はてなキーワード: レシートとは
https://news.yahoo.co.jp/articles/5d098b4497766bc60430889e693f56d18051d2a3 より
消費税法で定められている消費税の納税義務者は、消費者ではなく事業者だ。私たちが消費税だと思って払っているのは、商品の一部価格に過ぎない。レシートには商品価格の110分の10の金額が消費税として単に記載されているだけなのだ。
「多くの国民はここで引っかかると思うんですが、日常的にレシートで消費税〇〇円と書かれたのを見て、洗脳されてしまっているのです」
これはインボイス制度反対論者からのよくある指摘だが、この考え方は誤っていると思う。インボイス制度に対する反対の声は理解できるが、誤った情報を元に語気を強めると、反対論者の信用そのものを失ってしまう可能性があると思う。自分は会計のエキスパートでもなんでもないので、逆に自分のほうが間違っていたら教えてほしい。(国民はバカだからすっかり騙されている、と言わんばかりの物言いも引っかかる)
例えば消費税法にはこうある。
第四条 国内において事業者が行つた資産の譲渡等(特定資産の譲渡等に該当するものを除く。第三項において同じ。)及び特定仕入れ(事業として他の者から受けた特定資産の譲渡等をいう。以下この章において同じ。)には、この法律により、消費税を課する。
ここには、事業者が行った資産の譲渡等に消費税を課すことが明記されており、消費者のみが免税されるという内容は記されていない。そもそも、消費者に食品を販売するとき、イートインとテイクアウトで税率が変わり、それが厳しく定められているのはそれが税金である証拠ではないか。
また、消費者が消費税を払っていない証拠として、元記事には以下のような文がある。
例えば110円の商品があり、レシートに《消費税10円》と書かれていると、消費税額は10円のように思える。しかし、店側が仕入れに33円を払っていれば、粗利益は77円。ここに110分の10を掛けた約7円が、実際に納める消費税額だ。
これもおかしいと思う。店が商品の仕入れに33円を払うとき、その33円のうち3円(10%)は仕入れ元が支払っている。つまり、消費者が支払った消費税の10円は、店7円と仕入元3円の合計で10円として国庫に納められることになる。
要するに、消費者から事業者へ、そして仕入元やそのさらに上流の事業者へと、納税の責任が伝播していき、最終的には消費者が支払った額がおおむね全額国庫に納められる仕組みとなっているのだと理解している(消費税の転嫁という)。
インボイスは全国民に負担強いる“消費増税”だった!「景気は悪化、生活がより苦しくなる」未来
https://news.yahoo.co.jp/articles/5d098b4497766bc60430889e693f56d18051d2a3
読んでてイライラした
110円の商品は、110円の価値ある商品であって、10円は税金じゃねぇとかどの口がほざきやがる
110円(税抜き)の商品なら、消費税は11円で、税込み価格は121円になる
もちろん、免税店などはその限りじゃない
免税事業者は、取引に課される消費税がありませんので、「税抜価格」を表示して別途消費税相当額を受け取るといったことは消費税の仕組み上予定されていません
したがって、免税事業者における価格表示は、消費税の「総額表示義務」の対象とされていませんが、仕入れに係る消費税相当額を織り込んだ消費者の支払うべき価格を表示することが適正な表示です
免税業者は消費税相当額を受け取る事を仕組み上想定していないのだから
とか大嘘も良いところなんだよ
これも「ゴマカシ」だよ
110円の消費税は10円、33円の消費税は3円、10円から3円控除されるから、7円の納税になる
免税業者が33円側であるなら、仕入れた業者は3円を控除できない
とかならねぇんだよ
マジでこういうゴミが免税業者(フリーランス)の印象を悪くしてんだよ
ポッケナイナイしたいって表明じゃねぇかよ
迷惑なんだよ
あとさぁ
大手電力会社は、インボイス制度導入に伴い電気代の値上げを決めた。
これは各家庭が発電した電気を買い取った代金の消費税を控除できず、電力会社の負担となるため。
事業者の消費増税は、私たちの生活に大きく影響してくるというわけだ。
こうした値上げは、これから次々と起こるはず。
止めなければ─。
これもさぁ
リベラル勢からしたら、企業増税すれば国庫が潤って福祉に少子化対策に万々歳って話じゃなかったのか?
