はてなキーワード: 白杖とは
駅から出るとこで目の前に白杖の視覚障害者の人がいきなり現れた。前に出された杖が足に刺さりそうになって避けたらバランス崩して相手側に転んでしまい、相手を倒してしまった。
必死に謝り、相手も怪我がなかったことから大きな事にはならずにそのまま終わった。
近くのおじさんに気をつけなさいと怒られたりもして落ち込んだりしながら帰宅。
今回に限らず自分はよく人にぶつかる。身長は158cmで高くはないがチビでもない。
でも毎回突然視界に人が現れてぶつかるパターンだ。つまり目の前に来るまで見えてないのだ。
発達障害と診断されたときに検査で受けたIQでは動作性が尽く悪く処理能力が劣っていると結果が出た。
これが関係あるかはわからないが歩くことと周囲をきちんと見ることを同時にしないとならないときに混んでれば混んでるほど、歩くことに神経が行って、見ることが疎かになってしまう。
「ローソンスマホペイ」をご存知だろうか。レジに並ばずとも、店内の商品が買える実験的サービスである。
ある日の昼休み、会社の近所のローソンで昼食を食べて帰ろうとしたところ、スマホペイの店内機械の前で戸惑っているひとを見かけた。どうしましたか、と声をかけて、その人が白杖を持っている、つまり視覚障害者だということはあとから気がついた。
1. 入店処理(Bluetooth か QRコード読み込み)
3. 決済処理
4. 退店処理(QRコードかざす)
このうち、1と4は入口付近の機械で行う必要があった。ただし、その機械がそこにあることは、視覚以外の情報がないように見えた。張り紙とディスプレイで案内はされていたが、どのQRを読み込めばいいのか、店を出るときはどうすればいいのか、音声や点字による説明はない。
また、商品のバーコードスキャンも、読み込むまでに時間がかかった。そもそもどの面にバーコードがあるか、触っただけではわからない。場所がわかってもカメラにバーコードをきっちりあわせないと読み取れないので、これもまた大変だった。
最終的に、その人はスマホにクレジットカードを登録していなかったため、決済までには至らなかった。けれども、スマホペイ自体にはとても好意的だった。なにより手にとった商品の名前がわかる(OSの機能でテキストが読み上げされる)のがとてもいい、あとは慣れればうまくできる、と(悪魔のおにぎりを持って)笑っていた。
確かに実験的サービスだしこれからブラッシュアップされるのだろうけど、ローソンは会員登録するのにアクセシビリティなしのCAPTCHA認証を使ってくるので、その部分だけは私が読み上げるひつようがあった。
これから画像認識技術がすすんで、バーコードを読み込まずとも手にとった商品名が目が見えずともわかる、そんな日が1日でも早く来るといいなと思った。
ちなみに昼休みはおわっていた。
朝の通勤途中、視覚障害者(サングラスかけて白杖持っていた)、小学生ふたりと並んで信号待ちをするタイミングがあった。
信号が青になるや、小学生たちは横断歩道を駆け出したのだが、真ん中くらいで立ち止まって、こちらに戻ってきて、視覚障害者に「何かお手伝いできることはありますか?」と声をかけていた。
視覚障害者の方は「ありがとう。じゃあ手を引いてもらえるかな」と言って、横断歩道を手を引いて渡っていた。
そういえば、信号を待っているときに小学生たちは「どうする?声かける?」みたいな感じでもじもじと相談していた。
今日…じゃなくて昨日放送された R-1グランプリ で、視覚障害を持つ濱田佑太郎さんが優勝していた。
最近、ウーマンラッシュアワーの村本さんのネタなどに代表されるように、お笑いに対して今までとは違った観点からアプローチをする例が増えており、このような「新しい笑い」(とはいっても欧米などでは政治を風刺するコメディはこれまでにも頻繁に行われてきたが)について考えさせられることが多くなった。
今回のR-1グランプリについて、Twitterを見ていると、大多数の人が視覚障害ネタに肯定的であるように思えるし、僕も感覚的には肯定派である。
しかし、これも感覚的ではあるが、本当に肯定していいのだろうかという気にもなる。
なぜそんな気になるんだろう、そこを知りたい。
