もうそれって固定観念として固定概念を使うのが正しい日本語なんだよ。
イキって講釈垂れても惨めな想いをするだけだぞ。真面目クン。
二人の管理職が机を並べて働いていました。
一人はできるさん、もう一人は残念さんと言いました。
二人は全然違うタイプですが、同じぐらい熱心に案件を気にかけ、同じぐらいの熱量を持って仕事に取り組んでいました。
できるさんは、案件に着手する時は部下に丁寧に案件の内容について説明し、必要な人や部材を先回りして調達し、環境を作ることに専念していました。環境を作った後はあまり干渉せず、部下の手法や判断を尊重していました。部下はどういった手法が適切か、どうやったら安全にリリースできるかを考えるようになりました。
残念さんは、案件の着手段階では客や営業からのメールを部下に転送し、案件を理解した部下が人の増員や部材の調達を依頼してきたら手配していました。反面、アウトプットについては細かくチェックを入れて、コードやお客向けの資料は何度もレビューを行っていました。部下たちはどうやったら残念さんの考えるアウトプットのイメージに沿えるかを考えるようになりました。
二人とも打ち合わせには積極的に同席していました。
できるさんは打ち合わせの場では基本的に話を聞いているだけでした。判断を求められたり、関係者間で認識にズレがある時などは発言していましたが、同席することで部下に報告の手間や時間を取らせないようにしようと考えているようです。
残念さんは打ち合わせの場で仕様やアウトプットのイメージをがっちり確認し、手戻りを避けようと一生懸命でした。
打ち合わせの前後にはメンバーと認識合わせを必ず行い、よりよい案件進行を部下とともに模索しようと考えているようです。
ある日二人の部下が躓きました。
できるさんの部下の案件は、リリースしようとしたときテスト環境では問題なく動いていたアプリが本番環境で動きませんでした。
お客さんは、再現環境を作ったり、ベンダーのサポートを呼ぶなどして早急に問題解決を図るよう求めてきましたが、できるさんはログの解析や、テスト環境と本番環境の違いの洗い出しなど、机上調査を優先することを主張しました。また、どのような手法でも時間は必要になると説明しました。
机上調査から被疑部位が絞られてきたところで再現環境を構築して、問題の再現と回避方法の確認が行われました。リトライが行われ、今度はうまく行きました。当初予想されたよりも早く解決できました。
ただ、お客さんの目には対応の初動が遅いと映ってしまったようです。
残念さんの部下は、あるタイミングでお客さんと自分たちの間で仕様に関する認識がズレていることに気が付きました。
急ぎお客さんに相談し、修正を加えていくことになりました。お客さんはスケジュールを気にしています。残念さんはなんとか当初のスケジュールを守れるよう努力することを約束しましたが、同時に現実的に実現できそうなリスケ案も提示しました。
残念さんは自分も案件に加わるとともに人も増やしましたが、混乱を助長しただけで、もとからのメンバーたちが深夜休日に出社するなどしてなんとか終わらせたのは、リスケされた完了日をだいぶ過ぎてからのことでした。
ただ、残念さんは自分も作業に加わっていることや、人を増やしていることをアピールするなど、状況をこまめに報告していたので、お客さんの印象は悪くなかったようです。
何も配当はないけど、増田もいうように「やめられなくなる美味しさ」かな。
本当に犯罪をやっちゃったの?
それとも転職を繰り返してるの?
それか評判の悪い会社に勤めてたの?
何か原因となる考え方があったと思うのでそれを発見して、
それを説明できるようにしておいて、
何を学んだのか?伝えられたらいいんじゃないかな?
失敗から学んでいるな、もう、同じ事では失敗しないだろう、
と思ってくれる人は思ってくれるかもしれないよ。
>結果が出るまでは頑張るしか無いとは思ってる。
株やパチなら配当や差益があるが、ホッテントリはどんなものが残るんだろ。
思い出?次を期待する射幸心?
食い物で「やめられなくなる美味しさ」とか口上しているものがあるけど、そんなの怖くて食いたくないwと思う俺は、そういうのを狙わないほうがいいんだろうな。。
絶望にすすり泣く子供の代わりに土日で計算ドリルをする父母諸姉諸兄に置かれては、いかがお過ごしだろうか?