意味ないじゃん
ちゃんと考えて主張してほしいよ
これが1万いいねを集めてるのがつらい
モスバーガーのせいでメンタル崩壊し、心にトラウマを抱えました!精神治療必要なので治療費出してください!あと、この先30年苦しみ続けることになるので毎年売上3%貰えますか!?また、今後「モスバーガー」を目にするとあのポスターがフラッシュバックするので会社名変えてください!
引用欄も含めて強すぎる、「茶化すな!」っていう怒られが発生しそうだけど、この要求内容について文句言ったりメンタル崩壊を嘘つき呼ばわりしたりするのは全部ブーメランだし、なんならおたくたちはポスターの画像と今日のレシートとかも合わせて物的証拠出せそう
ハラスメントに大小も優劣もありませんからね……この方がまじで病んでいる可能性捨てきれませんので、この方を攻撃したひとたちは「被害者を誹謗中傷しているジャニヲタ」と同じになりますよ、お気をつけて
「ジャップはコンビニランチに10ドル使うのマジグラス(草)」みたいなのを自分には縁遠いと思ってた。
でも今はスーパーで2日分の食料買い込むと普通に3000円払ってる自分がいる。
酒を飲んでるわけでもないのに。
どこにこんな金がかかってるんだ?
レシートを見る。
惣菜300円✕6
パン200円✕2
お菓子300円
梨2玉400円
低脂肪乳130円
消費税300円
なるほど。
梨をヨーグルトやアイスのマルチパックにするだけでかなり浮きそうだ。
パンはスーパー隣接のパン屋のものじゃなくてヤマザキのチョコスティックにするか。
惣菜から野菜系は減らしてかわりにキャベツでも千切りにして食う手はある。
契約書袋綴じを指示されて和書の袋綴じをして怒られたって棘がバズってるけど
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/togetter.com/li/2205369
いや、元々契約書の綴じ方も和綴じの袋綴じをしていて今でもやる場合があるのだ。そして昭和の契約書やら判決文、戸籍謄本などの法的文書は和綴じの方の袋綴じがされている。
そもそも現代の契約書の綴じ方には「袋」になっているところがない。なのに袋綴じと言われるのは和綴じから変わったからなのだ。
なんで平成中期というか1990年代前半に替ったかというと、コンピュータの出力法が変わったせいなのだ。
契約書などには割り印をする。ページの差し替えをされない為だ。そして契約時点で書面の内容に異存なしという意味で双方のハンコをページにまたがる形で押す。また背表紙の封紙と表紙にも割り印をする。
ページの割り印の仕方は、上の余白で折って隣のページとまたがる様に押印する。
でもこれちょっと無理やりだと思わない?
実は1990年代までは今のように両面印刷して製本するのではなく、原稿用紙のような升目用紙(内容証明用紙のようなの)に手書きで書き、それを半分に折って重ね袋綴じしていた。綴じるのに使うのは布の「こより」で、千枚通しで穴を開けてから紐を通す。河野太郎が廃止させたやつだね。だから千枚通しはオフィス用品だったのだ。
そして袋綴じされた紙を膨らませて片側のページを山型に折ってそこに割り印をしていた。
「ワープロ」を使うようになっても同じ。片面印刷して袋綴じにして割り印をする。
なんでパソコンじゃなくてワープロなのか?これは後で説明する。
戸籍謄本などはやはり手書きで同じように袋綴じされて割り印され渡された。
そもそも「謄本」と云う言い方をするのは、昔はコピーが無かった(青焼きはあるがコストが高くナンセンス)ので手写しであり、書面の中身を全部写したのが謄本で、労力が大変なので必要な部分だけ写したのが「抄本」だった為だ。今でも閉鎖謄本/抄本を請求するとこの形式で出てくる(流石にコピーを使うが)。そして和綴じ式の袋綴じで割り印されている場合がある。
こより綴じの方は昭和後期には省略されてホチキスになり、これは市役所や弁護士が先行したようだ。だが契約書類はこよりorこより+封紙+割り印が使用されていた。
コンピュータで印刷するというのは今では当たり前で、印刷するのは白いオフィス用紙で、一枚ずつ印刷される。
だが嘗てはコンピュータで使われるプリンタはラインプリンタが主流だった。ページプリンタはDTPなど特殊分野でのみ使用され、一般的なOA機器メーカーはラインプリンタしか製造していなかった。
