はてなキーワード: 児童画とは
内容的に浅くて本当にみっともない
なんかさっき「児童画展の審査が主観に基づいていて教育的じゃない」って漫画が流れてきたけど、正直言って「お前大学生にもなって何純粋なこと言ってんの」って感じだった
当然、児童画展の全部が全部ここに描かれているほどひどいわけじゃないだろうし、ここに書かれた事例にしても「お前が勝手に思い描いてた理想(妄想)と違う」ってだけで、普通の社会人なら「まあ、そういうこともあるだろう」で流すレベル。子供みたいに騒ぐなと言いたい
別にこれが本人もネタで書いてるならいいんだけど、「社会に問題提起している意識高い自分に酔って、傍からみたらただの子供っぽいことやっている」という構図がほんとうに見苦しい
昨日hokusyuuさんの文をリンクしてたたき台にしたら怒られたので今日は地の文で書くようにしてみる
hokusyuuさんのは魔法少女まどか☆マギカ論と言うのは嘘で魔法少女一般論だから結論が違ったら本編が間違ってると言い張れるけどw、自分の話はまどか☆マギカにしか通じない
えーと構図から
QBとの契約に現れる世界は通常の世界が魔法の世界によって脅かされる世界
これを2重の円に例えると内側が日常の世界、外の大きい丸が魔法の世界、外側の円に存在する魔法的存在により脅かされる。
この2重の世界は神話的暴力により、普通の世界しかないひとつの円から発生するわけだ
ここで自分にわかりやすいように神話的暴力ををフーリエ変換と考える
つまり日常の世界をフーリエ変換するとフーリエ空間上に2重の世界が現れると考える訳だ
hokusyuさんのではフーリエ変換とかの世界を変換する力を神話的暴力としてる事になる、個々の要素をA→aに変換する操作
それに対してその操作する主体である神が行う、変換する操作自体を選んだり、捨てたりするメタな力が神的暴力になる
真の魔法少女はこのメタ操作をして変換自体壊してしまえと言う主張になります
で昨日書いたのはここに、大人/子供軸 を導入すると説明範囲が広がるよねという話
魔法の世界が児童画的に書かれてるのが理由ですが 大人(=コスモ)/子供(=カオス)と考えてもらったほうが分かりやすいですね
hokusyuさんのは円の中身には踏み込まなかったけど、ここで2重円の中央に大人(コスモ)をおいて、子供(カオス)を円の周辺方向に軸をとる
画像のフーリエ変換を行ったとき、フーリエ空間中央部分に周波数0が来るイメージですね
でその画像の真ん中あたりに境界を守る魔法少女の境界線がかける
まどか☆マギカの世界で対応させていくとコスモの中央はコスモ=ノモス(日常)とすると、まどかの家庭(家)にあたると思う
ここから離れるにしたがってカオス度が上がっていく、他の魔法少女に付き合って戦いに行くと一番端っこの境界線までいくことになる
だからまどかの家庭(家)の演出ではシンメトリーの構図が多用されコスモ秩序が記号として強調されるわけです
それに対して境界に存在する魔法少女がいるとカオスになり、秩序が破壊された不条理を強調する演出が多用されるわけです
また大人/子供とコスモ/カオスを同時に扱うことで子供から大人に向かう成長物語が立ち現れる事になります。
キャラクター一人一人のストーリーラインは大人に向かう少女の物語として現れます
魔女と戦う魔法少女たちは幼児的無規範な世界から規範のある大人の世界を守るためにも戦うともいえる
大人として不適格な行動をとった場合闘争に負ける、つーかもともと少女だから勝ちよう無いのだが
マミはまどか本人に無利益戦いに引き込みそれに依存しようとした、独立した大人にあるまじきことに
さやかは成熟した女性としての恋愛感情の解決に失敗した・・・らしい8話によると見てないからよーわからんが
ほむらは負けそうにないな、(大人性を強調してるし)子供なのに大人って変な話だなー
今考えると魔法少女になると年をとらないので大人の年齢なのに外見は少女のままなんだな、やっぱし大人にはなれないわけだ
だから成長物語としては規範を内面化し、幼児性を規制してりっぱな大人になると言う話になる
では目指すべき大人としてのモデルは何かとなるのだが、そこに出てくるのがまどかの母である
テレビの人おまけにTVの世界で権力闘争までやってるスーパーウーマン
うんちょっとモデルとして問題あると思うよ
つまり、まどか☆マギカとは非情なサバイバルを生き抜いて大人になる訓練をして大人のせかいのサバイバルをする話だったんだ、ええーなんだってー
いや言いすぎだけど、時々そういう説明みるけど
まどかが神的暴力を振るうとき大人の階段をひとつ上ると言うストーリーラインが用意されてるとはいえると思うんだ。
と言うことで終わります
ニコ動で7話まで見てる、それに言葉とか無神経に使うのでいろんな意味とかないです、中学生レベルですから
hokusyuさんの――『魔法少女まどか☆マギカ』奪還論は難しくてよく分かんないだけど
http://d.hatena.ne.jp/hokusyu/20110223/p1
これに大人/子供軸の追加したらもっと説明範囲が広がるんじゃないかと思う
以下いい加減な解釈だけど
魔法の力ってのは幼児性からきてて大人には使えない、大人の魔法使いとかいない
魔女と戦う魔法少女たちは幼児的無規範な世界から規範のある大人の世界を守るためにも戦うともいえる
大人として不適格な行動をとった場合闘争に負ける、つーかもともと少女だから勝ちよう無いのだが
マミはまどか本人に無利益戦いに引き込みそれに依存しようとした、独立した大人にあるまじきことに
さやかは成熟した女性としての恋愛感情の解決に失敗した・・・らしい8話によると見てないからよーわからんが
だから成長物語としては規範を内面化し、幼児性を規制してりっぱな大人になると言う話になる
では目指すべき大人としてのモデルは何かとなるのだが、そこに出てくるのがまどかの母である
テレビのキャスターおまけにTVの世界で権力闘争までやってるスーパーウーマン
うんちょっとモデルとして問題あると思うよ
つまり、まどか☆マギカとは非情なサバイバルを生き抜いて大人になる訓練をして大人のせかいのサバイバルをする話だったんだ、ええーなんだってー
いや言いすぎだけど、時々そういう説明みるけど