ある日の夜、電話がかかってくる。
母「今度、お前も参加する、親戚の結婚式あるでしょ」
俺「ありますね」
母「着物の着付けとかがあって、前日は姉のところに泊まりたいんだけど」
俺「そうですか」
母「ペットとか心配だから、お前、前日の夜に代わりに泊まってくれない?」
俺は親にどうして欲しかったのか①
まず、母と姉は30kmくらい離れたところに住んでいる。対して俺は900kmくらい離れたところにいる。母は遺産で食っている。俺は働いている。もちろん、対象の日は平日で仕事がある。
「仕事の後に来るんだから大変だと思うんだけど」といった労いの言葉や、「悪いんだけど、前日に来られない?」とかの申し訳無さそうな言葉を挟むことはできなかったのか。距離の問題や、俺の都合になぜ頭がまわらないのか。
俺「いや、そう言われても、仕事の調整がつくか分からないから、今に返事することはできませんよ」
母「ええ!?困るんだけど」
母「急だと大変だから、私は3週間前に言ってるの。もしお前に断られたら、急に対策は取れないでしょ?お前が断るなら、私は着付けの時間とか調整しないといけない。そのために3週間前の今に予定を決めとかないといけないのに……それなのにお前が無理って…ペットどうしよう」
俺は親にどうして欲しかったのか②
「急に決めるのは難しいから、前もって確定させておきたい」というのなら、それは、急に決断を迫られている俺にも適用されるべきだ。それに、方法を探す期間を確保するために前もって連絡をしてきたんだから、断られたなら普通に今から考えろよ。つーか、俺に連絡してくる前に仮の案くらい考えとけよ。なに俺が快諾する前提で電話してきてんだよ。
母「私はね、着付けの時間があるから、姉の家に泊まって、そうするとペットが心配でしょ。だから、その日はお前が実家に泊まるのがベストだと思うの」
俺は親にどうして欲しかったのか③
「ベスト」と言う言い方は、利害の対立する八方がうまく収まる方法を言うはずである。ところが、この「ベスト」は彼女にとってのベストであって、俺にとっての利点は何一つない。わざわざ前日入りしたにも関わらず、結婚式会場から30km離れた実家に一時的に移動して、ペットの世話という負担を強いられるだけである。なぜ、他人の視点から考えることが出来ないのか。そして、俺に対して「こうしてくれるとありがたい」という言葉がなぜ出ないのか。
俺「そうですか。とにかくどうなるか分からないから、今は言えません」
母「それは困る(以下、上記の繰り返し)」
母「分かった、じゃあ」電話を切る
俺は親にどうして欲しかったのか④
「いつまでになら分かりそう?」「一週間以内に返事くれる?」などと言った、予定を確保するような建設的な言葉が欲しかった。
子供を一人の独立した人間として扱って欲しかった。きちんと、互いの視点を共有できる話がしたかった。もうこの人との付き合いは無理だ。
涙がでるよ。
でも俺みたいな奴は世の中にいっぱい居るんだ。
だから誰も俺くらいの不幸は同情してくれないんだ。
同情してよ。
つらかったねって。
そしてできれば目一杯抱きしめてくれよ。
引っ掻く。
・熊本支援方言プロジェクト|福岡女学院大学・福岡女学院大学短期大学部
ttp://www.cycle-g.info/entry/2017/06/01/%E5%AD%90%E4%BE%9B%E3%81%8C%E3%80%8EYoutuber%E3%81%AB%E3%81%AA%E3%82%8A%E3%81%9F%E3%81%84%E3%80%8F%E3%81%A8%E8%A8%80%E3%81%84%E5%87%BA%E3%81%97%E3%81%9F%E3%81%A8%E3%81%8D%E3%81%AB%E3%80%81%E5%83%95%E3%81%8C
子供が将来ユーチューバーになりたいと言って素っ気ない返事をした事に反省をしている文章である。
まあ、某所の調査で子供がなりたい仕事ランキング1位にもなったらしいし、親からすれば心配にもなろう。が、別にこれは今の時代になっての問題ではなく、品を変え大昔から延々受け継がれてきた悩みなのだ。だから肯定するにしても否定するにしても気にする必要はない。
例えば、私が子供の頃は漫画が大流行だったので、私も漫画家になりたいと親に言った事がある。当時の漫画はそりゃ子供達からは大人気だったが、親から見たらしょうもない落書きである。漫画読むぐらいなら小説を読めと言われたもんだ。今のユーチューバーとさして変わらない待遇だと思う。
しかし、子供にとってはそんな事はどうでもいい。わずか数十ページの中に、宇宙への冒険・変身ヒーローになって地球を救う話・腹がよじれるような面白おかしい世界が無限に広がっていたのだ。そういう世界を作りながらお金を稼げるなら、こんな素敵な事はないだろう。意を決して、漫画家になりたいと母に打ち明けた。そうしたら、うちの母は、
「馬鹿な事を言ってるんじゃないの。手塚治虫も本当はお医者様になれる程、頭がいいのよ。馬鹿なあなたがなれるハズがないでしょ」
とにべもなく無く言われたものである。今の時代なら流石に自分の息子に向かって面と向かって「あなたは馬鹿」と言う親はいないだろうと思う。まあ、小学校のテストの点数すら半分とれなかった馬鹿なのだから仕方がないのだが。
流石にウン十年昔の話なので、当時の私が「そっかー、無理なのかー」と思ったか「そんな事ない、絶対になってやる」と思ったかは忘れてしまったが、馬鹿な私でも高校に入る頃には、漫画家になるのがいかに狭き門で難しいかは理解出来るようになっていた。
今の子供のユーチューバーになりたいという意志と私が子供の頃の漫画家になりたいという意志に差があるとは思えない。昔から対象が変わっただけで子供達は変わっていないのだ。そして、高校生になる頃には実際になるのはとんでもなく狭い門をくぐらないといけない無理ゲーだと気づくのも昔と変わらないだろう。そもそも、今の子供達が大人になる頃に動画配信で収益を生むというビジネスモデルがまだ存在しつづけるとも限らない。年の若干離れた弟は子供の頃ゲームプログラマーになりたかったが、今のこの状況でゲームプログラマーになりたい子供がどれだけいるだろうか。普遍的なビジネスを生み出すのは難しい事だ。
だから、まあ、子供たちが自分の夢を実現する事の難しさに気付く事が出来たなら、それは大人になった証拠だ。それまでは、「子供の」夢なんだから、好きにさせたら良いと思う。
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日本の学校では集団行動を習う。他人様に迷惑をかけないように、という。
PC上級者の多いはてな民なら、パスの区切り文字とか制御文字的な意味なときはバックスラッシュの右下で、円マークって意味なら右上とか使い分けてるよね
私は全部右上だけど
思いつきで ahk 使って右上の円マークだとバックスラッシュじゃなくて本当に円マークを入力できるようにしてみた
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Twitterで、高校時代に同級生の悪戯で怪我をし、重い障害を負ってしまったバスケットボール選手の手記がリツイートされてきた。
彼の怪我の原因となった「悪戯」は、着席しようとした彼の後ろから椅子を引いて転ばせるという、小学校低学年以下がよくやるやつだ。
僕は、高校生にもなってそんな事をする奴がいるということに驚いた。普通、そういうのは小さい時に誰かにやったりやられたりする経験を通して、やってはならないものと学ぶものではないのか?
