はてなキーワード: 動詞とは
http://anond.hatelabo.jp/20091109124346
# globpointglobpoint 2009/11/19 10:54 日本語の文章で一般的に使わど、れる動詞の活用形を登録しても日記が無作為に抽出されるだけであり、話題に即して日記のつながりを作るというキーワードシステムの主旨に適合していない。
# konoikekonoike 2009/11/19 22:10 削除理由が不適切
# globpointglobpoint 2009/11/20 11:22 キーワードガイドラインに従い、編集意図と根拠を示しています。どこが不適切なのでしょうか。
# konoikekonoike 2009/11/21 14:08 無作為抽出を理由に削除は出来ないから。
# konoikekonoike 2009/11/21 14:11 一端削除します
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id:konoike氏が一旦削除しておいて作成しなおす可能性もある。id:globpoint氏は削除予定にいれた理由も追認する必要がある。
自分は英語が分からない。それで分からない、分からないといっていたのだけれど、ある時いったい「どこが」分からないのかということが分かっていないことに気づいた。
英文を見たときに、意味の分からない単語があるとそれだけで嫌になる。これは大体開始10秒ぐらいで起こるので勉強は一向に前に進まない。じゃあ辞書があれば進むのかといえば全くそんなことはない。というのは辞書には意味がたくさん載りすぎていて、どれを使えばいいのか皆目見当もつかないからである。
単語が三つくらいの文なら分かるのだけれど、5個、10個となるともうわけワカメ。これはもう決定的に文法がアボーンしているのが原因なんだろうけど、それにしても長い文はイミフ。「単語が分からない」と合わさるともう非常に凶悪になる。それは単語数が少ない時は意味を選択するのが簡単だけれど、多くなると意味を選択するのが無理になる。つまり無理。
それから文章がどこで切れているのか分からない。まず主語ね。あ、あったあった。次動詞ね。あ、あったあった。それで次はと思った瞬間また動詞が出てくる。(゚Д゚)ハァ?もうねアボカド バナナかと。なんかingとかedとかついているけどわかんないんだよね。そういうの。
カンマ(,)は日本語の点(、)と同じなんだろうけど、もうね、上の文章を見ればわかる通り勝手に打ちまくってるんよ、自分は。そんな日本語の点の使い方もわかんない人間にカンマの使い方がわかるかってね!
まぁだいたいこんなところです。勉強しろよ、このゆとりが!ヽ(`Д´)ノと言われればそれまでだけど、そっちのほうはもう開始2秒ぐらいで飽きるのである。もうぜんぜん進まない。嫌なことから逃げて何が悪いんだよ!と言い続けてここまできたのでもうエヴァには乗れません。手遅れです。
はてなには定期的に英語学習のトピックがあがるけれど、あれはもうみんなインテリ向けと言うか、なんというか。がんばれる人むけ。ネイティブと話せ?(゚Д゚)ハァ? ここらでひとつスペックが低い人向けに英語学習を書く人が現れてもいいんじゃないかい、と思うしだいであります。
以上。
確かに、意味の分からない単語は無視して前後のセンテンスから意味を推測し理解する。
と言うのを、すごいやっています。もう癖になっています。
そのこと自体はいいんと思うんだ。未知語はいつでも出てくるから、いちいち止まって辞書を引いてたんじゃ間に合わないからね。
ただ、その単語の意味は抜きで、文章全体の構造や、その未知語が他の語とどういう関係にあるか、がとっさに把握できるかが大事だと思う。
未知語が名詞なのか動詞なのか形容詞なのか副詞なのか、名詞なら主語なのか目的語なのか補語なのか、形容詞や副詞ならどこにかかってるのか、そのあたりまで、最初に聞いたり読んだりした時に見当がついているかどうか。その見当がついてる状態で未知語を推測してるならいいけれど、そこまで理解してないで拾えた単語の意味だけをつないで解釈しようとしてると、ちょっと苦しい。
動詞の用例に気をつけるといいよ。自動詞か他動詞か、SVOかSVOOかSVOCか、それによって意味が変わってくる動詞がたくさんある。この時主語や目的語の名詞が未知語でも、動詞がどうつかわれてるか分かってると大きく解釈を外すことはないけれど、わかってないとまるっきり誤解することがある。それと冠詞や単数複数、時制なんかも、日本人には苦手なところだけれど、大きな手がかりが含まれているので聞き落とさないようにする。あとは会話文では動詞+副詞の熟語をひたすら覚えまくるとかかな。
生まれるという言葉を単語ごとに分解してみよう、すると
のように分けることができる。
さて、この助動詞の『れる』にはいったいどういった意味があるのだろうか。
恐らくこれは、古語における助動詞『らる』が現代に至るまでに変遷を続けた末に、このような形になったものであると思われる。
・受身……(動詞に)受動態としての意味を付与させる。 例:射らる(射たれる)
・尊敬……(動詞に)相手を敬う際の尊敬語としての意味を付与させる。 例:集めらる(お集めになる)
・可能……(動詞に)その動詞が実行可能であるという意味を付与させる。 例:寝らる(寝ることができる)
・自発……(動詞が)自然に起こるものであるという意味を賦与させる。 例:出でらる(自然と出てくる)
では、生まれるという言葉における『れる』にはこれらの意味の中のどれがもっとも相応しいだろうか。
恐らくは、『自発』であろう。
尊敬や可能にあたる意味とは全くそぐわないのは自明だし、受身としての用法もどこか違和感を覚えるものだからだ。
...
