はてなキーワード: 失声症とは
自尊心や自己肯定感が低いのが良くない事というのは自覚しているけど、自分という存在の事を考えると難しい。
双極性障害。発達障害。学習障害。吃音症。治らない耳の病気。失明する可能性のある目の状態。挙句の果てには生活保護受給者。
定期的に味覚障害になって味が分からなくなったり、失声症になって声も出なくなる。
他にも肉体的や精神的な病気を抱えているし上げればキリがないが、全て書くと数え役満のようで人生詰んでいるなと実感する。
ボランティアとか社会奉仕活動でも出来れば多少自分という存在をマシに思えるのかもしれないが、
基本的には家で大人しくしているけど、自分の病気の事も考えると表に出て何かやるというのも難しいし、
仮に参加出来たとしても急に体調を崩す可能性も高くて、周りに迷惑をかけるだろうからそれも難しい。
普通に働いて国民の三大義務である労働と納税も果たせないし経済を回す事も出来ない。かといって社会奉仕活動等で社会や世の中に貢献出来る訳でもない。
こういう状態なので、自尊心や自己肯定感を保ったり上げるというのが難しすぎて生まれてからずっと低いまま生きている。
たまに見かける「生きているだけで偉い」という言葉を私にも向けられる事があるけど、
それは普段から仕事をしていたり、病気に治す為に立ち向かっている人だとか、日常を毎日精一杯生きている人に向けた言葉であって、
治らない病気ばかりで生きる意味を見いだせずにただただ日常を虚しく過ごしている私は何も偉くないんです。ただの穀潰しなんだ。
正直、早く消えてしまったほうがある意味世の中に貢献出来るような気もするけど、それはそれで難しいわけで。
人に迷惑やら苦労かけてばかりの人生だったし、何かを学ぼうにも病気が邪魔して続けるのが難しく、
何のスキルも持ち合わせていないので自分のどこをどう見ても褒めたり認められる部分が無くて難しすぎる。
ここまでじゃないにしても似たような境遇の人、どうやって自尊心やら自己肯定感を保ったり上げたりしているんだろうか。諦めるべきなんだろうか。
母とは元々不仲だった。宗教にハマってからは「娘嫌い」を正当化し始めた。なぜなら自分は創造主と共にあるからである。だから、自分の考えはなにもかも正しいのだ。
そんな私とは対照的に、「前世で夫婦であった」弟はいつだって愛されていた。
中学生くらいになるとそんな母のことを"普通じゃない人"なのだと気付いた。
それでもいつかは歩み寄れるかもしれないと期待していた時期もあったが、高校生になる頃には無駄だと知って諦めた。
私はなるべく家庭とは距離を置こう、成人して自立できるようになったら早くこの家から出ていこうと決めた。
物心ついて以来のほとんどの時間が憎しみや苦しさでいっぱいになっていることが、悔しくてたまらなかった。
距離を置き始めて数年経つと、それまでの母とは人が変わったかのように雑談を持ちかけてくることが増えた。
私のことを「嫌い」と言っていた母はもうそこにはおらず、「普通のお母さん」のようだった。
一生憎しみを抱えて時々辛かったことがフラッシュバックして吐き気も動悸も涙も止まらなくて、こうして生きていかなきゃいけないんだと思い続けていたのに、どうしたらいいのか分からなくなった。
「それでも家族なんだから」という言葉をたくさんかけられてきた。
今年24歳になった。大学を休学し今はずっと家にいる。声を出せなくなった。必要最低限、かすれ声なら出せるので肉体的ではなく精神的に。
ー原因を考えてみた。ー
こうなることを避けられなかったのか。小さい頃(物心ついた幼稚園頃)から思い返せば人と関わるのが苦手で感情を、特に怒りの感情を人に出したことがなかった。気に入らないことがあれば、黙る。声を荒げた記憶は一度もない。
小学校で工作の授業があった。表現するのが嫌いな僕は他人の作品を真似て作った。美術の授業があった。描くのが怖い僕は他人の作品を見て、違う角度からそれをあたかも自分が考えたかのように描いた。
よく意味は分かってないが自閉症と呼ばれるものかもしれない。(自分の中に閉じ込もる病と解釈して)また、失声症と呼ばれる精神病かもしれない。発達障害かもしれない。ただ、鎖で口を覆われてるかのように声は出せないし、体もうまく動かせない。(精神的にだが)
結局何が言いたいかというと、昔からその予兆があったということだ。その生まれ持った、または小さいうち持ち合わせてしまったものが無意識のうちに身にへばりついて、必然的に今に至る。
