例えば袴田事件。もし日本司法根本から腐っていなければ、きちんと再審して名誉回復は出来たはずだった。実際は高裁再審請求棄却になってしまったけど、それでも袴田さんは二度と収監されることはない。袴田さんの失われた人生はもちろん帰ってこない。45年もの長きに渡って死に怯えながら暮らした日々は不可逆だ。しかし、地裁執行停止判決を下したことで、一定名誉回復された。死刑執行していれば、どうなっていただろうか。

四大冤罪事件といわれる、免田事件島田事件、財田川事件などもそうだ。これらは再審無罪によって正式無罪が確定し、名誉回復されている。

そもそも日本司法は、死刑が不可逆的であることを十分に理解している。名張ぶどう酒事件や、帝銀事件などに関しても、受刑者は結局、死刑執行されないままに獄死している。結果的に、冤罪の疑いがある死刑判決の多くは、刑が執行されないまま事実上終身刑という形になってしまっているのが実情だ。しかも、日々処刑されるという恐怖に怯えながらの終身刑終身刑であれば、常に再審請求のチャンスが有り、DNA鑑定のような新しいテクノロジーの出現により真相が明らかになるチャンスがあるが、死刑執行されたあとの再審開始は極めてハードルが高く、困難であり、そして仮に無罪が確定したところで、釈放されるべき被告人存在しない、ということだ。

実際、冤罪の疑いがあった飯塚事件に関しては、遺族の再審請求却下されている。死刑執行したあと「あれは間違っていました」という判決は、とても下せないだろう。

から死刑廃止しろ、と主張しているわけではない。この増田で書きたいのは、「死刑は不可逆である」という意見に対して「懲役刑も不可逆的である」という反論は成り立たないということだ。常に本人から再審請求のチャンスが有る懲役刑と、刑が執行されたあと事実上再審不可能である死刑イコールではない。

2016-02-27

理系文系より優れてる点は過去犯罪履歴を辿れば分かる

劇場型犯罪者の多くが理系

物取りや窃盗のような小さな犯罪の多くが文系

かの毒殺魔グレアム・ヤングもやはり理系化学が大好きだったという。

砒素中毒林真須美もやはり看護学校時代毒物に異常な興味を示したとか。

帝銀事件では厚生省職員を名乗る男が毒物による集団殺人を敢行している。

すなわち理系が最も文系より優れているといえる点は、犯罪に対してどれよりも貪欲かつ残忍な行為を好む人物であるという点だろう。

なるほど文系には決して真似できない境地である

正に人格異常者あるいは破綻者ならではだ。

2011-03-19

今だったら簡単に帝銀事件起こせそうだな。

放射能の予防薬で~す♪って

2011-02-11

東大生になったら受けたい、たったひとつ講義

東京大学ご入学、おめでとう。

これからは残された青春時代を謳歌しながら、自分のやりたい勉強にむかって突き進んでいくことができます勉強したいことがない人も、友達と酒を飲めばそのうち見つかるので気にせずにキャンパスライフエンジョイしよう。

それぞれの興味関心が違うので、絶対に受けるべき授業ってのはホントはないと思う。

どういう授業に感動するか、好奇心をくすぐられるかはひとによってまちまちだろうから

それでも、大学人になるにあたって、大学空気に慣れることも必要なように感じる。

その点で僕は、総合科目Aの「科学史」、小松美彦教官講義おすすめする。

東大先生はないのだけれど、毎年夏学期に行われているから、彼の定年まで続くのだと思われる。この授業にぜひ潜ってほしい理由は、次の3点である

ひたすら高圧的で、何をやっているのかわからないメディアミックスな授業

まず、この授業は「科学史」ではない。まごうことなき「生命倫理」の講義である

彼の専門領域である臓器移植」の問題をてがかりに、「死」についての見識を深めていく。

でも、授業内容ははっきりいって意味不明である

高校教師』という昔のテレビドラマを見せられ、最後に愛の逃避行をしたふたりは「死んで」いるのかどうかを問う。

帝銀事件」という日本を騒がせた事件を取り上げ、人体実験のありかたを問う。

かと思ったら、突然ハイデガーとか哲学者の話をし始める。

最後の授業では『あしたのジョー』がどういうマンガかを語り、1時間以上延長する。

それらはすべて「生命」というタームで結びついているのだが、高校まで単調な座学を受けてきた人間には意味不明に感じると思う。

そしてこれらは、基本的に教官意図強要される。教官意図と異なることを言えば、なぜかキレられる。寝てたらチョークを投げられる。なんとも理不尽な授業である

自分意見をぶつけることができる自由さ

しかしそうした教官の高圧的な態度に、反逆できる機会が与えられている。

「授業のボイコット」と「期末テストである

教官ははじめにこう言うのである。「テストは『授業受けた人用』と『授業受けなかった人用』の2種類を用意する」と。

つまり授業に一切出なくても、初回とテストさえ行けば、単位は取得できるのである。ここに、大学という組織がどういうものなのかが凝縮されているように感じる。授業はすべて、「教官のターン」なのである。「教官のターン」を不快に思うなら、授業に出なくてよいとあらかじめ公言しているのである

