💡✨❗️❗️
@ninjamachilo
『マルサの女』ファーストシーンで、老人に乳房をふくませる看護婦役を演じました。そのシーンでこの曲が始まるので、今でもこの曲を聞くと、気合いが入ります。
なにかもうひと工夫ないと駄目ね。
まだ途中までしか読んでないけど。
ここまで読んだ中で突っ込みたいのがシン、ユダ、サウザー、そしてラオウ。
こいつらさ、死んだあとに「実は性根はやさしいやつだったんですよ」みたいな扱い受けてるけど全然納得いかない。
どいつもこいつも何も悪いことをしてない村を襲って強盗殺人をしまくってたやつばっかりだろ。
なにが「愛など要らぬ」だよ。一人でやってろやボケ。
村人にとっちゃあお前の生い立ちなんかどうでもいいんだよ。
あんな集団のボスってだけで、どいつもたかが知れてると思うんだけど。
ラオウって人気がある敵として有名だけど、カサンドラみたいなところを作ってなにしてんの?
まあ拳法家の極意を集めて自分を強化してたってのはまだわかるとして。
わざわざ嫌がらせで家族を別々の牢屋に入れて餓死させるとか意味不明。
天を握るとか言ってるわりに「子供が成長したら俺を狙ってくるかもしれないし」とか、やってることがみみっちすぎるんだよ。
軽度知的なのかな
この話の内容は、元々裏切るつもりが1ミリもない人間でも裏切るときは裏切るということ
そして、この女は内心相手を損得で選んだとしても相手から裏切られない人間だった、つまり普段の振る舞いが誠実な可能性すらある、その実績があると推測できる
女性と比較すると再就職のハードルも低いから元から不誠実な人間であれば既に相手から離婚を言い渡されている可能性が高い
A:「損得で人を切って選んだ清志(仮)」より
B:「損得を超えて(離婚せずに)選んだ元夫」のほうが高そうに思えるよ。
この部分の前提Aと推測Bの間には、論理的つながりも、推測できる事情も本文にはない(ジンクス的な超常的な意味で言ってるのかも。にしては言葉が強いw)
希望的観測にすぎんよな
そんな憶測で、この女に
「損得計算で人を選択をした者は、損得計算で切られる時は切られる」
ってのを理解してなさそう。
その後の元夫を選んだ場合について、
離婚しなければ「損得計算を超えて元旦那を選んだ」ということになる。
そのメリットも考えてね、というのが俺のいいたいこと。
この増田の主張とは、
「このABが真だと仮定した場合、損得計算をすると旧夫を選ぶのが最善となる」という話なので、上の迷信説を取ったとしても「相手を損得計算」してることには変わりないことになり、新夫を選ぶのも損得、旧夫を選ぶのも損得だという話になる
またメリットとなることを薦めるにしては条件が狭い。
新夫に特殊な欠点がないと仮定して合理的に考えると、世帯収入3000万の家庭(裏切るか分からない、家事外注)と世帯年収1500万の家庭(裏切るか分からない、家事夫)では、後者よりも前者の方が介護にかけられるお金の余裕があり、貯金額も多くなるため、「病気でカタワになった時にうんこ漏らしても誰かが面倒を見てくれる」ことの安定性は前者の方が高い。
ウィスキーとかじゃないんや
肌感覚ではあるが、最近どうも子を持たないような風潮がある気がする。
調べたところ、子を作らずに夫婦共働きをする生き方を、最近は「DINKs」と呼ぶらしい。どのくらい一般的な言葉なのかは馴染みがないため解らないが。
私は40年近く、そのDINKsと呼ばれる生活を続けてきて、つい先日還暦を迎えてしまった。
しかしながら、正直DINKsという道を選んだことを後悔している。
子を持たない選択をした20代の自分の価値観や知見と、実際にそのまま突き進んだ先にいる60代の自分の価値観や知見との間に大きな乖離があった為だ。
平易に言えば、若く経験もない20代の頃に考えていた「合理的な選択肢」は、そこから40年近くの人生経験を積んだ60代になってから見えてきた「真に合理的な選択肢」ではなかったということになる。
2.フルで共働きが可能なので、経済的にも余裕のある生活ができる
・上記の結果として、金銭的・時間的に余裕を持つことができるので、例えば趣味に時間を割くことができるとか、いい家に住めるとか、車を持てるといった形でその恩恵を受け、実生活における充実度は上がるものだと考えていた。
・趣味に打ち込む時間が多い分飽きも早い。たまに打ち込むからこそ長く続く趣味になるのだと、飽きてから気が付いてしまった。
・そもそも60代にもなって増田をしている時点で、どれだけ余暇を持て余しているかは察することができるだろう。
