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2022-06-24

日本人は本当に「いじめ」「パワハラ」を無くす気があるだろうか。

いじめがありますか?」と聞いて、「あります」と答える学校は無いに等しいだろう。

パワハラがありますか?」と聞いて、「あります」と答える職場は無いに等しいだろう。

日本人は本当に「いじめ」「パワハラ」を無くす気があるだろうか。

私が考える結論は「ない」である

そもそも日本人は「いじめ」「パワハラ」の要因に触れたがらない。

究極的なことを言えば、学校にせよ職場にせよ、すべての人が「勉強だけしに来ている」「仕事だけしに来ている」のなら、

いじめ」「パワハラ」は起こらない。あくまでも、個人で完結するものならば。

ただ実際は、一人の力ではどうにもならなかったり、教わったり教えたり、同じ教室や同じ職場の人とのやりとりが前提の事柄もあり、

他人と関わらないと成立しないことがほとんどだろう。

そんな中で、「上役から現実離れした要求をされていて、現実とのギャップを埋めなければいけない」とか「自分が有利に(気持ちよく)なりたい」という私欲が介在し始めて、

そこに対人関係アンバランスが生じる。

対人関係アンバランスとは、最近の言い方だと「マウント」に当たる。

現実とのギャップを埋める」ことは指示だと捉えるのが普通だろうが、現実離れしているものは「マウント」だと私は考えている。

その「マウント」、要は「人を支配する」ことが問題で、日本では伝統的に行われてきたのに、

それを変えようとする姿勢が無い。変える姿勢が無いというより、変えられない仕組みなのである

マウント」には、やれ声が大きいだの、上から目線だのといった「小手先のものから男尊女卑フェミニズムといった「人間学的」なものである

日本はこういったものに触れたがらない。放置する。そして、「男尊女卑ダメならフェミニズムダメ」といった両立思考をしない。

テレフォン人生相談加藤諦三先生言葉が思い浮かぶ

「変えられることは変える努力しましょう。変えられないことはそのまま受け入れましょう。

起きてしまたことを嘆いているよりも、これからできることを皆で一緒に考えましょう」

変えられないのなら、まずその場における「報酬(得られるもの)」と「ストレス」を比較して、どちらが上かを考えよう。

報酬(得られるもの)」が上なら、「職場学校)に居る時間だけは仕方ない」と考え方を変えよう。あるいは、割り切ろう。

ストレス」が上なら、周りに確認しよう。今、自分が感じているストレスを他の人も感じているのか。

そして改善できる可能性がある人に相談しよう。

それでも変わらなかったら、もうその場からは離れよう。

そして、これからできることとしては、職場に限った話にはなるが、

求人サイト求人雑誌などで「応募条件」が書かれている求人を見つけて、そこに書かれている「応募条件」のスキルを身に付けること。

できればそれは「求人数の多い業界」「求人数の多い職種」以外の求人が良い。

ハッキリ言って、職場学校)としての良し悪し(生産性なり成績なり)をヒューマンリソース人の力)に依存しているところ、

また、何かを教えたあとで「わからなかったら、聞いてください」と言ってくるところなんて、すべてブラック

パワハラを繰り返す職場学校)、ブラックと関わることはやめよう。

残念ながら、今の日本では「事前にわかる仕組み」がほとんどない。

口コミサイトがあるが、掲載する側が審査するので、表現が強いものは載せない傾向がある。

から過去現在に関わった人が余程、腹に据えかねているようなところでないかぎり、

本音掲載されている口コミサイトが少なく、気になったら、実際に関わってみるしかない。

2021-11-30

anond:20211130195200

札幌ラーメン屋は時給つきで求人貼ってあることが多いね

「これが時給900円のラーメンか…」ってなるので、店頭に貼るのやめといたほうがいいと思う

求人雑誌に頼むお金もないんだろうけどさ

2021-07-16

木屋町にあるキャバクラ黒服仕事をしていた

この日記の内容はみだしのとおりだ。京都での学生生活の4年間をキャバクラでの黒服仕事に捧げた。

年末のこと。コロナのおかげでストレスが溜まる中、ふと京都が懐かしくなって一人旅に行った。学生時代と社会人約十年目では、さすがに景色に差があった。いろいろと感じるものがあったので、ちょっとしたためてみることにした。