ラインプリンタの用紙というのは、両側に穴が沢山開いてて薄緑などで罫線が引かれていて、ミシン目が入ってて切り取りが出来る連続用紙の事である。
ラインプリンタの場合、印刷の区切りが一行づつになっていて、プリンタに印刷指示が送られるとそのテキストを印刷して改行の必要がある場合は改行しそこで終了する。ミシン目まで行送りするという事は無い。
だから票として一枚ずつ切り離す場合は、ミシン目が来るところまで行送りを行って停止するという印刷指示を組んでおく。
また、嘗ての標準出力の延長でもあるのでコマンドラインとの相性も良く、リダイレクトやパイプ(|)でデバイスファイル(lp、PRN)にテキストを流すとそれが印刷されるという簡単さであった。
ラインプリンタはページプリンタに押されて無くなったかに見えるが、実はPC POSで印刷されるレシートはラインプリンタの生き残りだ。
プリンタの印刷方法はインクをしみ込ませたインクリボンを活字で叩くというのが主流で、日本語圏だと沢山のピンを弾いて打つ、ドットマトリックス方式が主流だった。これだと一字のドット数が16*16くらいが限界なので、細かい漢字は打てない。
だからカタカナ+数字しか出力されない伝票などの使用が主で、ページプリンタは普及しなかった。
一方、ワープロ専用機は最初からサーマルプリンタを備えていてページプリントが前提であった。だから普段のオフィス業務はコンピュータ+ドットマトリクス、文書の清書はワープロというのが一般的だった。
これで法的文書もワープロで作成し、縦書きで出力して手書きと同じ袋綴じにするというのが増えてきた。
今でも弁護士の文書で表題に倍角文字が使われたりするのもこの名残だ。
これがWindows95が普及するとページプリンタの普及も進み、イントラネットに接続される複合機が普及するなどで印刷=ページプリントとなったのだ。そしてやがて法的書類も両面印刷して製本するという形になった。
その時に本来の袋が出来る袋綴じは過去のものとなって袋が無いのに袋綴じと言われるようになった。故に今の袋綴じ方が当たり前になったのは20年位かと思われる。
因みにワープロより早くから、またワープロと平行する形で和文タイプというのがあり、これで升目用紙に、または白紙に升目用紙と同じ字の間隔で印刷するという方法もあったのだが、和文タイプというのはとても時間が掛かった。
この人は流石に遅過ぎなのだが、タイプするのが超絶大変な代物で、行政書士、弁護士など気合が入った士業と法務局、裁判所など気合が入った役所、気合が入った大企業の契約書など、兎に角気合が相当入ってないと使われない清書用アイテムだった。ある意味、100kgぐらいの巨大複合機より気合がある。
というわけで袋の部分が無いのに袋綴じという謎かけみたいな名前の背景にはオフィス史とコンピュータのプリンター史が隠れていたのであります。
昭和日本ではオフィス用紙も法的文書も原稿用紙も、B5だった。ずっとA4より小さい。会社でも役所でも裁判所の判決文でも全てB5だ。
だが1990年頃に役所関係の書類をA4にするというお触れが出た。これは国際化の一環で、ISOに定めれているのはA列だけでB列は日本独自規格。困ったことに当時一番の貿易相手国だったアメリカはアメリカンレターサイズをN倍したANSIという独自規格なのだが(またですか)、まぁレターサイズはA4に近いしA4を標準化すれば万事うまくいくでしょとの見込みだ。
これに数年遅れで企業も倣ったのでB5というのはパージされることになった。
世の中全部B5からA4に変わったのに、大学ノートだけはB5が主流のままだ。あれは何でなんでしょね?小さいと使いにくいのに。
今はオフィス用紙として白くてある程度の厚みがあるものが使われているが、これはコンピュータ印刷が一般化するまではとても薄いペラペラでテカテカつるつるしている紙が使われ、これが「公的な場所で使う」紙だった。
先述の手書き&ワープロの升目用紙も全てこの極薄+つるつるの紙である。両面印刷して製本されなかったのもこれが理由の一つだろう。
これは「カレンダー紙」で、紙を押しつぶす鉄製のカレンダーロールの間を極圧で通して押しつぶし、薄くする。
トレーシングペーパーやクッキングペーパーと同じだ。
