はてなblogで無職の日記をサーフィンした。世の中への不平不満が100%だった。これはいけないぞ。
世の中の不条理を粗探しして、不満を垂れることは簡単だ。不満を探せばキリがない。社会は問題まみれ、人間は欠点まみれだ。同じ轍を踏むものか。
無職やニートは必然的にアクセスする世界が狭くなる。孤独に苛まれて、孤独を癒そうとコミュニティを欲したところで、共通の話題を持てない。
こちらも必然的に一般の話が多くなる。一般の話と言えば、政治家の汚職やゴシップ記事、最近だとLGBT、フェミニズム、資本主義の限界だとか云々。
「インターネットを正しく利用する」なんて「調べもの」以外は存在しないと俺は思う。
インターネットはツールであり、あくまで道具だ。こうやって文章を書くのも、飯のタネや気休めになればいいが、「世界を変えてやる」だとか「有名になってやる」なんて動機で続けるのは病的だ。
「世の中一般についての提言」なんてものはすべきではない。社会は変えようが無い。自分自身の人生に関係が無い。エピクロスさんも似たようなこと言ってた。
性器はなんかチンコ生やされてる事が多いかな。後はスリットとか。
ネタでも許せないんだよね。ネタってことは理解してるんだけど、好きなキャラが犯罪者扱いされてるってのが嫌。その気持は繊細オタ女だからかもしれないけど、あなたの推しが犯罪者扱いされてたらどんな気分になるか、教えて欲しい。
『ゼルダの伝説 風のタクト』の元ネタとして知られてるアニメ。
みんな予告編だけでも観てみて欲しい。
戦闘シーンは「あ、ここCG使ってるだろ」と思ってしまうほど立体的に動く。
ちょっと古さを感じる部分もあるけど、全体的にCGが普及して以降の表現で脳がバグる。
ゼルダへの影響が有名だけど、何気にマリオ64もこのアニメの影響受けてるのが窺える。
このアニメにアニメーターとして関わっていた小多部洋一はマリオシリーズのデザイン監修でもあるから、もしかしたら3Dゲームをどう魅せるかという模索の中で彼が大きな役割を果たしていたのかも知れない。
たくさん努力して得たスキルで作った物がクオリティー低いと言われようとも、
誕生日に彼女が選び似合う格好いいと言われ買ってくれた服をダサいと言われようとも、
友人がやめた事続けてるって話してると「昔はお前よりやってた」と言われようとも
キレず言い返さず黙って耐えるだけ
5年前はそんなキツイこと言うようには見えなかったし
(長い)
私には発達障害の傾向があると思う。YouTubeとかでADHDかアスペルガーの行動や特徴の動画を見ると自分を見ているようだ。
そんな私は高校で吹奏楽に入ってしまった。元々音楽ができる人に憧れがあって、自分も何か弾けるようになりたいとずっと思っていた。それに、入学して初めて話した、吹奏楽ガチ勢の中学から来た友達が吹奏楽をすごく勧めてきたからでもある。
浅はかな私は、楽器は練習すれば誰でも吹けるようになるものだと思っていた。それにパートの人とさえ仲が良ければなんとかなると思って、その最初に話した友達と二人きりのパートに入ってしまったのである。
同じパートの友達をAと呼ぶ。私はコミュ障だし、話しかけられても自分の話しかできない。Aもあまり積極的に人に話しかけに行くような人間ではなかった。最初の一年は用がある時以外は本当にAとパートの先輩以外の人と話さなかった。部内の恋愛事情も人間関係も何もかも知らなかった。しかも楽器もまともに吹けなかった。初心者で入った人の中ではダントツに下手だった。少なくとも他の人にはコミュ力や愛嬌があった。そんな状況でも欠かさず部活に行ってはいた。いいのか迷惑になっているのかわからない。
二年の時は後輩が神のようにいい人だったのが救いだった。でも、本当に迷惑な人間だったと思う。人間的にも技術的にも。
こうして書いていると辞めない方が不思議に思えてくる。でも当時の私は今ある生活を変える方が面倒だった。面倒というより怖かったのかも知れない。そうして定演まで部活をずるずると続けてしまった。
しかし、定演はコロナによる休校で無くなってしまった。正直ホッとした。クソみたいな自分の演奏に舞台上で披露して、誰も何も言わないけど自分だけが自分を責め続けることが避けられてよかったと思った。一方で一生懸命に準備してきた人たちもいるわけで、自分をクソだと思った。
今思い返すと、どうして吹奏楽に入ってしまったんだろうと浅はかな当時の自分に後悔しかない。迷惑しかかけてないし、誰にとってもマイナスな選択だったのではないかと思えてくる。
吹奏楽と自分の楽器自体は好きだ。でも自分には絶対に合わないものだとわかった。二年の部活で得た学びはそれだけだ。Aも私じゃない人が同じパートだったらもっと吹奏楽を楽しめたのではないかと思えてくる。本当に申し訳ないと思う。
自己の利益を考えて他人の評価を上げようとすると、人はなんとなくそれを感じ取るものだ。
結局、何もしないよりも悪くしてしまうのだ。
他人の評価に関わらず、得をしようとするとその得の分、どこかが(誰かが)損をしているという事になる。
それで、全体として上手くいくとは思えない。
損をしないように心がけてさえいれば、それで良い。そうすれば、他(他人)も損をしなくてすむから。
カー○ィのエロってあるんだ…。
性器とかどうなってんの?