広島田舎から京都に出たばかりの、当時18才だった私は大学生活に憧れを抱いていた。第一志望ではなかったが、行きたいと思っていた大学だった。

4月はあっという間に過ぎた。入学式オリエンテーションサークル勧誘学部学科での新入生歓迎会、初めての履修登録、初めての講義、初めてのゼミ活動

楽しくもあったし、不安もあったけど、5月になって、まだあることをしていないのに気が付いた。

アルバイトである大学生アルバイトをするものだと思っていた。それ以前に読んだ漫画アニメでは、大学生はみんなアルバイトをしていた。

早速、求人情報掲示板を見た。インターネットではない。学生課の前に貼ってある物理的なやつだ。すると、学内カフェがよさそうな気がしてきた。時給もいい(850円だった気がする)。

その日のうちに、お店に行って店員のおばさんに声をかけた。アルバイトがしたい、と。

何分間か話した後、「土曜日シフトはいます」と告げると、大歓迎な感じで、「今度オーナーも交えて面接しましょう」と言ってくれた。私の携帯電話の番号を伝えた。

その翌日だった。知らない番号から着信があった。携帯が鳴っている最中ガラケー通話ボタンを押す直前に着信が切れた。

もう一度かけなおすと、女性の人が電話に出た。どうも話がかみ合わない。「こちからはかけていません」とのこと。どうやら、大学全体の電話受付窓口に繋がっていたようだ。でも学内の誰かが、私に電話をかけている……。

増田処刑はすでにおわかりだろう。あのカフェからの着信だったのだ。私はそんなことにも気が付かなかった。

それから3日が経って、あのカフェに行って、面接の件がどうなったのか聞いたところ、「オーナーに、あなた電話に出ないと伝えたら、もう面接はいいって」という衝撃の答えが返ってきた。

私が阿呆だっただけだ。今でも、仕事でこういう感じのミスを冒すことがある。

ある日、京都御所の近くにあるコンビニ求人雑誌を持ち帰った。

パラパラと中を覗いてみる。飲食店小売店が多いようだ。ただ、どのお店も時給が低い。大学の近所にあるお店は、だいたい750円~800円だった。今思えば、こういう視点はやはり若いな、と思う。

大学生場合は、たとえ時給400円だろうと、釈迦に生きる人としてふさわしい常識言動知識を身に着けられる職場がいい。大学の同期で、一流どころの企業官公庁NPO法人就職した連中は、リクルート株式会社はてな高島屋アルバイトをしていた。

当時の私は、リクルートはてな高島屋も知らなかった。私の出身広島県の府中市だった。そんなオシャンな会社地元にはない。天満屋だったらあるのだけど。もし私が東京府中市出身だったら、リクルートはてな高島屋も知っていたのかもしれない。

さて、求人情報誌も終わりの方まで来た。すると、スナックキャバクラバーのページが出ていた。

あるお店の男性スタッフの時給のところを見ると、22時までが900円で、22時以降が1000円とあった。基本の労働時間20:30~5:30で、開店準備と片付けを除いた9時間に対して給与が支払われる。ツッコミどころが満載だが、こういう業界なのだ。今でもおそらくこんな感じだろう。

「でも、夜の店はちょっとなあ」と感じつつ、「失敗したとしても私はまだ若い。なんとかなる」とよくわからないポジティブも抱いていた。

あるページを捲ろうとして私は、ある求人に目が留まった。「木屋町で一番レベルが高い店です!」みたいなことが延々と書いてあった。自画自賛もいいところだ。※本当に一番レベルが高い店だった。

でも、「面白いな」と思った。しかも深夜時間帯の時給は1100円ときている。さっそく電話をかけて、簡単自己紹介をして年齢と大学名を言ったら、「ぜひ面接に!」ということになった。

5月の割と寒い夜、私は親からもらった原付に乗って、家から木屋町まで10分ほどの距離を慎重にゆっくりと駆けていった。

マクドナルド河原町三条店の近くにある、小ぢんまりとしたビルの地下1階にその店はあった。

当時の私はビルの前に立ち竦んでいた。田舎育ちの私は、ビルの下に降りていく階段を見たことはなかった。真下の方から数人の話し声が聴こえる。

おそるおそる階下に降りていくと、廊下が十メートルぐらい続いていて、奥には分厚い扉が開け放たれていた。表面に店の名前が書いてありそうな。近づいていくと、店の中から男女が笑い合う声が響いた。

