懐かしいですね、50年前はそうでしたね
子どもに興味がない。
物心ついたときから子どもに興味がない。というかむしろ苦手なのかもしれない。大の大人でかつ女だが、子どもを前にしても甘やかしたり猫なで声で機嫌をとったりできない。かわいいね〜とか適当な言葉で褒めたりもできない。全部嘘っぽくて(まあ嘘なので当たり前だ)やってられない。感情がわかない。
友だちや知り合いの子どもに対して興味がわかない。生まれたら素直におめでとうとは思うけど別に会いたいとか思わない。どうでもいい。そこまでかわいいとも思わない。一般的な「赤ちゃんかわいい」の感情の範疇を超えない。
アラサー(子どもを生んでもおかしくない年)の女をやっていると、世間からは子どもに興味があると思われる瞬間が多くてとても苦痛。アラサーの女を辞めたいと思う。
男性ならここまでにはならないと思う。
子どもの話をされたときに興味のあるふりをしなければならない(けどできない)のが苦痛。それを求められたくない。なんで求められるの?と疑問。
子どもが欲しくないのかと言われたらそれについてははっきりと答えはなくて、なんとなく、欲しいような気もするが、それは対外的な圧力に勝てる気がしないという漠然な不安を埋めるために急ごしらえした感情のような気がしてきた。(子ども欲しくないの?なんで生まないの?攻撃や、それをぶつけられなくても、あの家はおかしいと疑問視・批判的な目で見られるのではないかという不安)
それを理由に生むという決断をするとしたら、生まれる子どもにも失礼だし、いい加減な判断だからやめたほうがいいな、という気がする。私の本心ではなくなってしまうというか……。
ただ、育児というものをやるには興味がある(もちろん語り尽くせぬほどの苦労があるというのは、経験したことはないがそれなりに承知の上)し、好きなパートナーとの間にできた自分たちの子どもを育てるということに対してはちょっとやってみたいと思う。
そもそも欲しいと思っても、作ろうと思ってできるかわからない。
できるかわからないのに、なんでできる前提で言われるのか不思議。
それ以前に、なんでアラサーの女(と、一応外見で判断される)というだけで、
・異性のパートナーがほしいと思っている
・子どもに興味がある
・子どもをほしいと思っている
上のことが全部前提としてのしかかってくるのか、それが息苦しくて本当に無理な気持ちになる。アラサーの女を辞めたい気持ちが強まる。
人の目を気にし過ぎなのかもしれない。
でも私は、本心を言うと、子どもに興味がないって声を大にして主張しても変な目で見られない世の中になればいいのにと思っている。
子どもは未来の宝なので(この主張をするときにかの言い方をすると語弊がある気もするが)、子育て世帯が優遇されたり保育施策が進められたりすることはとても良いことだと思うし、それをやめろとは言わない。むしろもっと子育てがしやすいようになればいいと思っている。それには賛成するし自分の税金でも何でもどんどんつぎ込んでくれと思う。自分が子どもを持っていなくても。
ただ個人の感情として、子どもに興味がない人間がいるということも認めてほしいというか、許してほしい。
無理に興味を持とうとしても無理なものは無理だ。なんで興味を持たなきゃいけないんだろう。興味を持つことを強要されたくない。そのポーズを取ることがすごく疲れる。
もう少し歳を重ねればこの意固地な感情も変わるのだろうか。もしくはやはり、自分の子どもができて、生めたら変わるのだろうか(それはありそう)。じゃあそれまでは我慢するしかないのか。生むことになるか、生めるかもわからないのに。
なんだかすてきな話なのでうれしくなってしまった
全部クレカで済んでる話だな。
やっても意味ないのがわかったのかな、あんなもんやったって効果は一時的だもん
僕もLinePay使っていたけど、スイカのほうがよっぽど簡単だし根付いている
電車に乗るときは必ず使うから、あらゆるキャッシュレスサービスはスイカには絶対にかなわない
どうすんだキャッシュレス?もうここまで投資したからには引けないよね!?
聞いたことあるキャッシュレスサービスでの利便性を向上させる施策って
飲食店で入店するまえに注文支払いしておき、店舗に着いたら商品を受け取るだけ
銀行振り込みだと払ってしまったら元に戻ってこないので、キャッシュレスはサービス会社が間に立って、一時預かりをする
入金機なしで気軽にカーシェア
あと他になにがある?
って独学で作れる?