僕はきっと、障害者を特異な目で見ている。街中で白杖を使って歩く人を見ると、ついその人に気が向いてしまう。(僕がその障碍者に対して)他の人と同じようにはどうも見えないらしいのだ。僕はもし、障害者を差別していますか?と突然訊かれたら、まったくその気はありません、と答えるに違いないのに、障害を持つ人を注視する。ほとんど自然に、障害者を何かしら特別視している、きっとそうなのだ。だからかもしれない。視覚障害をネタにするのを、肯定しつつも何か違和感を感じるのは。
濱田佑太郎さん自身は、おそらく、他のいわゆる普通の芸人さんと同じようにみてほしい、他のネタと同じように笑ってほしいと思っているのだろう。これは、人々の障碍者に対する差別だとか配慮の足りなさだとか、そういうものに通じると思う。
単なる思い出話で、どっちも20年近くまえのことである。
大学生になって、初めて電車とバスを乗り継ぐ通学でやや緊張していた頃のことだ。バス乗り場へ行こうとしたとき、白杖を持ったおじいさんに声をかけられた。
いいですよ、と答えて右肩に手を置いてもらったが、どれぐらいのペースで歩けばいいのかわからない。
これぐらいでいいですか、と何度も聞きながら歩いた。
ちなみに授業までに時間は余裕があったし行く方向へ何本も来る路線だったから自分は急ぐ必要がなかった。
やがてバス停について、自分の乗るバスが来たのでそう言うと「遠慮なく」とお礼を言われたのでそこで別れたきりである。
次に出会ったらもっとうまく案内したいなあと思ったけれど、それ以後卒業までその方にも他の白杖の方にも会うことはなかった。たまたま用事があって初めて来たので地形になじみがなかったのかもしれない。
それからしばらくして地元近くの駅で、ホームにいる車椅子の方に「車椅子の人は先に知らせてくれないとこっちも困るんだ」と駅員さんが怒鳴っているのを聞いた。
声だけでその人を見ていないので、どういう事情があったのか全くわからない。どれくらい前に知らせればよかったのかもわからなかった。
なにより自分は車椅子の方が出かけるときに連絡が必要ということを初めて知った。田舎だからかもしれないが。
この方たちは今も出かけられているのか、どうされているのかふと思い出した。
先日発生したJR蕨駅での全盲男性がホームから転落して死亡した件
日本視覚障害者協議会が点字パネルの確認を行っており、点字パネルは正常に設置されていたのだろう
盲導犬を連れていたので点字パネルをあまり意識せずに端へ移動し足を踏み外したのだと思われる
非常に不幸な事故だと言わざるを得ない
あえて言えばホームドアが設置されていれば事故は防げたので、JR他鉄道各社はホームドアの設置を進めてほしい
で、終了すべき事案であったはずなのに
全盲男性死亡 駅員ホーム不在 | 2017/1/14(土) 23:01 - Yahoo!ニュース
東京新聞:蕨駅転落死事故 駅員、盲導犬男性に声かけせず 介助申し出なく:社会(TOKYO Web)
盲導犬男性、改札の駅員が認識…蕨駅転落死 : 社会 : 読売新聞(YOMIURI ONLINE)
昨晩からずっと「駅員がちゃんと見ていなかったからだ」という責任追及が始まっている
確かに駅員が介助していれば不幸な事故は起きなかったかもしれない
だがそれは「もし」の話であって、「重大な過失」扱いするべきではないと思う
飄々と杖を使い、目が見えているかのようにすいすい移動するので、介助が必要だと言われなければ「必要なさそうだ」と思っても仕方ないと感じる
記事にもある通り、男性が普段から駅を利用していたならば駅員はそれ以上に感じていたと思う
駅員は同支社の聞き取りに「男性は普段から駅を利用しており、この日も改札を通った後に立ち止まることもなかったので、声かけしなかった」と説明したという。
むしろ「いつものことなのにこの日に限って」となれば、それは「不注意による転落」であって、視覚障害等関係なく誰にでも起こり得ることではないだろうか
街がある
道がある
ふと見ると道に座りだす者がいる
通行の邪魔になったりしている
歩く人々、その中には様々な年齢、性別、容姿、職業、服装、体臭
座っていた人は立ち上がってビラを配っていた
ラーメン屋がある
うるさい
足取りの軽い女のヒールは美しい。
その後ろにはトロトロ歩いているお婆さんがいる
遅い
さらに遅いのが来た
腹が減る
だが、見た目は良い女である
そこに脂成分多めの親父が横を通過する
美女を撮ろうとしたのに、脂親父が前を通るし暗がりでシャッターを切ったのでブレた
親父がブレた!美女は写ってない!!
