はてなキーワード: レイトマジョリティとは
散財する機会が爆減した。
スマホ、タブレットの普及期は「おらワクワクしてきたゾ!」という感じで手当たり次第ガジェット買えた。
泥も林檎も窓タブも買った。すごく興奮できた。
でもモバイルデバイスが一巡したあたりから急に市場がつまらなくなった。
格安スマホが出てきて「レイトマジョリティに訴求する」なんて小売業者が言い出したあたりから退屈で仕方がない。
Tizen、火狐・Ubuntu・Fire Phone。遅すぎる。アーリーアダプターはもうスマホ、タブレットにwktkしない。
電子書籍を含むオンデマンドのコンテンツ配信もイマイチ盛り上がりに欠ける。
Apple TV、Chromecast、Fire TVに至っては意味が分からない。テレビ観る人っているの?
たぶん今アツいのはIoTとかDMPとか、エンタープライズ向けのテックなんだよな。
コンシューマー向けだと、車載OSとウェアラブルがややホットだけど、まだ諭吉を盛大に使えるフェイズじゃない。
GoogleやFBやMSやAmazonがカネにモノを言わせてインフラ整備したり人工知能開発したりしてるけど、やっぱりまだ諭吉使えない。焦らしプレイ反対。ギーク生殺し罪深過ぎる。
もうiPhone 6とかどうでもいいよ。なんかこう、ヘイヘイヘ~イ!ってカネを使えるモノはないですかね?
うちの会社はそれなりに名の知れた大企業なのですが、もとがIT系の企業ではないし、体質がものすごく保守的な会社なので、システムの運用管理、いやソフトウェア開発に関してもものすごく保守的です。
使っているテクノロジーはとにかく古臭いし、まぁ「古臭いなー」と思うだけで済むのなら良いのですが、どうにもそのテクノロジーの古さが足かせになっているように思えてならないのです。ITというスピード勝負で競争が激しい土壌で戦っていく気があるのなら、体質を変えないとこのままでははっきり言ってヤバイと入社3年目の若手が冷や汗するほどなんですから。
仮に、“いまのところは”このままで良いとしましょう。じゃあ、これからどうにも行き詰まったときにどうするのでしょうか、それから必死になるのでしょうか。当たり前ですけどそれはバカだし、それどころか人員を投入するとかそういうコストのかかる方法で解決しようとするんでしょ? いま新しいテクノロジーを導入するのは、たしかに負担がかかります。かといって、このまま必要に迫られるまでギリギリのところまで古臭い仕事をしていていいのでしょうか。そんなこと、学生のときに学んでいるはずなんですけどね。
では、僕がいるインフラ部門において、うちの会社の問題点とは何でしょうか。
信じられない人も多いかと思いますが、うちの会社では、監視以外すべて手作業で運用管理をしています。以上。
もう古いというか、それ以前の原始の時代です。これ以上の古さはありませんし、テクノロジーでもなんでもないです。すごく素朴ですよね、仕事が。すごくくだらないルーチンワークに時間をかけて、社員のスキルアップの機会を損失させてるんですから、悪循環にもほどがあります。そのうえ組織が大きくて、セキュリティのためだなんだと膨大な事務的作業に追われていて、この先、暗い未来しか見えてきません。
運用管理ツール、デプロイツールなど、そんなことには目もくれません。ひょっとしたらマネージャークラスでも継続的デリバリーとかナニソレ知らないという人がいる気がする。
そして、もう一つ問題なのが、“その古臭いやり方が、プロフェッショナルで、ベストな方法だと思い込んでいる先輩社員がいること”です。(もちろん、僕と同じかそれ以上に危機感を持っている先輩もいますが、その先輩は最近運用管理の仕事から離れてしまっています。もっとクリエイティブな仕事に行ってしまってる。)
「手作業でやることがいちばん安全でベストな方法だ」という考えを持っている先輩に対して、いつも返す言葉に苦労します。そこにはバカの壁っていうのがあって、言えば理解してくれるなんて大ウソなんですよ。実際、ほんとうに理解してくれません。むしろ自動化するほうが危ない(機械なんて信用できない)とか、自動化しても結局手作業で確認しなきゃいけないとか、言うんです。バカでしょ。過去にデカい失敗をしちゃってトラウマがあるならまだしも…。まぁ、へんに優等生タイプな人かな、こういう先輩は。体制に疑問を持たない人。想像力がない感じ。大局的視点がない。
