だからあなたは、軽く扱われて然るべきものを指して、「軽く扱われているから失敗」と言ってるわけだ。
そんなに留学を重く扱って欲しいなら、「穂乃果とことりの関係を主軸にして二人の愛を描くべきだった」くらい言えばいいんだよ。
???
年齢も関係ないのです。
0-5歳までのどこかのタイミングで、その物事に好奇心が芽生え、5歳を迎えるまで継続した結果、5歳の段階で天才的な習熟を達成しただけの事に過ぎないわけです。
そこに先天的特性があろうが、後天的特性があろうが、ただ、5歳までの間、物事を継続した結果、他者から見たら天才的なレベルに到達していた。というだけで。
仮に5歳で天才だと賞賛されるかもしれない誰かが、何らかの理由で高みに登る事を諦めて挫折していた場合、天才と呼ばれずに別の運命を辿ることが確定するでしょう。
ちなみに中にはノイマンのように、専門領域外の物事に対しても瞬間的に天才的能力を発揮することができる多分野的な天才がいますが、
これは、未知に対し、その人が既に持っている天才的な能力を転用、活用することができる「未知の物事」だからです。
会得していた概念が、様々な分野に応用可能な概念であるなどして、必然的に他分野の基本能力がゼロからではなく、底上げされた状態からのスタートが可能な特性を持っていたからです。
http://anond.hatelabo.jp/20130402215709
この記事について。
私はただ一つ「この記事には論理的誤謬があり、なおかつその誤謬によって害が引き起こされる可能性が大いにある」という話をしたいと思います。健常者がどうのアスペルガーがどうのという話ではありません。まあ書きながら考えるので変なところに着地するかもしれませんがとりあえず目指すのはその辺です。以下本文。
まず、「健常者にも色々いる」とご自分で述べておられますね。
それにも関わらず、「だからアスペルガーは嫌がられるんだよ」という主張の論拠として使われているのは知人のアスペルガー男性のエピソードのみ。アレかな、「アスペルガー症候群にも色々いるんですよ^^」っていうツッコミ待ちの記事なのかな。
「私の知り合いのアスペルガーが嫌がられる本当の理由」という題名でもないしそのように解釈できる文言が本文中に書かれてもいない以上、「こういうわけなのでアスペルガー(の人間は普通皆)嫌がられるんだよ」という意味にしか解釈できませんよね(論拠は筆者の会ったことのある「アスペ男性たち」の印象と、たった二人の人間のエピソードだけだけど)。すくなくとも筆者の方はそのような意味をこめて書かれたと解釈したんだけど、違ってたら申し訳ありません。
まあ自分で「自分は医者でもないしアスペルガー100人に会ったわけでもない」と丁寧に注をつけておられるし、「アスペを全否定はしない」とまで書いていらっしゃるので、この題名はどちらかというと人を釣るために極端な題名をつける技法の一種ではあるのでしょう。
しかし、「アスペを全否定はしない」のくだりの直前まで「アスペルガーは~」「アスペは~」と相も変わらず「普通アスペルガーはこうなんだよ^^」とでも言わんばかりの叙述が頻出していますよね。というか全編そうなんだけど、「健常者はこうなのにアスペってほんと迷惑だよね、困るよね^^;」という記述、論調になっています。実際に読み取れるのは「私はこうなのに知り合いのこいつらはこんなやつらなんだよね、困るよね^^;」という内容だけであるにも関わらず、一般論に見せかけようとしています。
つまり、この筆者は、「自分VS自分の知り合いのアスペルガー」の構図を「健常者一般VSアスペルガー一般」という構図に敷衍しようとしているんです。
自分は「自分VS自分の知り合いのアスペルガー」という例しか知らないにも関わらず、「健常者一般VSアスペルガー一般」として、あまつさえ「アスペルガー一般」を悪であるかのように語ることは紛れもなく邪悪な錬金術です。比喩を使わずに言うと、詭弁です。自分の「知り合いの困ったアスペルガー」という個別事例を「アスペルガー症候群の人間全般は困る」という大きな空想に仕立て上げる言葉の錬金術は、意図的にやったならば紛れもない邪悪です。この「自分は医者でもない~」や「アスペを全否定は~」のくだりは、この邪悪な錬金術をごまかそうとする、実の伴わない、卑劣なエクスキューズであると言わざるをえません。
……とここまでかなり過激な言葉を使ってきましたが、これは「アスペルガーが嫌がられる本当の理由」が書かれた意図をまあ悪いほうに解釈した場合の話です。よりマシなほうに解釈するなら、この筆者さんは<早まった一般化>の罠にうっかりはまってしまったものとも考えられます。<早まった一般化>とは、要するに「X高校の生徒Aは不良だった。X高校の生徒Bも不良だった。したがって、X高校の生徒は全て不良である」とやってしまう論法のことです。当然ながら論理的に妥当ではありません。しかしよくやっちゃう誤謬だからこそ名前までついているのであって、うっかりやってしまうことがあるのは仕方ないともいえます。
しかし、これを「仕方ないねー、次から気をつけてねー」で済ませてしまうことはできないと考えます。
なぜなら、意図的であれうっかりであれ、「アスペルガーが嫌がられる本当の理由」が「ある特定のグループの人間を妥当な根拠なくdisり、彼らの悪印象を植え付ける」ものになっているからです。