僕も幼稚園の頃、隣の席のA子ちゃんによくやられてはべそをかいていたものだ。あれをやられて転ぶと勿論とても痛いし、皆に指差しで笑われるので恥ずかしい。
執拗に椅子引きをするA子ちゃんに僕は腹が立ったので、一度仕返しにやり返した事があった。そしたら、あまりにも上手く行きすぎて、A子ちゃんは派手に転倒、大きな音を立てて尻餅をつき、号泣した。
こんなはずでは……、と、僕は思った。
思い返せば、あの頃の僕は椅子引きをやられ慣れしてしまっており、転ぶのが上手になっていたみたいで、もーなんだよぉー!と言ってすぐに立ち直れたので、A子ちゃんも転んだらそうするだろうと無意識に期待していたのだろう。
だがそうはならなかった。
幸いにも、小さな子供の尻餅だから、A子ちゃんは怪我をしないで済んだ。けれどもA子ちゃんは、痛みにも仲の良い同級生に欺かれる事にも慣れていなかったので、その心理的な傷は甚大だったろうと思われる。
以来僕達はパタッと椅子引き"遊び"をやめた。
あれをやっていたのは僕達だけではなかったけれども皆パタッとやめたのは、あの件でA子ちゃんが大泣きしていたのと僕が先生からめちゃめちゃ怒られたのを見たからだろう。
僕は加害から、A子ちゃんは被害から、あんな事はしてはならないのだという事を学んだ。
椅子引きは、怪我をするからいけない。そして友達を騙し辱しめる行為だからいけない。
僕の経験は幼稚園の頃の話で、お互いまだ体重の軽く、ぷくぷくとして柔軟な身体の幼児だったお陰で大怪我をせずに済んだから、ただ泣いたり叱責されたりで済んだ。
これが大人や大人に近い子供の体格の人がやられたら大変な大怪我をするか、下手すると死ぬ。
それを僕が学んだのは、小学校中学年位の頃、理科の授業中だった。
近く、全校生徒で市営のスケートリンクに赴きスケート教室を受ける事になっていたんだけど、ある生徒が理科の担当をしていた先生に、「先生はスケート教室行かないんですか?」と聞いた。
先生は担任のクラスを持っていない人(何か役職のついている偉い先生だったのだ)なので、そういう学外活動の日は学校でお留守番なのが普通だったんだけれども、先生は、もし同行しなければならないとしても、
「ぼくはこの歳になってまでスケートなんかしたくないですよ、だって、転ぶから。」
と言った。
それで教室は爆笑の渦になったのだけれども、先生はおもむろに黒板に図を描き始めた。
まずは地平線の様なもの。
それで説明して曰く、
「君達は小さいので、転んでリンクに大の字に転んでも、打つ面積はたったこれだけです。だがぼくは大人なので、コケればこんなに沢山の面積を打つのです。それはとても痛い。しかも大人は体重が重いですから、打った時の衝撃に自重が加わり大変な事になります。君達が擦り傷で済む様な事でも大人は骨折したり打ち所が悪ければ死ぬのです。だから大人はスケートなぞするもんではありません」
何かをしなくて良い理由というのを、その様に論理的に説明された経験が僕にはそれまであまりなかったのもあったし、とても分かりやすかったので、この話は強く印象に残った。
と。
また、自分が平気と思う事でも他人は大きなダメージを受ける事もあるんだという事を、改めて学んだのだ。
A子ちゃんとの事や理科の先生の話は、何気ない日常のひとコマだったけれども、その後の僕の運命を大きく変えたのかもしれない。僕は他人を怪我させないように気を配るようになったのだから。
しかし、世の中僕みたいに幼少期に大事なことを教えてもらえる人ばかりではないのかもしれない。
そういうのを長じるまで完全にスルーして来てしまって、ちょっとしたムシャクシャや悪戯心で他人にちょっかいを出して大変な事故を起こしてしまうという事もあるのだろうか。
闇属性で一時的にもてはやしている連中はvlxst1224の本当の魅力がわかっていない
政治や事件などの難しい問題で、いかにも一生懸命考えた様子のコメントをひねり出してくることじゃないか
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