はてなキーワード: おしまいとは
考え方がゆがんでるところがあるんだろうなあ。
大学では好きなコに告白したり、社会人で頭おかしくなったときは身内にも話して助け船を出したりもしたが、ぜーんぶダメだったんだよね。返ってきた反応は拒絶と無関心だった。別の身内にだって、同じように頭おかしくなって病院いってる「前例」なんてたくさんあるんだけどね、それでもなお、関心を示そうとしないんだ。
実の息子が鬱でアタマおかしくなって死にそうで助けを求めて駆け込んできて、それを蹴飛ばすんだね。
コミュニケーションの薄い家庭だとは思ってたけど、いざというときは助けてくれたりした芯の通った家庭だと思ってたんだけどね。
だから、もう誰にも頼ろうとしない。頼れるものは自分だけだから、自分が倒れたらそれで自分はおしまいだ。自分を支える外的要因はどうやら何も無いらしい。そう悟ったから、自分ひとりで生きていった。そんで、なんとか三途の川から戻ってきたところです。
おかげで、三途の川がどこにあるのか場所が分かったので、ああ、今度そっち行くことがあったら死ぬんだなってわかった。親にいろんなものを求めすぎるのも無理な話なんだなあ。って。
関心を持って、話を聞いてくれる人がいたら、また違っただろうね。おれの人生は。
だから、自分から人に何か働きかける、っていうことが少し億劫なんだよね。ま、まーたどうせ話し聞いてもらえないんだろうなあ。って思ってしまう。だから2chが必要なんだよね。
「愛を知らない悲しい暴魔~」って。
愛が足りない → 暴れる → 正義の味方に退治される。
僕が育った環境はLower middleかなあ。たぶん。
こんばんは、今日は君たちにSNSやTwitterのちょっとだけ先輩である、お兄さんから2点ほどアドバイスをしたいと思うんだ、退屈だと思うけど少しの間だけ我慢してお兄さんの話を聞いてほしい。お兄さんからのお願いだ。
さて、加齢臭のするくさい大人たちが帰ったところでお話を始めるね。
SNSやTwitterというのはいつも誰かが見張ってるような場所なんだ、そうで無い場所もあるんだけど、見張ってる場所の方がいっぱいある。
そんな場所でイケナイ発言をしてしまうと大変なことになってしまうから注意しよう。
例えば、君はおそらく思春期だから色々と悪い事もしてしまうかもしれない、だけどそんな時にSNSやTwitterで簡単にそんな悪い事を書いたら駄目なんだ。
何故かというとインターネットの世界にいる大人たちはみんなアンパンマンみたいな正義の心に溢れた人ばかりなんだ。
だから君が悪い事をしていると怒ったり、制服のおじさんを家に向かわせたり、学校の先生や、えらい人にチクったりするんだ。
お兄さんがインターネットをやってきてイケナイ発言をして制服のおじさんに連れて行かれた人は何人も見てきてる。
だからこれからSNSやTwitterを始める君たちにはいつも誰かが見張ってるという事を覚えてて欲しいんだ。
これが実はそうでも無いんだ、ここがお兄さんが今日、君たちに伝えたい大事なポイントだからしっかり聞いて欲しい。
サッカー部のリーダーの君はとても人気者で隣の学校にも名前が知られてるんだ。
そんな時、隣の学校のサッカー部のリーダーが君のところにやってきて、『お願いがあるんだ、今度の日曜日に君のチームと練習試合をさせてくれないか?』と言ってきたとしよう。
この時きみは隣のサッカー部のリーダーにお願いされた事でちょっと気分が良くてチームメイトに相談しないでオッケーしてしまうんだ。
ここで重要なのは2つ、君がサッカー部のリーダーという事とチームメイトにちゃんと相談しなかったという点なんだ。
君がサッカー部のリーダーではなく野球部のリーダーだったら、隣の学校の人は野球部のリーダーの君に聞くよりもサッカー部のリーダーに聞くだろ?