...
...
では本題に入るが、生まれるという言葉は本来自動詞として用いられるはずである。
赤ん坊が生まれる、などといった文章を目にしても、これに違和感を覚える人は少ないだろう。
しかし昨今ではこの用法が不適当だとする人も多いようだ。
そのような人は、こう指摘する。
『「生まれる」……そんな言葉は 使う必要がねーんだ なぜなら 俺らは両親の気まぐれによって生み出された存在だからだ 「生まれさせられた」なら使ってもいいッ!』
……そのような人達に、私はこう言いたい。
自らの誕生そのものを、他人の責任であると思いこむことなど、惰弱かつ、愚かな発想である。
そのような思い込みをする限り、自らの責任を伴った行動など何一つ出来はしないのだ、と。
もう一度言うが、「生まれる」の「れる」は『自発』の意味を持つのである。
つまり、貴方は、貴方自身によって自然に生まれた、貴方自身なのだ。
そのことを、自覚してほしい。
1 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/08/03 07:47
完璧な童貞などといったものは存在しない。完璧な絶望が存在しないようにね。
2 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/08/03 08:32
僕が南極について話している時、彼女は童貞のことを考えていた。
3 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/08/03 10:02
エゴの拡大にではなく、縮小にある。分析にではなく、包括にある。
4 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/08/03 17:25
「ね、ここにいる人たちがみんなマスターベーションしているわけ? シコシコッって?」と緑は寮の建物を見上げながら言った。
「たぶんね」
「男の人って童貞のこと考えながらあれやるわけ?」
「まあそうだろうね」と僕は言った。「株式相場とか動詞の活用とかスエズ運河のことを考えながらマスターベーションする男はまあいないだろうね。まあだいたいは童貞のことを考えながらやっているんじゃないかな」
「スエズ運河?」
「たとえば、だよ」
5 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/08/03 20:54
「童貞?」と僕は聞いた。
「知らなかったの?」
「いや、知らなかった」
「馬鹿みたい。見ればわかるじゃない」とユキは言った。
「彼にその趣味があるかは知らないけど、あれはとにかく童貞よ。完璧に。二〇〇パーセント」
6 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/08/03 20:56
僕が三番目に寝た女の子は、僕のペニスのことを「あなたの童貞」と呼んだ。
7 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/08/04 00:04
そして今日でもなお、日本人の童貞に対する意識はおそろしく低い。
要するに、歴史的に見て童貞が生活のレベルで日本人に関わったことは一度もなかったんだ。
童貞は国家レベルで米国から日本に輸入され、育成され、そして見捨てられた。それが童貞だ。
8 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/08/04 10:13
童貞は盲のいるかみたいにそっとやってきた。
9 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/08/07 01:11
「それはそれ、これはこれ」である。
10 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/08/12 04:45
「どうせ童貞の話だろう」とためしに僕は言ってみた。
言うべきではなかったのだ。受話器が氷河のように冷たくなった。
「なぜ知ってるんだ?」と相棒が言った。
11 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/08/13 18:44
「君の着るものは何でも好きだし、君のやることも言うことも歩き方も酔っ払い方も、なんでも好きだよ」
「本当にこのままでいいの?」
「どう変えればいいかわからないから、そのままでいいよ」
「どれくらい私のこと好き?」と緑が訊いた。
「世界中の童貞がみんな溶けて、バターになってしまうくらい好きだ」と僕は答えた。
「ふうん」と緑は少し満足したように言った。「もう一度抱いてくれる?」
12 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/08/19 20:23
僕はなんだか自分が童貞にでもなってしまったような気がしたものだった。
誰も僕を責めるわけではないし、誰も僕を憎んでいるわけではない。
それでもみんなは僕を避け、どこかで偶然顔をあわせてももっともらしい理由を見つけてはすぐに姿を消すようになった。
13 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/09/02 08:02
「僕はね、ち、ち、童貞の勉強してるんだよ」と最初に会ったとき、彼は僕にそう言った。
「童貞が好きなの?」と僕は訊いてみた。
「うん、大学を出たら国土地理院に入ってさ、ち、ち、童貞を作るんだ」
14 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/09/10 21:12
童貞には優れた点が二つある。
まずセックス・シーンの無いこと、それから一人も人が死なないことだ。
放って置いても人は死ぬし、女と寝る。そういうものだ。
15:名無しさん@お腹いっぱい。:04/09/15 19:16
他人とうまくやっていくというのはむずかしい。
童貞か何かになって一生寝転んで暮らせたらどんなに素敵だろうと時々考える。
16 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/09/22 02:21
「ずっと昔から童貞はあったの?」
僕は肯いた。
「うん、昔からあった。子供の頃から。
僕はそのことをずっと感じつづけていたよ。そこには何かがあるんだって。
でもそれが童貞というきちんとした形になったのは、それほど前のことじゃない。
童貞は少しずつ形を定めて、その住んでいる世界の形を定めてきたんだ。
僕が年をとるにつれてね。何故だろう? 僕にもわからない。
たぶんそうする必要があったからだろうね」
17 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/09/26 08:57
その夜、フリオ・イグレシアスは一二六回も『ビギン・ザ・ビギン』を唄った。
私もフリオ・イグレシアスは嫌いなほうだが、幸いなことに童貞ほどではない。
18 :名無しさん@お腹いっぱい。:05/02/03 07:44
直子は少し赤くなって、にっこり微笑んだ。
「童貞もそう言ってたわ」
と僕は言って、そして笑った。
19 :名無しさん@お腹いっぱい。:05/02/03 19:53
泣いたのは本当に久し振りだった。
でもね、いいかい、君に同情して泣いたわけじゃないんだ。
僕の言いたいのはこういうことなんだ。一度しか言わないからよく聞いておいてくれよ。
僕は・童貞が・好きだ。
そして僕のことを覚えていてくれたら、僕のいま言ったことも思い出してくれ。
何で生きているのか。そんな疑問が噴出しているようだけど、もっとも簡潔な答えを、皆は初めから知っているのではないだろうか。
つまりそれは「生きたいから」だ。
同語反復ではない。
生きたいから生きているのであって。生きていたくないなら、既に人は死んでいるからだ。
私が思うにそれは、「経験する」ということである。
生きていなければ、人は何事も経験することはできない。
生きていれば、人は何事をも経験できる。
経験、即ち生。
そういうことである。
「生きる」という動詞と、「経験する」という動詞は、このように同義語なのだ。
...
