はてなキーワード: ディアスポラとは
てっきりみんなイーガン程度じゃ満足できないって事か、読むのに常時計算しながら情景を把握するのなんて楽勝って事か凄いじゃないか、って思ってたんだけど。
まさかの未読なのか。
ディアスポラ程度ならまだいい。白熱光も引っかけに引っかかったけど二回目でわかる。だが直交三部作はあの世界でこの世界と同じような熱力学を成立させる方法が未だに思いつかない。同レベルに面倒なシルトの梯子はどこら辺がヨタなのか気付けば意外とするりといける。
訳出の時期からして直交三部作は読んだ上で増田に書いてるのかと思ってたよ。
ちなみに最新作の「Dichronauts」は更にギアが上がり2+2次元になり、真面目に計算して読む作品になってる。回転に対して不変なので、作中の情景を感覚的に推測するより計算した方が馴染みやすい。
とりあえずイーガンもクラークも行けるんならハードSFとつくものをあさっていけばいいとおもう。
超高重力下の中性子星で生きる生命とか、中性子星に行くにはどんな装備が必要かとかが詳細に描かれた『竜の卵』とか、ちょっと話のノリ自体はライトすぎるかもだけど『マッカンドルー航宙記』とか。
もちろん気に入った作者のそれぞれの続編読んでもいいけど2001年はシリーズ最終作の3001年は読んじゃダメ。巻末でずっこけるから。
イーガンに関しては順列都市とディアスポラいけるんなら他の短編集や長編もそんなのばっかりだから楽しくて仕方ないはず。
意識関係はイーガン読んじゃうと他は少し物足りなく感じちゃうので、(もう売ってないけど)『マインズ・アイ』とか『ゲーデル、エッシャー、バッハ』とかの心の哲学系の本にまで手をだすハメになる。
幸せだ。
無垢そうなヨークシャー・テリアである彼をただ愛でていればいい。
でも私達は覚えている。
狂犬のひきつった嘲笑を。
血に塗れた牙の鈍光を。
昔は誰もが知っていたのに、今となってはもう存在すら忘れ去られてしまったidたちの断末魔を。
人は彼ははてな村の村長だと言う、あるいは長老だと言う。誰もが畏敬する。
なぜだ? ただ古参だというだけで、ただ居座った、意地汚く居残ったというだけでそこまで?
間違えるな。彼は居座ったのでも居残ったのでもない。
「生き残った」のだ。
かつて、はてなは戦場だった。今となってはもう語るものすらいないほどの昔の話だ。だが事実だ。
そこは天上の地獄だった。毎日がだんじり祭だった。憎しみが連鎖し、血が血であらわれ、idコールは果し状がわりの白い手袋、マッチョがウィンプのケツを掘り、非モテどもには要は勇気がなかった。そんなキリング・フィールドで「ただ生き残る」ことがいかに至難であったか。あの時代を体験した人間で、自らの手を汚さずにいられたものなどいなかった。
そうして、上から目線ゲームがバベルの塔ばりの高さに達したとき、かつてはてなでバトルを繰り広げたバトラーやウォッチャーたちは神の怒りに触れ、そんじゃーねとばかりに現実へとディアスポラし、転職したり共著を出したり単著を出したり映画化されてみたりTBSラジオでメインパーソナリティを務めたりインターネットをバカと暇人のものにしてみたりモテないやつは脳に問題があると言ってみたり秋ごとに翻訳小説をハゲラッパーに紹介したりメンヘラとヤったり自分が死んだあとの世界を計劃してみたり女子高生野球部マネージャーにピケティを読ませてr>g野球に目覚めさせたりした。
名も無き弱者たちは地下へと潜り、今は増田と呼ばれる非ブログアクターとして現代はてな社会を新しい暗黒に追いやっている。
だが、彼だけは違った。
彼だけは、はてなを離れなかった。離れられなかった。なぜか。神がその存在を許したからだ。ここに在るように命じたからだ。
疑うなら最寄りの神社へ行ってもらいたい。
門の両脇に据えられた、二匹の犬の像を認めるはずだ。
彼らは地上につかわされた神使であり、エジプトのスフィンクスなどとも起源を一にするという。
向かって左の犬の像は、阿形、すなわちサンスクリット語における「しなもん」を表し、
向かって右の犬の像は、吽形、すなわちサンスクリット語における「ケンケン」を表す。
はてなには狭き門も広き門もなく、ただ遺物(ARTIFACT)を護る番犬がいるだけだ。
私達はその犬を、犬たちを畏れる。彼らは古参だから。彼らは生存者だから。彼らは勝者だから。
私達は犬たちを忘れることができない。
犬たちは不滅だ。たとえ肉体的な死を迎えたとしても、その眼は常に生き残る。左の犬の眼は私達を愛し、慈しむ。右の犬の眼は私達を監視し、専制する。
「カノセ」は「カオス」がなまった言葉だという。私達はそれを信じる。
はて「な」を「支」配する「者」、秩序(コスモス)を司るしなもんに対置される混沌。陰と陽。ふたつでひとつの世界。
しなもんとはkanoseであり、kanoseはシナモンである、というのは単に「神とは神のことである」とトートロジックに言明しているにすぎないだろうか?
そう、彼らは神である。自らに命令し、自らに従う最上位の権力だ。
今なら私達はローマの偉大なる詩人、ユウェナリスの疑問に応えることができる。
"しかし、誰が見張りを見張るのか?"
ブライアン・ラムレイの「地を穿つ魔」を読んでたら、タイタスとアンリは恋愛関係に置き換えて萌えてもいける!みたいな超絶電波なことを考えて自分で自分に戦慄した。今までSF/ファンタジでそういう妄想をやらかしたことなんてなかったのに!
やべーちょっと落ち着こう、あの名状しがたき板でおぞましきスレがなかったら本当に反省しようと思ってさがしたら、
あった。
しかもpart2だった。
よかった、自分だけじゃないと安心したはいいものの、これ、私もスレ住人もちからのかぎりSAN値が下がっているだけなのかもしれない。
いくつかのレスには心の底から困惑させられた。神が我々に与えた最大の恩寵は物の関連性に思い当たる能力を我々から取り除いたことであるのに!しかしこのまま私の萌えSAN値がさがっていったら、ナイアールラトホテプはコスプレ好きとかクトゥルフはヤンデレ攻めとかの意見に納得してしまうのかもしれない。
そのうちクトゥルフを飛び出てSFまで妄想がすすんじゃってディアスポラのヤチマはショタ受けとかマイクロフト×マニーとか言い出し始めるのかもしれない。ヘインズとレーシーはリバでいける、とかそういう悪夢じみた恐怖の広がりが私の中に渦巻いてしまうのかもしれない。