生きスギィ
たとえば器物損壊には過失犯なんかないでしょ
ゲームキューブ版から3DSまで律儀に村の住人を続けている。楽しいからね。
そこまで期待していた訳でもなく、ポケ森もちゃっかりダウンロード。
数日遊ぶうちに、こんな記事を目にした。既に読んだ御仁もいるのではなかろうか。
【「どうぶつの森 ポケットキャンプ」は、シリーズの魅力である“スローライフ”を“労働”に変えた】
http://jp.ign.com/animal-crossing-app/19707/feature/
これ、納得する部分も多い反面、ポケ森が"スローライフ"を"労働"に変えた、というよりは
ポケ森…というよりもソシャゲ特有のローコンテクストで直接的でメタメタにメタな設計が、どうぶつの森というゲームスタイルの「暗黙の了解としての労働」だけを「前面に押し出してきた」という表現のほうがしっくり感がある。
一体どういうことかといいますと。
ポケ森は本家シリーズに比べて無粋なほどにメタすぎるのである。一番わかりやすいところでいけば、【なかよし度】とその上位次元の【キャンパーレベル】の概念たちだろう。
どうぶつのおねがいを叶えるとお礼がもらえて【なかよし度】、【キャンパーレベル】が上がる。ポケ森はこの連続だ。
もちろん、本家シリーズでも【なかよし度】はある。たくさん話しかけたり、お使いを聞いたりすれば上がる。どうぶつがより親密な話題で話してくれるようになったり、おうちに招かれたり、最終的には遺影にしか見えないポートレート写真をくれたりする(最後はポケ森にもあるよね)。
でもこれ、隠しパラメータなんだ。決して絶対的な達成度が数字で分かるわけじゃない。(裏を返すと、この子は一番最初からいるから一番仲がいい!みたいな相対的なパラメータはなんとなく想像できる)。
ポケ森ではこれがいちいちいちいち出てくる。おまけに会話の流れに乗っかってこない謎の仲良しプレゼントなるものもくれたりする。メタい。
ポケ森のどうぶつに近づくと彼らが欲しいものが吹き出しに出てきたり、果物を落とすと再収穫できる時間が表示されるのも実にメタだ。
生活をたのしむ、というコンセプトにおいてメタはある種の急所みたいなものだ。メタが出てきた瞬間にゲーム臭さが出てきて萎えちゃう。
たとえば、ゲームキューブのどうぶつの森では「セーブ」ではなくて「きろく」という言葉が使われるし(まあ、レポートとか冒険の書、あるいはパパとの電話と同じような遊び心)
リセットボタンを押したならば、リセットさんなる登場人物が現れて、リセットはしてはいけない、このどうぶつの森にそんなものは存在しない、と怒鳴り声交じりの説教を数分間吹っ掛けて帰ってゆく。
どうぶつの森とは本来そういうゲームだ。徹底的にメタを排除し、非現実的なモチーフながらも世界に没入させるスキルに長けたゲームだ。
ポケ森と本家版を質的に比較すると、ゲームとして行う行動に大差はない。
魚を釣り、虫を採り、果物を拾い、売る、買う、返す。同じだ。一次産業的で非集約的な労働だ。
それならば、なぜポケ森を「ディストピア労働ゲー」と評する声が大きいのか。
簡単だ。労働の「強制」であり「義務」がポケ森のデザインだからだ。
本家の労働は「任意」であり「権利」だ。これが本家とポケ森の違いだ。
本家では何をしてもいい。かわいい顔立ちをしたどうぶつに貢物をして遺影をもらってイエーイするのもアリ。
社畜と化し速攻で借金を完済し、邸宅箱庭ゲー然とした遊び方をしてもいい。一日中釣りキチをしたっていい。
どの遊び方をとってもそれは本質的には労働でしかない。獲物をタヌキかアルパカに売りさばかないと何もできないからね。
でも、この「目的としての労働」を楽しめる人が「本家」どうぶつの森のターゲットだったのではないだろうか。
……
一方、ポケ森にとっての労働は、【なかよし度】と【キャンパーレベル】を向上させるための「手段」でしかない。だから、ポケ森のイメージは作業であり労働と捉えられるのである。
