はてなキーワード: 万引き家族とは
・名作〜〜〜〜良すぎる
〜純愛を添えて〜
校長の業、格が違う
・障害者手帳で観るジョーカーは面白いかァ!と同じ見心地のタイプの映画かと思ったらちょっと違った
それぞれ好き
・アスペ先生の細かなアスペ仕草や彼女の適当な「自分らしく生きればいいじゃん!」アドバイスをやったらアカンとこでやらかしお母さんの神経を逆撫でするシーン、ヴァ〜!!ってなって
「小学生男子」というよりは柔らかい印象を持たせる、しかしわざとらしくない服装チョイスが絶妙すぎる
・「しょうもない…一部の人しか得られない幸せなんて幸せなんて言わない 皆が得られる幸せを幸せっていう」的なセリフ、楽器吹くのと相まって良すぎる
・最近の学校もののテーマゆうたら発達障害かLGBTやろ!思ったら欲張りセットだった 先生が発達障害枠は予想してませんでした 先生はいい先生
・「あれ?予告とちょっと話が違う?」(嵐の日に子供達がいなくなる〜(クラス全員がいなくなると思ってた)とか「先生は豚の脳入ってるんかって言っきたんだ」〜とか無かった?)と思いながらみてた
・子供達が互いのシビアな家庭環境にフランクに言及するの、互いが互いの立場だから言える関係〜
・お母さんは悪気はないんや…
・お母さん、学校に凸しすぎて凸描写を進めるごとに移動描写短縮されてくの草(最初の2,3回位は駐車描写とか校舎移動する描写あるけど最後はしょっぱなから部屋にいる)
・是枝監督作品で安藤サクラがクリーニング店勤務て「おっ万引き家族」ってなった
・森に打ち捨てられた廃バスの中で飾り付けたり遊んだりしてまとまりきれていない自己の内側を見つめ直す、っていうの、ちょっとスイス・アーミー・マン思い出した
・ロン毛女子雑巾のシーン、少し前のBL漫画に出てくるカプの片方をけしかけてハッパかけてくれるタイプの女キャラじゃん というかBL漫画みてなかった?気のせい?
・転生ものは苦手なのでラストは「だよね!」ってなった 己を生きろ…!
・当たり前すぎるが音楽、神
・ 亡エンドマ?
私と『誰も知らない』に関する最悪な映画体験について、書き残しておきたい。書きやすい文体として饒舌体としているが、誰が読んだって読まなくたっていい。ちなみにオチはない。ただただ、最悪だった、という話。
2004年公開、是枝裕和監督が脚本製作総指揮を行い、主演を務めた当時14歳の柳楽優弥がカンヌ国際映画祭の最優秀主演男優賞を受賞した作品である。『万引き家族』が話題になった際に取り上げられた作品でもあるため、耳にしたことのある人は多いのではないだろうか。
本作は1988年の巣鴨子供置き去り事件という、母親が4人の子供を家に置き去りにした事件を題材とした、いわゆる社会問題系の映画だ。
私はこの作品を、他の誰もこんなクソ最悪なシチュエーションでは観てはいないだろう、というシチュエーションで観た。
平たく言えば私はこの映画を、家出していた母親が半年ほど経って帰ってきた少し後に、その母親に連れられて映画館で観た。
私の両親は二人ともよく言えば自由なタイプで、悪く言えばたぶんあまり常識がない。私が十歳に満たない頃にどっちの不倫が原因だか知らないが、あれこれとあった結果、母親は携帯をはじめ何もかもを置いて家を出ていった。こちらから連絡はつかず時折一方的な電話があるのみで半年が経ち、ある日、「今から帰る」という電話を寄越してへらへら笑いながら帰ってきた。私が泣きわめいてもへらへらと笑うだけで説明も言い訳も謝罪も一切なかった、それが我が母である。
その母は、それまで映画館で映画などほとんど観ない人間であったのに、帰宅から少し後に私を連れて公開されたばかりの『誰も知らない』を観た。あるいは、家出前は父がうるさく自由に趣味の時間が取れなかったのかもしれないが、私には知る由もない話だ。
『誰も知らない』のストーリーについてはWikipediaなどにかなり詳細に載っているので、こちらでは特に記さない。とりあえず適当なサイトでストーリーを読んでほしい。そして薄っすらとでも察してほしい。私の体験がどれだけ最悪だったかを。
もう20年近くも前のことなのに、一度しか観ていないのに、今でも映画の色々なシーンを思い出してしまう。けれど自分がどう思ったのかは、少ししか覚えていない。世間でも評価されている通り子供たちの演技が妙にリアルで、子供ながらに、ああ、私はもう助からないのだな、というようなことを思った記憶だけがある。
