2013-04-03

女性クッキーである必然性がない

シモネタやあえて失礼な表現もあるので注意。

喩えで物事を語るというのは、たいてい下らないバイアスや偏りがあるものだけど、処女厨が絶賛しているこの喩えは特に酷い。(画像がはれないのでよそのサイトへのリンクで申し訳ないが)

http://livedoor.3.blogimg.jp/vipsister23/imgs/d/b/db1284c7.jpg

これを見て「うまい」とか言ってる奴の気が知れない。

ここで女性クッキーに喩える必然的な理由はない。これがクッキーじゃなくて1万円札や金塊だったら? みんなの手を渡っていようが何しようがみんな欲しいって言うだろ?

女性クッキーに喩えるなら男性は何になるんだよとか、きもい奴ひとりが触ったのと魅力的な異性多数が触ったののどっちを選ぶかとか、家族や気になる異性が手渡しで渡してくれたクッキーなら食えるけどそれってこの比喩に当てはめると家族好きな人の相手なら大丈夫ってことになるんじゃね? とか、突っ込みどころありすぎてキリがない。

なぜこういうことになるかというと、この比喩が「妥当でない」からだ。

喩えは、都合がよいものを都合がよい状況に当てはめ、好き勝手に捻じ曲げることができる。現実に則さない、本来なら適合しないそういうわけのわからない比喩を持ってくることで、話を混乱させ、煙に巻き、自分の主張したいことへ誘導するという目的で。比喩の内容を正しいと思わせることで、自分の主張をあたかも正しいと錯覚させる。

他にも、女性を便器に喩える例がある。女性が便器なら、処女は単に未使用の便器だ。他人が使った便器は使用しないのか? みんな普通に使ってるだろ? この喩えに乗っかるなら、処女厨は新品で購入した自分専用の便器しか使わない、家のトイレは他の誰にも使わせない、ってことになる。

そしてこの比喩に対して、男性は何に喩えられるのか。便器の中に入るものといえば当然、尿や便である処女は未使用の便器にすぎない。女性を便器に喩える人間は、男性は尿や便であると認めていることに他ならない。

自分の論を真正から主張しても通らないからといって、くだらない喩えを使うのはやめろ。

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