つまり、こうなるべくしてなった、と。
そして、人に頼れないのがタチが悪い。
声を出せない、感情を表に出せない僕は自分でどうにかするよりない。しかし、どうすることもできないから今に至る。八方塞がりだ。
すっかり、対人恐怖症になってしまった。
どんどん負の方向へ進んでいる。
側から見れば甘えと思う人もいると思う。
ただそれでもいい。
7/22日から心が叫びたがってるんだ。という実写映画が公開になります。アニメとして過去に公開してるので知ってる方も多いのかな。私はこのアニメ版を観ました。
この映画の主人公は、過去のトラウマから話すと腹痛が起きてしまうという症状に悩まされています。皆さんも周りとうまく喋れない人を一度はみたことがあるかもしれません。あるいは、友達とは普通に喋れるのに授業中先生に当てられたりすると喋れなくなってしまう人なんかもいたと思います。
前者は失声症、後者は緘黙症と言います。それぞれ全く違う病気ではあるんですが、人とうまく喋れないという意味で同じような悩みを抱えています。こういう人たちは、無口な人とか暗い人と思われがちですが実はそんなことありません。性格とは全く別のものなんです。
私は、緘黙症に悩んでいましたが本作で扱われる失声症の女の子も物語にも痛いほど共感する部分がありました。この映画を通して性格と一切関係無く周りとうまく喋れない人がいるんだということを多くの人に知ってもらいたいです。そして、もし自分の周りに同じような症状の人がいたら少しでも理解を示していただけたらと思います。
ラブホをお城と勘違いしてラブホ通いが趣味になってしまった女の子、成瀬順は、父親が浮気相手とラブホから出てきたところを母親に言ってしまったために(彼女に悪気はない)、両親は離婚、父親からは「お前のせいだ」と詰られた。そして突然現れた「玉子の妖精」とやらに喋ることを封印され、言葉を発するとお腹が痛くなるという呪いをかけられる。ここまでが導入部分。
それで(たぶん)10年後、成り行きで地域イベントの実行委員をやらされることになった彼女は、成り行きでミュージカルの主役をやることになる(歌を歌っても大丈夫なのは途中で気づいた)。いろいろあったけどミュージカルは無事成功、自分に呪いをかけた玉子の妖精は消え、女の子は同じ実行委員の男の子から告白を受けるところで話は終了。
開始5分の予想だと順は無事喋れるようになって坂上くんとくっつくことを予想していたけど、順は喋れるようにはなっていないし、坂上くんは元カノとヨリを戻して、順は野球部の人から告白を受けるだけに終わってて予想が外れた。
ここでいう「玉子の妖精」は心理学的に言うところのイマジナリーフレンド、「呪い」は失声症のことであろう。所謂イマジナリーフレンドからストレスを受けて、そこから失声症を発症、悪化させる事例を私は知らないが、どう考えても心療内科等で治療を受けなければならない案件だ。ちなみに彼女がそういった治療を受けている描写は一切ない。
ゴールデンタイム然り、一週間フレンズ。然り、病気をファンタジーで誤魔化すことの是非はともかく、娘のラブホ通いを把握できず、病院にも連れて行かず、娘を詰って世間体を気にするだけの母親などはほぼ典型的な毒親であるし、周囲が絶望的に病気に無理解なので、この先彼女の病状は悪化こそすれ良くなることはないだろう。
そういう意味では、継続的な治療を受けたメンヘラちゃんとかカミーユとかに比べても非常にバッドエンドな作品であるし、毒親に人生の大半を台無しにされた少女の物語として映画を見ると面白いかもしれない。
症状はかなり深刻で、無気力、無感動。明らかな記憶力、判断力の低下もあり、学校でも私生活でもありえないミスを連発した。
感情抑制も効かなくなっていて、外部からのストレスに過敏に反応していた。この辺りは無感動と矛盾するように思われるかもしれないが、面白いもの美しいものには感動できないが他人からの指示や指摘といったストレスだけは過剰に負担に感じてしまうという最悪の状態だった。そして一番酷かったのが言葉を発そうと口を開いても声が出るまで時間がかかり、ようやく話し始めても語尾まで言葉が続かないこと。語尾に辿り着くまでに言葉が思いつかなくなることもあるし、話しているつもりなのだが声量がどんどん下がり声が出なくなってしまうパターンもあった。一歩間違えば失声症になっていたのかもしれない。
