はてなキーワード: 鳥山明とは
20世紀の最も偉大なクリエイターの一人である鳥山明氏にこれ以上の事績を望むのは贅沢に過ぎるとは思う。
しかし、Dr.スランプ、ドラゴンボール、そしてあともう一作。
氏の代表作と呼べるような作品が読めたのなら、それは本当に素晴らしいことだっただろう。
鳥山明の絵というのはネットに模倣者がたくさんいてそっくりに描ける人が多くてアシスタントに困らないだろうなあという人がアシスタントをあんまり使わないという話は面白いと思いました。
でもよくよく考えてみると模倣しやすいというのはそれだけデザインが優れているというか出来るだけ描きやすく設計されているということなのかなとかとも思いました。
https://twitter.com/combat_rec/status/1766147160998027292
女の子、メガネ、ロボットな鳥山明の世界(女の子を主人公にしろと言ったのはマシリトらしいけど)をみると、いかに異質かがわかる
Drマシリト最強漫画術によると、マシリトが鳥山明と出会ったのは入社2年目だったらしい
少年漫画が好きじゃなくて理由が「がさつ」だというシーンがエピソード漫画として漫画術に描かれている
このマシリトの少年漫画にたいする評価がアラレちゃんを生んだんだんと思う
テレビニュースなどで映像が流れるのはまあ映像メディアだし仕方ない面もあるのだけれど、「ご冥福をお祈りします」みたいなツイートとともにアニメ版のスクショとか、他人が彩色したフルカラー版の漫画が貼られてるとなんか違うよなって感じる
68歳だったんでしょ、十分だと思う
むしろそんな歳になってもなお世界中の期待を背負いながら仕事して生きるのってしんどい気がする
本人が好きでやってるただの趣味の自由でお気楽な創作ならともかく、なんだかんだ「仕事」をやってたんでしょ
ぼかあしんどいと思うなあ
死んでほしくなかったとはおもわないしおもえない
先生は十分やりきったと思うんだよ
偉大すぎる功績を残した
作品はずっと残り続ける
それでいいと思うんだけど
死んだら何もかもまっさらになって終わりってわけじゃないじゃん
VTuberじゃあるまいし
ファンレターを送ったりSNSでやり取りしていましたならともかく鳥山明はそういう人じゃなかったんでしょ
わかんねえわ
いやいや……何を今更……(ヾノ・∀・`)
「今まで通ってこなかったけど、作者死んだからちょっと調べてみた」が許されるのはせいぜいセクシー田中さんぐらいでしょ。
そこから上の話については知らないなら何も語らずに黙ってろよって反応しか出来ないぞ。
なんで今でもアニメやってて40年前から人気の漫画家について1秒も絵を見たことがないやつが「おっ、なんか葬式やってるし野次馬しようぜ」みたいなノリで群がってきてるねん。
「ビートたけしってお笑い芸人やコメンテーターだけじゃなくて監督としても凄いんですね!」みたいなさ、普段はあまり扱われない別の才能についての話とかならまだ分かるけどさ……。
鳥山明が凄いのは、1980年に「Dr.スランプ」(3500万部)でホームランを打って、1984年で連載終了。その直後に、「ドラゴンボール」の連載を始め、2億6千万部の大ホームランをかっ飛ばしたことだろう。
人は60超えたらどうなるか分からないんだぞ
作者の為にもさっさと完結させてあげて欲しい
でも、コナンが新一に戻るって結末が確定してる以上、完結させた後にドラゴンボールの様にまたコナンとして話しやるのは無理だから引き伸ばすんだろうな……
だって新一に戻ってる以上、コナンとして話続けるのは無理あるだろ
見てるこっちとしても完結した後にわざわざまたコナンとして話やられても嫌だし
多大な功績を残した人が亡くなるとネットは賞賛の言葉や如何に偉大であったのかを語る言説で溢れる。