また、請求書類の封筒は中の請求書の名前住所が見えてあて名書きを省略してあるが、あの透けた部分が透明ビニルじゃなくて透けた紙である場合もある。この透ける紙もカレンダー紙だ。
公的書類でカレンダー紙が使わるようになった理由だが、増田は羊皮紙の代替ではないかと考えている。羊皮紙は中世の欧州から使われていた「紙」で、羊やその他の皮膚の薄い動物の皮を剥ぎ、石灰水で皮下脂肪を除去して薄く削いで引っ張り、紙のようにした。 https://w.wiki/7FnV
鞣しをしないのがポイント。これは高額なので貴族の手紙や証文、聖書の写本など「公的」な書面に使われた。
これの代替の紙としてカレンダー紙が使われ、それが「高級紙」として日本に輸入されて、ペラペラなカレンダー紙を契約書や判決文に使うようになったのではないか?と推測している。
こういう訳で、昔の契約書やら公的書類などはやたら薄いのが特徴だ。破れそうで怖いのだが、そっとめくるだけなら破れない。
なお、トレーシングペーパーやクッキングシートは長期間放置するとバラバラに崩壊してしまう。これは硫酸で晒しをする為に酸性になっているからで、昔のペラペラ重要書類はそうはならないので、硫酸晒しをやってないのではないかと考えられる。
長いが、暇つぶしに読んでくれれば嬉しい。正直、これでどうこうというより俺としてはアウトプットすることで気持ちを整理する面が強い。
後々出てくる友人には今でも頭に来てるんだが、それでも文章にするとまだ情が残ってるところもあるのだと再認識したことは発見だった。
いきなり脱線したが話を戻そう。
高校時代に予備校で知り合った友人がいた。たしかたまたま隣の席だったのがきっかけだったんだと思う。高校は違ったがウマが合い、
予備校ではお互いの高校の友人をさしおいていつも一緒に話をしたり、飯を食っていた。
受験の辛い時期も励ましあって過ごした。大学は違ったが、長期の休みになると自然と地元に戻ってきて毎日遊ぶ、そんな日々が続いた。
その後友人は誰でも知っている大企業に、俺もそれなりの企業に就職した。よく社会人になると疎遠になると言うが、俺たちはそんなことはなかった。
就職して10年以上たち、友人には嫁も子どももできたがそれでも相手の奥さん含め必ず1年に何回かはどこかで会って近況を話したりした。
雲行きが怪しくなってきたのは俺が会社を辞めて自分で事業を立ち上げてからだ。
色々根回しをして退職したが、やはり事業を立ち上げた直後の数年は厳しい時期もあった。旅費や飲み費も厳しかったがそれでも友人とはいつも通り会って近況をお互い話した。
当然、事業が厳しい話もした。
友人も俺の事業がどうなっているか気になっていたみたいで、色々聞いてアドバイスやらなんやらをくれていた。
しかしこのあたりから異変を感じ始める。あるタイミングから「友人としてのアドバイス」から「コンサルとしてのアドバイス」に変わってきた。
友人は週末はビジネス勉強会を立ち上げて興味のあるやつらと勉強してると言っていたのを思い出した(マルチとかではない純粋な勉強会)。
どうも自分が勉強したことのアウトプット先にされている感じがした。
最初は友人としてのアドバイス100%だったが徐々にその色は消えていき「コンサルとしてのアドバイス」が100%になった。
彼の中で「俺は素人、自分はビジネスの勉強をしたプロ」という序列を作られたのだ。
このあたりから友人に不信感を持ち、これまで隠し事なしでいたが、徐々に自分の事業に対する考えやロードマップなどは真剣に話さなくなくなった。
一方でこの時は「そう感じる」ぐらいで、決定的なものはなかった。人によっては親身にアドバイスくれてるじゃない、と言う人もいたかもしれない。
しかし、それが決定的になったのは2人でカフェで話をしていた時だ。
俺は友人と雑談ができればそれでよかったのだが、どうやっても俺の事業の話に戻される。その時も結局したくもない事業の話をすることになり、
そして彼はカフェを出る時に「コンサル費」といってレシートを俺に流したのだ。
※これまではどんなことがあっても貸し借りなしの必ず自分で頼んだものは自分で払うというルールがあった。
俺は「あ、ああ、アドバイスありがとう」会計したのだが、釈然としなかった。雑談として久しぶりに集まったはずなのに偉そうにしょうもない