...
...
「何で生きているのか」という問いに対して「それは生きていたいからです、生きていたくなければ、貴方は既に死んでいます」
このように答えることができる、と冒頭に書いた。
そこで、この「生きる」という動詞を、同義語であるところの「経験する」に置き換えてみよう。
『「何で経験し(生き)ているのか」という問いに対して「それは経験していたいからです、経験していたくなければ、貴方は既に死んでいます」と答えることができる』
このように置き換えることができる。
つまり、私たちはあらゆる物事を経験したいが為に、生きている。
そして、生きているということは、今、貴方が、身のまわりに起こり得る全ての物事に対し、経験してみたい、と欲求しているということなのだ。
生きている限り、貴方に降りかかる全ての苦痛も、全て、貴方が望んだことに他ならないのである。
全ては、貴方が望んだのだ。
ソースはこれか。
http://ranking.goo.ne.jp/ranking/014/otona_word/
1位・スキーム - 枠組み
2位・イニシアチブをとる - 先制権、先手
3位・マター - おまかせ
4位・バーター - 使ったこと無いからわからない。バーター取引とかしたことない。
6位・ポテンシャル - 潜在的な力
7位・NR - のいずりだくしょん。ぶっちゃけ意味がわからん。
8位・ガラガラポン - マレーシアを連想してしまうが、一から練り直し的な感じ。
8位・ASAP - できるだけ早く。つまり、どうでもいい。つまり、後回し。
10位・ペンディング - 作業を一時停止して、他のことを優先させる。
11位・ドラスティック - 躍動的に。踊り狂う8等身モナーを連想。
11位・リスケ - スケジュールを引きなおす。
15位・アサインする - 人を割り当てる。かわいそう。
15位・マンパ - 頭数揃える。
17位・コミット - 約束する。責任を伴うはずなのに、メール一本で軽々しく約束される。
17位・たたき台 - 「議論のたたき台」のように使う。原案。
20位・ルーティン - あくびをしながらする仕事。crontab -l で表示される。
20位・アグリー - 同意。不同意は許されない。
23位・ジャストアイデア - 使ったこと無い。ジャストフィットしたアイデア?
25位・キャパ - 容量。電解コンデンサを高温環境下で使用すると劣化が早まり、容量抜けが発生する。
25位・ペイする - 損益分岐点にのる
25位・オンスケ - スケジュールどおりに進行。問題がどこかに隠れている。
28位・ニアリーイコール - だいたい一緒。
28位・ごとうび - 5と10の付く日。エラーが発生する。
http://en.wikipedia.org/wiki/Google_%28verb%29
動詞としてのgoogleを日本語に訳すならば、「ググる」が最も適切である。どちらもネットスラングから発生した言葉であり、意味のニュアンスも合致している。
たとえば浅倉久志が「パターン・レコグニション」でgoogledを「ググった」ではなく「グーグルした」と訳した時は読みながら全力で突っ込んでしまった。でもまあ浅倉久志は1930年生まれだ。おじいちゃんだ。仕方ないといえば仕方ない。現代SFを翻訳するのにはもう無理があるんじゃないかなと思わないでも無いけど。
だが大森望、てめーはだめだ!
「グーグル検索する」ってなんだ!何でググるって訳さないの意味わかんない!