そうして、映画を観た後、映画の中の母親と同じように私の母は再度家を出ていき、幸せそうな別の家庭を持った。母の映画の感想がどうだったのかは、聞きたくもないし知りたくもないし、映画を見たあと母は何も言わなかった。
映画を観ていて良かったのかもしれない、と今となっては思う。今の私はごくごくまともな、この不景気の世では少し恵まれているくらいの生活を送れていて、このまともな生活を手に入れるためには、他の子供たちよりも別ベクトルの頑張らなければいけないことが多かったように思う。頑張ることができたのは、もしかしたらこの最悪な映画体験があったおかげかもしれない。一切関係していない可能性も十分にあるが。
あのとき私は救われたかった。映画の中では子供たちは誰にも助けられず、子供たちは誰にも知られないまま生きていく最後が描かれていて、私はそうはなりたくなかった。私はまともになりたいと望んで、結果的にまともになることができた。
そうは思うものの、あの映画の意義はなんだったんだろうかと今でも考えることがある。世界は変わったんだろうか。『誰も知らない』ものを、知る人は一人でも増えたんだろうか。
少なくとも2010年代前半、毒親という言葉の一次ブームだろうか。あのころ学生だった私は、家の不満を少しでも漏らそうものなら肉親にも他人にも窘められた。乱暴な言葉は使わず、起きていることだけを訴えても、親にも事情があるのだと黙らされた。大人になり、経済的に完全に自立した今になって振り返っても、私の両親の言動は著しく大人としての責任感と良識を欠いたものだったと思うが、私が悪かったのだろうか。そして今は少しでも、子供を取り巻く環境は変わっているのだろうか。
なんのためにあの地獄は模倣されたのか。誰も知らない子供たちのことを誰かに伝えて、何か変わったのか。私はどうすればよかったのか。少なくとも今の私は、恵まれない子供がいると分かっていても何も行動には移せない。今でも考えてしまう。子供はあの映画を観てどう思えばいいのかと、監督に聞いてみたい。そもそも想定されていない観客なのだろうけど。
ちなみに母親が別で持った家庭はまた十年足らずで終わったので、あの映画の母親もどのみち幸せにはならなかったのだろうなと勝手に思っている。
それでも、今でも思い出す。映画の中の母親が、知らない家の軒先で知らない家族の“母親”をしている姿を。
ちなみに主題の都合上母親ばかり悪し様に書いているが、父親も負けず劣らずだったことには留意されたい。というかまあ、映画と同様に子供にとっては『実行犯ではなかった』というだけの話。
まあ妻が逃げた後は普通に子供を虐待し始めるタイプだったので、映画以降は紛れもない実行犯だったのだが。これが話のオチといえばオチになるか。
思ったより反応がついてちょっと驚いた。内容が内容なので、てっきり誰も関心は持たないだろうと思ってたから。
ちょこちょこコメントをもらったので追記すると、あくまで私の意見としては「こんな映画を撮りやがって」という話ではない。映画を批判するコメントも肯定するコメントも否定はしないが。難しい題材だから、人によって意見が違うのは当然だと思う。
ただ、恐らくあのときの私が観るべきものではなかったし、私には意義が分からなかった、という話。きっと意義が分かる人もいるんだろう。
言いたいことが膨らみすぎて霞んでしまったけれど、記事のメインの意図は言うなれば「新車の納品日がクソ暴風雨で最悪だったので、日記を書いておこうと思う。あと痛ましい愛車の写真も載せておく」みたいな話だったんだ。タイミングが悪すぎるにも程度ってものがあっただろ、って。
同情はありがたく受け取るし、笑う人は笑ってくれればいいし、正直なところ言及の“4DX超え”はかなり笑いのセンスがいいと思う。その程度の話だと思ってほしい。
内容は、一人っ子の子どもが暴言連発の兄妹喧嘩を見て羨ましくなる、というもの。
一目見た瞬間「は?何だこれ?」と思った。
何回読んでもただ単に育ちが悪い兄妹の喧嘩としか思えず、発言に年齢差別を助長する差別表現もあったので修正を依頼したら、対応を拒否。
理由は、「子どもが汚い言葉を使うのは当たり前。子育てはそんな子どもに振り回されるもの。それがわたしの信念!」とのこと。
読者が不快になるような内容を出して修正も対応しないなんて、どうかしてる。
なのに、それを見て登場人物が感動している。
えぇ?