君が練習試合の返事をする前にちゃんとチームメイト相談していたら、日曜日には全員、揃ったかもしれない。
君がサッカー部のリーダーでとても人気者で天狗になっちゃったばっかりにこんな大変な目にあってしまったんだ。
例え話が長くなっちゃったけど、お話に戻るね(ごめんね、後もうちょっとでお兄さんのお話終わるから、お話終わっら遊びにいっていいからね)
このサッカー部の話はSNSやTwitterにも当てはまるんだ、だから君が大人なってお兄さんよりも、もっともーっとえらい人になった時に責任と相談を忘れないように注意して欲しいんだ。
以上でお兄さんからのお話はおしまいです。みんな長い時間聞いてくれてありがとね。
まぁ誰とは言わないけどね…
いまを遡ること20年ほど前、私がおむつを履いていたくらい幼かったころの話、
おじさんと私との関係はまあいろいろあって、ここで説明するのは割愛しますが
とにかくおじさんは、とある事情から一時的にうちに身を寄せていた人で、我が家の誰とも血縁関係はなく、全くの他人でした。
私が長じてから親に聞いた話では、当時おじさんは居候の費用を払う余裕がなかったため
家事をしたり私の面倒をみたりすることでその対価としていたそうです。
当時我が家は父だけでなく母も外で働いていたので、保育園で補うことができない時間はおじさんが格好のベビーシッターだったのでしょう。
私にもおぼろげながらおじさんと一緒に幼児番組をみたり公園に連れていってもらったりした記憶があります。
しかし如何せん遠い昔の話なので、印象的な出来事以外のことはあまり覚えていません。
長じてからの私は、赤の他人のおじさんとの共同生活、というぼんやりとした記憶を、なんとなく面白く感じていました。
話はがらりと変わりますが、私は中学校に上がる前からパソコンを買い与えられ、ネットサーフィンのうまみにどっぷりハマりました。
その年齢の子供の興味のあることといったらもちろん性に関することです。私も多分に漏れずネットに性教育を施されたようなものです。
2chような、男性の(あるいは露悪的になりすぎているほどの)本音が聞ける場所にも頻繁に入り浸っていたので、
レイプやロリコンなどといった一般的にはよろしくない性的嗜好も、ある種の冗談として何の抵抗もなく受け流すことができます。
彼等は、YesロリコンNoタッチ(YesレイプNo実行という文句があるかどうか知りませんが)を尊守する愉快な紳士だということを、私は知っています。
数年前、「おむつかぶれ」で検索すると幼児の陰部の画像が大量にヒットするという事実がVIPかどこかで面白おかしく紹介されていて、
これはやばいだろwwアグネス来るぞwwと私も草を生やして喜んでみたのですが
その、おむつにかぶれた幼児たちの尻や、小さな小さな局部の写真を見ているうち、
なにか今まで忘れていたものがいっぺんに頭の中に思い出されるような、思い出してはいけないような、思い当たってはいけないような、そんな恐ろしい気持ちに襲われました。
今まで海馬のどこに刻み込まれていたのか不思議なくらい膨大な量の記憶が、いっぺんに頭の中で再現されました。
父も母もいないとき、おむつを変えてくれるのはおじさんの役目でした。
おじさんはいつも、「カユイカユイになったら困るからね」と、私の陰部をおしりふきシートで拭いてくれました。
おじさんは指をつかって、私の陰部のすみずみまでシートをさすり込みながらマッサージしてくれました。
おじさんは「ここにアカが溜まると病気になるから」といって、ある決まった場所を特に念入りにさすりました。
それがどこなのかはよくわかりませんでしたが、おじさんの暖かくて太い指でそこをさすられると、
なんだか居心地が悪いような、でもなぜか落ち着くような、奇妙な感じがありました。
その感覚が不思議で、なんとなく面白かったので、私はおじさんの手がそのあたりにゆくと大人しくさすられるのを待つようになったようです。
「そんなに触られたいんか。ほんまはあかんねんけどな。ここはママやパパにはナイショのところやで。触り過ぎたら病気になるから、ママに言うたら怒られるからな」
そういってひとしきり秘密のマッサージを続け、最後はおじさんが「もうおしまい」と言って、おむつをペリペリと閉じて終わります。