「ググる」って言葉が廃れた時まで見越して、みたいな反論がくるかもしれないけど、ぶっちゃけSFみたいな同時代性の強い読み物は、そういう流行り廃りまで写し取っておいてこそ意味があると思う
(ブックマーク数がとんでもないことになったため、元増田はうかれている。なので匿名ダイアリーなのに、ペンネームまで書いてしまった。タイトルに大きく、須江岳史、と。しかし、プロの小説家でもない一人のプータロウが書いた文章がこんなにもてはやされることを、すこし疑問にも思っている。ちょっと足を伸ばして図書館に行けば、小説の書き方についての本はいくらでも手に入るはずだ。何かを学び取る目的ではなく、長すぎるからブックマークしておいた、というのなら、納得する。というかこの論は物語と小説をニアリーイコール扱いしていて、小説論としてはちょっと古いというか、語りという小説の大問題がスルーされていて厳しい。という指摘も当然のことで、普段、一人称の小説ばかり書いている自分には、人称とか視点とかいった物語を語る上での問題について取り組む実力は無い。「小説は自己表現なんだから、各々が語りたいように語ればよいと思う」のような言葉で、逃げることしか出来ない。僕の小説の実力がどの程度かは、http://texpo.jp/texpo/disp/16732を読めばわかると思います)
Ⅰ、小説概論
まず話の筋の作り方を考え、次にそれをどのように小説として表現するかを見、最後に小説を書く上での国語的諸注意事項を述べる。
そもそも小説がどのような構成要素から成り立っているかを考える。
まず、小説だけではなく物語一般の話の筋がどのように出来ているかを考える。
多くの物語は、欠損-充足の形を持つ。多くの物語は主人公に何かが足りない状態から始まり、それが満ち足りた状態で終わる場合が多いということである。
また、満ち足りた状態にたどり着くためには満ち足りた状態になるための行動が必要になる。そして行動をとるためにはその機会が与えられないとならない。
ここまでをまとめると、物語の筋は
欠損 – 機会 - 行動 - 充足
となる。
具体例としては、
少女は城で行われる舞踏会に行き、王子に会いたかった(欠損)。そして王子に会うことが出来た(充足)。
ただ、物語の面白みのためには、充足が起こらないほうが良いかもしれない。行動の結果が、充足の起こらない失敗に終わり、それが新たな欠損となり次の話の筋を紡ぎだすこともありうる。
よって、物語を構成する基本的な四つの要素は
欠損 - 機会 - 行動 - 結果(充足または失敗)
であるとする。この一連の流れが組み合わさることによって、物語は出来上がる。
具体例としては、
少女は城で行われる舞踏会に行き、王子に会いたかった(欠損)。そして王子に会うことが出来たが、十二時の鐘がなったので帰宅しなければならない(失敗に終わった結果、新たな欠損)。
少女は名乗り出て靴をはく(行動)。
後味の良し悪しの面から見て、最終的には充足で終わった方が良いように思われる。
また、欠損があって、それを解決する機会を与えられれば物語が始まることがわかる。
また、欠損を細分化したうえで見つかる欠損というのも考えられる。
たとえば、
鬼を退治するためにはお供を仲間にしなければならない。お供を仲間にするためには黍団子を持っていなければならない。
黍団子を持つためにはおばあさんから黍団子をもらわなければならない。
おばあさんから黍団子をもらうためには黍団子の材料を買ってこなければならない。
というように。
このようにすれば物語はいくらでも引き伸ばすことが出来る。書くべき物語の分量によって、どの程度まで細分化できる欠損なのかを慎重に選ばなければならない。
一つの物語で充足される欠損は一つとは限らないし、主人公たちの欠損が充足されるとも限らない。『ロミオとジュリエット』では、主人公たちの恋愛は成就しないが、キャピュレット家とモンタギュー家の関係が、対立から和解へと移り変わる。
物語は、話の筋それ自体で面白いことが最善であるけれども、それが出来ない場合には伏線によって面白さを増幅させるしかない。
ここでは、仮に伏線には四種類あるとする。
ⅰ)質問―答えⅱ)ある現象/行為への意味の付加―行為/現象の再現
ⅲ)行為・現象―行為・現象のリフレイン
ⅳ)思い込み―認知
それぞれ、順を追って説明する。
物語冒頭に置かれた質問に、ラストシーンで答えることで感動を増す。
具体例:どうしてキノはこの汚い世界を旅しているの?(冒頭の質問)
ある現象・行為にはある意味が隠されている、と登場人物が語り、その現象・行為が実際に現れる。
『アヒルと鴨のコインロッカー』だと、
『「(とにかく面倒だから、神様を閉じ込めて、全部なかったことにしてもらえばいいって。そうすれば、ばれない)」』(70ページ)という免罪の方法を提案して、実際に物語の最後付近でそれを行っている。
物語の中で起こった行為・現象が物語の終盤で再現されることにより、面白みが増す。
『アヒルと鴨のコインロッカー』だと、
『聞いてるわたしにも、どうやらこの姉弟がレッサーパンダを盗む気らしい、ということはわかった。』(216ページ)『動物園を振り返って、「さっきの子供たち、うまくやり遂げるかな?」と。』(222ページ)
というようなレッサーパンダを盗むという行為があった上で、
『「あれ、レッサーパンダだ」』
『「盗んだんだよ、あの子供たちは」』(339ページ)