別に批判する気はない。基本無料のソシャゲってそういうシステムだもんな。そういうビジネスモデルに乗っかった「どうぶつの森」としてはいい線だと思うけど、「どうぶつの森」としては決して楽しいものじゃない。
そもそも数量的でメタな目的のために、黙々とおもしろくもない作業をやるタイプのソシャゲが好みじゃないからこういう感想になるんだろうな。
多少ミリオタが入ってるのて軍艦女の子のゲームを楽しくスタートして、最強の空母機動部隊だ!とかにこにこしながら遊んでたけど、3-2-1にウン100回入らなきゃ行けないとか、数十分おきに練習航海させなきゃいけないようなソシャゲのシステムには馴染めなかったので、
執務室にいる吹雪ちゃん(Lv33くらい)は2年ぐらい待ちぼうけをくらっている。健気なのに。
やってる間ずっと楽しくないとゲームじゃねえ!つまらん!というソシャゲ音痴の考えでした。
でも部分的にはお友達が全員どうぶつの森をはじめたような楽しさがあるから、当分は除くんだろうけど。キャンパーレベルは12。そろそろしんどい。
わからん。
光回線いれようと調べてるけど、サイトが乱立してるし料金もバラバラ。
というか安易に検索すると割高料金のサイトにぶち当たる。1000円近く差がある。
うっかりしてしまう瞬間は誰にでもあると思う
どんなに万全な状態でも、人間である以上完全には防げないのだと思う
皿を割ることもある、転ぶこともある、指を切ることもある
うっかり人を跳ねた人と、うっかり皿を割る私に、運以外にどんな差があるんだろうと、時々思う
まあ私は免許持ってないんですけどね
すごいな、この「世界は俺を中心に廻ってる」感
行った店の料理があまりにもまずかったり、行ってみた場所がショボかった場合どういうリアクションをすればいいんだろう…気まずい…
新宿の「ベジダイニング」という有機野菜?をウリにしてる店がめっちゃまずくて皆閉口してた。
某地方都市在住。
具体的に言うと、スプラトゥーン2のサントラCDとアートブックが両方とも11月29日(水)発売だった。メーカーはどちらもKADOKAWA。
CDは11月28日(火)に店頭に並んでいた。これは発売日前日の店頭到着日にショップがさっさと並べてしまうCDショップの慣習らしい。
書籍は当方地域では11月29日には見掛けなかった。一日遅れの11月30日には並んでいた。
…いやいや、よくよく考えてみるとおかしくね? なんで発売日が同じなのに書籍は遅いんだよ! 同じKADOKAWAだろ?
今まで書籍が発売日に並ばずに遅れるのは「まぁ地方だからしょうがないよね」って流していたけど、
書籍以外では、CD・DVDとかゲームは発売日から遅れて並ぶなんてことはないのに気付いた。
当然CDと書籍では製造過程も流通も違うから単純に比較できないんだけど、なぜCDでできていることが書籍でできないの?
CDよりも書籍の方が納品範囲が広いから? CDショップが少なくなってるから? CD業界の流通が優秀なの? 必死なの? 書籍業界がやる気ないだけなの?
エロ本が標的にされるのは、やはり文化的・宗教的タブーだと思う。
リベラルがエロに対して表現規制やゾーニングを求めるとき、「自分たちは保守主義者とは違う!」と主張しているが、それは本人にも自覚のない嘘だと思う。
リベラルの思想的背景は、キリスト教や西洋文明であり、きわめて宗教色が濃い。
例えるならば、欧米人が"客観的に考えて"、アジアの風習を野蛮だと非難するようなものである。
どれだけ客観的に考えようとも、それは欧米人ゆえの偏見を脱することができない。
ひどいものになると、欧米人はまったく自覚なくアジアを見下している。
必要以上にアジアを恐れているから、その野蛮さが大きく見えてしまう。
そしてその場合、彼らは欧米が野蛮さを含んでいることに無頓着のまま、欧米こそが文明だと自画自賛して、アジアの野蛮さばかりを責め立てるようになる。