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2012-09-07

理想的思考への自己嫌悪障害者電車

またしてもベビーカー電車が一部で話題になっているが

理性としては母子権利は守られるべきだと思うが

朝の埼京線を実際使う者としては

なにを現実見ずにアホなこと言ってるんだって感じである

だがその考え方は、

日本産業ダメになるから原発は動かさなくてはならない、に通じる内容だから

正直恥ずかしく思う。

それで思い出した自分ダブルスタンダードなのだが、

かつて学生時代に、ラッシュとは逆方向の電車毎日乗っていたことがあった。

対方向とはいえ、首都圏なので、自分の乗る駅あたりでちょうど、すべての席が埋まる。

いつもなんとか座っていた。

しかし、たまに敵が現れるのだった。

それは白杖を突いた視覚障害者

駅員は彼が電車に乗り込むと、座っていた健常者の客に、席を譲ることを求めるのだった。

はっきり言って、たまったものではない。

何が悲しくて、朝一番で席を強制的に奪われるなどという理不尽に遭わなくてはならないのか。

けっきょく、視覚障害者が乗り込む車両は決まっているので、

その車両を避けて乗り込むようになった。

しかし、障害者のために譲歩をしなければならないというのは、

現状では仕方なくても

ゆくゆくは解消されないと仕方ない。

バリアフリーのために健常者が不便を強いられるのは

過渡期的現象だと思いたい。

乙武氏がパラリンピックがなくなればと言ったように。

2010-05-29

http://d.hatena.ne.jp/sagiri300a/20100523/1274619845

"「かたわ少女」Act1V3プレイしました - ミッション! アクション! パッション!"について。

この作品の舞台、いろいろな違和感があります。

(略)障害者が通う学校なのに「高等学校」です。特別支援学校ではなく。「高等学校」を名乗るからには、高等学校設置基準に基づいて設置され、高等学校学習指導要領に基づいて教育活動が行われなければなりません。

確かに「今現在の」「日本の」学校制度ではそうなんでしょうね。しかしゲーム作成者の国ではどうなんでしょう。私は知りませんが、むこうでもそんなに名称レベルできっちり区別されているんでしょうか。それによっては評価も少し変わるように思います。

無論、設定国の忠実な再現という意味では「今現在の」「日本の」再現も重要なんですが、個人的には障害者が通う「高等学校」が物語世界にあってもそれはそれでいいような気はします。それは世界設定の問題なので。

また、様々な障害のある子供が同じ学校で生活しているというのも不思議です。それぞれの障害特性に応じて環境づくりをしないと教育効果が上がらないので、特別支援学校は、障害種別ごとに学校が作られています。

特別支援学校でない学校の話で、特別支援学校は…と話をしてもあまり意味はないような気がします。「それぞれの障害特性に応じて環境づくり」が特別支援学校以外の方法では無理だ、というのであれば仕方ないですが、生徒が学べるぶんの環境が何がしかの方法で整えられるのであれば、別にさまざまな障害者が同じ学校で生活してもいいのでは。どうしても分別したいのであれば別ですけど。

茨崎笑美が主人公とともに階段を登るシーンがありますが、両足とも義足だと、そう簡単には登れません。

ゲームをやっていないので具体的にどう階段を登ったのかはわからないのですが、簡単にできるかどうかは人によったりはしないんでしょうか。障害者もいろいろでしょうし。http://www.youtube.com/watch?v=LJP5xat-XNAなどを見ると、それなりには登りうるようですけれど。

たとえば、聴覚障害者にとって音声による「校内放送」は無意味なので、ディスプレイ装置が校内各所に設置されています。

全員の生徒が盲人ならそれでもいいのでしょうね。でも別段必須の設備とも思えません。携帯メールじゃまずいのでしょうか。特に今回のような複数種の障害者が生活する状況なら、私であればいちいちのディスプレイ設置ではなしにメールを使いますが。

手塚琳がトイレに行かなければならないというシーンでは、介助を主人公に任せるわけに行かないので断り、誰かを探す、ということをしています。特別支援学校ではこのような介助は教員がやります。もし、誰も介助者を見つけられなければ、琳はどうするのでしょうか。

特別支援学校では、教員障害者に張り付いているんでしょうか。張り付いていないのであれば、「教員を見つけられない場合」はどうするんでしょう。性別さえ問題でないなら生徒が介助可能、という世界で、介助を教員がやるかどうかはあまり重要に思えません。気にするところってそこなんでしょうか。

この作品を作った方は、特別支援教育障害者についての取材をあまりされなかったようですね。このことのひとつの現れとして、「障害を持つ」という表現があります。作中では「持つ」と書かれています(日本語版)が、障害者は自らの意志で障害を「持っている」わけではないので、「障害がある」という言い方をするのが(特別支援教育業界では)一般的です。

「一般的」でないとそんなにまずいのでしょうか。意思なき状況に「持つ」を使うのがそんなにまずいのでしょうか。重箱の隅つつきにしか思えません。私は腰が悪いのですが、自分を「腰痛持ち」ということになんらの抵抗もありません。もちろん、腰痛を自らの意思で「持っている」わけではないですけど。気にするところってそこなんでしょうか。

砂糖(※ママ)リリーが校内で白杖を使っていますが、通常、校内の移動で白杖は使いません。どこに何があるか覚えているからです。逆に言うと、視覚障害特別支援学校では、普段物がないところに物を置くというようなことは絶対にしません。

「通常」…。さっきの「一般的」もそうですが、なんだか普通でない状況の存在を認めないような口ぶりだなあ、と思うのは私だけでしょうか。どうなんでしょう?