おっ親父が焼き鳥屋に!!
脂は伊達ではないことを知る
夜10:30
子供が一人で歩いている
塾だろうか
先程のような人々が全員、足早に歩いている
早く帰りたいのだろう
駅員は外人と揉めている
呑みに行った
そこに異国の女性がいた
何か違う魅力にため息が出た
だが香りは覚えている
酔った足取りで撮ってみた
碌でもない
梯子
彼は憤っていた
インテリジェンスについて学んだ
冷静で熱い奴は嫌いではない
梯子から放水
ストッキングを久々に見つめる
網目が大きいやつだ
引っ張ってみた
素晴らしかった
始発で帰る
商店街にはひと気がない
そこを歩いている毛皮の人間がいる
ビール片手に
彼女はビラを配っていた。
この前、目が見えない人とぶつかりそうになって
その人が白杖をスーーって地面に這わせる感じで使ってたんだよね
で調べたら
>http://www.gankaikai.or.jp/health/47/08.html
>白杖には、
>(1)周囲の状況や路面の変化などの情報を入手する(探り針として)、
>(2)安全を確保する(緩衝器、身体の支えとして、サポートケーン)、
>(3)視覚障害者であることを知らせる(シンボルとして)目的があります。
あれ、カチカチって音鳴らして存在をアピールするのって正しい使い方じゃないのか?
動画とか見ても音鳴らしてないけど、音慣らさないほうが使いやすいとかなら鈴でも鳴らしたほうがいいんじゃないかな
カチカチって音もちょっと怖いしね
電気自動車が音鳴らなくてアブナイって言う話前にあったけど、アレと同じ
歩行は協力してやるもんだしね
インターネットの鬱屈としたセックスの文化がそのまま街に現れている。
神保町に飽きてしまったのが理由の一つだけど、一番はD810という自分にとっては高級なカメラを秋淀で触るためだった。
靖国通りを歩いて、万世橋へ行くと30歳以上は年をとったダウン症の男と、その父親であろう人間がいた。
どちらも白髪が生えていた。
秋葉原がすごいのは容姿格差が凄まじい、あまり仲良くなさそうな男女が一緒に歩いていることだ。
女は仕方なく歩いている。
メンヘラな容姿の良い女は性的魅力を武器に一生懸命子供のままでいようとしている。
秋淀の中では容姿の良い女の子とその父と母がオリンパスのミラーレスを買っていた。
いい買い物だ。
女の子の肌が黒いのは日焼けなのか、自分よりも薄い色だからいいだろう。
色白に生まれたかったが、キャノンのAPS-C機の前にいるアルビノの家族のうちの一人が40くらいの女が白杖を持っていたから、白すぎるのも考えものだった。
ホコ天を歩いていた、あの女になれないからD810を無理して買おうとか考える。
自転車コーナーに行ったら、美人になりそうな女の子がそのそばにある仮面ライダーのアーケード機で遊んでいた。
女はイケメンの父らしき人間に引っ張られていたが、顔は良くなかった。化粧をすれば化けそうではあった。
そしてちんたらちんたらと千代田区の高級住宅街の家まで歩いて帰ると、祖母らしき女とコンデジをもった140後半の背が低く、体がずんぐりした、生まれつきくびれなどができない運命の肌が黒くて顔がでかくて、顔のパーツも髪も全て悪い10代後半?の女が歩いていた。
発端の「帰れよ」ツイートから、「そばアレルギーの人が蕎麦屋に行くな」という反応ばかりが数多く取り上げられまとめられている(実際、そう考える人の方が多いのかもしれない)。まとめやコメントの中には、この客の精神の異常や詐病までを疑っている人がいる。これだけ多くの人が、どうして平気でそういうことを言えてしまうのだろうと思う。
