外で飲みませんようにとか2次会は控えるようにみたいな通達
昔はこのくらいの感染者数でも会社として厳しめな通達出てたけど、今は出てこない
これって飲みに行っても大丈夫って言うんじゃなくて「言わなくてもわかってるよね?」みたいなやつ?
何も言われてないからって外で飲んだら「あのタイミングで普通飲みに行かないよね?」って怒られるのを想像して
マスクもそう
首相とかの偉い人が「もうマスク不要だよ」って言ったって「普通マスクするよね?」って周りが言ってたら結局外せない
いまさら何言ってんだ
17時現在になっても影響が残ってる。
これがわからん。
早い時は2時間くらいで「事故なんかありませんでしたがなにか?」
みたいにダイヤは完全に元通りになってる。
今日となにが違うんだ?
いつもなら適度に運休にしてしまって後の列車番号に振り替えて見た目のダイヤ回復を優先するのが
今日はそれをやってない、みたいな。
推理してみた。
23日は勤労感謝の日
中2日の平日、ダイヤ回復の天才スジ屋が休暇か組合活動で休んでたとか?
中央指令所は素人だけでてんやわんや、みたいの想像したら笑えた。
走り方がいつもと違って気合が入ってるように感じる。
昼前に新快速に乗っていたがGPSで速度を測ると130km/h、ちょい超え
規定通りではあるのだが嬉しくなる。
ここ普段はもうちょっと速度落としてなかったっけ、みたいな。うふふ
でも頑張ったところで前がつかえてるので駅の手前で徐行になっちゃう。
なんだか嬉しくなる。
PV目的のいかがでしたでしょうかサイト群は、これからはAIが作成するオリジナル記事っぽいサイトに置き換わっていくのかな。
内容は精査されずに放たれ、それを学習したAIがまたオリジナルな記事を作成し、少しずつ変容を重ね、パラレルワールドのニュースや学問、歴史が巻き散らかされる…
30代半ばまでバイトと同人誌で食ってたが病気になってペンを握れなくなったので今はバイトから正社員にしてもらっている。
仕事は無資格の事務職雑用。朝9時~18時、残業なし。役職ノルマ納期なし。祝日、長期休暇なしの完全週休二日制。仕事内容は楽々の楽。Excelポチポチ。暇な時はつべとオモコロ見てる。これで320万ならまあいいかって位の仕事内容ではあるが月の手取り20万一人暮らしではハムスター飼うしか余裕がない。未来は暗い。
会社も正直10年後も存在してるか分からない零細企業だ。漫画のスキルなんて社会では何の役にも立たないので転職は無理。この会社が無くなったら中年無職の完成だ。未来は暗い。
病院は死ぬ訳では無いが一生の投薬が必要なので治療費が嵩む。微妙な金額で高額医療費制度は受けれない。病院に行く交通費もかかる。メンタルもやられて更に治療費がかかるように。未来は暗い。
Aセクなので結婚も子供も望んではいない。1人は気楽だが世間での地位は最下位だ。どんなに望んでいなくても皆には通用しない。誰も理解ある風に今は1人でも生きていけるから大丈夫と言いながら可哀想な人生だと目が言っている。この国に居場所がない。未来は暗い。
貯金は同人誌でためた2000万しかない。貰える年金なんて僅かだろうしこの貯金だっていつ消えるか分からないから使えない。資産運用は怖くて手が出せない。増えも減りもしない通帳残高は虚無だ。未来は暗い。
趣味を作れと言われるが漫画を描き上げ入稿して読者に喜ばれた時のエクスタシー同等を求めてしまうので新しい趣味に出会えない。これでは老害にしかならない。未来は暗い。
昔は電車の入線時や通過時には
「白線の後ろまでお下がりください」というアナウンスが流れていた。
黄色い線とは目の不自由な人用のブロックのことだと思うが、それは白線よりもさらにホームの内側にある。
昔より安全をより重視するようになったのだろうか。
確かに電車通過時には白線の内側でもかなり怖い(昔より通過電車の速度上がった?)。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/mainichi.jp/articles/20221120/k00/00m/010/111000c