というか、「普段物がないところに物を置くというようなことは」ありえない、絶対に―というのであれば別ですけど、「もしあったらとても困る」と仮に考えるのであれば白杖を持つしかないのだから、白杖を持つ生徒がいてもいいと思うんですけど。それに全員の生徒が盲人ならいざ知らず、そうでない場合他人に「自分が盲人であること」がわかり易いほうがはるかに便利であるように思います。ではどうするか? 私なら白杖を持つ、のですが。

羽加道静音手話以外は全く理解できないようですが、実際の聴覚障害者は、ある程度の口話(口の動きを読み取ること)ができます。

これは「普通は」という括弧書きなしの話なんでしょうか。口話は相当に難しいようですし、人によっては事実上できない人もいるように思いますけど。できなかったら「実際の聴覚障害者」ではなくなってしまうのでしょうか。

この作品には、今のところ知的障害者は登場しません。この作品を作るきっかけとなった1枚のイラスト知的障害者が登場しなかったからでしょうが、どうせなら、すべての障害種別を対象にしてほしいところです。

「すべて」を要求する意味がわかりません。それこそが作品のテーマである、とかの場合を別とすれば、ある作品が全パターンを網羅することは必要でも何でもありません。「この作品にはいろいろな国の人間が出てくるのだから、どうせならあらゆる国の人間を出してくれ」といっても仕方ないのと同じです。

エントリ主さまは障害者やその環境についてとてもお詳しいようです。が、「どうせなら、」そのありあまる知識を(今更ではなく)プロジェクトが動き出した2007年日本で話題になった2008年ごろに作成者側に語ってもらいたかったところです。彼らは閉じた存在ではなかったのですから。

いえ、過去を振り返ってもしょうがない。「どうせなら、」障害者物語を語ってみてはどうでしょうか。障害者をよく知らない者が語るより、よく知る者が語るほうがずっとよいはずです。どうですか。

2009-02-06

http://anond.hatelabo.jp/20090205224903

元増田です。

バリアフリーのあり方とはみたいな大きい話のつもりじゃなくて、単に足が痛くてヒーヒー言いながら歩いてる状態っていわゆる弱者状態だと思うのに、さらに弱者用の点字ブロックが痛めつけてるこの状態って何さ、みたいなやさぐれだったのに、真面目に色々教えてもらえてありがたい。

http://anond.hatelabo.jp/20090205230112

たぶん、その地域で一人も必要でなくても設置することになると思う。

設置に際してこの地域に必要な人が居住しているかどうかは調査しないだろう。

やっぱりありがちなバリアフリー発想なのか。「やっとけば文句言われないだろ」的な。

関係のない部署だけどお役所の中の人なので断言する。間違いなくそんな調査しない。

http://anond.hatelabo.jp/20090206012451

 白杖のひとたちにとって点字ブロックは健常者よりもずっと危険です(そこにあることがわからないため)。

 いずれ点字ブロックはなくなるんじゃないでしょうか。興味があればそちらの分野を志してみるのもよいのではないかと思います。

白杖の人たちにも危険なのは知らなかった。確かにいきなり段差が現われるようなものだし。

いまさらそっちを志すつもりはないけど、いずれ関係のある部署に行くかもしれないから参考になった。

http://anond.hatelabo.jp/20090205224903

白杖のひとたちにとって点字ブロックは健常者よりもずっと危険です(そこにあることがわからないため)。

だいぶ前から点字ブロックで滑ったり転んだりなどして、最悪の場合駅のホームから転落してしまう事故などの報告はされていて、地味に改良はされていますが、現在では点字ブロックの代替となるデバイスの開発が主流となっています(音声ガイドGPS機能を利用してなど)。

いずれ点字ブロックはなくなるんじゃないでしょうか。興味があればそちらの分野を志してみるのもよいのではないかと思います。

2009-02-05

点字ブロックってもうちょっと何とかならないのかな。

ボコボコしてないと用を成さないのはとてもよく分かるけど、雨降ってると滑るし蹴躓くし、足怪我してたりするとあんなちょっとした段差でも響いて痛いのに、横一列びっしり埋まって逃げ場がなかったりするし。

怪我しているからあのブロックをまたげる歩幅が確保できず、必然的に上に乗らざるを得なくてやっぱり響いて痛いしバランス崩すし。

自力で歩いてる状態だったらまだしも、松葉杖とか車椅子だともっとあのボコボコは邪魔だろうと思う。

だいたい駅はともかく、ちょっと広い歩道にさえ点字ブロックを完備する必要性って本当にあるんかよとか思う。

通勤時間帯に白杖使ってる人なんて一人だけしか見たことない。

まあ自分が見たことないだけで、こんな片田舎ブロックがないと外出できない人が沢山いるのかもしれないし、

「一人でも必要な人がいれば設置する必要性があるんだ」とかの話をされたら面倒くさいから頭下げて逃げる。

でも怪我してるのに点字ブロックに乗って足が痛い状態って立派な弱者だよね。

そんな人たちが圧力団体作って必要以上の点字ブロック撤去を訴えていったらどうだろう。

やっぱり怪我してるだけの人たちはブロック使う人たちに負けるだろうか。そのうち治るし。

車椅子の人たちの団体ならどうかな。

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