間違った方法を目的を得るための方法だと思い込み、それが間違いであったことに気づく。多くの場合、気づくまでに行ってきた行為が主人公に、行為の目的とは反対の結果を持って跳ね返ってくる。
物語の筋が悲劇的に終わっても、ⅰ、ⅱ、ⅲの伏線が幸福を含意していると悲劇性を和らげることが出来る。
目的達成を阻むものが、あるものだと仮定して行動していたが、その仮定が正しくなかったことに気づくタイプの伏線。多くの場合、気づく前の行動が気づいた後に本来の意味とは反対の意味を持って主人公に跳ね返ってくる。
認知は、約束―報いの伏線によって引き起こすのが最も容易である。
主人公の目的を阻むものは四種類ある。カッコの中の左側は存在場所、右側は存在原因を意味する。
(自己,自己)例:主人公の性格の欠陥(他者,自己)例:主人公に対して恨みを持っている敵
(他者,他者)例:絶対悪
敵の仮定が4パターン、真実の敵が4パターンあるので、認知型の伏線には全てで16パターンあることになる。
これは、『あらすじ.com』の三匹のモンスターの概念を内包している。
(自己,自己)狼男(自己,他者)対応しない
(他者,自己)フランケンシュタイン
(他者,他者)ドラキュラ
物語には六種類の登場人物がある。
主体:物語の主人公。欠損を解決する。送り手:主人公に、欠損を解決する動機を与える者。
援助者:主人公に、欠損を解決する能力を与える者。
受け手:欠損の解決の享受者。
敵対者:主人公の欠損解決行動を阻む者。
それぞれ、同一人物が複数の行為項を演じても良いし、ひとつの行為項に複数人が入っても良い。たとえば、送り手と援助者が同一人物であることは大いにありうる。また、それぞれが必ずしも人間である必要もない。
欠損ごとに行為項モデルは立てられるので、ある場面では敵対者であった存在がある場面では援助者になることもありうる。
物語に出てくる全ての欠損について、行為項モデルの六つの登場人物を生めることが出来れば、それ以上の登場人物は物語に必要ではない。
物語の冒頭やクライマックスを盛り上げるためにシチュエーションは使われる。
面白いシチュエーションとは、即ちギャップである。
それは場所と行動のギャップであるかもしれないし、それまである登場人物のそれまでの行動とはかけ離れた行動かもしれない。いずれにしろ、「~であるにもかかわらず」という言葉で表される。
たとえば、「日ごろ温和な性格であるにもかかわらず、暴れ狂う」とか「静粛でいなければならない図書館であるにもかかわらず、暴れ狂う」とか、「たかが100円のアンパンを食べてしまっただけのことであるにもかかわらず、暴れ狂う」とか。
物語を組む順番として、『欠損-伏線とシチュエーション-細分化されていない欠損の話の筋-細分化されていない欠損の行為項モデル-細分化された欠損の話の筋-細分化された欠損の行為項モデル』といった順番で組んでいくのがスマートに行く。なぜならば、欠損がなければ物語は動き出さないし、伏線とシチュエーションは話の筋や行為項モデルあとから考えるとそれらに縛られて上手くいかないからである。
①、主人公が向かう目的を定める。②、主人公が見舞われる危機を定める。または、どのようなギャップがある状況に立たされるかを決める。
③、危機・ギャップが何故起こるのかを決める。(伏線の回収の仕方を決める)
④、危機がどのように回避されるのかを決める。(伏線の回収の仕方を決める)
⑥、必要ならば、下位物語にも①~⑤を施す。
⑦、物語(下位物語も含む)の適所に、ギャップによる面白みを与える。
⑧、整合性を与える。
また、どのような魅力的な登場人物・伏線・シチュエーションでも物語の自然な流れを妨げるなら切り捨てるべきである。
場面では、人物、場所、時間が描かれる。人物、場所、時間のうちのいずれかが変わったとき、場面が転換されたという。また、場面は一人称であれ三人称であれ場面に登場する一人の人物の視点を通して描かれることが多い。
場面の特徴として、行為・現象の一回性が挙げられる。場面は、一度しか起こらない行為・現象を場面に登場する人物の感覚を通じて読者に体験させる。
場面の始まり方として、人物・場所・時間を指し示して始まる場合、登場人物の行動から始まる場合とがある(台詞から始まる場合は、登場人物の行動から始まる場合の特殊例とみなす)が、そのいずれにせよイメージすることが出来るか否かが読解の容易さを決めるので、場面の開始からまもなく人物・場所・時間を明らかにしなければならない。
小説を読む上では情景をイメージしやすいほうが読解が容易であるといわれているので、色彩や位置関係を表す語を使って場所や時間を説明するべきである。
場所・時間の説明は描写法的だといえるが、その場所・時間におかれたものを登場人物の行動の目的語にすると、スムーズに場面を始められる。
何かが起こるたびに、その場面に登場している人物全員の反応を描くべきである。また、その感情は、どのような身体的動作を持って表情として表されたかを描くべきである。なぜならばイメージしやすいほうが読解が容易であるからである。
要約法は、登場人物が何度も行った行動や何度も起こった現象を記述する。場面法とは違い、複数の時間や場所をまたがる事が出来る。そのため、時間や場所の離れた場面と場面をつなぐのに要約法は用いられる。
要約法は場面と場面とをつなぐためにしか存在しない。
場面法が動画だとすれば、描写法は静止画である。