っていうか、大変ですね。つうか親でもないのにオジサン勘弁して欲しいッス。
で、読書感想文みたいなクソな宿題が全国で阿鼻叫喚の地獄絵図を巻き起こしているのを見るに見かねて、
ここに簡単なコツを書いておくから、是非参考にして欲しい。
アメリカンなお坊ちゃんお嬢ちゃんは、リポートってのは結構しっかり叩き込まれる。
これは、文法から始まって事実と意見の分別だの論理構成だのをみっちり仕込まれる。
日本じゃ大学生が卒論書くときに学ぶようなことを、エレメンタリースクール時代にシゴカれる。
そもそもな、「感想文」なんだよ。
自由に感想を書きゃいいはずなんだよ。
だが、日本じゃ良くある話だがホンネとタテマエは別で、
「クソみたいな話でした。作者は一回サラリーマンとして働いたら良いと思います」とか書くと悪い評価になったりするんだよ。
まあ得意な子もいる。本を読んで感想を言うのが好きだとか、ポエム書くと恍惚とするとかそういう子な。
だが、本を読むのも感想書くのも苦痛な奴に、何の技術も教えないまま読んで書かせるとか、ちょっとした虐待だよ。
水泳の授業で、突如船の上から叩き落として、「時間までに泳いで帰ってこなかったらメシヌキな」ってやるのと同じなんだよ。
だから、原稿用紙を埋められない我が子にガッカリした顔は絶対に見せるな。それが普通だ。子供結構簡単に傷つくぞ。
さて、さらっと触れたが、「日本の読書感想文」ってのは、技術で出来る。
アクションに落とせない精神論で子供を追い詰める教育者は消えてなくなればいいのにな。
まあエレクチオン後に解放されたリビドーを子供らしい感性の発露として紙面に叩きつけられる天然さんも居る。
が、そんなギフテッドばかりじゃないわけで、ここはテクニカルに解決しよう。
何でもそうだが、ゴールの見えないマラソンほどキツイものはない。
だからまず、ゴールを設定しよう。
基本的には、この「意見」「感想」「理由」「場面」で原稿用紙を埋めれば良い。
これがゴールだ。
取り敢えず、イオンに買い物に行くついででも、あの例の鼻に棒を突っ込んだシールが貼られた本の中から、
我が子に「一番読みたい本/マシだと思うヤツ選べ」と指令を出して、選んだ本を買ってこよう。
で、読ませる。まあ時間がかかっても半日あれば読めるだろ。何としてでも一回読ませるんだ。
まあ、最後に別に読まないでもなんとかなる方法も書くから絶望はするな。
読み終わったら、次のステップになる。
5ステップだな。
ま、取り敢えずここでは低学年でも中学年でも高学年でも行ける
「ちきゅうがウンチだらけにならないわけ」を課題図書として取り上げよう。福音館だしな。
「読んでどうだった?」とかな。
「難しい」とか「面白くなかった」とか言うかもしれない。
こっからは各家庭の教育方針になるからネガティブコメントでも我が家の天使の言葉は天啓である!とか言うなら止めない。
が、「笑ったとことか、悩んだところは、どこだった?」とか「面白かったところとか、どこか気になったところは?」とか聞こう。
「ウンチが役に立つって言っても、そういう特別なバッチイ虫とか植物じゃないの?」とか言うかもしれないな。
ま、それで良しにしよう。
「このページの虫は、フンコロガシって言うんだよね。他の虫に取られちゃわないように持っていくために転がすんだよ」とか
まあ、そういう親らしいふれあいとかが合っても良いかもしれないな。
閑話休題。
「なんで、特別なバッチイ虫や植物だと思ったの?」と聞くわけだ。
「え、だって普段からママが犬のウンチとか汚いし、虫とか嫌いだって言うし……」とかなるかもしれないな。
「そうね、ウンチは汚いし、ご飯の前には手を洗ったりするもんね。偉いね」みたいな、何年生想定だコレ。
まあ、「特別なバッチイ虫」だと思った理由は「ママが普段から汚いって言ってた」からだ。
「汚くないものが、普通」「汚いものは、特別」という視点だな。
課題図書っていうのは、基本的に意見を言いやすい本が選ばれる。
「レットはスカーレットの愛を受け入れるべきだったと思います」とか評価する方も判断に困るわけだ。
