俺は発達障害だけど同じような苦手なこととか似たような対人関係の経験ある。
愛想がいいなら接客業はどうだ?
俺はコンビニもファストフードも続かなかったがスポーツクラブのインストラクターは続いた。
体力があったからクロネコヤマトの集配センターの積み下ろし作業とかも良かったな
「しゃぶれよ」は明らかな性的含意がある。
それに比べると「おーん」は無害どころか有益でさえあると思う。
日記の言及に悪意を持って記事主を攻撃する邪悪な奴が現れる。しかし咎めるためにストレートに反論してしまうと喧嘩になることがある。日記執筆者によってはそういうのを不快に感じる人がいるんだ。自分の日記が原因で騒動が起こってるのを気に病む人がいる。俺は昔、そのような振る舞いで記事を削除させてしまったことがある。駅で道を聞く話。かなり時間をかけて書いたであろう、良質のエッセイだった。俺自身は当時正義を働いたつもりだったけど、後悔している。俺のやり方は良くなかった。
「あーん?」のように凄んで威嚇して相手を咎める態度を示しつつ、どこか茶化した感じにする道化としての振る舞い。俺個人としては、読んで見た目にも心地よく、それで実際、場が収まっている風景を何度か見た。いま「おーん」をやっている使い手はどうなのかしらないが、初期は殺伐としがちな匿名空間を和ませるファインプレイが多かったように思う。
個人的に「増田三善人」とよんでいる。「おーん」「ワイ」「🐈」の三人は、はてな匿名ダイアリーの潤滑油だ。
見るに堪えない糞ブコメが目に入ってしまったので反射的に非表示ユーザーへ突っ込んだ。
しかし冷静に考えてあのブコメは通報すべきだと思い非表示ユーザー一覧を開いた。
さっきのバカで6人目かなと思っていたらなんと66人もいた。
バカじゃないの?
キミが頑張ればいいんじゃないの
気まぐれに、今の仕事を続けた場合の収入を大雑把に計算してみた。65歳時点で年収は672万円。生涯賃金の総額は2億円。手取りだと1.5億円だ。残業がなかったとして、38年間のうちおよそ7万6千時間(通勤等含まず)を拘束され、ストレスと疑問に悩み続けた対価は1.5億円らしい。生活費が月10万円だとしたら、自由に使えるお金は1億円。今後ぼくの人生は、この1億円をどのように使うかを考える人生らしい。
当然、勤めるほどに収入が伸びる仕事というのは、相当な価値がある。社会的に見て「恵まれて」いて「価値がある」。ぼくはハローワークで職探しをしたこともあるし、ワープアの話もそれなりに聞いてきている。今の仕事は大変に貴重なものだ。仕事なのだから当然苦労はあるが、これを人並みに続けるだけで、1億円を自由に使えるのだ。必要なことは組織に属し続けるだけであり、誰にも優る必要はない。退職金と厚生年金も考えると、その価値は更に何割という単位で増す。お金以外ではどうか。仕事を通じてのやりがいや成長は当然あるだろう。この立場でしか知りえない情報、得られない視点、会えない人。相当なものがあり、お金で得られるものではない。対外的には、この身分だけで得られる評価は大きい。結婚するにこれほど適した仕事もない。
さて、キャッシュがいくらあれば仕事を辞められるだろうか。生活費だけならば、5千万円で38年間の「生活」は保証される(その他に年金や保険、医療費としてかなりの額が発生する)。時給千円のアルバイトだと5万時間。7万6千時間を得るために、アルバイト5万時間相当の価値と、1.5億円を得る機会を差し出すことになる。「38年間」を後悔なく購入するには、2億円支払う必要があるということだろうか。38年後に待つのは、退職金も厚生年金もない生活だ。
組織で働くというのは、これ以上ないほどに社会に最適化されている。長いものには巻かれるべきなのだ。組織から能動的かつポジティブに抜けるというのは、7万6千時間を使って2億円以上の価値を生み出し、組織の中で38年掛けて得るはずだった能力と経験、人脈を超えられるという「自信」がある人にだけ許された行為だ。それ以外の能動的な抜け方は、組織から逃げることが目的のネガティブな抜け方ということになる。
そんな自信は、ある方がおかしい。根拠なく「やれそう」というのは、仕事が嫌だとか組織で働くことに向いていないだとかの、社会不適合者の言い訳を隠しているに過ぎない。ぼくがそうだ。「サラリーマンの安定感」というわざわざ書き出さなくても十二分にわかることを、改めて考えてみないと、現実が見えないのだ。