私は甲殻類アレルギーなのだが、症状はさして重くはなくて、誤ってひとくち食べてしまっても、せいぜい喉の内部のかゆみが数時間ほど続くぐらいだ(命に別状がないからといって、もちろんアレルギー反応がつらくないわけではない。喉の粘膜にごわごわとした毛がウジョウジョ生えてくるようなあの気持ち悪い感触を、どうしたら他人に伝えられるか、私には分からない)。でも「少しぐらい平気でしょ」と言って食べさせようとしてくる人には、「死ぬ人もいるんですよ」と説明するようにしている。飲食店に限らず、食べさせる側に立つ人には「死ぬ人もいる」ぐらいの認識をできれば持ってもらいたいと考えている。
でも、食べる側の権利についてはどうなのか。リスクがあっても選択がしたいと考える人はいるだろう。少なくとも私にはこうした考え全般が「何しに来たんだよ。帰れよ」で一蹴できるほど簡単な問題とは思えない。私は自分からシーフード専門の店に行くことはほとんど無いけれど、魚料理は基本的にだいたい好きだし、旅行なんかで周りの人に合わせて行くことはある。たまに、隠し味にエビが入っていたり、同じ鍋で調理していたりだかして、アレルギー反応が出るときもある。それでも私は、アレルギーが重くならない限りは、リスクのある側を取ることも数多くあるだろうし、それをあまり邪魔されたくないと考えるだろう。たとえば居酒屋でメニューをぱらぱらめくっているとき、シーフードの欄を丸ごとあきらめるか、食べられるものがあるか探すのでは、世界がまるで違って見えるのである。
「詐病だろう」「釣りだろう」派のコメントの中には、より重い症状の例を挙げて、そんなのは本当の蕎麦アレルギーではないと言う人がいる。本当のアレルギーとはなんだろう。いろいろ調べてみた挙句、そのままのエビはどうしても喉がやられるのだが、かっぱえびせんなら食べられることが判明した私は、本当の甲殻類アレルギーではないのだろうか。未だにカニカマからの類推で蟹の味を想像しているこの私が? あるいは彼らにとっては「本当に」そうなのかもしれない。務めている企業の不満を漏らしたら「そんなのは『本当の』ブラック企業ではない」と言ってくるような、不幸のトップランカーでなければ発言権を認めてくれない謎の審査員のような方々は、インターネットにいくらでもいらっしゃる。中途半端な不幸ほど認められにくいものはない。
アレルギー反応には個人差がある。私のようにごく軽い人もいれば、命に関わる人だっている。冒頭のまとめの人がどうだったのかは分からない。私は蕎麦アレルギーの個人差について何の知識もない。ツイートでは読み取れない部分で明らかに問題のある対応をしていたのかもしれない。蕎麦屋で「そばの入ってないものってありますか?」という質問をするのは、確かに店側の人にとっては迷惑だろうが(白杖を持った視覚障害者にも「迷惑だから外を出歩くな」と言えるのなら確かに主張は一貫しているが、私はそう言う人を軽蔑するだろう)、注文できる物の範囲が分からなければ選ぶこともできない。
「リスクがあっても選択がしたい」人の権利を、そもそもそんな権利を認めない人はいくらでもいるだろうが、上のtogetterまとめに発言を残している多くの人たちがどのような理屈で否定しているのか、私には今のところよく分かっていない。「迷惑だから見えないところにいてほしい」というだけの話かもしれない。しかし、口論の前後の文脈もよく分からないのに、「帰れよ」「おかしいのはお前の頭だ」と言い放つツイートが10,000近くRTされて、どうやらそれが笑い話として浸透しているらしいというのは、やはり不気味なことじゃないだろうか?