「妥当な根拠なく」というのは上段に述べたとおりです。
筆者は「自分の会ったことのある男性アスペルガー達」の話を「実際の、正しいアスペは~」と、何故かアスペルガー全般の話としかとれないような言い方で敷衍しています。そして、「だからアスペは嫌がられるんだよ!」とdisっています。筆者の方もうっすらマズいと思ってはいるのか「アスペを全否定はしませんが~」とか書いてはいますが、そもそも「アスペが/アスペを」と書いた時点で「アスペ(ルガーの人全般)が」という意味になってしまっていませんか。
これを「うっかり」やってしまったのならば、筆者の方には思慮が足りません。言葉は悪いですが、言い方が悪くて周囲と軋轢を起こしまくりなおかつ自覚できない反省もしない、コミュ障(の一種)と同レベルです。言葉の使い方が悪く、主張の論理的妥当性を吟味していないばかりに「X高校のやつらってマジ不良だわーサイアクー」という誹謗中傷になってしまっています。ご自身のためにもお気をつけになるべきだと思います。
これを「意図的に」やったのならば、ただの根性曲がった悪人ですね。社会のためにも大人しくしててください。
ここまで書いてきたのは、「自分が知っている個別事例のみを根拠に何故か一般論として特定の人々をdisり彼らへの悪印象を植えつけようとする」のはどうかという話であって、本質的に健常者(というか定型発達)がどうのこうの、アスペルガーがどうのこうの、という話ではありません。ただ<早まった一般化>にはお気をつけを。邪悪な意図があろうがなかろうが、あなたが「結果的に」悪人と同じことをしている可能性は大いにあります。
おわり。
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おまけ
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↑では「アスペルガーが嫌がられる本当の理由」について、個別事例を一般化してdisるの
はよくないとおもいます!という話に(最終的に)なっていましたが、それとは別の視点
でこの記事につっこんでみようと思います。特に主張の芯もなく(というか主題から外れた枝葉の話で)論理の組み立てが甘いので本文からは省いた話です。二つぐらい書きます。
1、
上でも言いましたが、アスペルガーの症状をまとめたサイトには、
「空気が読めない」「裏表が無い」
「一つのことに夢中になる」
「アスペは、我々がきちんと説明すればわかってくれる」
頑張れば楽しくつきあっていけそうな気がします。
思わない。思わないから。その説明読んで天然ボケのかわいい人と思うのはあなただけ。
まああなただけというのは言いすぎですね。人によってこの説明文から受ける印象は分かれるだろうということです。で、人によって印象の分かれる説明文に関して自分の感じた印象を述べるところまでは何の問題もありません。が、この後にこう続くんですよね。
でも、実際はそういう単純なことではなく、
・健常者がアスペに状況を一生懸命わかりやすく説明しても、アスペは理解できないし、
意見を曲げずに屁理屈を返す。口が達者。こっちが強く言えば逆ギレし、怒鳴って癇癪を起こす。
これが、正しいアスペルガーの症状の説明であり、
以下アスペルガーdis。この辺の記述が個別事例なのにアスペルガー一般の話として語られている以下略という話は上段を読んでいただくこととして、この一連のくだり、実はこんな構造になってるんですよね。
ここ、2. 以降の内容(「でも、実際にはそう単純なことではなく~」以降)をより悪い印象にするために、本当は印象の分かれる説明文について、わざと「こういういい感じに見えますよね?」と持ち上げているんです。まあよくあるレトリックとはいえ根拠レスなdisを効果的に演出するために使われるとつっこみたくもなるし筆者に悪意が感じられそうになるので困ります。
別に悪意とかなくても無意識に使われがちなレトリックなので上段でこの筆者に悪意があると断定するのは避けたんですが、私最初は「ドーモ、元増田=サン。悪の増田滅ぶべし」って感じで書いてたんですよね。それはこの辺が原因でした。
でもこれ2回もやってるんだよなーこの人。
2、「価値観が違う」ことが分かってなければ「価値観が違う人に説明」などできない
この筆者の方は、アスペルガーのお知り合いとコミュニケーションするに際して、かなり「惜しい」感があります。すなわち、
と「感じて」はいるようなのですが、「分かって」はいないということです。
このアスペルガーのお知り合いの方たちは、被害者、もしくは自分が庇った加害者の気持ちでさえ、他人の気持ちがまったく斟酌できなかったようですね。それは私も記事から読み取れました。心中お察しします。
しかし、このアスペルガーの方たちが、筆者の方の説明に納得せず暴走し続けていたのは何故なのか?これも筆者の方が仰っているとおり、「価値観が違う」からなんでしょう。(このアスペルガーの方の価値観が「根本的に」「健常者と」違うかどうかは断然議論の余地がありそうですが、それはまた別の話しになるのでさて置きます。)
では、「価値観が違う」ってどういうことなんですか?