扉の前には小さい丸椅子が設えてあって、2人のお客さんとイケメン黒服(ボーイ)が楽しそうに話をしていた。お客さんは、丸っこい小さいグラスに入ったお茶を飲んでいる。

ふと、ひとりの嬢が出てきた。黄色い、ひらひらとしたドレスだった。歩く度に、ドレスの裾がブゥンと上下していた気がする。顔つきは覚えていない。失礼ではあるが、「化粧濃いな」と感じたのは覚えている。外国人風の浅黒い肌の、ツンとした表情だった――人生で初めてキャバクラ嬢を見た瞬間だった。

さて、イケメンの人に「面接に来ました」と告げると、「ちょっと待ってね」と言われ、奥に引っ込むと……すぐに別の男性がヌッと出てきた。

体格が大きい、熊みたいだ。笑っている。当時の私には恐い人に思えた。実際には、恐ろしさと優しさが同居するタイプ……と見せかけて、普通にサイコパスだった。

店長と名乗るその人と、同じビルの2階にある事務室に入って、さっそく面接が始まった。私はソファに座らせてもらっていて、ガラス張りの机の上にペットボトル緑茶が置いてあった(はずだ)。店長は反対側のソファ腰かけた。

「飲んでよ」

ありがとうございます

店長とどんな話をしたかはあまり覚えていない。

思い出せる限りだと、こんな感じだった。

広島出身? 俺の叔父さんが広島なんだ」

「いい高校行ってたんだね」

「18才か。若いね~」

柔道強いんだ。2段だって

「いつから来れる? できれば明後日がいいな」

こんな感じだったと思う。当時は、落ちる可能性が高いと思っていた。ボーイの経験がないどころか、アルバイトしたこともなかったからだ。自分が盆暗な方だということもわかっていた。

ところで、キャバクラで4年も働いていたのだ。私のような類型(実務経験のない若い子)を採用する理由はわかる。

①単純な労働力として

多くのお店では、ホールキッチン仕事を8時間ぶっ続けでやらないといけない。開店の準備と片付けもある。休憩はあるが非常に短い。キッチンのビア樽に座って5分間など。なので、体力のある人がほしい。

②肉壁として

態度の悪いお客さんは必ずいる。特にお酒が入っていると、接客が気に入らないということで難癖をつけたり、声を荒げたり、脅迫してくることもある。

※稀に暴力団組員も来る。「暴力団お断り」のステッカーをどの飲み屋も貼っているだろう? あれは歓楽街では冗談一種だと当時は思っていた。この業界では、清濁を併せ呑み、判断が早く、臨機応変対応できる者が生き残る(と店長が言っていた)。

お客さんとトラブルになっても、年が若くてガタイのいい奴がいるのといないのとでは展開が違ってくることがある。たとえ殴られても、私みたいに若いのは自分が悪いと判断して、お店に治療費請求しないことが多い。

レアドロップ枠として

一例として、私と同じ同志社大学で、かつ同じ法学部法律学科の奴で、大学生活の4年間、ホストをしていた奴がいる。週に3日ほどの出勤で、大学回生になる頃には月に30万~40万ほどは稼いでいた。本人いわく、「いろいろあるので稼ぎ過ぎないように気を付けていた」とのこと。全く正しい行動だ。大学生の年齢でその判断ができる時点で、奴は普通ではなかった。2021年現在も、堅気ではない仕事大金を稼ぎ続けている。その彼は、KFJ京都俗情掲示板)のホスト板にもスレッドができるほどの猛者だった。つまり、年が若くても超スゴイ奴は一定数必ずいる。そういった人材を時給1000円前後で使えるチャンスに賭けているのだ。

私が採用された店というのは、実は特殊タイプだった。

当時の木屋町祇園にあったスナックラウンジキャバクラは、そのほとんどが個人もしくは社員10名以下の会社経営していた。

私が働いていたお店(以後S店とする)は、それなりの企業経営母体だった。モデル女優なんかを育てている芸能事務所が、副業としてキャバクラを出していたのだ。

※もうみんな読んでないのでぶっちゃけるが、㈱オスカープロモーション母体として経営している店だった。当時の私は、そんな会社存在自体を知るはずもなく。

そこに所属している子が修業や小遣い稼ぎの意味で働きに出てくる。そういう構造のお店だった。もちろん普通の子もいる。

以下、私が働いていた4年間で記憶に残っていることを書き出してみようと思う。たぶん長文になる。



大学回生

 キッチンホール仕事をやっていた。時給は1,100円。キッチンが主で、社員の人が少ない時に限ってホールに出る。

 最初の頃は、強面のM主任に怒られてばかりだった。今思えば強面ではなかったし、体格も中肉中背だったが、当時若輩だった私には圧が強すぎた。

 キッチン仕事というのは、いうまでもなく優先順位がモノをいうわけで……おしぼりとつきだしの用意も、ドリンク作りも、フード作りも、皿やグラス洗いも……人生最初に覚えた仕事は、社会に出てから仕事の縮図だった。