マクロは組めない。
前職はマクロが組める人がたくさんいたけど転職したら全然いなくて、APIから成果をDLする作業を手作業で毎日行っているが面倒だし生産性なさすぎて時間がもったいない…。
ちなみに、ダウンロードページの際には日付を選んだり、項目を選んだりと、条件にチェックを入れる必要もある。
追記:
相手には全力で思いやりを持って優しく接していたけど結局最後はふられてしまう。
最後に付き合った人と別れてから、なんか色々絶望してしまって、無気力というか
良いこともなくていいから嫌なことも起こらないでって気持ちで暮らしてた。
誰も好きになれないまま、気づいたら10年も経っていて、
なんとなくもう人を好きになることはないんだろうな、と思っていた。
だけど、好きになってしまった。13歳も年下の男の人のことを。
仕事で関わっていた人だったんだけど、声や話し方、対応などがすてきだなって思う程度だったのが
毎日仕事の電話やメールをやりとりするうちにどんどん相手がどんな人なんだろうと気になるようになって、
彼の年齢を知るころにはもう後戻りできないくらい好きになってしまっていた。
好きな音楽の趣味が合うこともあって、一緒にライブを見にいくくらいの仲までこぎつけた頃、
良い機会なので諦めようと思ったけど、どう頑張っても無理だった。
彼が引っ越してからも、関東で開催されるライブに一緒に行くことで、この関係を切らずに済んでいる。
その彼に、この前ライブの帰り、突然好きですと言ってしまった。
自分から告白とかしたことなかったからすごく怖かったけど、言って後悔はしなかった。
気持ちを伝えただけで、付き合ってくださいとか言わなかったからだろう。
彼はすごく驚いていた。私は結構好きな気持ちを態度に出してたつもりだったんだけど、
全然伝わってなかったみたいだった。
数か月後に一緒に行くライブが控えてるので、その時は今より少しでも仲良くなれたらいいな。
彼のことを好きになってしまったこと、今まで誰にも言えなかったけど、誰かに聞いて欲しくてここに書きました。
読んでくれてありがとう。
抑圧されると悲しいことにそうなる。
抑圧されない子供に育てるんだ!
今から差別思想を植え付けておくといい、下手に差別と戦おうとすると、植え付けられた差別意識と喧嘩して自己崩壊するようになる。
「受信料を払うだけの勝ちがある面白い国営放送」を目指すから歪んでいくんでしょ、もう格安の人頭税だけ徴収して国家公務員によるクッソつまらないニュース専用CHにしなよ。
ごめんね!無理!
女叩きの中には女から男を取り返したいという願望もあるんじゃないだろうか。
「女はちやほやされている」「女はイージーモード」的なことを主張する非モテ男性、童貞、弱者男性は多いが、女をちやほやし女をイージーモードにさせているのは他でもない男である。
思春期以前の男性のコミュニティでは、女性は多くの場合部外者である。(女性は思春期以降もこの傾向は強い)「女子うぜえ」「女子はあっちいってろよ」と、男だけのコミュニティを発達させる。このコミュニティの中では男>女という構図が成り立つ。
ところが、思春期に差し掛かると、「抜け駆け」するものが出始める。彼らモテ男性、はコミュニティ部外者であるはずの女にうつつを抜かし、ちやほやし、閉じていたはずのコミュニティに女を入れ始める。すると、コミュニティ内で構図の逆転が起きる。モテ男性>女性>非モテ男性、という逆転である。この、男性>女性から女性>男性へのヒエラルキーの逆転は、モテ男性には起こらず、非モテ男性のみに起こる。
女叩きは回帰を求めているのではないか。女が嫌い同士集まり、女を下位に置き直すことでもう一度女子がいなかった頃の完璧なホモソーシャルを作り出す。勿論、女叩きをする要因は様々で、この限りではないだろうが、根底にはこのような懐古的な渇望もあるのではないだろうか。
サークルクラッシュに例えてみるとわかりやすいだろう。男だけの楽しいコミュニティ、そこにサークルクラッシャー女が現れる。女に惚れた男達は揃って女を担ぎ上げるが、時期に神輿の音頭は取れなくなりコミュニティに亀裂が入る。女に惚れなかった男は、ただ自分の友人がポッと出に奪われ、コミュニティを破壊される様を眺めるしかない。クラッシュの原は、女だけでなく下半身に支配された男にもあるはずだが、男同士友人を維持するためにはクラッシャー女を叩くしかない。
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という風に解釈してみたんだがどうだろう?思春期のノリについていけず零れ落ちたクソ女視点から考えてみた。友人に彼氏が出来ると面白くないし、惚気を聞くのもだるいし、何より長い付き合いの自分よりポッと出の男が優先されるのが気にいらない、というような内心は、実は男も抱えてるいるんじゃなかろうかと。「男らしさ」の足りない弱者男性はこういう風にホモソーシャルから零れ落ちてるのかなあと。
基本的に男は性自認が強く、女は性自認が曖昧だと思う。弱者男性は男ではあるけれど、性自認の弱い男なのではないか。性自認…というよりは確固たる自分の性別の信頼のような。弱者男性と名乗りながらもアイコンは美少女なところがなんとなくそう感じさせる(深い意味はないかもしれないが)。