あの感覚が終わってホッとするような、でも名残惜しいような、もやもやする感じが残ったことを覚えています。
一連の記憶を一気に思い出した私は、ドラマのようにすぐさま洗面所に駆け込んで吐くというようなことはしませんでした。
ただうっすらと体温が下がったような、背中に寒気が這い上がってくるような、不快な感じがしただけでした。
私はそれまで、フィクション上のレイプやロリコンといった嗜好は、「実際の被害者がいないから、悲しむ人が居ないから」よしと考えていました。
おじさんのしたことは、客観的に見ればペドフィリアに類されるような、幼児に対する性的いたずらでしたが、
実際の被害者であった当時の私は全く悲しんではいませんでしたし、拒否もしていませんでした。
おじさんの指の動きがなにを意図しているのか知る由もなかったからです。
即時的には悲しむ被害者がいない性的虐待というのもあるのですね。
不発弾のような性的虐待、あるいは地雷のような性的虐待というものがありうるなら、おじさんの所業はまさにそれだったと思います。
おむつかぶれの一件が刺激となって、それまで眠っていた爆弾が起爆し、おじさんとのナイショの記憶の破片が私の脳内に突き刺さりました。
やりどころのない、そして消えることのない、熾火のような静かな怒りと悲しみが、あの時以来私に刻み込まれているようです。
もし私が一生あの記憶を甦らせることがなければ、私は傷つかずに済み、おじさんのしたことも永遠にナイショのままだったのに。
おじさんがいまどこで何をしているのか私は知りません。
両親に聞けばわかるかもしれませんが、聞きたくありません。
いくら居候で家族同然とはいえ、父親でない男性に愛娘のおむつを変えさせて何の警戒もしていなかった両親に恨みも覚えています。
とりとめもないですが、以上吐き出しでした
下記の文章を送信しました。
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本来、大阪市に住むものではないので、大阪市の税金の使い道にあれこれ言うのは筋違いかもしれませんが、
送信させていただきます。
必要になってきてしまうのではないでしょうか。
さらに、それらは買っておしまいではないのです。
常にメンテナンスが必要で、その維持費もバカにならないというところです。
大阪市音楽団は、東京で営利団体化し、商業吹奏楽団として変化するのであれば、
採算が合わず、解散ということになってしまう危険性をはらんでいると考えます。
これは、京阪神地区で吹奏楽の演奏活動を通じて子供の情操教育や、
楽器演奏への間口を閉ざしてしまう結果となりえると考えています。
まずは、「市民の対価への考え方を変える」こと。
このように私は考えております。
突然民営化するには大阪市音楽団をただ潰すということになってしまうことから、
そうならないように必要な環境の整備を同時に行いつつ、
段階的に民営化することは、
そして問題なのが、大阪市音楽団は全国でも数少ないプロの吹奏楽団である。
というところです。
これを潰すようなことになってしまうと、全国の音楽・吹奏楽愛好家に申し訳が立たないと同時に、
学校教育で吹奏楽で目標・指標となるものがひとつ消えてしまうことになります。
どうぞ、この点をお汲み取りいただけます様。
宜しくお願いいたします。
Web上を探しても情報が見つからなかったので、ここにメモしていきます。
FireFoxやChromeな皆さんは、Operaをインストールしてからまた来てね♪
<手順>
1. このページの一番上にある増田の検索窓を右クリックし、検索エンジンの作成を選びます。
2. 名前に「英辞郎」、アドレスに「http://eow.alc.co.jp/%s」と入力。キーワードはお好きなもので。
4. おしまい。
英辞郎はなぜか右クリックから直接登録できないので、自分でアドレスを入力して追加しなくちゃいけません。
この時、検索エンジンの編集で新規に追加すると文字コードがiso-2022-jpで登録されるんですが、異なる文字コードを使っているサイトに対応させるにはsearch.iniっていう設定ファイルの該当部分をちょこっと直してあげなきゃいけません。(ちなみに英辞郎はUTF-8。)