夢も目標も自信も見出せない無能は、大人しく自分に見切りを付けて、組織で働き続けるべきなのだ。
と、ここまで書いてみたが、そんなに極端になることもない。組織に属しながら、手を伸ばしていくことができる時代だ。副業はNGだが、利益なんて早々付いてくるものではない。そのまだ見つかっていないだけど思っている「何か」を、まず始めてみて、利益が出たなら組織から抜ければいいだけだ。ただし、その「何か」を始めるような精神的な余裕がないのは重々に承知している。今は脳みそが腐らない程度に勉強をし、身体を鍛え、本を読み重ねるだけでいい。組織を離れるのは何歳になってもできるし、遅ければ遅いほど離れたあとの地力は大きく、リスクは小さい。その時に支えるべき人が居るならば、その時に考えればいい。
地球を一周するのが正確に365日ぴったりだったら、うるう年もうるう秒も要らなかったのですが、
正確には365.2422日くらいなので調整が必要になるのです。
を枕詞にして語る誰かの話なんて悪口でしかないとは思うのだが、
そう表現せざるを得ない友人が一人いる。
悪い子ではない。決して。
けれどなんだか得体が知れない。
彼女はとてもよく喋る。
ただ遊ぶだけではなく、業界の状況やクリエイターの系譜にも詳しく
一本のゲームを肴に何時間でも、背景から歴史からUIやキャラクターに至るまで立体的に喋ることができる。
少なくとも彼女はそういう。
女子の正しい興味はファッションとドラマと芸能であると絶えず彼女に押し付ける教育をし
また彼女はいわゆる搾取子と思われ、すでに結婚した姉妹の家で家事をさせられたりごはんをおごらされたり
体調を崩して休職していた間でさえ、保険や貯金から家にお金を入れさせられたという。
彼女はこれらのこともとてもよく話す。
しかも「ちょっぴり困ったこともあるけど、いつでもほんわか仲良し家族のエピソードトーク」のていで、話す。
付き合いはじめの頃は、私たちはいつも彼女の話に本気で眉をひそめ、そんなのはおかしい、はやく家を出たほうがいいと言った。
本人はう~んそうかな~と笑っていた。
付き合いが長くなるにつれ、違和感がなんだか大きくなった。
しかし我々第三者の耳には、いわゆる毒親、毒家族のように聞こえる。
なぜ、彼女は「彼女の家族が毒であるとわかるように」我々に話せるのか。
ほんとうは、自分が受けている扱いは不当であるとわかっているのではないか?
就職先がひどいブラック企業で、メンタルを病んでしまったときにも
仕事場の辛かった話ひどかった話をよく話していた。
何度もそんな会社はやめたほうがいい、体と心を壊しては何にもならないと言ったが、彼女は休職後同じ職場に戻っていった。
復職時に人事部の人にこんなことを言われた、と語って聞かされた話は、他人事ながら身震いするほどひどいものだった。
虚言の類いなのか、と考えてみたこともある。
ほんとうは抑圧する家族もブラックな会社もなくて、ちょっとした面白話として辛い話をして気の毒がられたいだけの、ひどく入り組んだ自己顕示欲。
けれどもなんとなく、すべてが嘘だとも思えない。
友人同士の飲み会の日、会社でひどいことを言われたと顔面蒼白で来た時のあの顔が、演技であるとは思えない。
それに、うまくいえないのだが、彼女の言動のはしばしには確かに、長年抑圧されてきた人の気配を感じる。
しかし本当のことを言われている感じもしない。
幾度も幾度も改善の兆しもなく繰り返される、ちっとも笑えないドタバタコメディ。
彼女の話は、そういうアニメの筋を、とうとうと語って聞かせているかのようなのだ。
他の友人とも、なんだろうね、あのこ、かわってるよね、と話す。
悪い子ではない。それは本当だ。
根が親切だし勤勉だ。
でも、なんだろうね。
私の話、聞いてるのかな、って思うことある。
家を出なよ、とか会社やめなよ、とか、言うのは簡単でも実行するのは大変だろう。
私だって、たとえば彼女を自分の部屋に住まわせて家が見つかるまで面倒をみるとか
そんなことまではできていないのだから、
彼女が私たちの言葉を聞き入れ、彼女の境遇を変えていないからといって腹をたてる筋合いなどない。
それを根拠に、彼女の話が嘘だなんて言えるはずもないし、そこまで傲慢ではないつもりだ。
でもなんだろう。
悪い子ではない。
けれども、得体が知れない。
付き合いはもう15年になる。