むしろ理由があれば攻撃的になっていいって発想がいじめ加害者と一緒なんじゃねーの?
障害者の生徒たちが集まって相撲してるのをただ「見てた」っていう描写とか、
ちっちゃい頃に感電した生徒が毎朝校門の前で禅問答みたいな質問をしてくるとか、
非常に「いい話」なんだよね
語り口によっては非常にいい話になりうる
それをいい話としてきれいにまとめず、
以前はそんなことなかったように思う。
でも、最近まったく案件がさばけなくなった。だんだん書類が積もってくる。事態はどんどん深刻になる。あれをやっている間にこれの動きが止まりこれを動かせばそれが後退する。
そうかと思えば同僚は何でもホイホイ終わらせてさっさと帰ってしまう。
なんやねんこれ…
どないなっとんねん…
すべてが進まなくなって、いよいよ火が全体に回り始めた。
見かねた上司はついに「もういい!全部こっちに渡せ!」と言いだした。
でも、このまま渡してしまうと、また評判が下がる気がした。
勤務評定も含まれるが、それよりも人が人との間で交わす噂話。漏れ伝わる小咄。そいつ絡みの体験談。組織内での境遇を決めるのは「印象」なのである。
これは死刑宣告な気がしてしまって、『あとでお渡しに上がります』とかなんとか言ってその場を逃れた。
逃げてもなんにもならないのに。
もう火だるまだ。
私は主張したい。
決してメインストリームになれない「陰キャ」上がりの当時の業界人がメディアを介して間接的なマウンティングを行い「陰キャ」の聴衆が受け入れた結果なのである。
実際のところ、小山田が過去に障害を持つ同級生を虐めたか否かは大した問題では無い、何故なら日本全国で小山田の行為に類似したいじめはどの年代でもどの地域でも珍しいとは言えない内容だからである。
だが、普通はそんないじめの経験は、武勇伝としても自慢話としても公の場で話す類の内容では無い。
何故、小山田は25年前に積極的に悪質な虐めを全国誌で語り、その内容がそのまま出版され、多くの読者が受け入れたのだろうか?
その雰囲気を醸成したのが体育会系文化の下位互換としての90年代サブカル文化だったのである。90年代サブカル文化は、00年代以降のオタク文化とは似て非なるものであった。
00年代オタク文化はハレとケの、褻に当たる存在であることを自認しており、また、それは属性ではなく役割である。つまり、普段は「陽キャ」として振る舞う一般的な大学生が熱烈なオタク文化のファンになることも、役割であるが故に成立するのである。
90年代サブカル文化においては、これは成立しない、何故ならサブカル文化は属性であるが故に、メインストリームになり得ない存在であることが所属と同時に確定するからである。
多くの者が成長と共に就職等で、サブカル文化という属性から自然に離脱することにはなるが、留まり続ける者もいる。それが、メディアを牛耳る業界人だ。
今でこそ高収入で社会的地位が高いイメージだが、当時、サブカル文化属性の業界人はメインストリームに対して劣等感を抱いていた (※ ハリウッドでも似た話があるので、これは珍しいことでは無い)。
この劣等感は金銭的な収入では満たされない感情だったのだろう。社会的な地位が上がるにつれてサブカル属性の業界人は、メインストリームの体育会系の強者に匹敵するようなエピソードが欲しくなる。
しかし、人間は正直な生き物なので、完全に空想の嘘は付けない。結果生み出されるのが、90年代に公放送や出版物で繰り広げられた下劣ないじめ体験談につながった。
これは、小山田だけの問題ではない、小山田の経験を自らと同じサブカル属性の強者の武勇伝と位置づけ誇示するように掲載した雑誌関係者、自らと同じサブカル属性の英雄の功績として希望を感じた読者は、皆等しく文化を醸成した因子なのである。
陽と陰が協調し一つの目的に向かう初めての機会は、学生時代の文化祭である。(※ 24時間テレビが近いと思うかもしれないが、24時間テレビは、テレビ業界に所属している者が中心であるためにサンプリングに偏りが生じている)。
五輪はこの文化祭以来の、初の世代を跨ぐメインストリームと非メインストリームの協同作業だったのである。
この機会に、90年代サブカル文化の代表的な負の象徴である、小山田の過去が全国規模で炙り出されたことは決して偶然では無い。
正直、過剰反応
オリンピックを叩きたいが為に利用してる奴が6割
叩いてる奴等は勝手な正義を振りかざして自分はいじめたことありませんアピールしてるだけ
いじめてる事に気づいてない
そう、今もね
オリンピック?やればいいじゃん
いじめた事がある?大半そうやで
うんこを食べさせる描写はないが、週1ぐらいでうんこを漏らして教師がホースで洗っていたという描写はある
週1でうんこ漏らしていれば1度ぐらい食わせる流れになった可能性は否定できない
いじめじゃなくて悪ふざけって言ってる人を見てゾッとした。
掲載誌の原稿に誇張もあるだろうが、本人もいじめという認識の上で受け答えしているものが核になって掲載されてるからいじめだろ。
悪ふざけだと思ってる人は、あれらに近い事を自分がされても、これは悪ふざけだからって許せるのか?
小山田本人に関してはさして興味はないが、誇張記事だったとしてもあの記事を読んで、悪ふざけで片付けられる人が居ることにゾッとする。
そもそもなんで小山田が関与することが大会直前で発表されたんだろう。依頼・作曲自体は3月からやってらしいし。組織委は、4月ごろには過去の虐待事件について知っていたけど、対応が面倒だった。小山田を含む関係者を大会直前に発表すれば、「直前だから今更変えられない」と言って乗り切れると思ったんじゃないの?