はてなキーワード: 尿路結石とは
またかよォ。
プラン70っていう毎月の保険料がお高いけど、支払い割合70%のに入ってたらさ、
『あ、次から10歳越えたペットさんは「プラン50」に変更されますんで』
つって支払い割合50%のプランにさせられちゃうしさ。限度額50万円(年)、そこまで50に揃えんでもいいわ。
クッソー。保険会社変えたる、ってなってもあとの祭り(日本語おかしいな)
10歳越えの高齢動物が入れるペット保険はないじゃないさ(当時)
ないじゃんよー。(当時)
選択肢、ないじゃんよー。
月々の保険料は多少安くはなると言うが、高齢なんでそれほど変わらないし、年々上がる。
(いままで払ってきた分を思うと仕方ないけど、分かってるけど、くっそーってなった。仕方ないけど)
凸とし、じゃない、で今年。
『医療器具の購入とか、リハビリ(※)も対象外にしますんで。明確に』
がっ、グガガガ……。
ガギガガガーーー。
猫も犬もヒトも年寄りになってから、あちこちガタピシくるじゃないのよ。
獣医療も進んで動物も高齢化してるから、保険の支払いが負担になってるんだろうけどさー
それが保険か。
ああそうか。
そうなんか……
そうだよね。ちょっと落ち着いた。
あと何年一緒にいられるんだろう。
あ、あとな
あとな。
猫さん(雄)が若き頃、尿路結石を患ったあとの契約更新で『今期から尿路結石の治療は補償対象外にしましたんで納得しろ』ってやつ。
当時はそんなものかと凹んだが、やっぱ許せん。
後出しジャンケン、許すまじ。
※正確には『医療器具の購入費用』、『治療を伴わない介護、リハビリテーションにかかる費用』
治療を伴わない介護は何となく分かるが(でもなー、介護・高齢特約とかないんか。犬猫の介護も本っ当大変だよ? 動物病院まで行く介護ケアに、治療を伴わないって、いや治療じゃんそれ)、治療を伴わないリハビリテーションて何よ?
※※気になったので問い合わせたら「個別相談」だそうだ。どっちなんじゃい!! 動くゴールだよ!!
歯の治療全面補償対象外(歯石取りとか抜歯じゃないよ。もっと奥の骨のとこ)は、「わんちゃんねこちゃんの高齢化が進んで、保険の支払いがリスクになっていまして…」ってド直球の本音をオペレーターさんが申し訳なさそうに言ってた。だよね。
いつか、もしかしたら。今の悲しい気持ちが消えてしまうんじゃないかと思うとゾッとするので、どこかに悲しかった証拠を残したかった。
私は27歳。職業はある国家資格を使う仕事。手前味噌だが世間的にはまあまあ立派な職業だと思う。
猫を飼っていた。先月死んでしまった。17歳だった。人生の半分以上をこの猫と過ごした。
毛先が黒色だけど根本が白い、不思議な色をした雑種の猫だった。誰よりも私のことを考え、誰よりも私を愛してくれたと思う。
祖母の実家の地域でやっていたお祭りで、ドブに捨てられていた子猫がいたって騒ぎがあった。実は祭りの一年くらい前に母が飼っていた猫が亡くなっていた。直感で飼った方がいいと思った。まだ小学生で金がなかったため、祖母と母に土下座して飼いたいとお願いした。
今までで土下座したのはあの一回だけだし、やってよかったと思う土下座ももうあの一回だけなんだろうなって思う。
実を言うと親とは仲良くない。親は兄弟を殴ったし、作る料理はまずい。
猫がいなかったらとっくの昔に私は死んでいたし、家には帰っていなかったと思う。
中学時代は本当に幸せだった。友達も多く、学校が楽しかった。そのこともあり学業は非常に伸びた。しかし高校では吹奏楽部というブラックな部活に入ってしまい、週7日部活だった。先生は怒鳴るわ、洗脳じみたことはするわ、テスト近くても大会があれば部活するわで最悪だった。びっくりするぐらい成績が落ちた。今思うとあれは鬱症状だったんだと思う。泣きながら登校し、血尿を流し、声が出なくなるときもあった。あの時は猫の世話を疎かにしてしまうこともあった。本当に申し訳なかった。それでも猫がいたから首を括らずに済んだと思う。
偏差値は低めな大学だが、なんとかして特待生として合格することになった。引っ越しにも猫を連れて行った。実はこの猫5回も引っ越しに付き合ってくれた。猫は犬と違い、基本慣れない場所にストレスを感じる。それでも連れて行かさせてくれて感謝しかない。
大学では成績は上位をキープすることができた。勉強する私の膝には大体猫がいた。猫と一緒に1人暮らしする時もあり、本当に幸せだった。この時点でまあまあ猫はおじいちゃんである。尿路結石になった。まだ車を持っていなかったがなんとか獣医に連れて行った。食事もちゃんと選んで買った。
国家試験が近づくたびに、お願いだから国家試験の時には死なないでくれとお願いした。叶えてくれた。そして無事に留年することもなく一度の試験で合格することができた。
