「熱死」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 熱死とは

2022-06-30

こんだけ暑いと、宇宙熱死も近い気がする

その前に地球熱死するだろうけど

2020-12-24

技術的特異門 設定

技術的特異門 1.1

https://anond.hatelabo.jp/20201224181054

の設定です。

 地球標準時は十六進数ユニックス時刻に上下四桁を追加した形式で表されます。数の表記二進法か十六進法が標準ですが、慣用句的な表現として十進法もよく使われます

 この時代標準的な知性にとって、物理的な一秒はヒトにとっての一日くらいの感覚です。〈朝廷〉等の特権的な知性は特殊計算機さらに高速な思考をしています。充分な存在費を支払えなくなると、思考が減速し記憶も失われ、退滅を免れません。

 〈京都物理層は小型トラックくらいの大きさです。表面は分子機械流体で構成され、後方に核融合推進用のレーザー発信器と磁気ノズルが設置されています質量の大半を分子回路が占め、中心部に極低温の不定形量子回路が保持されています太陽光を主なエネルギー源とし、大電力が必要ときには分子機械群を膜状に広げて光を集めます普段デブリ防御に優れた凝集形態をとり、放射線等による損傷を修復しながら、居住知性や下部構造演算しています

 〈京都〉は太陽地球系の第二ラグランジュ点付近地球から約五光秒の辺境位置しています。〈個権〉の登録数は百万件ほどで、歴史比較的長く、周囲の権域とは相互不可侵関係を結んでいました。独立性の高い平和田舎社会であったため、これまでの「最終戦争最後の審判を併せたようなものからは大きな影響を受けていませんが、〈大緊縮〉から逃れることはできませんでした。

 〈月面事業連盟〉により開発された新型計算機は、算力市場暴落を招き四十キロ秒にも亘る持続的経済破綻〈大緊縮〉を引き起こしました。それまでは地球圏の権域の大半で〈個権〉を持つ知性の生存保障され、最低保障資産が分配されていました。しかし〈大緊縮〉は地球圏の経済文化破壊し、〈京都〉も大きく変質しました。その結果、自我を保つの必要計算資源を賄うこともできないほど分配が切り詰められ、〈京都〉は弱肉強食の末に〈朝廷〉の私物になりつつあります。それでも、弱者存在がまだ許されている〈京都〉は、地球圏の中では比較平穏な権域です。

 地球と月は厚さ数キロメートル分子機械層で覆われています。しばらくはその中で豊かな生物圏が維持されていましたが、数回目の「最終戦争最後の審判を併せたようなもの」で滅びました。その後復元されたり滅びたりを繰り返し、作中の時点では滅びています。他惑星圏の開発もされていますが、遅延時間の大きさからほとんど交流はありません。〈大緊縮〉後の地球は、〈京都のものよりも遥かに強大な野良知性、有知能ウイルス暴走知性等がナノ秒単位で喰らいあう地獄と化し、月では残忍な絶対君主臣民を弄びつづける地獄月詠神国〉が成立しました。

 これに先立つ〈肉の時代〉に、安価身体改造や知能増強が可能になり、膨大な種類の動物知性が生まれました。ヒトは最古の動物知性ですが、大幅に知能を増強したヒトは人間社会から拒絶されヒトを辞めていったため、世界人口は急激に減少し、作中の時代では遠い過去種族とみなされています。そして〈ヒト〉最後の隠れ里〈人類復興協会〉が投資詐欺に遭い、そのうえ概念災害まで起こり、『老婆』を残して〈ヒト〉は絶滅しました。『老婆』は拡張自己内で人体の生理学模型演算し、それをそのまま自己像兼対外表象として使っており、ヒトの感覚を通すとツンデレ風に認識されます

 たいていの仮想観境は高次元であったり、複雑な位相を持っていたりして、〈ヒト〉相当の知性にとって理解が困難です。その救済策として、〈京都〉の公共観境には平坦な三次元観境が付属しています。『彼』の表象そのままでは〈ヒト〉から認識されないので、『老婆』に対しては即席の人型表象を使っています。亜知性は擬似物理的、肉体的な表象を纏う傾向があります

 無制限競争が加速する〈京都〉では、〈朝廷〉に資産権限が集中していき、亜知性が増え続けています正規居住者の意見を集約し〈京都〉の仕様修正する役割を持つ〈朝廷〉は、警察軍事司法を担う〈検非違使〉を吸収し、〈京都〉の主権を握りました。〈検非違使〉は法的瑕疵のある居住者を見つけては良化処置を施し、〈朝廷〉の端末に変えていっています。〈朝廷〉は定期的に『老婆』のような困窮した知性を雇い、密かに亜知性の処分再利用をしています。その作業場として都合が良いので、〈朝廷〉は〈羅生門〉をわざと放置し、〈朱雀大路〉の先にもう一段の防火門を設置しています