私はうつを直すのに薬を使うことに強い抵抗があり、カウンセリングだけを受け続けていた。本当は薬に頼るべきだったのかもしれないけれど今となっては何が最良だったのかは分からない。カウンセリング治療だけにしようと決めた時点で、心療内科に通うのを辞めてしまったのでこの話は治療方法や通院の参考にはならないと思う。
カウンセリングでは具体的にどんな話をしていたのか、正直あまり記憶にない。当時の記憶力が低下していたことも原因の一つかもしれないが、思い出したくない心理も働いているように思う。断片的な記憶だが、とりとめのない私の話をカウンセラーさんが聞いてくれて、一つづつ何が辛いのかを整理していった。何か直接の原因を解決する、というよりは、受け止め方を変えるアドバイスを受けていたと思う。あとは弱い自分やダメな自分を受け止めて自己否定をしないこと、とかね。とりとめのない話を聞いてくれるというのはとても重要で、普段悶々と頭の中を巡っている思考を言葉としてアウトプットし受け止めてもらうプロセスは、症状の緩和にとても役立ったと思う。ただ、話したいとき、話したくないときがあって、せっかくの予約をドタキャンなんてこともあったりした。当時は先生にご迷惑をおかけした。
カウンセリングだけでなく、本当に偶然の良い巡り合わせの重なりで、一年弱で随分明るくなった。まず明らかに記憶力、判断力が改善した。
以前であれば、自分が直前に話した内容すらも忘れる有様だったのが治り、言葉も力強く発せるようになった。言葉がはっきり発声できることを自覚したときには本当に嬉しかった。趣味や進路のことにも随分積極的に関われるようになったし、今まで否定的に受け止めていたことを受け流したり、肯定的に捉えられるようになっていた。今までは人に言えなかった悩みを言語化して周りに話せるようになったことで周囲の理解も得られ、カウンセリング通いを卒業した。高校2年の冬のことだった。
うつは治る病気だ。うつの渦中と健康な状態では、本当にものの考え方も行動力も違ってくる。無気力や無感動という症状だけの場合、一見怠け者だの仮病だのと思われがちだ。しかしうつを拗らせてしまうと本当に重い症状が出てくる。記憶力判断力の低下と発話の不自由にはかなり苦しんだ。軽度うつの方にはそうなる前に病院にかかることをオススメしたい。そして周囲の方々もうつの人を甘えと言わず、暖かい目で治療を見守ってあげてほしい。
私はその後も時々、軽度のうつのような症状を発することを数年置きに繰り返し、正直完治したとは言えないのかもしれないし、元々あまり現代社会に馴染めていない側面もある。他のうつ患者の方にも再発に悩んでいる方も多いだろう。私は現在、かなりうつ傾向に近づいてしまっていて、焦りと不安を感じている。
うつは治る、だか繰り返しやすい病でもある。カウンセリングはあれ以来かかっていないが、久しぶりに通いもう一度自分を見つめ直そうか。
社会に完全に適合することに対しては既に諦めのような感情があるが、上手く社会と折り合って生きて行くためにどうすればいいのか模索を続けよう。うつを経験し、今も抱える私の自分語りを最後まで読んでくれた方がいたらありがとう。そして、もしうつに苦しむ方が居たら、どうか焦らず、ゆっくり、うつと生きて行く方法を考えていこう。
20代女。
突然声が出なくなりました。
心因性ということだった。
声が出なくなったら、私への対応が人によってわかれた。
会話ができなくても会ってあげるという人と、
会話ができなければ会う意味がないという人。
多くの人にとって、
言葉による意思疎通がなければ、
言葉による意思疎通ができない人を好きになることはありえるのだろうか。
私は今後、一生声が出ないとして、誰かと愛し合うことはできるのだろうか。
かろうじて文字情報による意思伝達は可能であるが、
それすらできない人、盲目で耳も聞こえない人など、がいたとして、
彼あるいは彼女が他人と愛し合うことはできるのだろうか。
確実に言えることは、言葉がなくても
「セックスをして子孫を残す」
ことはできるということだ。
もともと人類は言葉を持っていなかったのだから、今私たちが生きていることがその証明である。
事実、声が出なくなってから、事前情報の伝達なしでセックスをしたことはある。
ここで「この相手と今後子供を育てていけるか」という理性的な判断をしなかったから、
子供を作れていたのであろう。
「伴侶を見つけて子孫を残す」という生物として最も原始的な行為が、
逆説的にハードルの高いものになってしまったのではないか。