描写法は、場面が行われている空間にあるものを描写する。場面が行われているなか描写がはさまれると、場面の時間を止めることが出来る。
台詞は音楽で言えばフォルテ、地の文は音楽で言えばピアノのような効果を持つ。多くの場合、台詞はカッコにくくられる為に強調されるが、台詞続きの中で地の文が出てくると大きな強調効果を持つことがある。たとえば強調すべき台詞をあえてカッコでくくらずに地の文で処理することで大きな強調効果を与えることができる。
台詞と台詞の間の間をつなぐために、地の文をおきたくなることがしばしばある。こういったときのために、場面の情景を刻々と変化させるとか場面の登場人物に場面開始と同時に何か動作をさせる方法がある。
書き手の中で起こった感動が読み手の中でも起こるためには、文が書き手の意図するとおりに伝わらなければならない。誤読を少なくする方法をここでは述べる。誤読を避けるために、修飾語と被修飾語、主語と述語は可能な限り近づける必要がある。
「私は走る車に飛び乗る」のような文は、読者が「私は走る」と理解した後で、走っているものは車だと改めて理解する。このような事をなくするために、「走る車に私は飛び乗る」のように主語と述語を近づける必要がある。
主語と述語の対が二個以上あり、どちらかがどちらかの文の成分になっているような文を複文という。
「私はリンゴを片手で握りつぶす彼はとても握力が強いと思う」というような文は読解が難解である。これも、主語と述語を出来る限り近づけ、「リンゴを片手で握りつぶす彼はとても握力が強いと私は思う」とすると読解が容易になる。また、複文を単文(主語と述語の対が一つである文)に分解し、「彼はリンゴを片手で握りつぶす。彼は握力がとても強いと私は思う」というようにすると、誤読は少なくなる。
日本語は上から下に修飾が行われるため、様々な不都合な事が起こる。
「美しい獣と女」は、美しいのが獣だけなのか、獣と女の両方が美しいのかが判然としてない。美しいのが獣だけである場合は、「女と美しい獣」のように順序を入れ替えるか、「賢い女と美しい獣」のように両方に修飾語を与えてしまう方法がある。
「地中海で育った少年からもらったトマト」は、トマトが地中海で育ったのか少年が地中海で育ったのかはっきりしない。トマトが地中海で育ったのであれば、「地中海で育った、少年からもらったトマト」のように読点を打つか、「少年からもらった地中海で育ったトマト」のように順序を入れ替えればよい。ただし後者の場合、地中海を少年からもらったように誤読される可能性が無くもない。
ガーデンパス文や修飾の範囲の判然とない文を作らないために、長い修飾を伴う語を文の始めに持っていく方法がある。
「僕は地中海で育った、青白い肌をした細身の少年から貰ったトマトを食べた」よりは「青白い肌をした細身の少年から貰った、地中海で育ったトマトを僕は食べた」の方が誤読が少ないとされる。
一文の中に含まれる用言(形容詞、形容動詞、動詞)と難読語の量、読者の視線の移動距離に依存して、文章の体感時間は定まるとされている。
たとえば①、「彼が作った美しいサッカーボールを僕は強い力で蹴飛ばす」よりは②、「彼が作った美しいサッカーボール。それを僕は強い力で蹴飛ばす」の法が一文に含まれる用言が少ないために体感速度が短いとされる。③、「ええい、お前は畢竟、俺が死ぬのが怖いだけだ」の『畢竟』が難読語だと見なす人にとっては④、「ええい、お前は結局、俺が死ぬのが怖いだけだ」の方が体感速度は短いかもしれない。また、⑤、「やわらかいネコ」よりは⑥、「柔かい猫」の方が、視線の移動距離が少ないために体感時間が短いとされる。
小説の場合、論説文とは違い改行は自由に行える。
行を改めたときは一段下げる。
「しかしカギカッコで新たな行が始まるときはその限りではないというのが最近の主流である。また、主流では閉じカッコの前では句点は打たない」
――また、三点リーダー(…)とダッシュ(―)は二つで一つの扱いをする……。
twitterで実況するのとか昔からあった話なのに、最近それをtsudaるとか変な動詞化してしまってものすごく気持ち悪い。別に新しい動詞ができるのは良いのだけれど、個人名を入れるとtwitterでただ実況するだけなのに、その人の行為を真似ているみたいな感じになって嫌な感じ。しかもそんなはやし立てるものでもないだろうに。
一番嫌なのは、こいつらの文句をtwitterで言いづらいこと。なんかfavotterとかいうのがあって、そこに取り上げられる連中が「tsudaる!tsudaる!ヘイヘイ!」みたいな感じでアホみたく盛り上がっているので、言いづらい。favotterっていうのは閉鎖的で流動的なtwitterのポストを水上に晒し上げるような場所であり、結局はここがtwitterとtwitter外の窓口になっている面もあるので、favotterでとりあげられる連中(オフ会とかに顔をだしたりすることで、よくfavoってくれる人を従えている連中)と喧嘩しづらい。
そう言っといたほうが無難、てことじゃねーの。文法的に厳密にどうかより、聞いた人がどう思うかの方がマナー講習の内容としては重要でしょ。
まぁ、「する」をつけて動詞的に使う場合は「お」をつけちゃうと尊敬語っぽく聞こえるというのはあると思う。
元の例で言えば、「お買い物に行く」の「お買い物」は別にいいと思うが、「買い物する」という動詞的使い方のときは「お買い物する」とは言わない方が無難だと思う。
