PS4で新作格ゲーが発売されたので、ひさしぶりに遊んでみるかと購入した。結果、やはり格ゲーはクソだと思い知らされた。俺が下手なのは仕方がない。練習しよう。そういうゲームだからな。
だが、どうやって練習すればいいのだ。一番弱いCPUで勝ったり負けたりだ。
CPUはたとえときどきでも、必ず投げを抜ける。抜け失敗がない。CPUが投げられたときは「抜かない」と判断したときだけだ。
投げられても着地をとる。CPUが着地をしないのは「着地しない」と判断したときだけだ。
チェーンコンボも決める。CPUがチェーンコンボをしないのは「しない」と判断したときだけだ。途中で失敗したりしない。
キャンセル、スーパーキャンセル、ガードも完璧だ。「しない」と判断したとき以外は。入力ミスなんてない。
とにかく、格ゲーのCPUは入力ミスをしない。棒立ちかミスなく攻撃してくるかの2通りだ。
結局、むかついてやめた。
突然意味わかんない話題そらしし始めたよ、わかんないなら素直にわかんないって言えばいいのに。物理学が机上の空論と思いたいならそう思っておけばいいんじゃない?それは思想の自由だからあなたの信仰をどうこう言うつもりはありません。
どうせもらえるなら高いやつのほうがいいってだけだろそれ
ぶっちゃけ高校の時から行きたかった会社に内定もらったけど辞退した自分が通りますよ
内定者懇談会で違和感覚えまくって、大学の封建的、家長父制的な雰囲気がとにかく合わないくせに、自分の大学の派閥が最大な会社だと知ったのと、出身高校の派閥があるのが嫌で最後の最後でどうしても行けなくなって辞退してしまった。怒られたけど。
院進後普通に就職、今の会社は多分前の会社よりは格上。ただ今の会社もクソだけど、前の内定先に比べれば絶対に良かったと思うし全く後悔はしていない。
フェラ顔、どんだけ理想なんだよってくらいフェラ顔最高なんだよなー。
JK物、どんだけ理想のJKなんだよっていうくらい最高なんだよなー。
妹もの、どんだけ理想の妹なんだよってくらい最高なんだよなー。
コスプレもの、どんだけキャラはまるんだよってくらい最高なんだよなー。
献身キャラ良し、奉仕キャラよし、上から目線キャラ良し、ラブラブ良し、悪羅悪羅良し。
完璧なんだよなー。
オッサンとの絡み良し、露骨なロリ良し、ゴスロリ良し、ハーレムもの良し。
すげえなあ。
生きててよかった。
すべての物質の動きを予測することが本質的でないどころか、寧ろその個別性を大胆に捨象するところに熱力学の真髄があったわけですねえ。これは神が世界をそのように作った御業のなかでも特に深淵かつ示唆に富むものと思います。
詳しくは田崎先生の「統計力学」(裳華房)などを読んでみてください。あなたの問いかけたその質問よりも20世紀の物理は遥かに豊穣で奥が深いですよ。
国公立理系にはなんとなく来た.ぼんやり興味のある分野に来たつもりだったが,自分はコード書いてる方が楽しいんだなぁと気づいたのがB4卒論を書いているときだった
M1になった今,情報系ではなかったことを後悔しているけど,とりあえずプログラミングを勉強してはいる.
成果物が手元の端末に置けるっていいなって思ってモバイルエンジニア,特にiOSエンジニアを志望するつもりだ.
で,就活で大学で打ち込んだことはなんですか,とよく聞かれるらしいがそれを答えるためだけに大学に行っていたのだろうか,果たして俺は打ち込んだことに何を言えばいいんだろう
でも大学で研究して得たものはうちの研究室では就職に直接繋がらない.
画像処理やってたから画像処理系,機械学習の研究やってたから機械学習を使う,そんな職に就けるようなわかりやすい研究ではない.
大学の勉強は往往にして職にはほぼ関わらないというのは,自分には,わかるようでよくわからない
研究したかったから来たけど途中で職にしたいことは別だと気づいた,でも大学院まで来てしまっているし辞める踏ん切りも金もない.こんな中途半端な気持ちで何を言えというのだろう.