・次の次くらいまで優先順位を決めながら動く

・途中で別の仕事に移らない

・雑多な仕事はまとめておいて後でやる

 こういった原則ひとつずつ身に着けていった。

 より精神的な意味での教えもあった。例えば、トレンチお盆)の持ち方について。S店での持ち方は、指を立てて、手のひらが触れないようにして胸の前で持つというものだった。

 当然、最初のうちはできない。いや、言われたとおりにできるのだが、どうしても、たまに手のひらでベッタリと持ってしまう。

 最初にそのミスをした時だった。「おい」というM主任の声が聞こえた。怒られると思って身構えていると、「新人が間違えた持ち方しとんぞ」と、上で述べたイケメンの人が叱られていた。確かに、私は最初トレンチの持ち方をイケメン先輩に教わった。

 でも、当時は「なんでイケメン先輩が怒られるんだろう。なぜ私じゃないんだろう」と素朴に考えていた。

 このS店では、そういう社会人として基本的なことを教わる機会が何度もあった。私は盆暗でノロタイプ人間だったから、ありがたい教えでも、耳から耳にスーッと抜けていったのがたくさんあったに違いない。日記もっと細かくつけておけばよかった。

 今でもM主任を思い出すことがある。厳しい人だったけど、まともに仕事をこなすことを誰よりも考えていた。私のことを考えてくれていたかはわからないけど、今でも確かに思い出すのだ。

 めちゃくちゃ厳しくて……でも、ふいに無邪気で優しい笑顔を見せてくれる。私はずっとM主任の後ろを追いかけていた。今、この場で感謝を述べさせてください。ありがとうございます



大学回生

 この年の春先から初夏にかけて、正社員と同じ仕事が増えていった。一例として、ホールを回る仕事が主になった。棚卸しもするようになった。時給が上がり1,200円になった。

 本来大学生アルバイトは、キッチンでフード作りや洗い物をするものだ。ホールに出ることもあるが、あくま代打的に割り振られる。原則社員キッチンアルバイトホールということはない。にもかかわらず、なぜ私がホール担当になったかというと……。

 私の社歴が、スタッフ内で真ん中あたりになってきたからだ。

 信じられないだろう。でも事実だ。私がS店に入った時、社員5人のアルバイト3人(私を含む)体制だった。1年目の梅雨時に社員がひとり免職処分能力不足だと思う)になって、また秋になった頃に社員1人が系列店に行って、3月の春休みの頃、ひとつ上の学生アルバイトが飛んだ。従業員が3人いなくなって、3人補充された結果こうなった。

 ホールを回る仕事について、思い出せる範囲優先順位が高い方から挙げていくと、①お客さん又は女の子(=キャスト。以下嬢とする)の監視、②オーダーの受取と実行(買い出しを含む。お客さんだと煙草女の子だとストッキング生理用品)、③嬢によくない行為をしているお客さんへの注意、④お客さんからのイジリや自慢話やお酌に付き合う、⑤灰皿やアイスペールの交換、⑥喧嘩を止める(リアルファイト含む)……といったところか。

 重労働だが、そこまでキツイということはない。一般的飲食店でもこれらに近いことをしているはずだ。最初は立っているだけでも辛かった。足が棒になってしまう。慣れてもやっぱり足の裏が痛い。

 思い出に残っているのは、やはりM主任だ。仕事ができる男性で、30代半ばで月給は45万円(残業代は基本給に含まれている)だった。客引きプロであり、街を歩く人でその気のなさそうなお客さんでも、1分も経たないうちにお店への興味を起こさせ、大体3分以内にお店に連れていく。何より損切が早い。この人はだめだと感じたらすぐにその場を去って、別の人に声をかける。

 その主任にこっぴどく怒られたことがある。

 真夏の夜だった。私に初めての仕事が割り振られた。いわゆる、キャバクラの店の前にいる人の役だった。客引きではなく、連絡役に近い。お店に用のある人、例えばリース関係業者だったり、面接希望の嬢だったり、店長の知り合いだったり……むろん、通りがかりのお客さんにサービス内容を聞かれることもある。