わからんでもない。
なんつーか売れるための商品っていうか、売る側の欲望がむき出しになってるの感じちゃうんだよな。
ベタにクリエイターが作りたいもの作っていいものができたって感じのもんが見たいわ。
韓国人にもそういうのあるはずだろ。
ケアが必要な障がいを持って産まれるこどもは、一定の確率でいらっしゃいます。
もちろんケアが必要ですので、社会的リソースが普通よりも多くかかります。
当たり前ですが、まず障がいは善でも悪でもありません。単なる事実です。そこに社会的リソースが必要という事実があり、それをどうしようね、という話になります。
当たり前ですが、生まれたこどもには何らかの責はありません。故にその社会的リソース構築の全責任を負う義理はありません。ほかの方と同じだけの責任のみです。
当たり前ですが、産んだ親にも何らかの責はありません。故にその社会的リソース構築の全責任を負う義理はありません。ほかの方と同じだけの責任のみです。
当たり前ですが、ほかの方にも何らかの責はありません。故にその社会的リソース構築の全責任を負う義理はありません。
誰もが一定確率で起こる事象に対して必要な社会的リソースを生み出すのに、同じだけの責任を持つのみです。
では社会的リソースはなにでできているでしょうか?一般的には「ヒト・モノ・カネ」と思ってよいでしょう。
ケアラーや研究者、もしくはケアグッズや設備、そしてそれらをキープするために必要なカネ。こういったものが必要です。
当然これは「ワリカン」していくものになります(多くの人はカネがメインとなるでしょう)。現状の個々の状況により負担のレベルは異なるにせよ、みんなでそれを出し合います。
さて。今現状は(個々の状況に応じた)ワリカンをしていくことで問題ないかと思います。
しかし、将来はどうでしょうか?今いる人たちは、永遠の命と若さを持っているわけではありません。いつかはカネを作ることもできなくなります。作業や仕事をすることもできなくなります。
ではどうなるのでしょうか?社会的リソースをストップする?・・・いいえ。人は新しく産まれてきます。新しく産まれてくる子たちにも誰もが一定確率で起こる事象に対して必要な社会的リソースを生み出すのに、(もちろん大きくなってからですが)同じだけの責任を持ちます。
「ワリカン」は「新しく産まれるこどもたち」とも協力していくことになります。これで安心できるでしょう。
・・・ところでこのこどもは自然に発生するのでしょうか?残念ながら現代はまだそうではありません。
そのこどもは将来社会的リソースを生み出す人の一人になります。
つまりこどもを産み手間暇をかけて育てることは、将来的な社会的リソースに貢献していることになります。そのこどもの少し下の世代から少し上の世代までのケアが必要な方を助けることになります。
将来的な社会的リソースへの貢献に関しても、前述と同じように、個々の状況により貢献のレベルも異なります。
「できないことを期待する」ということは基本的に間違っています。
自由には責任が伴う、という言葉があります。自由とはなんでしょう?責任とはなんでしょう?
先々まで継続的に社会的リソースを作り出していくことについて、個々人の自由と責任とはなんなのでしょうか?
できないことを期待することはできません。できる範囲の中で個々人に自由があります。その自由に対する責任とは?
人間は社会的動物です。助け合って生きているわけです。その助け合い方は色々な形がありますしかし継続的に社会的リソースを生み出していくために必要なことは?
考えた末に意思を固めるのは素晴らしいですし考えずに意思を固めるのも自由ですしかし自由には責任が伴う。
責任とは何でしょうか。人から与えられるものなのでしょうか。答えは、個々の心の中にしかないでしょう。個々の方々に対して言えることは、私にはありません。あなた方の心の中に必ず、答えがあります。
人は自由です。己の心に嘘さえつかなければ。