その代わり、「受講者のターン」である期末テスト」には出席を求められる。「受講者」は、授業や教官の著書に対して、反論を記すことが認められる。見事教官をうならせたら「優」、とりあえず書いたら「可」である。明瞭である

テストは、教官と受講者の勝負なのだ。教官が下す「優」は、「お前の解答には納得させられた」という白旗とほぼ同義なのである

大学という組織の成り立ちを垣間見る

授業に出なくてもよいという教官スタンスは、彼が全共闘世代であることにも関わっているように感じる。いま大学教官の下す「優」「良」「可」「不可」に振り回される学生が、支配に対し反逆した時期が45年ほど前にあったのである。彼の授業は、その時代を追体験させてくれるようでもある。

大学に反逆したものの多くは、今や予備校に流れている者が多い。小松教官が、東京大学出身であるのに東京海洋大学教授であるという肩書にも、何かあるのではないかと勘繰ってしまう。

大学というところは、授業だけ考えたらぬるいものである。だから意識の高い学生」は、やれ学生団体だの、サークルだのバイトだのに力を入れ、大学という組織の無力さを呪う。

しかしそうではない。大学の授業(講義ひとつ取ってみても、議論を活性化させるタネが転がっているのだ。ゼミのアットホーム(優しい・厳しいを備えた)な雰囲気も大学醍醐味であるが、マス授業の緊張感も味わってもらえればと思う。

楽しい大学生活を。

東大生になったら受けたい、たったひとつ講義

東京大学ご入学、おめでとう。

これからは残された青春時代を謳歌しながら、自分のやりたい勉強にむかって突き進んでいくことができます勉強したいことがない人も、友達と酒を飲めばそのうち見つかるので気にせずにキャンパスライフエンジョイしよう。

それぞれの興味関心が違うので、絶対に受けるべき授業ってのはホントはないと思う。

どういう授業に感動するか、好奇心をくすぐられるかはひとによってまちまちだろうから

それでも、大学人になるにあたって、大学空気に慣れなけれないけないように感じる。

その点で僕は、総合科目Aの「科学史」、小松美彦教官講義おすすめする。

東大先生はないのだけれど、毎年夏学期に行われているから、彼の定年まで続くのだと思われる。この授業にぜひ潜ってほしい理由は、次の3点である

まず、この授業は「科学史」ではない。まごうことなき「生命倫理」の講義である

彼の専門領域である臓器移植」の問題をてがかりに、「死」についての見識を深めていく。

でも、授業内容ははっきりいって意味不明である

高校教師』という昔のテレビドラマを見せられ、最後に愛の逃避行をしたふたりは「死んで」いるのかどうかを問う。

帝銀事件」という日本を騒がせた事件を取り上げ、人体実験のありかたを問う。

かと思ったら、突然ハイデガーとか哲学者の話をし始める。

最後の授業では『あしたのジョー』がどういうマンガかを語り、1時間以上延長する。

それらはすべて「生命」というタームで結びついているのだが、高校まで単調な座学を受けてきた人間には意味不明に感じると思う。

そしてこれらは、基本的に教官意図強要される。教官意図と異なることを言えば、なぜかキレられる。寝てたらチョークを投げられる。なんとも理不尽な授業である

しかしそうした教官の高圧的な態度に、反逆できる機会が与えられている。

「授業のボイコット」と「期末テストである

教官ははじめにこう言うのである。「テストは『授業受けた人用』と『授業受けなった人用』の2種類を用意する」と。

つまり授業に一切出なくても、初回とテストさえ行けば、単位は取得できるのである。ここに、大学という組織がどういうものなのかが凝縮されているように感じる。授業はすべて、「教官のターン」なのである。「教官のターン」を不快に思うなら、授業に出なくてよいとあらかじめ公言しているのである

その代わり、「受講者のターン」である期末テスト」には出席を求められる。「受講者」は、授業や教官の著書に対して、反論を記すことが認められる。見事教官をうならせたら「優」、とりあえず書いたら「可」である。明瞭である

テストは、教官と受講者の勝負なのだ。教官が下す「優」は、「お前の解答には納得させられた」という白旗とほぼ同義なのである

授業に出なくてもよいという教官スタンスは、彼が全共闘世代であることにも関わっているように感じる。いま大学教官の下す「優」「良」「可」「不可」に振り回される学生が、支配に対し反逆した時期が45年ほど前にあったのである。彼の授業は、その時代を追体験させてくれるようでもある。

大学に反逆したものの多くは、今や予備校に流れている者が多い。小松教官が、東京大学出身であるのに東京海洋大学教授であるという肩書にも、何かあるのではないかと勘繰ってしまう。

大学というところは、授業だけ考えたらぬるいものである。だから意識の高い学生」は、やれ学生団体だの、サークルだのバイトだのに力を入れ、大学という組織の無力さを呪う。

しかしそうではない。大学の授業(講義ひとつ取ってみても、議論を活性化させるタネが転がっているのだ。ゼミのアットホーム(優しい・厳しいを備えた)な雰囲気も大学醍醐味であるが、マス授業の緊張感も味わってもらえればと思う。

楽しい大学生活を。

 
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