○ドレーヌとかならわかるけど。
それはそうと、○タナイトのストーカー扱いはヘイトというより、単なる面白ネタのつもりによるところが大きいような気がするなあ。
確かに対面交通を考えたら歩道は左を歩いたほうが安全かもしれないですが、一方通行の場合に逆転する可能性がある。子供や免許を持っていない人は一方通行なんて気にしないですし、そうなると結局は対面交通は守られないわけで。それならいっそ右に固定したほうがいいと思いますけどね。
腐った女のお気持ち長文だ。全てはあくまで自分がそう感じたという主観だけだ。
好きなゲームがある。ピンクの球体みたいな生き物のアレ。自分は腐っているが、その作品で腐に手を出すことはなかった。でも別に、そのゲームの二次創作に対して不快になったりするわけではなかった。腐は読まなかったけど絵を見たりはした。
だが、その中で気になることがあった。仮面の騎士のストーカー扱い。そしてストーカー扱いをしていた奴は、自分の見た範囲では仮面の騎士×ピンクの球体が好きな奴かcp等に対する興味を持っていない者だけだった。自分はとても嫌悪感を抱いた。自分は、「攻め」ヘイトが許せないからだ。例え、ネタとしてのものであっても。「攻め」は男女交際でいう彼氏にあたる側。もちろん「攻め」だけじゃない。「受け」に対するヘイトも同様に許せない。だが、「受け」に対するヘイトはそうそう無い。なぜなら(例外はあるが)オタクは基本的に自分の推しやら愛でたいキャラを「受け」にする。自分だってそうだ。わざわざ推しをヘイトすることはないだろう。(あるとしてもそれは濡れ衣で最後はざまぁエンドのものがほとんどだ。)
彼ら、いや彼女らと表すのが適当なのだろうが、自分は奴らと呼びたい。見ず知らずの人間に対して失礼な言葉だと分かってはいる。だが、自分が奴らのような下賤で低俗な考え無しと同じ種であると思いたくない。自分だって下賤で低俗で蔑まれるような者だと知っている。けれども、嫌なのだ。
そもそもの話としてストーカー扱いには明らかに否定出来る点が多すぎる。
奴らのストーカー扱いの根拠にはアニメの存在がある。アニメでは仮面の騎士は「卿」と付いている。卿がピンクの球体の行く先々に現れ、父のように、兄のように接している事からストーカー扱いをするようになったのだろう。だがそもそもアニメ版とゲーム本編は全くの別物だ。まず物語の舞台。ププビレッジ。そんな地名ゲームで聞いたこともないですけどぉ…あったら申し訳ないが。申し訳ないことに全作はプレイできていないのだ。世界観。アニメはゲームよりもずっとダーク。ゲームだってよく見りゃダークなところもあるがアニメでは環境汚染やら健康問題やら色々ありまくるし星の戦士とかいう設定も出てくる。そして何よりキャラクター。アニメオリジナルのキャラが鬼の様に出てくる。それに加えゲームで出てくるキャラクターもゲームとは別人だ。ゲームの大王は環境破壊に快楽を見出していないし仮面の騎士の部下はソードとカッターだけではない。
アニメとゲームとでは全くの別物なのだ。だが、その騎士×球体を好み、騎士をストーカー扱いする者の中で、自分の書いている(描いている)のはゲーム版とは全くの別物のアニメ版の二人(人?)だ!と主張する者がいても、そいつも糞だ。そもそもストーカーではなく、まだ未熟な戦士であるピンクの球体を守り導いているのだ。それが何故、ストーカーだと、犯罪者だと言われなくてはならない?分からない。本当に。
ゲーム版を見てストーカー扱いをした(この場合は夢の泉でキャンディーを投げてくる事からだろうか)としても同様に糞だ。消えてくれ。
お願いだから、消えて欲しい。もし消えてくれるなら別ジャンルの大好きなカプの相手違い左右違いだって読む。左右相手両方違うカプだって。どうかお願いギャラクティック・ノヴァ。太陽と月の喧嘩なんてどうでもいいから、どうかあいつらを消し去って。
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