就職した。今も同じ職場にいる。就職も見守ってくれたことに感謝しかなかった。自由に使えるお金が手に入り、猫にはおもちゃを買ったり少しお高めの餌を買ったりした。
帰宅すると猫が待ってくれていて、頭を撫でると嬉しそうに鳴いた。
朝起きると猫が腕の中にいるか、近くに座っている。平日は私を叩き起こすのに、休日はそっと寝かせてくれた。本当に優しかった。
お昼寝する時は額を寄せ合って寝た。
食い意地が張っている猫なので、私のご飯を欲しがった。味が薄めで猫が食べられるものは少し分けたりもした。
尿路結石は食事に気をつけたり、水飲み場を工夫したりした成果か、死ぬまでの5、6年再発しなかった。だから油断していた。
就職から一年たった。仕事も覚えて来て、後輩指導を任され、大変なことも多いが順風満帆だと思った。思っていた。
猫が食事を食べなくなった。といっても全く食べないわけではなかった。通常猫は貰った食事を少し残すが、食い意地のはっているうちの猫は毎回すぐに完食していた。
この時点でおかしいから病院に行こうと思って、平日なんとか定時で帰って病院に連れて行った。末期慢性腎不全だった。もう年齢のせいだろうと、無理に治療するより看取りに入った方がいいだろうと言われた。獣医によると、これから吐き気が出てご飯が食べられなくなるから無理に食べさせないこと、水はたっぷり用意すること、いつもと違う匂いがし始めたらそろそろだということ、死ぬときは苦しまないで高カリウム血症でぱたっと亡くなることを聞いた。
家に帰って泣いた。ものすごく泣いた。鼻水めっちゃ出た。ご飯は食べられなかった。でもそんな私を見て、猫は私を心配そうに私を見ていた。どうしたの?って顔で私のそばにいた。猫自身の方がしんどいくせに。
次の日、猫は箪笥の奥に入るようになった。死ぬ前の猫は普段行かないような暗くて狭い所でじっとする。共倒れだけは避けないといけないと、無理矢理ご飯を食べた。それでも私は2週間で4キロほど痩せた。猫はいつもの餌を食べなくなり、死ぬ2日前にはちゃおちゅーるも食べなくなった。ちゃおちゅーるの封を切って差し出す私に悲しそうな様子を見せていた。
猫としてのプライドを守ろうとした。猫本人の意思でもある。ふらふらになりながらも出来るだけ粗相したくないと自分のトイレに自分の足でいこうとしていた。水飲み場は、すぐ飲めるように引きこもる箪笥の入り口付近にも作ったが、それよりも遠いいつもの水飲み場で水を飲んでいた。
なんとか歩けるようにとペットシーツを部屋全部に敷き詰め、持っていたヨガマットはこけた時のクッションになるだろうと、切ってよく通るところに並べた。お気に入りのヨガマットに爪研ぎされた時にはあんなにショックだったのにおかしい話だ。
獣医に行ってから2週間後。早朝に亡くなった。有給を取っていた朝だった。猫は死ぬ日まで気を遣ってくれた。徹夜してそばにいようと思ったが、看取られたくない、そっとしてほしいという猫の様子に任せた。
その日のうちに火葬した。昼ごろに火葬の予約を入れて、その時間まで久しぶりに猫と添い寝した。葬儀屋の人には、こんなに骨が太く残っていて、腸あたりに食べ物の跡が残っているということは、飼い主と猫本人が最後まで頑張った証だと言ってくれた。会ったばかりの葬儀屋の人の前でもドン引きレベルで泣いた。
火葬して遺骨は粉骨にし、手元供養しようと考えていた。2週間も猶予をくれた猫のおかげで考えはまとまっていた。
もう少しで月命日。一か月毎日泣いている。四十九日が悲しみの折り合いらしいが、四十九日が過ぎても泣いていると思う。100か日が四十九日の次の目安だ。この間に猫はこんなに立派でしたと閻魔様に証明する必要がある。猫のお陰で取れた資格で仕事をし、泣いたり偲んだりすることで証明できるのではないかと思って、今生活している。100か日を過ぎたら猫を追いかけようか悩んでいるところだ。ぐちゃぐちゃの文章だが、記録を残せて良かったと思う。
https://q.hatena.ne.jp/1483348095
より引用
・cafeで少量だがたくさん野菜や果物がとれる健康的な食事を時間に追われずゆっくり食べる(玄米ランチなど)
・ふるさと納税で高い食材をおとりよせ。中でも(半)調理済みのもの。
・すぐ命にはかかわらない体調不良でも家族や費用や職場を開けることを気にすることなく安心していつでも入院でき治療してもらえる状況(胆石、尿路結石症、顎関節症、鼻中隔手術など)
・逆に保険がきかない漢方。予約から足代まで自分もちだけれど飲むだけでよいので贅沢。
・気を使いながら親戚の家ですごすよりも、高い宿に家族または夫婦だけで止まる
・ダスキンメリーメイド(一応貴重品を仕舞うなど面倒なことはあるらしいですけど)
だそうな