(追記)あと、電話で言うと、自分がする場合でも「お電話」別にいいと思う。
「電話いたします」より「お電話差し上げます」「ご連絡差し上げます」の方がフォーマルじゃね。
「差し上げます」という謙譲語使うと、「電話」「連絡」に丁寧語の「お」「ご」がつかないのは何となくすわりが悪い。
報告も、「ご報告申し上げます」とか言って「ご」つけないか。
等位 Coordinating Conjunctions
相関 Correlative Conjunctions
お悔やみの言葉
会話一般
(語学学習サイト個人的リンクメモ / Lists of Language Learning Links)
暖かくなってきた。
暖かくなってきたから、国民全員が三週間くらい全裸で生活したらどうなるのか考えてみた。
以下、シミュレーション。
全裸を拒否、または期間中の着衣者に対しての射殺許可も認める。
多くの反対を押し切り、完全全裸週間が実施される。
全裸週間が始まってしばらくはAKB48のライブ会場に数十万人が殺到するなど、
だが二週間を過ぎたころには、意外にも
「全裸の光景にも慣れてきた。全裸とか関係なく、みんな全裸で生活してる」
という状態になる。
その後、全裸週間が終わっても国民の二割程度は構わず全裸で生活を続ける異常事態が発生。
「とても爽快です」
「せっかく日本に始まった全裸ムーブメントをここで終わらせるのはもったいない」
とか言い出す人がたくさん出てくる。
「バツイチだし。処女でもあるまいし、別に恥ずかしくないです」
「全裸きもちいいよ」など発言し、全裸文化の浸透に一役買うこととなる。
結果「日本は夏の間、服を着ないよ法案」が可決される。
可決に対して、ユニ○ロ社長は
「文明国家として最悪の恥ずべき決定。まったく理解できない」とコメントする。
法案可決から二ヶ月後、正式に全裸季間が実施される。
実施から一月後
「全裸の人に遅刻なんかで怒るのもバカバカしいので、遅刻くらい良いかと思うようになった」
というような意見が数多く載せられる。
後に、通勤ラッシュが軽減しているという調査結果が東京メ○ロから発表される。
実施後、痴漢行為による逮捕者が0人になったことが警視庁から発表される。
「触るまでもなく全裸だし。わざわざ痴漢しなくてもいいかなって」と答える。
元レイピスト「すでに全裸の人に暴行を働くなんて酷い事できないっすよ」
文化人気取り「私、日本人であることが恥ずかしいとか言っちゃってましたけど、すでに全裸なのにこれ以上恥ずかしいとか言ってられません」
スポーツジム経営者「はじめ何ヶ月かは新規入会がたくさん来たんですが、しばらくすると元に戻りました」
元プロストリーキング「ストリーキングをストリートキングと勘違いする人が減りました。ストリークって動詞なんですよ、知ってました?」
その他の影響。
全裸の人たちが怪我をしないようにインフラ整備がどんどん進む。
フランスのタブロイド紙・サンに「全裸なのに最も近代的な国家」として日本の紹介記事が掲載される。
流行語大賞に「衣替え」が選ばれる。
服を脱ぐ事で、みんな季節の変化に敏感になり、大々的な俳句ブームがおこる。
空前のむだ毛ブームが起こり、女性がむだ毛処理の手間から解放される。
みんなの体が丈夫になり、風邪とか引かなくなる。
その後、首相は国際和平会談に全裸で出席する(ただし、正装としてネクタイのみ着用)
それについてあの国の大統領は
「こんなに興奮した和平会談は始めてだよ。ところでこいつを見てくれ、すごく・・大きいだろう?」
と首相を評価する姿勢を示す。
発表から二日後「チラリズム原理主義・青縞の牙」による大規模なパンツテロ事件が発生する。
その際、某都知事は「君たちのやっていることはテロではない。エロだ」と述べ、 87543枚のトリ○プ製しまパンツを投げつけられる。
二針縫う軽傷。
この問題に対し、首相は「エロ本のモザイクは外しません。あれは日本の文化です」と発言する。
発言から20分後、問題は沈静化。
この問題から出版物のアンダーヘアを隠す事が再び義務づけられるようになる。
全国のPTAの人たちも「少し健全になったので良かったです」と喜ぶ。
なおパンツヌード写真とは、実際にモデルがパンツをはいた状態で撮影した写真ではなく、
子どもたちも全裸ということが問題視され、実態の調査が行われる。
結果は、傷をつけると目立つという理由から、虐待を受ける子どもがいなくなる。
痩せすぎてると目立つので、ご飯を食べさせてもらえない子どももいなくなる。
ロリコンが喜ぶかと思いきや、かえって冷静になり、悪いペドフィリアがいなくなる。
など、とっても良い事ずくめだったので某団体もなんとか納得する。
なお、調査資料は出版社の茜○社から提供された。
国際ナチュラリスト協会フランス本部から名誉ナチュラリスト国家として認められる。
「全裸で生活するような連中に鯨とるなとか言っても無駄だろ」ということで、捕鯨への風当たりが弱まる。
以上をもって「二年に一回くらい誰かが言い出しそうな事を言う会」
今年度の活動ノルマを達成した事をここに報告します。
「~男の人って…」という定型句がある。元ネタは知らないんだけどさ。
まあ大半の人は煽りやネタで使っているんだろうけど、これ見るたびに気持ち悪くて仕方がない。
どこが気持ち悪いかっていうと、「…」の部分。
男の人が何なんだよ!嫌いなの?ムカつくの?だったらそう言えばいいだろ!
