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2023-06-01

anond:20230601121600

普通にいい話だな。感心してしまった。

諸子百家の士はこんな感じで人々を説いて回ったんだろうなと思った。

2023-02-05

anond:20230205104015

諸子百家ミックスさせることなんて普通ですけど?

勉強不足なのはそちら。

まあ日本人墨家なんて言っても知らないから仕方ないか

2021-03-06

ふたつの「ぜんぜん」が強烈に印象にのこっている

一人目は、在日朝鮮人だった。

しか年金だか高齢者介護だかの話になって、

戦後60年日本人はがむしゃらに働いてきた。その人たちが日本の豊かさを作ったので我々が恩返し・支える必要がある」

みたいな発言をしたところ、

「ぜんぜん?」

みたいに氷のような無表情でいってきた人。

あーこいつ外人だと思った。

あと二人目は、中国人在留資格がある人だった。

中国諸子百家はいろいろ思想があっておもしろい。中でも孔子老子孟子荘子日本人が学んでおく必要がある」

みたいにいったところ、

「ぜんぜん?」

と、こちらも無表情で、まったく心底興味のない顔だった。

今思えば100%中国共産党員だったと思う。(他の中国人はそういう話をすると誇らしい顔になったので)

政治的人生コントロールされている人は、

その歴史観人権意識も、他人コントロールされることになり、哀れだと思った。

人間フラット状態で生まれてくる。

そこに学生時代勉強することでフラット思想仕入れることができる。

しかし幼少期から親や政治組織宗教という名の政治的組織ふくむ)から「仕込まれ」てしまうと、もうほかのものを受け付けられない。

そうして出来上がるのが、

人間らしき姿をした」怪物でありフランケンシュタインである

おもえば中学高校大学で、大量の文献を自由にみて選択できる日本という国に生まれたのはラッキーだったと思う。

もちろんそこでマルクス主義を選んだかもしれないし、マキャベリズムを選ぶこともできたかもしれない。

しかしそうならず、基本的人権生命権こそすべてという思想に、「自ら選択して」なれたのは日本のおかげだと思う。

自ら選択しない(できない)フランケンシュタインがいきつくのは、兵隊としての暴力である

そして暴力がいきつくのは、血であり、弾圧であり、臓器摘出であり、レイプである

「ぜんぜん」

を教えてくれた二人は、人生の師だったと思う。

2021-01-16

宗教はやったら負け

教養として宗教知識がある>>>>>>>>>>>>>>>>>>宗教に入信

宗教に入信>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>無神論

というわけで、「仏教キリスト教(および宗教改革)・儒教(および諸子百家)」の3つを一通りちゃんと学んでたやつなら、

特定宗教に入信するという選択肢がないことは自明である視野を狭めるからである

なおイスラムだけはコーラン理解くらいでいまいち知識が少ない。地域風土が違うのですこし難しい。

2018-12-06

理由は無いけど西洋文化が苦手

なんでだろう

神話読むのが好きだったんだけど、ギリシャ神話とか北欧神話は全く面白くなかった

和歌集みたいな和歌の本とか方丈記みたいな随筆とか論語とか諸子百家の本を読むのは好きだったけど聖書とかシェイクスピアを読むのは嫌いだった

2015-01-17

http://anond.hatelabo.jp/20150117173541

そこら辺は多分、仏教の主流概念である因果と無我を説く際に邪魔になるんで語らなかったんだと思う

仏教バラモン教対峙するために自我否定して純粋因果関係だけで世界を説明しようとしたんだけど、

そこを突き詰めると世界は初期パラメータで決められたとおりにしか未来に遷移しないということになり、「じゃあ初期パラメータは誰がどうやって決めたんだよ」って話になる

この問題についてブッダはまともに回答するのを避け、

「その問題を考えても苦しみから逃れられないよ?それはお前の目的なの?」みたいなことを言った。

というのが俺の理解

 

この傾向は中国哲学でも同様で、諸子百家でも無神論儒家は「怪力乱神を語らず」みたいに言って避けようとしてる

有神論で一神教墨家はそうでもなかったんだけど、こいつらが生き残っていたらきっと今の西洋哲学みたいに発展していったんだろうなー。

2013-07-13

http://anond.hatelabo.jp/20130713213816

なんていうか、国公立大学ってそもそも官僚養成機関とか教師の養成機関で設置されたわけだから、知識を広めようとか思想を広めようという動きを、組織としてやらない気がする。

もちろん、教員一人一人はそういう考えを持つかもしれないけど、組織としての立ち位置としては、公平で、思想的に中立を維持するような。

現状を変えるっていうのは、なんであれロックなわけで。

それが、より開かれた教育を目指すっていう行動であっても。

やるとしたら、私学からかな。

大学ですらないかもしれない。

大学を、たとえば知識人集団に置き換えても問題がない。

大学名前を背負った、卒業証書が発行できないだけで。

松下政経塾のように、ブランディング出来れば、大学看板はいらないし、大学価値がそのブランド力ではない時代になれば、ブランディングすら不要なわけだし。

国が方針を決めて横並びにえいやって感じじゃなくて、バラバラに動いて、教育多様性が生まれるんだと思う。

あくまで少数精鋭で議論に拘る大学から、とにかく外部に知を発信する大学、すっげー偏った宗教教育を行う大学、そういうのがいろいろ出てくるんじゃないかな。

キモである教育の低コスト化さえ達成されれば。

幕末にいろんな塾が開塾したみたいに、春秋戦国諸子百家みたいに。

 
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