それにそういう人は「スキルがない若手が生意気なことを言うべきじゃない」と思ってる。そこが間違ってると思うんですよ。大きく間違ってる。
若手は生意気なことを言うべきなんです。そりゃ若いから知らないこともたくさんありますよ。会社のなかの政治的なこととか、マネジメントの視点とか足りないのはあたりまえじゃないですか。それでも、若手が生意気なことを言うのには価値があるんです。その生意気のなかにしかないヒントだってあるんです、ごちゃまんとある。ベテランは生意気なこと言えないんですよ。ベテランが言ったら、それはただのベテランの発言でしかないし、そんなの往々にしてポジショントークになるに決まってるんです。
だから、なにが言いたいのかっていうと、もっと生意気言えよっていうことです。そして、もっと生意気言わせろよってことです。もっと言えば、積極的に若手の生意気を聴いていけよってことです。それが単に取るに足らない生意気ならば、ちゃんと丁寧に説明して玉砕すればいいだけです。取るに足りる生意気ならば、まぁ、レイトマジョリティの保守的管理職のみなさんは首を縦に振らないでしょうが、その方向に進めるようにスタンスを整えるだけでもしてくださいよってことです。
以上
ソーシャルウェブがレイトマジョリティまで浸透しての良かった点って、ぼんやりと思ってたが、なんとなく後ろめたくて口外できなかったようなことが
小さな記事でも加速度的に拡大してサイレントマジョリティが開放される瞬間が顕在化されたことかなと思う
WinMXでのダメぽ事件とか、Winnyの逮捕とか、ああいうのリアルタイムで見てきた「アーリーアダプター」はだんだんそういうの卒業して「コンテンツにはきちんとお金を払うべき」に行き着いてる。一連の流れを見ていて、お金を払わないってことがどういうことかわかってくるから。
支払いに対する倫理観も一緒にレイトマジョリティたちに伝わればよかったんだけど、彼らは「ネットってなんでもタダですごい!」みたいな無邪気な連中だし、そもそも勉強の意欲もないから、痛い目に合わなければずっとそのまま。
好きなアニメを紹介しようとしたら「無料でアップされてるサイト教えて」って無邪気に言われて切ない気持ちになったので書いた。もうちょっと時間あるときにきちんとまとめたい。
虚構新聞の件が少し話題になっている。そして自分はこの件が色々な人が語っているよりもすごく重要な話を含んでいると思うのでこれは書いておきたい。
要するに今回の件は虚構新聞がいつものように虚構記事(ジョーク記事、風刺記事と言ってもいい)を書いた→Twitterで大量に信じて拡散する人が→騙された人達が怒って軽く炎上→虚構新聞作者謝罪(ポーズだけかもだが)
みたいな話になっている。それはもういい。すごく単純な話だ。なぜ橋下さんの記事でこれだけ炎上したのかとかまた別の論点を色々含んでいるけど、まあそれもとりあえず置きます。
自分が今回の件で改めて問題であると思ったのは、最近の風潮からもずっと思っていたのだけど
である。
もちろん大袈裟に聞こえるかもしれない。ところがこれは全く大袈裟な話ではない。
まず、今回の話で考えてみよう、今回の件でとりあつかった記事は大阪市長橋下知事のTwitterの義務教育化、である。確かに橋下知事はTwitterでの過激な投稿が知られていて、こういったギャグがでてくる文脈は理解できる。
で、なぜか全く橋下市長に関係もない、嘘が見抜けなかったからといって笑ってすませばいいような(大きな実害が認められないような)人達がこぞってクレームに押しかけたのである。橋下知事のサクラを使った炎上マーケティング的なヤラセならまだ理解できるが、なぜか今回の特別過激な話でもないのに割と大きく炎上した。これが例えば天皇批判とか軍国化、太平洋戦争とか非常にセンシティブな話題に触れていたりするのならまだ話はわかるが、たかだかTwitterがどうこうみたいな話である。そしてそれが仮に本当だったところでお前らがどうするというのだという話である。しかも当の橋下知事が今のところこの件にクレームしているわけではないだろう、私の確認している限り。(もちろん本人が怒るのはまだ分かる)