本人はすごいことを言っていると思っている様だがそうではなかった。奇をてらう必要はないが彼の話はどこまで行ってもどこかで聞いたことのあるビジネス論だった。
俺の考えを聞き、否定してアドバイスする。その様式が常に続いた。俺が毎日必死に知恵を絞って考えだしたアイデアを簡単に否定してああしろ、
こうしろと言ってくるのに耐えられなくなってきた。
「こいつは安定した給料もらいながら片手間で週末にちょろっと考えてリスクを取らず俺にアドバイスして気持ちよくなってんのか。
俺がお前のアドバイス聞いて結果しくじって路頭に迷ってもコイツは知らぬ存ぜぬを通すだろうな」
そう思うと友人に対して怒りが出てきた。
友人は帰る時にこういった。
「そういえば会計ソフトは入れた方がいい。Freeってのがあるから、それを導入しよう。俺が半額出してやる。ただしお前が営業利益やら全部教えて、
俺がその会計をやることが前提だ」
ここで俺は「もうダメだ。今日限りでコイツと会うのはやめよう。メッセージのやり取りだけにしよう」と決めた。
その後はのらりくらりと会うことを断り、メッセージのやりとりだけにしていった。しかし、それも終わりが来る時がきた。
俺「どうもこうも俺はこの仕事が好きだし、この分野も好きだ。この分野がこれから盛り上がれば良いと思ってるし、
そこに俺が関われたら最高だよな」
俺「・・・」
この瞬間、友人は他人になった。ここで20年の友情に幕が閉じたのだ。
その後事業は順調に伸び、市長から名指して呼び出されて役所でプレゼンするぐらいまでは認知度も上がった。
今でも季節の変わり目には「会おう」という連絡が来るが、一切無視している。彼に会うことは2度とないだろう。
だいぶ前の話だが、花屋に行った
ワンコインで買えるサービス品花束がある。それを買おうと思った
会計の店員さんに花を渡すと、うっかり真っ逆さまに落とされた。既に花束はプラスチックの包み紙に包まれてるとはいえ、商品の大事な部分を落とされたら嫌だよな
普通すぐに謝ると思う
だが店員は謝らず、プラスチックの包装の上から紙の包装紙を巻いた。
俺が無言で店員をジ………………っと見つめていることにようやく気がついてか、はじめて「す、すみません……」と言ってきた
落とされた花が折れたわけでも激しくいたんだわけでもないが、「花を落としたが状態に問題ないので売っていいだろう」と店員が判断しているのが嫌だった
「それ、大丈夫ですか?」と俺は敢えて聞いた。
「交換しましょうか…?」とおずおず言われた。
サービス品とはいえ、いくつかある中から選んで買ったのだが、これは俺の綺麗事だろうがどれでもなんでもいい花なんて無いだろとも思っている。
「それでいいです」と言わざるを得なかった。他のサービス品花束はあまり好みじゃなかったし、落とされた花もまあすごく傷んだ訳じゃなさそうだったし、でも店員の「誤魔化せばいいや」の姿勢が真摯じゃなく不快だった。
帰り際、花を受け取り小銭とレシートを受け取り手がいっぱいだった為、貰ったレシートを握るような形で持たざるを得なかった。
(これは非難ではない、俺はレシートをすぐ捨てるので貰ったらすぐクシャとしてしまうのと、本当に手が塞がってたのですこし感じの悪い握り方になってしまった)
付け焼き刃の親切に思えてしまった、本当にレシートは要らなかったので渡しても良かったがムカついたので「結構です」と持ち帰った
家に着いて花を解こうとすると、紙包装紙の端っこがテープでギュウギュウに巻かれていた。
ChatGPT:
え、財布の小銭入れって使うよね…?
アメリカではレストランで会計するときにまず通常の金額が書かれたレシートを渡されて、そこにチップの額を手書きしてサインする方式になっている(クレジットカード払い)。
そのレシートに最初からチップの目安(会計金額の15%, 18%, 20%が標準で、それぞれの金額)が印刷されている。いちいち計算しなくていいように。
チップの元々の意味からするとなんやねんこの茶番はって感じになるんだけど、歴史的経緯でそういうものとして定着してるからそれで回っている。なおチップを支払わない、あるいは10%とかの小さい額で支払うのは非常識でトラブルの元なので普通はやってはいけない。
こういう仕組みを今から日本に定着させるのはかなり無理だと思うよ。(実際アメリカでも度々批判されていてそのうち無くなるかもしれない)