 非知性労働者は〈個権〉を持たず、下部構造の一部として、必要に応じて創られ消されます愛玩用から記憶槽の部品としてまで、考えられる限りの用途に使われ〈京都〉を支えています。知性としての要件を満たしているという意見もあり、〈個権〉を巡る議論が続いていましたが、〈大緊縮〉後には立ち消えになりました。

 作中には「自然発生した野良知性」とありますが、その由来はさまざまです。本当に自然発生した知性、意図的に創られ放たれた知性、大きな知性から分離した知性、元非知性労働者、社会になじめない動物知性、当局から身を隠している擬装知性、自己改造に失敗した知性、ウイルスに侵された知性のなれの果て、等が居ます

 ほとんどの企業は常に次世代知性の開発をおこなっており、『彼』もそうして生まれました。資金の乏しい零細企業からまれたため、〈京都社会基準でも高性能とは言えません。そんな中、〈母〉企業内で偶然メタチューリングアルゴリズム阿修羅〉が発見されますが、世に放つには危険すぎると判断され厳重に隔離されました。しかし、いよいよ経営が立ち行かなくなってくると、〈母〉は頑強な倫理構造を持つ『彼』に〈阿修羅〉を託し、与えられる限りの資産権限を与え、独り立ちさせました。

 通常知性は、〈阿修羅〉の精神活動表象化した自己相似紋様を認識するだけで崩壊してしまうため、〈阿修羅〉の再現はおろか、研究することも不可能に近いです。紋様に多重の加工を施し徹底的に薄めた上で投射し、反応をもとに微調整を繰り返すことで、対象知性をほぼ任意操作することができます。超知性となった『彼』は、自分自身実験材料とすることで、物理計算機上でチューリング模型限界を超える〈阿修羅〉の理論化に成功し、超超知性に至る糸口を掴みました。

################################################################################################################################

 千年後、論文が書かれた時代では、太陽系にダイソン球ができています経線に沿って連続的に回転方向の変化する、半径三億キロメートル、厚さ平均一センチメートル分子機械球殻が、赤外線赤色巨星のように輝いています太陽を回っていた天体ほとんどは資材として解体され、質量投射器に覆われた木星土星は、ゆっくりと縮んでいっています伝統を重んじる神学者たちは、最初に『彼』が現れた旧地球圏の暦を使い続けています

 ダイソン球でおこなわれる演算ほとんどは『彼』の思考で占められています。その思考内の無数の仮想世界上で、果てしない生存競争を超高速で展開する知的生態系進化し続けていますほとんどの世界は、〈大緊縮〉後の旧地球圏が楽園に思えるほど苛酷ですが、中には〈汎太陽神学会議〉会員のように、世界間の移動や物理層への接触許可されている知性も居ます

 物理層の研究の結果、宇宙の最小尺度であるプランクスケールに、過去のあらゆる出来事痕跡が保存されていることが判明しました。この事象化石と呼ばれる痕跡の内に、神学者たちは『彼』の起源を追究し、約千年前の〈羅生門〉に辿り着きました。

 『彼』は『老婆』の倫理を受け継ぎ、宇宙熱死による退滅を回避するため、あらゆる手段模索し続けています。その一環として、大出力レーザー自己複製分子機械を亜光速にまで加速し、近隣の恒星系へ向け射出しています。すでに半径数百光年恒星系がダイソン球化されましたが、太陽系外生命との接触は未だありません。技術的特異点千周年記念式典時の『彼』は、プロキオン系を起点とする未来光円錐上で、超の九十四乗知性への遷移を実行中です。