設定ファイル探して、テキストエディタ開いて…ってのはちょっとした手間です。
だったら文字コードが一緒の所で先にダミーを作ってあげて、アドレスだけ直した方が手っ取り早いよね、ってことです。
文字コードがUTF-8の所であればどこでも同じように登録できます。Google翻訳やニコニコ動画でもOK。
ちなみにDMM.R18は違いました…。
「死人に口なし」をいいことに後から根も葉もないことを言われないよう
自分がなぜ死ぬのか、その理由とこれまでの苦しみを箇条書きでまとめていく
自分のせいなら自分が何をやらかしてしまったのか包み隠さず書く
誰かに酷いことをされたなら(別の誰かに濡れ衣を着せてしまわないように)
どこからも誰からもぐうの音の出ないくらい因果関係をはっきりさせて
「これが理由です、他のことは一切関係ありません」と書く
とにかく後腐れのないようこれでもかと丁寧に書く
仲良くしてくれた友達にはお礼を言う 育ててくれた親には懺悔をする
すると、ひとつひとつの出来事をひどく冷静な頭でふり返ることになって
それまで悩んでいたことの解決策が 突然ふと見えてきたりする
時には「何かこれ、死ぬほどのことじゃなくね?」と思うこともある
ある種の背徳感を覚えていつの間にか気分がハイになることもある
この遺書が公開されて、あいつが社会的にひとごろしのレッテルを貼られて
学校や会社を追われてひそひそ言われながらやつれて生きていくところを想像して
ビリビリに破いて捨てるのもいい
それでおしまい
もし、書いても書いても立ち直れなかったら、
その時はそのまま、その遺書が使える。
http://anond.hatelabo.jp/20091018173611
http://anond.hatelabo.jp/20110612211158
ここ数年、ほれた女と付き合いたいというリビドーだけで突っ走ってきたが、
紆余曲折あったあげく、学生時代のバイト先の後輩と、10月くらいから付き合いだした。
初めての彼女になるのだが、かつて想像していたような高揚感や胸の高鳴りはない。
ただひたすらにいとおしいく、大切にしたいというか、
さて、ここ半年くらいの話。
会社での人間関係に嫌気が差していたので、仕事に打ち込むことで気を紛らわした。
仕事で成果を出して名誉回復をしたいというのももちろんあったが。
もともと、上司には認められていたので、メンタル的に問題なさそうだとわかると、
仕事はすぐさま降ってきた。
古いまま放置されていた業務マニュアルの改訂や、英文ドキュメントの翻訳といった
同僚たちからは何かに憑かれていると言われるくらいだった。
そんななかでも、女の子と遊ぶのは欠かさなかった。
というよりも、ムリにでも遊ばなかったら精神をやられて廃人化していただろう。
平日の終電で女の子の最寄り駅に行き、朝まで遊んで始発で出社、
短い仮眠を取り、栄養剤を飲んで何事もなかったかのように仕事に向かう。
体重は10kg近く落ちた。
初対面の相手に対して、抱き心地がよさそうとか、
おおよそ昔では考えられなかった想像をするようになったのもこのころだ。
以前は好みだったスレンダーな体系の女性にさほど魅力を感じなくなった。
失敗もした。地方の女子大生を、都心のホテルのバーに連れて行き、
こんなラフな格好じゃつりあわないと恥をかかせたこともある。
そういった中で、かつての一途な純粋さがいつの間にか失われていたことに気づいた。
ただ、2回、3回と定期的に会うようになったのはその中でも4人。
最終的に、その中の一人から告白される形で付き合うようになった。
以前思いを募らせていた相手とは正反対のタイプだったが、
適度に隙があるというか、無理をしなくてもよくて、
一緒にいると落ち着けるのが心地よかった。
そういうわけで、ここ2ヶ月ほどは、
俺自身の破滅的な振る舞いも落ち着いて、
俺の話は以上でおしまい。
せっかくなので、機会があればここ数年間の経験で、
有用だったことや気づいたことを書いてみたいと思う。
何か質問があったら答えます。
癌は発見が早いほど治る可能性が高く、遅れるほど死亡率が上がる。このような常識を持っていながら、殆どの人は早期発見の十分な対策をしていない。
年1回の適当な検診では不十分だと思われる。吉田所長は去年の検診で異常なしだったが、今年食道癌が発覚して退職(という情報がある)。