 さて、ある3人組のお客さんが店の前を通った時、S店に興味を示した。「お兄さん。どのセットがお勧め?」と聞かれた私は、しどろもどろになりながら、2万円(2h)と1万3千円(1.5h)と1万円(1h)の3つのコース説明した。金額うろ覚えだ。たぶん違う。

 3人組のリーダー格は、「う~ん」という表情になって、何点か質問をしてきた。うまく答えられなかったのは間違いない。最後は、私の方が心が折れてしまった。

 その場を立ち去る3人組を見送る私の後ろに、M主任がいた――縄跳びで打たれたような、痺れた痛みが私を襲った。主任回し蹴りが私のお尻にクリーンヒットし、地下に入る階段の手すりの辺りにもんどり打って転げた。頭を壁面にぶつけたのを覚えている。

 主任に何と言われたかはよく覚えていない。罵倒の数が多すぎたのだ。「お前!売る気ないやんけ!」だったら確実に言われている。「すいません」とだけ謝ると、「〇〇ちゃん。次はないぞ」と言ってお店に入っていった……。

 数分後、また別のお客さんが店の前を通った。私は、ここまでの人生で最大の過ちを犯した。私はM主任の真似をして、お客さん候補トークを始めた。

「こんばんは。これから何件目ですか」

「2件目」

「どこ行ってきたんです」

居酒屋

「どちらにいらしたんです」

和民

「次は女の子のいるお店にしましょう」

「この店は高いからいい」

「安くしときます

 こんなやり取りだった。話すうち、だんだん相手の気が乗ってきて、でもお金がないのも事実のようで、でもお店に入ってほしくて、M主任を見返したくて……去ろうとする相手の腕に触ってしまった。

はいそこやめて!」※確かこんな口上だった。早口警官だった。

 その場で2名の警察官サンドイッチにされた私は、しどろもどろに言い訳を始めた。やがて応援警察官が到着し、単独でお店の中に入っていった……。

(続きます

 https://anond.hatelabo.jp/20210716220543

追記

ところどころやたらと鮮明なのは、当時の日記を見返しながら書いているからだ。

2020-12-12

このまま無職状態が続けば来月の家賃は明らかに払えなかったので、コンビニ納豆を買った帰りに入口にある無料求人雑誌を抜き取って帰った

飲食警備員介護仕事はたくさんあったが、自分でもできそうな事務作業はあまり載っていなかった

1件だけ、東中野駅事務作業を時給1080円で募集しているところがあった。ここなら徒歩で通えそうなので、電話してから面接へ行くことになった

駅の改札を出てすぐのマンションの一室が事務所になっていて、「フェニミスト協会グローバル本部」というプレートがドアについていた

ピンポンを押すと年配の女性が出てきて、中に通された。50年ぐらい前の写真に出てくる人がよくしているような、独特のパーマをかけた髪型をしている人だった

折りたたみ机のある部屋で待っていると、また同じ人が入ってきた。この人が面接官らしい

仕事の内容は会員名簿の整理や発送作業、会誌の編集補助などがあり、こういう仕事経験はあるかと聞かれたので、あることにした。たぶん今までに似たような仕事をしていて大丈夫だと思ったからだ

それで、シュメール語の読み書きはできるんでしょうか、と女性は聞いてきた

なんのことでしょうかと聞き返すと、シュメール語のネイティブスピーカー希望求人に書いていたはずですが、と言ってきた

求人雑誌は部屋に置いてきたので確認できないが、書いてあったような気もするし、あんな小さいスペースにそんなことは書いていなかったような気もした

シュメール語は未経験なのですがと答えると、女性能面のような顔つきになって、うちは古代オリエントのフェニミ神をお祀りしている団体なので、事務必要シュメール語ができない場合は時給はマイナス100円になります、また研修間中3ヶ月はさらに時給が100円下がるのですが、それでもよいのでしょうか、と聞いてきた