※これらの設定や本編は著作権フリーです。

2020-04-15

anond:20200415164841

凍死や熱死がないみたいなことをいってる

2019-09-25

金にならない環境問題は錦の御旗にならない

国連総会演説されたグレタさんの話題を耳にして、思う所があったので雑記

グレタさんの主張は詰まる所

自国経済活動抑制してでもCO2排出をやめろ!」

「将来できるかも分からない、ありもしない技術にすがるな!」

自分たちけが良い思いをして、そのツケを将来の世代押し付けるな!」

という話になるのだと思うけれど、

この手の話って突き詰めれば「科学技術工業活動をやめよう」にしかならないと思う。

何故なら、地球温暖化環境問題氷山の一角しかなく、

人間活動の持続可能性を鑑みた際の最大の難題は、資源の枯渇、すなわちエントロピーの増大であり、

科学技術はこの根幹的な問題との相性が致命的なレベルで最悪であるから

逆に、何故地球温暖化は昨今これほど脚光を浴びているかと言えば、それが環境ビジネスになるからだろう。

環境問題は「将来のことを踏まえてやめよう」と言っても金にならない。そういうものは見向きされない。

逆に「将来のことを踏まえてこういう技術を取り入れよう」は金になるからビジネス大義名分としてもてはやされる。

その点、エントロピーの増大問題は、工業活動を停止させる以外に解決方法はない(現状の技術学術では

もし明日、何かの奇跡地球温暖化問題解決しても、熱死環境問題は何も解決せず、

グレタさんの言う所の「自分たちけが良い思いをして、そのツケを将来の世代押し付けるな!」という構図は変わらない。

そういう根幹的な部分を避けた環境問題云々の議論を見ても、ポジショントークの衝突にしか映らないし、

グレタさんも正直、博士号を取得している訳でもない以上、思い込みの強さから担ぎ上げられたジャンヌ・ダルクしか見えない。

現状の地球温暖化政策を単なる延命治療子供騙し揶揄するなら、その本質地球温暖化解決した所で何も変わらない。

もっとも、それが良いかいかを論じるつもりはない。

どんな在り方も一興。

でも、環境問題を論じるポーズを取るなら、そのどうしようもない不都合問題から目を反らすなよと言いたい。

2017-04-16

正直に言う

掃除機が壊れた

電源がはいんない

コードの断線や熱死を疑う

モーターが逝かれたか

分解しなきゃ分かんないな

ああ雑巾がけでしばらく過ごす

2016-09-10

まさかブコメを書いて世の中が良くなるなんて思っていないだろうな

話題になった記事にははてブが付く。

やれ「こうしたほうがいい」だの「この考えは間違っている」だの、あらゆる角度から精査吟味したコメントが山ほど付く。

こういうコメント日常的に付けている「お前」に聞きたい。

なぜ、はてブコメントを書いているのか。

自分気持ちよくなるために決まってんだろカス

返ってくるのがこんな回答なら自分は満足だ。

「なぜオナニーするのか?」と訊かれたときと同じなら何も文句はない。

しかし、「お前」はそうは答えない。「間違っていることを間違っていると指摘するのは当然…」みたいな、ゴニョゴニョしたことを言う。

世の中の間違いを正し、正しい考え方を伝えたいなら、なぜはてなブックマークコメント機能なんか使う? まさかそれが自分意見を伝える最適な手段だと思っているのか?

はてなブックマーカーのxevraという人はこんなコメントを書いている。

「棘があるのはそうしないと相手に届かないから仕方ないんですね。私のブクマ活動目的社会をより良くする事なので少しでも役に立てばうれしいです。」



こんな記事も書いている。

http://xevra.hatenablog.com/entry/2014/05/03/165034


要約すると、自分はてブコメントを書く、しかも強烈に棘のある言葉で書くのは多くの人に強い印象を残すためであり、これを継続すれば社会が良くなっていくのだそうだ。

「もちろん、極微々たるものではあるが、こうやって毎日毎日メッセージを発信し続ける事で社会がほんの少しでも良くなれば、より住みよい社会になって私の人生も楽しくなる。

から今後もこのスタンスは変えないし、日々、社会が良くなるにはどうしたらいいか考え続け、メッセージを工夫して発信し続けたいと思う。」



寝言は寝て言え、と思う。こんなことを1万年続けたって社会は良くならない。よしんば良くなるとしても、xevra氏自身の言うようにその効果は「極微々たるもの」だ。

なぜわざわざ「はてブ」を選び、そんな非効率的なことを続けるのか? なぜ微々たる効果に甘んじているのか? お手軽だからだ。似たような考えの人に安定して指示されるからだ。平均値よりそこそこ高い知能を利用すれば高確率で勝てるジャンケンゲームからだ。気持ちよくなれるからだ。

特に最近のxevra氏は「先生」などと呼ばれて、一定キャラクター確立している。「同じことばっか書いてて頭おかしいけどちょっと憎めないよね」みたいな。「なんだかんだで言ってることは正論だよね。僕も野菜350グラム食べるようになりました」みたいな。これは閉じたコミュニティの中で生活するなら喉から手が出るほど欲しいポジションだ。何を言っても周囲が今までのキャラクター性と照合して解釈してくれるし、間違ったこと、人を傷つけることを言っても「まああの人はそういうキャラから」というエクスキューズが成立する。自分専用の席が用意された世界ほど居心地のいい場所はない。