がん検診はご存じの通りコストが高い。金も時間もかかる。PET検査でも受けようなら15万とか。庶民にはきつい。
しかし癌になったら高確率で早死にするのである。この間も癌で妻を亡くすまでの詳細な手記が話題になっていたが悲惨だった。今年は川上とも子も死んだ。30や40代でこの世を去ることは多くの人に不本意だろう。俺なら金を払っても避けたい。死んだらおしまいだ。周りも悲しむ。
いいPCを買ったり趣味に金やコストを使うよりも、癌の予防に使うべきだ。「不幸な死を避ける」ことに、社会がもうちょっと本気出してもいいのではないか。
日本がこんな状況になってしまったのだから癌は「なったらしょうがない、多分ならない」じゃなくて、なるものとして死なずに済むことを考えようぜ。
サーバーは落ちる、バグは起きるとの前提で対策をしておくのと同じだ。そういうことには合理的で神経質になるのに、自分の命に無頓着っておかしいだろ。事の重要さを天秤にかけて、正しく判断できるのが頭が良いということだ。
ガチ無知というのは「HTMLとかの知識が全くない人」という意味です。他意はありません。
先日「WEBサービスを作りたい!」と思い立ったガチ無知の自分。まずHTMLから勉強した。そんな自分の理解を復習ついでにまとめてみる。
まあはてな界隈では少ないだろうけど、俺と同じガチ無知の人がいたら、HTML/CSSについてイメージが掴める、かも。間違ってたらごめんね。
HTMLをプログラミング言語みたいなもの?と思ってた人。(少なくとも俺はそうだった) 違います。
じゃあHTMLとは何か。文章を飾り付ける魔法だ。飾り付け。それ以上でもそれ以下でもない。
世の中には数多のサイトがある。数多のデザインがある。アレ全部文章の飾り付け。画像?Flash?飾り付けだ。
HTMLは、ずらっと文字だけが並んでるとページが見づらいからそれを見やすくする魔法。とりあえずそう認識しとこう。
HTMLは「文章を飾り付ける魔法」だ。じゃあ魔法を使うにはどうすればいい?
呪文を使うんだ。35まで純潔を貫き通す必要のないお手軽な魔法だ。
じゃあ呪文の使い方をば。
[呪文 飾り付けたい文章] ←これを
[呪飾り付けたい文章文] ←こう
そう、挟めばいい。HTMLは範囲指定魔法。だから効果範囲を呪文で挟む。以上。HTMLの使い方解説終了。
↓これは、文章を強調する呪文。
<strong></strong>
で、↓この文章の一部に魔法をかけよう
HTMLは、"HTML is Text Markup Language"の略です
これを、
<strong>HTML</strong>は、"<strong>HTML</strong> is Text Markup Language"の略です
すると、
HTMLは、"HTML is Text Markup Language"の略です
こうなる、と。おしまい!
ここまででわかるだろうけど、俺の解説はものごっつい大雑把だ。
「呪文を強化する」 魔力を底上げするわけじゃない。魔導書は特定の呪文しか強化できない。
氷の魔導書を読むと、ヒャドは強化されるけど、メラは変化なし、みたいな話。
CSSと言う名の魔導書の書き方はこうだ。
強化する呪文名 { 強化内容 }
以上!
じゃあさっきHTMLの紹介で使った<strong>呪文を強化する魔導書をつくる。
strong {color: red;}
これは、strongに{color: red;}の効果を追加する魔導書。読んで字のごとく。色を赤にする追加効果。
さっきの飾り付けた文章が
HTMLは、"HTML is Text Markup Language"の略です
となる、と。呪文自体が強化されてるから両方赤になっている、と。
以上。終了。
さらっとメモ書きをするつもりが、すっげえ長々と書いてしまった。
まあインターネッツの大原則として、「間違ったことをドヤ顔で披露するとみんなに修正してもらえる」というのがあるので、このエントリもそういう役割を果たしてくれるんじゃないかな、、、
HTML4.0を勉強したんだけど、HTML4→HTML5の違いというのは、魔法を使う杖がランクアップしたようなもの、という認識でいいのかな?