いくつかは納得のいく反応もあったことをつけ加えておく。
〈個々人のアレルギーの程度とか考慮しないで「死ぬ人もいる」なんて無意味なこと書いてる連中もなんだかな…。…無意味なだけならともかく、詐病の疑いかけ出すからね。この手合い。〉
http://b.hatena.ne.jp/entry/260771349/comment/yas-mal
〈私もそばアレルギーだけど蕎麦屋によってはうどんとかカツ丼とかそばが入ってないメニューもあるし、私のは比較的軽度なので「そばと同じ湯でゆでたうどん」は大丈夫(ダメな人もいる)なんで、蕎麦屋さんが「ない」って言うならしょうがないけど、あるんなら特段問題ない質問だと思うけどなー。 〉
たとえば、白杖なんかは視覚障害者である事を示すために白いんだけれど。
ある属性(障害だったり妊婦だったり高齢だったりetc.)を持っていることを回りに示す方法が
健常者じゃないと気づけない方法は正しいのか?
世にある全てのたとえばマタニティマークみたいなローカルな広報方法まで知るべき?
またそこまでキツい言い方でなくてもそれに近い意見は不思議に思う
3年前まで自分は乗降者数が全国2位の駅の近くに勤務しており、
白杖を持って点字ブロックをカンカン鳴らしながら歩いている人は毎朝2名ほど見かけていた(おそらく同じ駅周辺に勤めている人だったのだろう)
それだけ
だから、
と言われると?
だし
「親切にしたのに当たり前の態度をされたからもうやらない」
なんて言われると???
世の中に余裕が無さすぎるのかな
そもそも杖ついて歩いてる人がいて避ける隙も無いなんて
時間的にか空間的にかわからないけどどれだけギリギリで過ごしているのかと
何で自分がこんなメに(目とひどい目をかけているわけではないです)!
となると思う
それからもしも自分の目の前であからさまに手助けを必要としている人がいて
それに対して感謝されたいとは思わない
勘違いしないでほしい
以前、ここに別件で書き込みをしたら「それはコミュ障だからだ」と言われたことがあり
どういう障害か具体的な症例を調べたこともないのでわからないが
盲導犬をわざわざ刺したり
そういう人も減るのになと思う
それにしても都議会でヒドい野次があったもんだ
しかしヒドい野次は議会では日常茶飯事なので、ヒドい野次があったくらいで報道されることは普通ない。
そこに何か強い意志や意味がある。それは一体なんなのか?と考えている。
どうしてマスコミはこれを取り上げたのか?
はっきり言うがマスコミは都議会に常に常駐してるわけじゃない。行くのは特別な何かがあると予想されるときだけだ。
ネタは誰かがマスコミに提供している。それをもとに取材をし記事を書いている。
しかし一個人がFAXしたとてそれをマスコミはいちいち取り上げない。記事にしてもらうには何かの力が必要だ。
ちょっと前に、駅で白杖が足に当たったと因縁をつけ盲人を殴った男というニュースがあった。
残念ながらこんなクソ野郎は世の中に五万といる。駅でのトラブルも日常茶飯事だ。
多分オレが殴られたとしてもニュースにはならない。
じゃぁなんで記事になったのか?
盲人団体から事件の提供があったからだ。盲人を殴るクソは吊るし上げろ!そういうことだ。
長崎で被爆者の体験談話中に暴言を吐いた中学生がニュースになった。
いじめで生徒を死なせるとかならともかく、通常この程度のことではニュースにならない。
何故記事になったのか?なんか胡散臭そうな団体がその裏にあったからだ。
さてこの野次の事件のケース。一体その力はなんだろうか?