はてなキーワード: マラリアとは
テキトーに思ったことを殴り書きするだけなので、真に受けないように。
ちょっと抗生物質の話をする。抗生物質というのはさ、細菌(バクテリア)感染に対する薬でさ、細菌を殺すわけ。
細菌が死んでもヒトが死んだら元も子もないから、細菌には効くけれど、人間には効かない化学物質を探すわけ。
細菌もヒトも死ぬってのは、例えば消毒薬とかはそれに近いかな。細菌も死ぬけどヒトの細胞にも大ダメージ。
ヒトは皮膚が厚いし、その程度じゃ死なない、耐久性の問題でヒトは平気っていうレベル。
そんなんじゃまあ困るんで、抗生物質というのは、細菌の酵素には作用するけど、人の酵素には作用しないって物質を探して、それを薬にしてるわけ。
そもそも細菌と人間ってめっちゃ違う生き物だからさ、細菌のには作用するけど人間には作用しないっていう化学物質も探せば見つかるのさ。
そんなわけで駆虫薬の話に戻るけど、虫下しってのが難しいのは、虫ってかなり人に近いの。
真核生物ってだけで、かなりヒトに近いんで、水虫(真菌)の薬って飲みすぎると肝臓がやられたりするじゃん。
虫ともなるともっとヒトに近いんで、マラリアの薬なんてそうそう怖くて飲めない。
そこにきてイベルメクチン、なんか知らんけど虫は下すのに、たいした副作用がない。
抗生物質なんてワンシート飲んだってそうそうなにも起きないけど、殺虫剤なんて飲んだら普通死ぬだろ?
なぜだかわからんけど、線虫っていうウネウネ系だけじゃなく、ダニにまで効くし、果てはガンやらウイルスにも、要するにヒトに害なすもの全般に効くらしいっていうデータがあったりなかったり。
奇跡の薬なんで、もう一つくらい奇跡を起こしてくれるんじゃないかって期待するのもわからんでもない。
イベルメクチンの関係者は「奇跡の薬イベルメクチンなら、COVIDにだってもしかしたら!」って思ってる(と思う)
今日日、普通の創薬ってのはな、明確なターゲット分子があって、それにくっつく物質を探すわけ。
例えば、喘息の薬を作りたかったらだな、喘息の症状はこういう機序で起きる、じゃあその起点となるホニャララのレセプターにくっついて邪魔する分子を探せ、って号令がかかる。
レセプターの立体構造を分析して、それにくっつく化合物を探してくるというやり方な。
数千、数万の物質を手あたり次第探してだな、試験管の中でちゃんと目的の場所にくっつくか調べていくわけ。
例えば、生薬とかな。
「昔から効くって言われている、じゃあ効くに違いない!効果を実証してやろう!」
ってな。
まあ、実際それから薬になったものもあるけどな、今じゃ流行んないよな。
せめてどうして効くのか実証してからじゃないと、ヒトで試験は出来んわな。
どうして効くかなんてわかんないけど、青カビの周りに菌が生えないってことの発見からだろ?
とにかく、普通は、「こういう化合物を探せ!」から始まるところ、イベルメクチンみたいに微生物由来の化合物から創薬するときは、とにかく面白い見たことない化合物をたくさん探すところから始まってる。
「これはなんかの薬になるはずだ!なんの薬になるかは知らんけど」www
ってところから開発なんか出来るかよ!って思うけど、事実は小説より奇なりで、そういう薬も時々ある。
これがさ、抗生物質だったら、イベルメクチンを抽出して培地に混ぜると細菌が生えないっていうデータでもとりゃ、なにやら薬効がありそうだなっていう雰囲気はつかめるけど、駆虫薬ってどうしろと。
寄生虫ってさ、名前のとおり寄生しないと生きられないヤツがほとんどだからさ、シャーレとかで実験が超難しいわけ。
イベルメクチンって形からすると、抗生物質に似てるからさ、抗生物質として開発されるならわかるけど、なんで駆虫薬wウケる。
しかし、結果は大当たり。
そんなこんな、作用機序もなんとなくしかわからんまま、動物薬で不動の地位。
動物薬で不動の地位だったイベルメクチンだけど、長らくヒトに適用されなかった。
王道をいかない開発をするとさ、なかなかお上が認めてはくれないのな。
ここだけの話、世の中には王道をいかなかった薬ってのはたくさんあるんだ。
〇山ワクチンが承認されないのにPやKが承認されてるのはオカシイって昔騒いだけど、〇山ワクチン含め三つともおかしな薬だったよ。
効くに違いないが最初にあって、ヒトに投与しちゃうんだもん。しかも微妙な臨床成績で。
