はてなキーワード: 情けは人の為ならずとは
「ベンチャー役員三界に家なし」のユウタロスさんが、通りすがりの64歳無職に1歳の子供を殴られる被害に遭いましたが、
「持たざる者を擁護」って、ここで通りすがりの無職を擁護するようなものだと思うので。
ユウタロスさんの家族と、1歳児を殴るメンタリティの64歳無職だったら、後者の方が断然「持たざる者」じゃないですか。
恵まれないから暴力を振るってもいい、孤独で傷ついているから他人を搾取してもいい、
この手の「被害者面で自己正当化している加害者」からは、とにかく距離を置きたいと思っているし、支援する気は無いです。
毎月結構な金額だけど「金ならどうぞどうぞ、時間はやらないけど」という感じです。
haruharu1 『奪う者は弱者』『弱者の犠牲になって磨耗する必要はない』説っぽい。でも奪う者が弱いのではない。奪うことでしか得られない弱者の存在と、単純に奪う者の存在とを混在していると思う。悪はそんなに弱くはないぞ
「奪う者」になるのはヘドロがどんどん湧いてくる思考のクセを持っているからで、
そういう思考から抜けだせないのは頭が悪いからだから弱者だよねと思っています。
内面はというと、親にしてもらうのが当然で、親が自分に割いてるリソースを軽んじるし、親への不満ばっかりです。
子供は弱い。経済的にも精神的にも自立出来ないし、親次第のところが大きいです。だから「奪う者」になる。
低所得で孤独な人々の行動の特徴として、大人になっても中学生相当の考え方・ものの見方からアップデートしてないというのがあります。
私はそれを怠惰とか悪とかじゃなく、そういう脳のスペック、と思っています。器質的な話です。
大学生になっても64歳になっても「奪う者」から成長できないと、当然のように周りの人間を使います。
「奪う者」って、悪に目覚めて成るものじゃなくて、対等な大人同士で与え合う立場に一生成れない不具者ってことだと思います。
gazi4 程度問題かな。どんなに優れた人間であろうと、個々人のリソースは乏しい。分け合うことは必要だし、増田の言う頭のいい人は、与えたことも経験にできる。
与えるばっかりだと頭が良くても潰れますよ。頭は、自分が潰れない環境作りに使ったほうが良い。
元エントリの性犯罪者は、屋上娘にしてもらったことの価値を軽んじるじゃないですか。
屋上娘が子供の頃に大人の役割を期待されて、仕方ないと諦めさせられて、ケア役割を押し付けられて身につけた能力でも、
「屋上娘にとっては簡単なことだったのだろう。それが僕の救いになった!」みたいに軽んじちゃうじゃないですか。
いや、お前ソレ、「簡単だったらいいな」と「簡単に違いない」の区別がついてない案件だろ、と思いましたね。
プロのイラストレーターが「タダで絵描いてください」と乞食みたいなリプ受けて傷つくのも、
自分が身につけた能力の価値を軽んじられた気がするからじゃないですかね。
でも乞食ってそういう感じなので。リソースを無為に無限に毟り取られるばっかで、何の経験にもなりません。
Amarron 時代や文化で人間の価値が変わる所や、能力や環境が幸福に繋がりそれは功績ではなく運である所が少し理不尽だと思う事も共感できる。Pepperの話がテロスと定言命法を思い出す。哲学的な印象。
哲学は全く知りませんが、「功績ではなく運である所が少し理不尽」という部分を読んで、「分かっていただけた」と思いました。
結果を決めるのは運と努力、両方の要素が関わりますが、結果を出した人ほど努力が9割だと思いたがる。
私は運が9割だと思います。
運がいい人への攻撃の気持ちは無く、むしろ私は運がいい人が好きです。
運が悪かっただけの人を差別している!となじられようが、「そうで~す」という感じ。
ヒトラーのように障害者は死ねみたいには思わないので、社会保障費は喜んで支払います。
それは自分も事故や病気で障害者になる可能性があるとか、自分の能力が下がった訳ではなくても社会の変革によって
誰からも認められなくなり実質障害者状態になる可能性があるからです。不当な支払いとは全然思いません。
yamorca 世間が無神経に置き去りにしている処をしっかり見る人の声。増田は姥捨て容認派みたいだけど、同じ視点を持って公共の福祉の最大効力を求めてる人も居る。情けは人の為ならず
江戸時代は、姥捨て"容認"も何も、姥捨てするしか成り立たなかったですよね。社会が。
公共の福祉のレベルが上がった要因は、国の技術レベルが上がって豊かになったからですよね。
物質的に豊かになった結果、江戸時代と比べて餓死は減りましたが、
コミュニケーション乞食として、屋上娘さんやはせさんのような人に縋り付く人間は減らせて居ません。
「公共の福祉の最大効力を求めてる人」って何をやってるんでしょうか?