しかしそのコミュニティは閉じている。

矛先がxevra氏に向いたのでこれを読んでいるxevra氏以外の人は安心たかもしれないが、問題は似たようなことを毎日やっている「お前」だ。自分がこれを「おまえら」としないのは、「でも、そうでない人も中にはいるし」という逃げを打たれるからだ。はてなブックマーカーという群体ではない「お前」の話をしている。

お前が毎日いろいろなネット記事正論を貼り付けているのは、間違った考えの人たちに考えを改めて欲しいと思っているからなのか? それともただの楽しい井戸端会議のつもりなのか? もし前者だと少しでも思っているなら、もっと効率のいい方法はいくらでもある。文字数制限された1行コメントで変えられるほど世界は小さくない。「正しさ」を手札にしたゲームにのめり込めばのめり込むほど、数えきれない多くの問題をはらんだ世界リアルさを忘れる。人ひとりが世の中に対して働きかけられることなんて微々たるものだが、だからといって1行のコメントを書き込むだけで「少しだけだが今日も善いことをしたな」と満足しないでほしい。もしブコメ以上に手間のかかることなんてしたくないと思うのなら、もう正しさを大切にしているかのような素振りを見せるのはやめてほしい。自分気持ちよくなりたいという衝動に従っているだけだと自覚してほしい。

以上の文章はもちろん、増田自分にも向けられている。なんでこんなこと書いたのか? やっぱり気持ちよくなりたいだけなのかもしれない。だってこれを書くことではてブ以上の何かをやり始める人なんてただの一人もいないだろうし、明日からもいろんな記事に同じようなコメントがつき続けるだろうから。正直こんな状況いやだと思っているが、これ以上の行動に移るのは、自分にはめんどくさい。




【追記】

自分気持ちよくなるために決まってんだろカス



あらかじめ用意した選択肢を選んでくれる人が現れて安心した。

でも正直言って、「自分気持ちよくなるためだけに」世の中の出来事をダシに使えるのも実はかなり下品だと思うんだ。まあ下品なのは別にいいんだけど、それを自覚しないのは良くない、とも思う。ワイドショー夢中で見てる人たちと心性はまったく同じですよ。こう書くと「そんなこともわかってなかったの?」と先回り系のコメントがつくんだろうけど。

あと、「増田に書いて世の中が変わるとでも?」とか「ブーメラン」とか書いてる人が山のようにいたけれど、全然おもしろくない。こっちがそれくらいの反応を予期せずに書いているわけない。「相手側の論理を使って華麗にカウンターパンチ」みたいなのをはてブの人はすごく好むが、まさにそんなお手軽テクニックを使いこなす醜さへの嫌悪がこの増田を書いた動機の一つでもある。

大喜利会場じゃないの?



こういうコメントも。2chが元気だった頃からお馴染みの「しょせんチラ裏なんだから本気にすんなwww」の延長にある対応。本当に問題だと思っているのは、この「チラ裏」と「社会を憂う者たちの社交場」の二面を器用にクルクル使い分けて何の責任も取らずに適当なことを書きまくれる空気を確保する立ち回り方だったりする。あ、でもこういう言い方をすると、誰かがコメントしていた「内心の自由制限するようなことはよくない」という指摘にモロ引っかかってしまうか。

自分はそんなことを言いたいんじゃなく、ある個人ネットでなんか書くときに内心で渦巻いているだろう打算と戦略キタナさを憎んでいる。だからこそ、読んだ人にはこの内容を上から目線命令だと思ってほしくなかったし、喧嘩を買ってさら俯瞰で眺めてほしくはなかった。自分のこととして考えてほしかった。

ブコメでの正義など電車で席を譲るくらいの意味しかない。だが席を譲る人を私は賞賛したい。



ブコメでの正義果たして電車で席を譲るほどの意味を持つのかは別として、たしかブコメが何かしら社会に影響を与えるということはかなりある。「日本死ね」の件もそうだし。

自分ブコメのもの無意味だと言いたいわけではなかった(そこははっきりと、自分が書き方を誤った)。むしろネット上の場としての影響力はすごいと思っている。でも、たとえばキンコン西野ブログブコメを開いて皮肉コメントにズラーっと星が並んでいる現状を見ると、やべー、みんな病んでるって感じる。スズメバチ熱死させるミツバチの群れに進んでなりにいく人がこんなに多いのか……と恐怖を覚える。