ハンセン病の患者にガンが少ないから、ハンセン病の病原菌の親戚の結核菌がガンに効くはずって、なんか似てない?今のイベルメクチンとかBCGの騒ぎと。
イベルメクチンが使用されてる国ではCOVIDが少ない、BCGを接種してる国では、以下略。
それはさておき、王道をいかない開発でも承認された例というのは政治活動でうまく立ち回ったわけだけど、イベルメクチンは元が動物薬だからね。
お作法にのっとった動物試験の結果はないけど、家畜での実績は抜群です、ヒトでの試験もお作法には乗っ取ってないけど以下略。
とにかくも、ヒトでの臨床試験の成績もそろって、動物薬としての発売から20年くらい遅れてようやく人体薬が日本でも承認。
効くのはわかってるのに承認してくれなかったと。お上の言い分としちゃ、お作法には乗っ取ってくれってことだろうけど。
そんなこんな、実はイベルメクチンはかなり広範な虫に効くんだが、日本で適応症として承認されたのは少ない。
あの寄生虫症もあの寄生虫症も全部イベルメクチンで一発だと思うが、ほとんどの寄生虫症で第一選択薬はイベルメクチンではない。
ヒトでちゃんとした臨床試験のデータがあるのが違う寄生虫症に対する効果だけだからなんだけども。
アフリカで無償で配ってるのが現状で、片方で無償で配ってるのに、こっちじゃちゃんと利益を出すってのもやりにくいしね。
いろんな政治的な思惑があって、イベルメクチンは日本じゃ不遇。
「抜群の効果があるのに、イベルメクチンは不当に冷遇されてる!」って思ってる(と思う)
このへんが調子づかせた遠因でもあるように思う。
「効く物質を探す」んじゃなく、「この物質はきっと効くはず!」で開発をするっていうのは、なかなかリスキー。
海藻食って毛が生えるっていうのと変わらん。
でも、そういう薬って意外と多い。
ワクチンなんかまさにそれだ。
ただ、もう21世紀ともなると、ちゃんと作法にのっとってくれないとお上が認めるのは難しいよ。
偉い医者の先生が効くとどんだけ言ったって、裏口入学は無理だよ。
日本で患者数が少ない病気だったらまだしもだな、国民病になりつつある疾病に適当な承認は無理。
mRNAワクチンだって、審査報告書読むとかなり無理を通してるから、諸外国で抜群な成績でも出せばあるいはだけど、だからその成績持って来いよって話。
たいした副作用もないんだし、ダメもとでもって気持ちはわからんでもないけどな。
イベルメクチンって、犬飼ってるやつなら知ってる毎月飲んでるアレだ。
この記事からも、動物薬関係者の人体薬に対するコンプレックスみたいなの感じるだろ?
「トップのブコメのリンク先を読め」で終わってもいいのだが,もう少し詳しく説明してみる。
「上位」の形質なんてものはない。「ある状況では有利」な形質があるだけだ。状況が変われば優劣なんて簡単に入れ替わる。
わかりやすい例をあげてみよう。たとえば「糖尿病になりやすい形質」があったとしよう。これを優生思想でもって人類の遺伝子プールから取り除くのは正しいのだろうか。糖分が過剰な食生活に対応できない,というのは裏返せば糖分が圧倒的に足りない状況に対応している,ということだ。将来何らかの理由で食糧事情が厳しくなったときには,ひょっとして彼らの方が生存に適しているのではないか?
これは絵空事なんじゃかない。実際,黒人特有の遺伝子病である鎌状赤血球症は,慢性貧血症をひきおこす厄介な病気だが,この患者はマラリア感染症に罹患しても高い確率で生存することが知られている。
どんな状況になっても人類が繁栄を続けるためには,人類の持つ遺伝子プールの多様性を最大限にたもつことが何より必要だ。優生思想は,それがどんな基準によっておこなわれるものであっても,必ず多様性の低下をもたらす。故に悪なんだ。
あぁほんまや
データがめちゃくちゃだったから査読に通るわけがない(今は修正されたみたいだな)と思てたのと、
で、別の人が言ってる通り、内容によっては査読前でもニュースになるよ。
前に12月頃のGOTO論文も査読前にニュースになった。(そして政府が査読前であることに言及したら批判された。そういえばあれって今は査読に通ってるのかしら。)
海外の論文だったと思うけど、マラリアの薬が有効~みたいな研究も査読前にニュースになって撤回されてたな。
【追記】
えっと↑の方には返信してこっちには返さないってことは、査読前でも報道されることはあるって理解してくれたってことでいいかな?