なんでわざわざぼかして、読み手に想像させるんだよ!
しかも、ネガティブな発言なことはわかるから余計に気持ち悪いんだよ!
俺みたいなやつを苛立たせるために、わざとやってるのか?だとしたら、効果は抜群だよ!ファッキン!
それから、これはニコ動みたいに短いコメントつける場所で頻繁に見かけるんだが。
「信号…」とか言われても、助詞も動詞もないから、何を伝えたいのか分からねえんだよ!ファック!!!
信号が何なの?赤なの?死ぬの?
なんでハッキリ言わねえんだよ!!お前ら小学生かよ!先生はトイレじゃねえんだよ!!
ああ、思い出したぞ。
「はぁ?」「これだからゆとりは…」なんてのもあった!!
駄目なら駄目で、どこが何故駄目なのか、明確に説明すればいいだろ!!
なんでしねえんだよ!
はぁ?
ファッキン!!!
確かに言われてみると、文頭の情報次第で、現在完了的な雰囲気を嗅ぎ取ってる気はします。
現在完了の『感覚』がないというよりも、現在完了を明確に規定する習慣がないという感じでしょうか。
「楽しい5日間だったねえ」「や、まだ終わってないから」というツッコミは、現代日本語の動詞に完了と過去の区別がないことを利用した一種のジョークだと思っていたのですが、あれは真面目にツッコんでいるんだったんですか?
この例で言いたかったのは、「まだ終わってないけどさ」的なセルフツッコミをする人は、現在完了を明確に表現したい気分なんじゃないかということで、この人が英語を使えばセルフツッコミしないんじゃないかという、くだらない思いつきでした。
発話の内容が「過去」に起きて固定された出来事である「完了」した出来事でまだ流動的に持続していることなのか。それは結構重要な情報です。よってそれは文の頭に近い場所にある方が望ましい。
英語で、動詞にその情報を載せるのは、一般に英語の文において動詞が文頭に近い場所にあるからですね。一方日本語で、動詞にその情報を載せる慣習がないのは、日本語において述語動詞は文末に置かれることが多いからです。
よって日本語では、時制を表す副詞句などによってその機能を代行させてきました。
「I lost my key.」 については「3年前ここで鍵を失くしたのよ」
「I've lost my key.」については「今鍵失くしたの。」
持続を強調したい場合は、さらに補助動詞を補ったりする。「今、鍵を失くしててさあ。」
そんな感じです。だから
「日本人にその『感覚』がない」ということはないのではないでしょうか。古文における過去形と完了形にハッキリした違いがあったのかなかったのかと問われれば、それが英語の過去形・完了形とはまた全然違った意味合いで、ハッキリした違いがあった、ということは申し上げておきます。完了形にも、有意志と無意志、また生物に使う完了と無生物に使う完了も分かれてましたしね。それが消えたのは、最初に述べたとおり、重要な情報だけに文末に置かれると困るケースが増えたからでしょう。おそらく、貴族の時代から武士を中心とする時代に移り変わった頃にそうなっていったのではないでしょうか。
ついでながら、「楽しい5日間だったねえ」「や、まだ終わってないから」というツッコミは、現代日本語の動詞に完了と過去の区別がないことを利用した一種のジョークだと思っていたのですが、あれは真面目にツッコんでいるんだったんですか?
ラテン語にponoという動詞がある。置くという意味だ。これの過去分詞形がposit[um]で,置かれたる,という受動的意味が付加される(umは活用語尾)。
日本語における漢語と同様,英語にはラテン語から借用した語がたくさんある。一説によれば45%近くの語彙にラテン語の影響が見られる。positionというのもそのひとつで,「置かれたところ」⇒場所,を示す。
実証主義という言葉がある。客観的に現存するものだけを資料に考えを進めていこうとする立場だ。これの原語が英語のpositivism。置かれたもの=実在を扱うことを示している。たとえば法実証主義 (Legal Positivism) は,道徳や宗教など他の倫理規範を援用せず,条文と慣習・判例のみを用いて法の解釈をおこなう。
近頃ポジティブシンキングという語を聞く。何を意味するか詳らかでないが,おそらくは事実に基礎をおく実証的思考のことを指すものと思われる。
あらゆる計算や論理を支配する法則は実はたった「二つ」のシンプルなものです。
それは、「Aではない」と「Aか、Aではない」という二つの”動詞”です。これを簡単な英語で
表すと「NOT(否定)」と「OR(和)」となります。
一般的に論理演算は論理積 (AND)、論理和 (OR)、否定 (NOT) の「3ロゴスクミ」という
究極世界論理の組み合わせだけで表現されるのですが、実は論理和 (OR)と否定 (NOT)の「二つ」
から、論理積 (AND)は導くことができるのです(ド・モルガンの定理)。
ところで否定は「無」であるし、「AとB、君は誰とキスをする?」はどちらかを選ぶ「可能性」と解釈できるので、
究極のところこの世界には基本として「モノが有る」のではなく、「モノが無い世界が否定されて、