バイトテロの投稿を見て、「すごい」と言うのと感性が一緒じゃないか。
全く話がかみ合わないことに心底驚いた。
やりとりに疲弊したので編集長に相談したら担当を変えてもらうことになったけど、未だにモヤモヤする。
ちゃんとしつけられていない子どもを見て憧れるなんて、普通ある?
例えば「万引き家族」のような子どもを見て、「ああなりたい」なんて思う?
人によって教育方針はここまで違うのかと驚いた。
子どもの言葉遣いを注意しない親も、それを見て微笑ましいと思う親もいるんだな。
色んな人がいるものだけど、漫画を読んでここまで嫌な気持ちになったことはない。
あ~疲れた!
今や映画など、「映像作品」のうちの「2時間前後のもの」でしかなく、スマホから見ようがテレビで見ようが映画館で観ようが開くデバイスが違うだけで「同じもの」というのが若い世代の感覚だ。
映画評論家と名乗る人が、万引き家族も評論すれば、アナと雪の女王についても語る、というのはおかしなものだ。消費者からすれば、両者には「長い」ぐらいの共通点しかない。
勿論、製作チーム、配給会社、スポンサー達からすれば「映画」は「映画」であり、同じカテゴリにあるだろう。
しかし、映画もドラマもアニメも漫画も小説も5分に満たないMVでさえも同じように「物語」とみなしフラットに消費する我々にとっては、「映画」というカテゴリーは大した意味を持たない。
むしろ必要とされるのは、「社会問題を扱った現代が舞台の作品」だとか「家族がテーマの作品」だとか、「子供向けのファンタジー作品」だとか、「誰に向けたどんな話なのか」というカテゴリーである。
映画館は年々減少傾向にある。しかし、ストリーミングサービスの発達によって映画はむしろ、より身近になってきている。映画は「映画館で見るもの」ではなくなってきているのだ。
地方の名座がなくなって……と嘆く声はよく聞くが、映画館というものは映画文化のおまけとしてできた副次的なものでしかない。一家に何台も高画質なディスプレイが存在し、映画サイズのデータを簡単に送受信できる現代にはさほど必要性のない空間だ。
映画館で見るもの→映画、という空間によるカテゴライズももはや意味を失っている。
映画文化に寄生し、映画評論家などと名乗り、映画をやたらと特別扱いして持ち上げてきた人間は、そろそろ時代と共に去っていいのではないだろうか。
人におすすめされたやつだったり、ネットでバズってるやつだったり、あとは自分が好きな有名人関連しか、映画に触れるモチベーションが湧かない
いざ映画みようと思ってアマプラめちゃくちゃ(10分くらい)探して結局見ないとかザラ
苦手
・不治の病系
フィクションで悲しみたくない、余命1ヶ月の花嫁とか、ハピエンに見せかけて登場人物の1人が認知症のやつとかも無理
・グロいやつ
怪我で血が出てるくらいならOK、パラサイトはちょっと怖かった、戦争で手足がとかも無理
シーンとした街中でいきなり爆破みたいなやつ。これが無理でアクション映画は結構無理。映画で無駄にハラハラしたくない。
・バッドエンド
フィクションで悲しみたくない、ララランドですらちょっと無理だった、ラブラブランドがいい
・設定が現実とかけ離れてるやつ、複雑なやつ
程度によるけど聞いた情報だけで理解するのが難しいタイプなので、設定を飲み込みきれないまま終わることがよくある。
・胸糞系
よっぽど話が面白くない限り難しい。アナ雪はよかった。映画じゃ無いけどアニメキングダムはちょっと苦手。
最近は話題になったやつしか見てないけど、話題になったやつは面白いと感じることが多いかな
・カメラを止めるな
グロシーンは目を瞑ってる
・プラダを着た悪魔
・ショーシャンク
・ジブリ
・昔のドラえもん
・アナ雪
・彼らが本気で編むときは、
・百円の恋