かゆくならなかったらマラリアとか更に広まっていただろうなという考え方もある
政府やマスメディアは必死にgotoトラベルやいつぞやのマイナンバーの時みたいに材料にして、一般個人にはメリットのない追跡アプリを無理に普及させようとしているのを報道を見ていても判る事だけど、どう考えても旅行はおろか帰省すら見合わせている人が多いのは事実だろうし、特に岩手の件を見ているとそれこそ地方からすれば恐怖でしかないだろうと思う。
今や感染者の多い東京や埼玉等の周辺や大阪、福岡等の大都市圏の人間はまるでペストを媒介するネズミやマラリアを媒介する蚊の様な扱いなのは色々見ていても判る事だしね(苦笑)
実際数字を見ればそう言う反応もされるのは当然だろうけど。
しかしマスクだとか距離だとか追跡アプリだとかPCRとか引き合いに出してでも無理に旅行させようと煽るマスメディアもマスメディアだなと思う。
https://anond.hatelabo.jp/20200530164357
やや乗り遅れたが↑にならい、ケチな年収1000万のリアルを書いてみる。
駅近でオートロック・宅配ボックス・独立洗面台とかはあるけど、多少高めの学生マンション程度。
在宅勤務の環境が整っていないので少し辛かったが、平常時は特に不便な点はない。
オフィス周辺のランチ相場は高く昼食に平均1000円弱かかっているが、コンビニ飯は辛いのであきらめている。
チェーン店はdisられがちなので避けるけど、一人あたり5千円くらいの当たり障りのないお店がメイン。
ついつい値段は気にしてしまう。自炊が面倒な時は半額惣菜を狙いにいく。
近所のスーパー2軒の半額シールが貼られるタイミングを熟知していたが、コロナの時短営業でタイミングが変わってしまい悲しい。
ビールは第三のビールだけど、ワインはやや贅沢して成城石井の1000円代のものが多い。
ユニクロ。
たまにzozo used。(ただし、50%以上割引された売れ残りを狙う。)
合コンの時は周りの付き合いもありほぼ払っている、そもそもあまり行かないけれど。
普段は割り勘、というかケチに加えて男女平等思考も強いので、割り勘を嫌がるような人とはどうせ長く続かないと思い付き合わない。
これが書きたくてこの増田を書いたわけだが、年間100万くらいしている。
マラリア予防・寄生虫除去・現金直接給付などに取組む最も効率的なNPOであれば数十万円で一人の命を救うことができると言われているので、自分の仕事で稼ぐ金で一年に1~2人の命を救えると考えるといいことをした感()が安直に清々しいし仕事へのモチベーションも高くなる。
「効果的な利他主義」の論者のシンガーは収入の10%を寄付するのが倫理的義務と言っていて、難しいことはよくわからないけどそれにならって寄付している。
本当は倍くらい寄付してもいいかなと思っているが、将来の不確実性を考えるととりあえず金融資産にして余ったら老後にまとめて寄付すればよいかなと思っている。
そして寄付が板についてくると、消費する際に寄付で救える命とのトレードオフが脳理をかすめるようになり、半額惣菜ばかりを買ってしまうケチな生活で満足できるようになる。
新型コロナ 雑感 - id:deztec で 「自分が死ぬ前提だからこそ、経済停止には反対だ」への反論 に対して返答を頂いたので、一部に対してではありますが、再返答させていただきます。
死者が高齢者に集中することは既に判明しており、「死のリスクが均等でない」状況で、低リスクの者が多数決で「対策せず」と決めてしまうことの倫理的問題は、新型コロナに関して、確かに存在します。
その点は認めます。
まず、倫理的問題の存在自体については合意いただけたことを嬉しく思います。
ただ、それは確かに褒められたことではありませんが、「私たち」は長年、世界中の貧者を見捨ててきました。ハイリスク群を「自分とは関係ない」と見捨ててきたのです。飢えもマラリアも、命の危機であることにかわりはありません。