「価値観が違う」ということは、この場合「筆者の価値観に基づく説明では、アスペルガーの知り合いを納得させることはできない」とういうことです。なんだ当たり前じゃんと思いますか?ですが、これを元にすると、先に筆者の方も挙げていた「アスペルガーの特徴」の解釈が違ってきます。
「アスペは、我々がきちんと説明すればわかってくれる」
これです。
この「きちんと」が曲者だったということです。
筆者の方は、「きちんと」説明できていません。
筆者さんのエピソードに出てくる「アスペルガーの知り合い」、すなわち「価値観の違う相手」に説明し納得してもらうには、「相手の価値観に基づいて納得できるように説明」する必要があります。これは相手がそのアスペルガーのお知り合いでなくとも一緒です。自分で善悪の判断ができない子供に「あなたのお母さんが、それはダメって言ってるよ」とさとしたり、宗教が違う人間、住んでいる文化圏の違う人間にどうにかこちらの事情を分かってもらおうと四苦八苦したりするでしょう。そんなときにひたすら大人の価値観、自分の宗教、文化圏の価値観に基づいた主張、説明のみで分かってもらえるでしょうか?
アスペルガーのお知り合いの価値観のもとでも分かってもらえるように説明した、と取れる文章は残念ながら記事のどこにもありませんでした。ならばわかってくれなくても当然ではないでしょうか。
分かりやすく説明した、というのはあなたの価値観にもとづいた主観であって、相手に何かを納得させたいのであれば、あなたの価値観だけにもとづいた説明などゴミも同然です。相手に理解できる論理になっていないのであればそもそも説明になっていません。あなたの説明が普段普通に通じているように思えるのは、あなたが多数派の価値観の中にいるからであってあなたが正しいからではありません。
ただ、定型発達の方もとい「健常者」がアスペルガーの方の価値観、アスペルガーの方に通用する論理を理解するのは難しい場合が多いと思います。お互い論理的に正しくてもその論理の使いどころがそもそもずれている場合が多いですし、論理ではなく感情に拠るところが増えればお手上げでしょう。筆者の方はアスペルガーのお知り合いを「お世話」しているようですが、それがアスペルガーのお知り合いが円滑に社会生活できるように周囲との人間関係をとりもっている、という意味なのであれば、筆者のかたはそもそもその「お世話」に必要な理解の試み、もしくは努力、もしくは能力そのものが足りていないのだと思われます。価値観の違う相手とうまく付き合おうとする試みに疲れる、もしくはそれができないのであれば、無理に「お世話」しようなどと思わずできるだけ相手と付き合わないようにするのが最善ではないでしょうか。
だから法律やルールは常に普遍的ではないし、非人道的で不公平な法律やルールも存在する。
???まだ使っていないものが新品、使われたものが中古だからね。どこが例えなのか、例えならばどこが間違ってるのが教えてちょうだいな
ほんと頭悪いなあ。
しん‐ぴん【新品】
http://dic.search.yahoo.co.jp/search?ei=UTF-8&p=%E6%96%B0%E5%93%81&fr=dic&stype=exact
新品(しんぴん)とは、生産者の手によって製造され、場合によっては梱包された状態のまま、まだ消費者等の第三者の手に触れられていない(販売されたことのない)工業製品(耐久消費財)を指す。
「新品」を比喩じゃないと理解してないこと自体、脳が冒されるってことだよ。
その時の私から見たら、彼らが豊作だ豊作だといって騒いでるラインアップはすごいアニメ好きな人たちだけが楽しめる世界でした。
「これが楽しめない奴はアニメ見なくてもいいよ」とでもいいながら内輪でキャッキャウフフしてるみたいなイメージを持ちました。
NHKやTV朝日でやってた一般アニメとか、ハウス食品の名作劇場とかさ、ガンガン金落としてたらオタ作品なんかキワモノ扱いだったのに
数多あった一般作が金にならなかったから、オタクに媚びた作品しか作れなくなったんだよ。
それ以外は、ジブリとかディズニーとかのお母さんも安心劇場作品だけ。
「ぼくのかんがえたさいこうのアニメ」を作って欲しいなら、業界を支えられるだけのファン層を作れ。
お前がやれ。
なんか話逸らしてる感じするけど。
Webで人気だった作品が、大手出版社の賞にことごとく落ちて、読者の支持が多ければ出版できるところから本出して、10万部のヒットとなったって話は知ってる?