だから、「汚くないのが普通で、汚いものが特別」というのは、別に特殊な考え方じゃないと言える。
「でも、ママやタッ君には汚いしばっちいウンチも、虫にはごちそうになるわけよね」
「でも、そういう虫が特別なら、ウンチはその虫だけしか食べないから、ちきゅうがウンチだらけになっちゃうよね?」
「ん?ってことは、ウンチの数だけ、虫がいて、食べてるってこと?」
みたいな流れだな。
結構誘導してるが「バッチイ虫は特別だと思ったけど、特別じゃなくて、いっぱいいるのかもしれない」というのは、立派な意見だ。
結論として地球がウンチだらけになってないなら、多分いるだろう、と。
さて、ここで振り返りだ。
フンコロガシがウンチを転がしてる「場面」に対して、
「汚くないのが普通で、汚いものが特別」だからという「理由」で、
「役に立つって言っても、そういう特別なバッチイ虫とか植物じゃないの?」という「感想」になった。
ソレに対して、「地球がウンチだらけになってないなら、ウンチの数だけ虫がいるのかも?」と考えて
「バッチイ虫は特別だと思ったけど、特別じゃなくて、いっぱいいるのかもしれない」と「意見」を出した。
この辺で自分の身近な経験とか会話を入れるのがコツになるが、まあ無理な場合はその場で会話すれば良い。
「ママが昔は肥溜めがあって、人間のうんちも野菜の栄養になってたと言っていました。
うんちを食べる虫と僕たちは、同じで、特別じゃないのかもしれないと思いました」
とかだな。
まあ、あんまり道徳的な結論にもポジティブな感想にもなっていないが、
「子供が引っかかったポイント」を広げて「場面→理由→感想→意見」となったわけだ。
これを、「場面→理由→感想→考え→意見→シメ」に直して書くわけだ。
フンコロガシがウンチを転がしてるところを読みました。
「汚くないのが普通で、汚いものが特別」だと僕は思っていました。
だから、「役に立つって言っても、そういう特別なバッチイ虫とか植物じゃないの?」と考えました、
でも、良く考えたら「地球がウンチだらけになってないなら、ウンチの数だけ虫がいるのかも?」と思いつきました。
「バッチイ虫は特別だと思ったけど、特別じゃなくて、いっぱいいるのかもしれない」と思いました。
「ママが昔は肥溜めがあって、人間のうんちも野菜の栄養になってたと言っていました。
うんちを食べる虫と僕たちは、同じで、特別じゃないのかもしれないと思いました」
ちなみに、題名と名前を書くと、ぴったり400字詰め原稿用紙1枚になる。
青少年読書感想文全国コンクール応募要項によると、小学校低学年(1,2年)が 800字以内、中高学年(3,4,5,6)が1,200字以内だ。
400字詰め原稿用紙2枚半を埋めればおおよそ対応できるということになる。
例えば、「僕はこの本を最初に読んだ時には、難しいし、あまり面白くないなあと思いました。」これで37マスだ。
「パパは「肥だめを知ってるなんてママは実は歳を誤魔化してるのかもな」と笑いましたが、ウンチみたいになるまで殴られてました。」これで60マスだ。
こうやって、途中途中で我が子が考えたり、自問したことを全て原稿用紙に書かせると、結構簡単に埋まる。
ポイントは、骨子の部分である「場面」「理由」「感想」「意見」がキチンと揃っていることだ。
読書感想文は、その名に反して、単に感想を書いたのでは良しとされない。
我が子の素直な感想を、「そう思った場面」「そう思った理由」「そこから考えた意見」にすることは、難しくない。
そしてそれらが定まっていれば、原稿用紙を埋めることはそんなに難しくない。
だから、読書感想文は、実は結構簡単にやっつけられるタイプの宿題になる。
(俺はあらすじ反対派だ。なぜなら、適切な要約は大人でも難しく、結構そこで詰まる子がいるからだ)
与えられなかったものは、振り返ると自分にとって必要でなかったり、
行くべき場所ではなかったってことがあるよね。
それは自分ではなかった、というような感じ。
何が自分にとって本当に求めるべきなのか?