アプリを書くのは楽しいけどおそらく周りの大学時代の空き時間はみんなコード書くのに費やしました〜という人間には全く足元にも及ばないだろう,そんな微妙な自分を採用する企業はあるのか
著名なアプリエンジニアの方々の中にも自分と同じ分野出身の方がいて,就職路線は普通に用意されているんだな,とは感じるが…
読みづらくてごめんね 就職が怖くてすごい不安なんだ 周りからは焦り過ぎって言われたけどどうしてそんな楽観できるかわからないんだ
最近、神が自ジャンルを撤退した話をちらほらと見かけた。感想をもらえなかった神を止められない後悔のようなものが綴られていた。ファンとしては悲しかったんだと思うし、去る神の方も辛い思いをしたんだと思う。
そんな記事を読んでいて、きっとその世界に私はいないんだろうなと漠然と感じていた。
時おり好きになった作品で二次創作を書いて、同じ作品が好きな人とTwitterで繋がってフォロワーを増やすということが多かった。増やすといっても一桁単位の話で、私の作品のブックマークも一番にしてくれたのはフォロワーのことが多かった。自分が書いたものを喜んでくれたり、楽しみにしてると言ってもらえたり、投稿ツイートにいいねがつくだけでも嬉しかった。
それから私は今のジャンルにハマった。ジャンル自体が始まったばかりで、pixivの小説タグには作品がひとつかふたつぐらいしかなかった。私はジャンルに勢いよく沼ってしまっていて、その勢いのままほぼ週に一回ペースで小説を上げた。pixiv以外の投稿サイトでも多いときには1日に3本、2000字未満の短い話を書くこともあった。数打てば当たるというもので、同じジャンルで活動を始めた人たちの目にも止まってTwitterで動かし始めていたジャンル用の別垢にもフォロワーが増えた。主は絵を描く人たちで、その人たちが絵を投稿すれば三桁のブクマいいねはあった。
私はと言えば好き勝手に書きつつもよいときは二桁の反応をもらうことがあった。Twitterでも作品に関する反応をもらえて、嬉しかった。
けれどふとpixivの小説タグを見返した時、自分の作品しかないことが唐突に怖くなった。自分がタグを荒らしているんじゃないかと恐ろしくなって、自分の作品の多くを非公開にした。その直後にジャンルがアニメ化されたこともあったのだろうけど、小説タグに自分以外の作品が多く投稿された。その事を嬉しく思って、たくさん小説を読み漁った。
どの作品も魅力的で、文章も濃厚で、自分ではできない表現を易々としていた。
それと同時に自分の作品のつまらなさを見せつけられたような気がした。実際、自分が非公開にしたあとに投稿された作品のほうがブクマ数を稼いでいた。ジャンルに人が多くないからと2桁つけばいいと思っていたブクマを、あとから投稿された作品は三桁もらっているのを見た。なんなら自分がpixivに上げたあとの作品のほうが反応があることなんてざらだった。
けれど自ジャンルで話を書くことは好きだったし、私が書いた拙いものでも好きだと言ってくれるフォロワーはいた。フォロワーがTwitterで出した小ネタを話にして、その人に喜んでもらうというのが多かった。
しかしそんなことばかり続けていると、私が考えたものはつまらないんだろうなという考えに陥ったし、自分で話を考える力が失われてしまった。自分で考えた話はどれも似たような内容になっていて、読み直して頭を抱えた。
ジャンルではじめてオンリーが行われた時、私は人生ではじめて同人誌を作ってはじめてサークル参加をした。はじめてのオンリーということもあって開始直後にどのスペースも完売していて、少部数で持っていった私の本も全部売り切れた。すごく嬉しいと思ったし、そのあと感想をいただくこともあった。
しかし、再びあったオンリーでは新刊も既刊も、半分も売れなかった。具体的な数字を出せば、30部持っていってのその結果だ。
評価されないことも本が売れないことも、結果としては自分の実力不足の問題だ。結局私の書くものは内容もワンパターンで、文体も個性がないつまらないもの。腐向けを書くにしても事を為してる描写が下手くそで、自カプの話は大体オチもつけず終わらせている。
そんなのをこじらせて、最終的にはジャンルのせいだと思い込むようになっていた。この頃はジャンルの公式イベントに対する不信感やイベント現場でもオタクの問題行動が目についていて、余計にジャンルに対して批判的な視線を向けてしまっていた。ジャンルを知らない友人やフォロワーに運営への不満とオタクの愚痴を語るのが日課になり、腐向けに作った垢も不満と愚痴と自分の文章への嫌悪に溢れていた。
本当は私は私が書いたものが好きだった。文章は単純でも展開がワンパターンでも致してるシーンがつまらなくても、自分が書いてて楽しいものを書けて幸せだった。でも私は誰かの神にもなれなかったし、他人の目を気にしすぎて、自分自身の神にもなれなかった。
私はジャンルが大好きだった。売り込み方は下手だったけれど、関係者の熱意は間違いなくあった。ストーリーもキャラクターも魅力的で、今まで好きにならないタイプのキャラが推しになった。はじめて現場に行くきっかけになったこのコンテンツが好きだった。
今はせめて自分自身の神に戻るために、私は自分の好きだったものとちゃんと向き合おうと思う。
私が好きな私の文章を、私が好きであれるように。
私が好きだと思ったものを、好きだと思い続けられるように。