でも、それは亡くなった人には届かない。
生きてる時に言ってあげてよ、と思う。
どんなに褒めそやしても労っても、もう本人に届かないんだよ。
遅いよ。
引退とかそういうの。
生前葬すればいいのかな。
TARAKOさんは闘病してたそうだけど鳥山明は不慮の事故だろうし。
冥福を祈り故人について語らうのは生者のため、というのはわかってる。
それでもなんか、虚しいなぁ哀しいなぁと感じてしまう。
亡くなった人に言葉を届けられたらいいのにな。
直接関係あった人やファンが思いを吐露してるのは特に嫌じゃないけど、「鳥山明という存在のすごさ」みたいのを評論ぶった言い方で作品なり人柄なりを論じてるのがキモいってなる。
いつものことだけど、業界の偉人がなくなった時に始まる故人の思い出語りの飽和に今回もうへっとなりつつある。
俺個人は子供時代にDBZみたことあるし、面白いと思うしドラクエもまあまあ好き。
でもまあうざったくなってきたね。
SNSで個人同士の語りが可視化増幅される時代だから、ほめそやす言葉も数個ならいいんだけど、数百数万となってくるとちょっとね(万の言葉が届くようなファンのいる人ってのはわかるんだけど)
SNS特有の過剰に増幅された装飾文法も伴ってくるもんだから食傷気味になるよ
「百万回いってるけど」「何度でもいうけど」「全人類はみるべき」
みなきゃいいじゃんって話だけど、SNSの意見やコメントが目に入らない生活なんてほぼ無理だからなぁ
昔カードダスってあったやん
俺の記憶だと5階か4回に1回くらいの割合でキラカードがでてた覚えがあってさ
親にもらった100円玉を握りしめて、ずっとDBZカードダスの前ではってたのよ
100円しかないから他の子が数回まわして次だって時になるまで待ってさ
何十分もまったりするもんだから、手の中汗だくになったりしてさ、ひいたカードで手のひらをかるく掬うと、乾いてはりついた汗が垢みたいにとれて面白いんだわ
ほんのり塩味でさ、それをあてたキラカードでいくつもすくって帰り道にぺろぺろ舐めながら歩いてたな
今は大人だから大人の分量どれるし、もっとフルーティーな味になったのよ
今度食べにこない?
大量のお客さんからインプットを得ながらデザイナーと相談を重ね丁寧に刷新したUIが、退職して2年ほど経ったところでめちゃくちゃ雑に変更されてnoteが炎上しているのを見た悲しさに鳥山明の死が重なりHPゼロです。
訃報を聞く前からそうだけど、鳥山明の絵に対しては「上手い」という言葉をもって評価する人がとても多い。
「可愛い」「かっこいい」「綺麗」「美しい」等の言葉ではなく。とにかく技術的に優れている事を語る人が大多数。
これは鳥山明に限った事じゃないんだけど、個人的にはディフォルメの効いた絵に対して「上手い」と思う事って一切ない。手塚治虫や岸本斉史、堀越耕平、最近だとナガノなんかの絵も、世間ではそう言われていても自分は「上手い」とは思わない。
個人的に「上手い」と思うのは、小畑健とか北条司とか、原哲夫とかリアル調の絵に対してだけ。
みんなは何をもって「上手い」と呼んでいるんだろう?
上記のリアル調の絵の漫画家達に対しても、多分個別に語る場であったら「上手い」以外の別の言葉を使って語ると思う
技術的な事ばかり語るのって、楽しくないんだよね。それよりももっと個別のキャラクターやストーリーへの思い入れを語りたい。
このまとめとか、とかく語られているのが技術的な話ばかりで、感情が乗っていない。
つまらない傾向だなーと思う。
「デビュー当時25才で、すでにこの画力とか腰が抜けますよ」鳥山明先生の連載開始時の扉絵や没ネームからわかる画力やデザイン力が圧倒的
鳥山明のイラストが神なのは間違いないが、Xポストの「徹子の部屋」の映像を見るに
妻とのなれそめ、妻の名がみかみなち(神を見るナチ)とは、できすぎではないだろうか