私は長年、国連WFPに寄付を続けています。日本人が収入の1割を提供すれば、日本人だけでも世界を飢えから解放できます。しかし自分も、5%を寄付するのがせいぜい。貯金は積み上がっているのに、収入の10%の寄付には、なかなか踏み切れない。
たかが「豊かな暮らし」のために、本当は助けられた他人の命を、どれだけ見捨ててきたのか。
私がこれを読んで連想したのは、哲学者のピーター・シンガーは、貧困と戦う団体に自身の収入の25%を寄付している、という話でした。(Wikipedia 情報ですが)彼が言うには、「小さな子どもが浅い池で溺れているとき、自分の新品の靴が犠牲になる程度のことをためらって子供を引き上げないのはよくない。これと同じ原理で、裕福な人々は貧しい人々に寄付をすべきであり、しないのは悪である」ということです。これは、deztecjp さんがおっしゃっている話と近いと思います。
この立場は理解できます。理解できますが、これは、いかにも原理主義的であると思います。
ここで、deztecjp さんが昔、ヴィーガニズムや反出生主義について書かれていた文章を引用します。
ヴィーガニズムや反出生主義に接すると「じゃあ死ぬしかないね」と反応する人が少なからずいるが、そうではない。これらの思想は、実践的には「悪を背負って生きろ。正義面して生きるのは欺瞞だ」という主張なのだと、私は認識している。
deztecjp さんが今おっしゃっていることは、まさにこれと同じ、「正義面して生きるのは欺瞞だ」という話にみえます。そういう立場から私が「倫理」という単語を使ったのが気に入らなかったのであれば、それは理解します(といったものの、適当な他の言葉が思い浮かばないのですが)。
けれども、そこで「身近な命が失われるのを避けたいと思う人」に向かって「そんなのは不合理だ」と突きつけるのは、ヴィーガニズムや反出生主義に「じゃあ死ぬしかないね」と言い放つのと、同じような行いに見えます。(実際、ピーター・シンガーについていえば、ヴィーガニズムも支持し、実践しているんですよね。原理主義的な立場を突き通すことのできる、稀有な人なのでしょう)
私は倫理という言葉を使ったけれども、今しているのは、政策決定の話です。「悪を背負って生きろ。正義面して生きるのは欺瞞だ」という個人の意識レベルの話と、政策決定レベルの話とには、大きな開きがあると思います。
いま経済封鎖なんて政策に支持が集まるのは、所詮、自分の命にも危険が及んでいると思うからに過ぎない。私はそう確信しています。今更、倫理によって経済的損失を甘受すると言い出すなど、二重に自らを偽り、己の冷酷から目をそらして「いい人のつもり」になるがごとき所業だと思います。
Twitterで、コロナ患者の治療に携わる医療従事者が、経済封鎖を訴えているところを見ます。彼ら彼女らの多くは、感染リスクに怯えながらも、自身の仕事を全うしており、私は彼ら彼女らに大きな敬意を表します。
医療従事者は、感染拡大が広がるほど、感染リスクに晒される可能性も高まります。では、彼ら彼女らが経済封鎖を訴えるのは、「自分の命にも危険が及んでいると思うから」に過ぎないのでしょうか? もちろん、直接的動機はそうかもしれませんが、ただ、それを言ったら自分の命を守るためにいちばん合理的な行動は、仕事を放棄して逃げ出すことです。でも、そうしていない。もちろん、職を失うリスクなどもあるかしれません。でも、彼ら彼女が逃げ出さない理由の大きな要素のひとつに、個人の持つ職業倫理があるのは、まず間違いないでしょう。
人々には、飢える人々のために寄付しないという利己的な面もあれば、職業倫理のために自分に降りかかる命のリスクを受け入れるという利他的な面もあります。人々の利己的な面のみを強調し、そのような利己的な面を敷衍することで、「たかがこの程度の数の命のために経済封鎖をするなんておかしい、それは己の日頃の冷酷さに目をそらしているだけ」という主張につなげるのは、「我々が日頃動物の屠殺をしたり、子供を生んだりといった、ヴィーガニズムや反出生主義に反する行いをしている。これらは殺人と大差ない罪なのだから、殺人の刑罰がこんなに重いなんておかしい」と訴えるのと同じような極論だと、私の目には映ります。