健康な人間に、福祉を必要とする人間に奉仕する義務を与える活動でしょうか?それ暴力じゃないですか?
それと、持つ者側、奪われることに怯える側でしか物事を考えない人に言いたいのは、
自分も事故や病気や加齢によって、奪う側に転落する可能性がゼロではないということです。
奪う赤ちゃんとして生まれ、与える大人になり、奪う老人になって死んでいくのが人間だと思います。
私は老人になっても出来るだけ、生きた人間を自分が生きるための奴隷にしたくないですね。
道具なら構いません。だから心についての言説より、技術についての言説の方が、愛に溢れているとすら感じます。
俺は、はてな歴が浅い。玄人どもの言ってることがわからないことも多々。
キレイなコメ、というかなんか手を組んだ感じがあざとい「互助会」系とを、
それなりに見ている。
前者は簡単だ。
バイラルメディアだったり、飛ばし記事みたいなソースの曖昧な記事書いてるニュースサイトだったり。
後者は難しい。
そもそもが浅い俺なので、この臭い界隈に詳しくないと深く理解できない。
いずれにせよ、だいたいはコメが二分する。
または、キレイに二分されなかったりする。
怪しい兆候は、やはりこの「二分する」ことのように感じられる。
ステマ系に関しては、最近は隊長がつっこんでいってるので、それを見るのもいい。
「ステマサイト・バイラルメディアを完膚なきまでに灰燼に帰すことはそうそうできない」
というあたりか。
うざいサイトにアタックしてくれるのは見ててスカッとするものがある、
が、
なかなかこういうのが潰えたのを見たためしはない。
思うに、あの「たかし」がなおジャーナリストとして活動しているところからも窺える。
こうしてハンパ者に引導を渡すことができないまま白い目で見ている、というのは、
せいぜい白い目で見ることができている自分に優越感をおぼえていられる程度か。
それでいいのかと思いながらも待ち望んでいる次第。
特にこの互助会を「はてな村を汚す」と表現したあのエントリーも覗いた。
思うに、これは汚しているのではない。
「いろんなサイトの新しい情報をピックアップしてくれるよさそうなサービスだ」と
が、
そういったエンタメとしては程度は低いが
そういう感覚をおのずと学ぶに至った身としては、
この上手なキレ方を知らない者共の無様な殴打の応酬を、
ある意味で正そう、清めようという動きに見える。
つまるとこ、それはライフハックな有効活用でしかないようではあるが。
いずれにせよ、はてなはもとより穢れている。
嫌気性菌にとって一般生物が必要とする酸素は無用の長物であるように、
有り体にいえば、掃き溜めにすぎない。
おそらく決定的な善というより、
まだ、はてなを脅かす脅威としては未熟なんだ、と。
俺は互助会を支持しない。
はてなの隆盛を望むなら、おそらくは
闘争を望めばいい。
腐敗を欲せばいい。
浄化を拒めばいい。
正義を憎めばいい。
「異論は認めない」くらいがおそらく様になる。
だが俺はリクルート。
(「青二才が」とはどうしても言えない)。
あることをする(またはしない)からといって自分が得するわけじゃないけど他の人が困るからしなきゃ(やめなきゃ)いけないことって、あると思うんですよ。社会を構成していくってそういうことなんじゃないかと。
だから、あなたが何の得にもならないのに男女平等を実践するのは正しい行いだと私は思う。
逆に言えば男女平等の良識に従っても特にこれといったリターンがないのは当たり前だ。
他者を尊重する社会は巡り巡って誰かがあなたを尊重してくれる社会でもあるから、そういう意味では、情けは人の為ならず的な利益はあろうけども。
フェミニズムは人間の尊重という大きな理念に基づいていると思うが、女性という個別のテーマを扱うフェミニズムに愛想よくしてみたところで、本当、別に、いいことないかもしれないよね。いいことなくても、しきゃいけないことはあるんだけどさ。
それはそれとして、自分のことを自分で考えて、女性たちが女性らしさを押し付けてくる社会に抵抗してきたように、男性らしさの呪縛から解放されたらいいんじゃないかなあ。