つまり私には「すごく小さいジョークで滅茶苦茶過剰に怒られている図」に見えるのである。
なんとなく言わんとすることがわかっていただけてきたかと思うのだが、最近のTwitterを始めとする、IDを紐付けたソーシャルメディアの普及によって、投稿されたコメントが基本的にはほぼ全て、記録を伴って総覧することができるようになった現状がある。要するにこれによる監視社会化によって軽いジョークでも非常に過大な暴力的な制裁が加えられることが多くなったと思っている。
大学生飲酒運転ツイート晒しあげ祭り、のようなものが恒常的に起こったり、その他にも諸々不適切な発言が叩かれ、炎上することが多くなった。なぜか無駄に住所や写真などのアイデンティティを晒されたり過剰な制裁を伴う形でほとんどネットリンチ的なことが行われることが多くなった(これも非常に問題だと思っているがこの件に関しても今回は割愛としたい)
これは日本の話で、諸外国においてはより酷いケースもあり、ジョークの発言で入国を拒否されたり、イスラム国家で宗教的問題のある発言をして死刑が宣告されている現状をご存知だろうか?この手の話での死刑などがどれほど信憑性、実効性があるかは知る限りでないが、とにかくそういった話が随所で出てきているのである。(※ここの文指摘等ありおかしい点がいくつかあったので修正しました。)
つまりは極端に言うならすごく厳しい先生に監視されていてジョークが言えない緊張した雰囲気の教室のような状態、とでも言えばわかりやすいだろうか。軽いジョークのつもりでも真に受けられて、ひどく恐ろしい制裁を食らうのだ。このような社会で誰がギャグなんて飛ばすつもりになれるだろう。つまりは世の中からテキストベースでの(記録できる)公開された、ジョークが量的にも、質的にも劣化・減少を始める恐れがあるのである。(現にTwitterなどでは鍵付きのアカウントが増えているではないか)
もっと恐ろしいのは冤罪的なものである。上の外国の入国拒否の例などはまさにそれで、「ホワイトハウス爆発させるうぃる~(笑)」みたいな発言をしたヨーロッパかどこかの旅行者がアメリカ入国の際にそれが通知されていたらしく、入国を拒否されたという話である。もちろん額面的にはこいつらばーか(笑)で済む話ではあるのだが、これ、文脈を辿っても明らかにジョークだとわかるのに、入国拒否されたのだ。形式的には冤罪の形となんら変わらない。疑わしきに留まればば罰されないはずが、疑わしきが罰されてしまっているのだ。(勿論テロの恐れなどの事情があるのはわかるが)
つまり適当なジョークを書くことができなくなってきているのだ。もちろん書くだけでなく、写真の見せ合いによるコミュニケーションが増えてきていたり、適当に発言したことも、聞いた側がネットに書き込む可能性など全く排除しきれないことを考えると、これはもうほとんどどこにも逃げ場などないことにならないだろうか。
死刑論議の際に必ず、死刑を廃止すべき論陣の最たる動機として上がるものの一つがこの冤罪の恐れなのである。もちろんそこまで大袈裟なものでなくても、ふと小さなジョークを言っただけで自分の思わない形で制裁を受けるような社会が到来しようとしている。いわゆるレイトマジョリティ的な人達がこれらのネットの世界にやってくるのはこれからだ。そうなればもっと誤解や齟齬など、問題の起こる機会は増えるだろう。そういった中でどういった明文化した、暗黙でのルール・合意を形成するのが和気藹々としたネットの風景を実現できるのだろうかと思う。
最近の2ちゃんねる規制など、ネットに対してルール作りが急ピッチで進み始めるのがこれからなのだと思っています、自分ができることはあくまで問題提起に留まりますが、ネットに通じ、またこれからの良きネットの世界をつくるみなさんと考えていきたい問題だと思っています。
長くなりましたが、最後まで読んで下さった方はありがとうございます。