かに仕事のあてはなかったので、よいことにしたら、それでいつから来られるのでしょうかと聞いてきたので、来週からだと答えて帰った

帰り道、よくわからない異物感を感じて、あんまりあそこへは仕事行きたくないかもと思い始めた

家に帰ってしばらくしたら派遣会社から連絡があって事務補助を来週からはじめられるかと聞いてきたから、そっちへいくことにした

「フェニミスト協会グローバル本部」へはそのまま連絡せずにおいたが、あちらからもとくに連絡はなかったので放っておいた

その後だれか採用されたかどうかは知らない

2020-08-28

引きこもりの兄

結婚を考えている彼氏になかなか言い出せないことがあった。

私には引きこもり無職の兄がいる。いわゆるニート

別に暴力を振るうわけでも、家族の金を使い込むわけでも、犯罪を犯して迷惑をかけるような人でもない。

ただただ、人と関わることを避けて引きこもっているだけで、

同居するわけでもないので今は何も実害はないのだが、結婚して家族になれば将来はどうなるかわからない。

兄は小さいころからとても大人しい気性だった。

反対に私は大人しくしていられないタイプの子供だった(トンボを握りつぶしたりしていた)ので、

母は性別が反対だったらよかったと心配したくらいだったらしい。

そんな兄でも大学までは少ないけど友人もいたようで、

一般的大学生らしい生活というよりかはほぼ大学と家との往復だけだったろうが普通生活をしていた。

しかし、就職活動がうまくいかなかったのを機に段々部屋に引きこもるようになってしまった。

当時は明らかに体調を崩しているのがわかったのでそっとしておいたが、

時がすぎて私のほうが先に社会人になり、家を出た。 

落ち着いたころ、帰省した時に母にも相談されたので一緒に求人雑誌を見たりした。

当時は兄も体調がいい時は実際求人の応募したり、ハローワークに出向いたり、

資格を取ろうと勉強していたりと職につくための努力をしているようだった。

口数は少なく、めったに笑うこともないが無視されることはなかった。

それでも帰省するたび、兄の状況がよくなることはなく、段々母から

兄は神経質だから就職関係の話はしないようにと釘をさされるようになった。

そのころから兄は私ですら避けるようになり、食卓を囲んだ時に、

何気ないことで話しかけても返事をしてくれなくなった。

大卒で数年職歴なしの状態がどれだけまずいか時間がないか

自分立場から本人には言えないので、母には伝えた。

時間自然解決するとまだ構えていられる時なのか、

病気なら病気と受け入れて治療すべきだし、

本人の問題自分でどうにかするのが難しいなら、

福祉機関相談してまずは自立した社会生活を送れるようになるための支援を考えるべきなのではないかと。

引きこもり支援する福祉窓口や家族会まで調べた。

母の返答はいつも「ごめんね。あなたには迷惑かけないようにするから。」だった。

母に親としての責任をとれと責め立てているつもりではなく、

現実的問題として心配した結果の提案だったのだが、

それでも母の傷をえぐる話で、話したことを後悔した。

結局今も、時だけが過ぎて引きこもりニートの兄がいる事実は変わらないままだった。

幸いにも彼氏はその事実を知っても結婚をしてくれ、

義両親も家族としての苦労を労ってくれたぐらいだった。

しかし、結婚式に兄は出席しなかった。

もちろん結婚式に出席してくれるようお願いはした。

お互い親族になるからには挨拶ぐらいはしないといけないだろうけど、

別にどこに勤めてるか話さないといけないわけでもないし、恥ずかしいと思うことはないと話した。

純粋に兄にもお祝いしてほしかった。

初めは父も「家族なんだから、妹の結婚式に出席しないなんてことは許されないだろう」と

引っ張ってでも出席させるつもりだったようだが、

親族の出席確認を頼んだら兄の名前はなかった。

兄がどういう気持ちで欠席したかはわからない。

私が嫌いなのかもしれないし、ただ他の人に会いたくないからかもしれないし、

自分が出たら妹に恥をかかせると思ったのかもしれない。

あれから数年がたって、いよいよ母がガンになってしまった。

夫は一人っ子なので、私はいずれ義両親の面倒も見なければいけず地元からは遠く離れることになるだろう。

両親が死んだら兄をほっとくわけにもいかないが、少なくとも兄の面倒を見る余裕はない。

年金は親が払ってるし、家もあるし、最低限生活に困らないようたぶん保険もかけてるだろう。 

実家事故物件にしたくないしとも思う一方で、納得いかない気持ちもある。

だって人生に躓かなかったわけじゃない。

また起き上がって必死に生きてるし、躓かないよう気をつけたり我慢したり努力もそれなりにしてきた。

出自環境の違いでできてしまった格差や失敗を自己責任と言うのは酷だが、兄は何だったのか。

金を稼ぐのだって楽じゃない。人間関係だって気を遣うし、ストレスたまる

から見えるものだけで比較したところで意味はないが、恵まれすぎじゃないかと思うこともある。

 
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