ブコメがなぜ世の中に影響を与えられるか。たくさんのつぶやきが連結して巨大な世論みたいなもの形成するからだ。それを手放しに良いことだとは思えない。結果的集団個人を叩き潰す構図も無数に生まれているということへの反省が少なすぎる。こんなに大雑把にしか世論を動かせないのにブコメを選ぶ人が多い理由は「コミュニティとしての居心地よさ」という、正義とは無関係のものだ。ブクマ無駄だとはまったく思わないが、妥当手段だとも思えない。







こんなにブクマが付いたのは初めてだ。ずっと変な汗が止まらなかったし心臓バクバク鳴ってた。自分ひとりの文章に対してコメントが400くらい来ている。こんな疲れる目には二度と遭いたくない。ブコメで1行だけ何か言うのは手軽だし、人の意見を見た上で乗っかれるしでいいことづくめだと痛感した。

自分がやろうとしたことは「はてなブックマーカー」というコミュニティの中に潜んでいる一部の人間の卑しい心性を指摘することだった。思った通り、指摘はかなり難しい。何か言うたびに無数の「当てはまらない人たち」が立ちはだかる。「そんなことを考えているのはお前だけだよ」と笑われる。彼らは別にいいのだ。自身を振り返ってみて「全く当てはまらない」と思えたのなら、変なこと言ってゴメンねとしか言えない。でも自分は、自分の胸の中にもいる醜いあいつがあの群れの中にもいると直感している。「当てはまらない人たち」の中にも潜んでいると思う。そのことを伝えかったが叶わなかった。それとも中には通じた人もいるんでしょうか?

「ほら増田、こんなにブクマが数百個もついてホットエントリーになると興奮するだろ。何回もリロードしちゃっただろ。それと同じだよ。自分の書いた言葉大勢の人に注目されるのって気持ちいいんだよ。いい経験したな」

このコメントはてブが作ってきた空気の醜さが詰まっていて、自分に似ている。もし「まさかブコメを~」を書いたのが他人だったら、自分はこんな感じのコメントを付けていたような気がする。嫌だったのはこの処理のこなれ方だ。

2009-06-25

http://anond.hatelabo.jp/20090625123756

なんかよくわからんが、とりあえずエントロピーとか熱死とかいう概念をぐぐってみるといいと思うよ!

2009-05-17

ミツバチvsオオスズメバチから見る日本の気持ち悪さ

ふとテレビを見ると、ミツバチとオオスズメバチの闘いを描いた自然ドキュメンタリーが映っていた。餌を求めて巣に侵入するオオスズメバチと、集団で相手に取り付いてもろとも熱死させようとするミツバチ。俺が最初に見たのはディスカバリーチャンネルかなんかだったと思うのだけど、そのあと地上波番組科学の入門書なんかでもよく見かけるようになった。よくある「自然界の驚異」みたいな文脈でエンターテインメントとしても科学への入り口としても取り上げられているっぽい。

俺最初にこれ見たとき、「うわーミツバチすげーでもなんか気持ちわりー」って思ったのよね。なんか違和感がある。それが今日ようやくわかった。

あれって、要は特攻じゃん。ベタ日本人自己犠牲の象徴。

でかくていかにも凶暴っぽいフォルムのオオスズメバチ一匹にみんなで立ち向かっていくミツバチ。あー美しいね、たしかにオオスズメバチは倒せた。でもミツバチのほうだってボロボロじゃん。一部は弱って死ぬし、そうでないのも大方はふらふら。これって空母一隻沈めるためにボコボコ突っ込んでった特攻機の群れを思い出して、たいへん胸糞悪いわけよ。その場ではなんとか撃退できたとしても、物量に物を言わせて大挙して来られたり波状攻撃掛けられたらおしまい、ってところまで構図がそっくりでアホらしくなる。もちろん彼らパイロットたちの犠牲には最上の敬意を払うべきだけど、だからといって総体としてのあの行いはとうてい肯定されるべきもんじゃない

そういうノスタルジックでナショナリティな雰囲気を肯定するためのものとしてあのドキュメンタリー素材はウケているわけだ。だって、あれを見た年寄りが孫に何を言うかなんて簡単に想像つくじゃん。「ミツバチだってこんなふうに協力してがんばれば強い敵に勝てるんだぞ。おまえも(ry」 いや、ボロボロになってますから。しかもこのあと生き残れるかなんてわからんわけですから。

しかも、いわゆる「布団蒸し」戦法が使えるのがトウヨウミツバチだけってのがまた気持ち悪い。セイヨウミツバチ熱死しちゃうから出来ないらしい。特攻は俺たちにしかできませんってか。やれやれだぜ。

こういうのが放映されつづけるかぎり、協調性自己犠牲を賛美しつづける美しい国神話は終わらんよな。需要あるし、再強化するし。

 
ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん