生まれるという言葉を単語ごとに分解してみよう、すると
のように分けることができる。
さて、この助動詞の『れる』にはいったいどういった意味があるのだろうか。
恐らくこれは、古語における助動詞『らる』が現代に至るまでに変遷を続けた末に、このような形になったものであると思われる。
・受身……(動詞に)受動態としての意味を付与させる。 例:射らる(射たれる)
・尊敬……(動詞に)相手を敬う際の尊敬語としての意味を付与させる。 例:集めらる(お集めになる)
・可能……(動詞に)その動詞が実行可能であるという意味を付与させる。 例:寝らる(寝ることができる)
・自発……(動詞が)自然に起こるものであるという意味を賦与させる。 例:出でらる(自然と出てくる)
では、生まれるという言葉における『れる』にはこれらの意味の中のどれがもっとも相応しいだろうか。
恐らくは、『自発』であろう。
尊敬や可能にあたる意味とは全くそぐわないのは自明だし、受身としての用法もどこか違和感を覚えるものだからだ。
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では本題に入るが、生まれるという言葉は本来自動詞として用いられるはずである。
赤ん坊が生まれる、などといった文章を目にしても、これに違和感を覚える人は少ないだろう。
しかし昨今ではこの用法が不適当だとする人も多いようだ。
そのような人は、こう指摘する。
『「生まれる」……そんな言葉は 使う必要がねーんだ なぜなら 俺らは両親の気まぐれによって生み出された存在だからだ 「生まれさせられた」なら使ってもいいッ!』
……そのような人達に、私はこう言いたい。
自らの誕生そのものを、他人の責任であると思いこむことなど、惰弱かつ、愚かな発想である。
そのような思い込みをする限り、自らの責任を伴った行動など何一つ出来はしないのだ、と。
もう一度言うが、「生まれる」の「れる」は『自発』の意味を持つのである。
つまり、貴方は、貴方自身によって自然に生まれた、貴方自身なのだ。
そのことを、自覚してほしい。