これは、
レーベル名なしで作者一人だけの自費出版で出したら一体どんだけ売れるのか考えてみな。
「ボクの作品はweb上で物凄いPVを獲得していて…!」とかいうのもはっきりいって無価値。みんな、タ ダ じ ゃ な け れ ば 読 ま ね え か ら 。
これに対する反論でしょ。
もちろん編集も作家とかわりなく替えのきく「消費しうる人材」でしかないが、比較すると作家よりも編集の方が替えるの大変なんだよ。
小説大賞に応募してきたのは作者、賞を取らせたのは会社。新入社員と同じ立場だよ?“ウチで仕事させてやってもいい”ってだけ。
編集がほんとにこんなふうに思ってやってるなら、そりゃ元記事みたいな不満が出てきてもしかたないわ。
同人の即売会は、たいがい10時から16時の6時間で、1分3冊のペースで売れるとすると1080冊。1冊500円で504000円。印刷代がなあ。どのくらいかけるかだけど、まとまった数刷れば安いし。利益が3割と見込んで、17万円そこそこかな。生活するのは無理じゃないかなあ。
商業ベースなら、印税は1冊50円程度だけど、1万部刷れば50万円もらえる計算だから、1日即売会に出るのと同じ金額をまるまるもらえるってことだから、同人よりいいと思う。……生活するのは無理かもしんないけど……。
喩えで物事を語るというのは、たいてい下らないバイアスや偏りがあるものだけど、処女厨が絶賛しているこの喩えは特に酷い。(画像がはれないのでよそのサイトへのリンクで申し訳ないが)
http://livedoor.3.blogimg.jp/vipsister23/imgs/d/b/db1284c7.jpg
これを見て「うまい」とか言ってる奴の気が知れない。
ここで女性をクッキーに喩える必然的な理由はない。これがクッキーじゃなくて1万円札や金塊だったら? みんなの手を渡っていようが何しようがみんな欲しいって言うだろ?
女性をクッキーに喩えるなら男性は何になるんだよとか、きもい奴ひとりが触ったのと魅力的な異性多数が触ったののどっちを選ぶかとか、家族や気になる異性が手渡しで渡してくれたクッキーなら食えるけどそれってこの比喩に当てはめると家族や好きな人の相手なら大丈夫ってことになるんじゃね? とか、突っ込みどころありすぎてキリがない。
なぜこういうことになるかというと、この比喩が「妥当でない」からだ。
喩えは、都合がよいものを都合がよい状況に当てはめ、好き勝手に捻じ曲げることができる。現実に則さない、本来なら適合しないそういうわけのわからない比喩を持ってくることで、話を混乱させ、煙に巻き、自分の主張したいことへ誘導するという目的で。比喩の内容を正しいと思わせることで、自分の主張をあたかも正しいと錯覚させる。
他にも、女性を便器に喩える例がある。女性が便器なら、処女は単に未使用の便器だ。他人が使った便器は使用しないのか? みんな普通に使ってるだろ? この喩えに乗っかるなら、処女厨は新品で購入した自分専用の便器しか使わない、家のトイレは他の誰にも使わせない、ってことになる。
そしてこの比喩に対して、男性は何に喩えられるのか。便器の中に入るものといえば当然、尿や便である。処女は未使用の便器にすぎない。女性を便器に喩える人間は、男性は尿や便であると認めていることに他ならない。
「山師」なんだと思ってたー。読者にウケる原稿を「掘りあてる」お仕事。売れる原稿をよそに持っていかれたら負けの世界なんじゃないのー?
ただのお前の好き嫌いじゃねえか。