・子供の成長や受験・結婚など、子の人生における成長過程はその1つ1つが親の人生においても大きなイベントになる。
→子を持たなかった結果、そのようなイベントが少なく、起伏の少ない人生を送ることになり、総合的な満足度は低くなると気が付いた。
・最近よく耳にする「コスパ」という概念に当て嵌めるならば、低コストではある一方で低パフォーマンスな人生になり、総合的にはむしろ子を持った方が充実した良い人生を送ることができたと思う。
・2人で働き、子に使う分が浮いた結果手にしたお金の使い道など、精々いい家に住む、家具や車を買う、趣味の道具を揃える程度であった。
→正直お金は余る一方なので、共働きと子なしで収入を増やし支出を減らしたところで仕方なかったと、今になって思う。
・この生活をしていて、周りの人々から「お子さんは?」と訊かれることが非常に多かった。その度に社会通念に反した自らの選択の合理性の説明を強いられる上、結局は価値観の相違に帰着する為、腑に落ちない顔をされるか、「成程」と適当な相槌を打たれて終わるのみである。
特に、親の死に際に「孫が見たかった」と言われたのはかなり精神に応えた。親には子を持たない選択について話していた上、それなりに理解してもらえていたのだと思っていた分、最期に親との隔絶を突き付けられたのは相当に苦しいものがあった。
ただ、これは増田が若かった時の価値観に依る部分があると思うので、今の若い人であればそこまで周りに精神を削られることはないのかもしれない。
・まだ60代で比較的身体は動くと思っているが、これが70代や80代になってもお互いで支え合うのは正直苦しいと思う。
なお、子供を介護要員として捉えるのは利己的に映るかもしれないが、増田自身も親の介護に奔走していた時期がある。
則ち、「親を介護し、子に介護される」というところまでが1つのサイクルなのではないかと最近になって思う。
・子を持つようになると、皆家庭内のことで忙しくなり、暇な私と休日を過ごしてくれることはなくなる。
また、子育てという共通の話題を持たないことによる疎外感は存外大きかった。
・20代、30代の頃は学生時代や職場の友人とこの先も仲良くやっていくことができると考えていたが、実際は友人がどんどんと家庭の時間を重視し、私からは離れていった。
・一番苦しいと感じているのがこの点である。子供を持った方が良かったと、気づいた時にはもう遅いのだ。
・40代も近くなり、身体的に出産が難しくなってから急に結婚や子作りに取り組むようになる人を見たことがあると思う。これも歳を重ねるうちに上記のデメリットの大きさに気付いた人の末路だと考えている。
かくいう私も、40代に差し掛かる頃に妻と最後の話し合いに臨んだことがある。その時点ですでに子を持たない選択をしてから10年以上が経過しており、既に周囲にも十分に喧伝していた手前、自らの選択を撤回できずに進んでしまった。
あの時に柔軟な選択肢を取ることができれば、或いは違った状況だったのだろうか。時すでに遅しと理解しつつも、やはり考えてしまう。
・DINKsに魅力を感じている人はもう一度よく考えて欲しい
→DINKsによる経済的・時間的なメリットは、結局そこまで享受できない。
→一方で、DINKsに踏み切る際に意識していなかったデメリットは40代以降に顕在化し、気が付いてからはもう取り戻すことができない。
・20代での想像と60代になっての実感は相当にギャップがあるということを20代のうちに知っておきたかった
→今これを読んでいる人の中に子を持たない選択をしようとしている人がいれば、考え直して欲しいと強く思う。
こんにちは、匿名で投稿します。今日は、私が子どもの頃に経験した思い出を紹介したいと思います。
私は小学生の頃、夏休みに祖父母の家に遊びに行っていました。その日はとても暑く、家の中でもクーラーをつけても暑かったので、外に出て木陰で休んでいました。
そんな中、祖父母が持ってきてくれた「かき氷」がとてもおいしかったことを覚えています。祖母が自分で作ったシロップで、かき氷を作ってくれたんです。甘くて、ひんやりしていて、その瞬間に暑さを忘れることができました。
その日のかき氷は、私にとって忘れられない思い出の一コマとなりました。今でも、かき氷を食べると、その日のことを思い出します。
今日は、私が小学生の頃に祖父母の家で体験した思い出を紹介しました。この投稿を読んで、少しでもあなたの思い出が蘇ることを願っています。
Generated by ChatGPT
壺くんは何の本読んだのかな?