「お金」って何だろう?生活するために絶対必要なもの。そうだね。
でも、お金ってものは本当は「リアルじゃない」ものなんだよ。あくまでイメージ。
リアルなのは「信用」とか「信頼」って言われるものの方なんだ。
だから、恐慌や天変地異が起きて、貨幣への信頼がなくなったときにはお金は単なる紙切れにしかならない。
僕は昭和55年生まれで、戦後間もないころの新円切り替えを知識としては知っていても、現実味のあるものとしては受け取れていない。
でも、日本においてはこの新円切り替えがここ最近で一番貨幣への信頼がなくなったときだよね。
多分、みんな薄々感じてると思うけれど、21世紀の「新円切り替え」は刻一刻と近づいてきている。20年以内には高い確率で起きるよね。
そう考えたら、20年以上先の年金の事なんか考えても仕方ないし、もっと別のことを考えるべきだよね。
「お金は信用の代わりでしかない。リアルではないもの。みんなが信じているもの。」という話しをしました。
そのお金を稼ぐために一生懸命がんばっているわけだけど、みんな大切な事を見落としているんじゃないだろうか。
「お金は信用の代わり」ということは「信用」のほうが本当は大切なモノなんだよね。
この「信用」というのがやっかい。目にみえない。
信用があるっていう状態はどういう状態かというと、僕の定義では
「お金は払えないけど衣食住の面倒を見てください」ってお願いして
まず快諾してもらえること。
そして「信用を積み重ねられる人」というのは
だから、なんらかの過去のしがらみで元々「信用がある」状態でも
面倒を見てもらっている間に何もしなければ、どんどん信用は世話人の中で消費されていく。
信用を積み重ねられる人というのは、消費される信用以上に世話人に対して信用を上乗せ出来る人のこと。
一人前になるっていうのは、この信用を上乗せ出来る人になることを言うのだと思う。
逃げグセがついたら、いつまでたっても逃げまわることになる。
言い換えれば、相手の言うことに対して、いちいち突っかからないこと。
自分に言われていないセリフであれば冷静に考えられるのに、自分に言われたときは冷静でいられないというのは相手と自分を同一視してしまっている。
もちろん自分に向かって言われているのだけれど、それを自分を肯定・否定したセリフだと受け取らないこと。
そうすれば毎回自分を守らなくて済むし、「何で?」と思ったことは素直に「何で?」と聞くことが出来る。
約束を守らないような人間は、例え大金持ちでも「幻想としてのお金」を持っているだけであって、いざというときに周りの人は支えてくれない。
約束を律儀に守ることによって、少しずつでも信用は蓄えられていく。
逆に約束を破った瞬間に信用はガタ落ちになる。最近で言えばオリンパスショックがまさにその典型だよね。
会話というのはキャッチボールに例えられるけれど、相手の求めているボールを投げてあげて
自分の求めているボールが投げられてきたら、そのキャッチボールはとても楽しいものになる。
信用というのは、こういう小さなたわいのないところでも形成されていく。
一般的に言うと、それは自己評価の方に疑いが残るものであり、『同じ部署の同僚とまったく同じ成果を出した』事実の検証が内内にて実行されるべきである。
多くは、これの実行ののち、「まあそうなるよね」といった結果に落ち着く。
あるいは、結果として「よくやった」と「金一封」の違いがあったのに成果の際が認められない場合は、自身の……精神的状況がダメージを負っている可能性が疑われる。よく言う「自己愛性なんちゃら」ってアレ。
増田は、そんなに褒められるほど仕事してんの? 本当に? それを疑いたいかい。疑いたくないだろう? でも、ここじゃ誰もそのことを認めてくれないよ。
増田に質問。
もし、同じ部署の同僚とまったく同じ成果を出して、部長に報告したとき
増田には「よくやった」の一言でおしまい、同僚は朝礼でほめられて金一封。
そういう扱いの違いがあっても「他人と比較し批判しても仕様がない」ですか?
2人で協力して同じくらいの労力でやったのに、感謝されるのはもうひとりの幹事ばかり。
最後に「じゃあ幹事に拍手~」で増田へのありがとうはおしまい。
・実家に帰るの多すぎ(出産とかあったんだからほぼ月イチだよね。新婚なのに!)
・妹自体のことは悪く言ってない。義両親の「妹の扱いと奥さんの扱い」が違うと言っている。
それが子供にまで及んだら…という奥さんの懸念は理解できる範囲。
・夫はまったくあてにならない(むしろ奥さんを悪く言うので後ろから撃たれている状態)
すごいブックマークだ。
今のところ5004users。と大反響なので、たくさんのトラックバックが付いていて、右往左往の状態みたいだ。
元ネタを書いた人も反響の大きさに驚き慄いたのか、元エントリに追記をするだけではなく、補足のエントリを書いたりしている。たとえば、
少し覚悟はしていたけど、左右両方に曲解されて極端なコメント(メンヘラがマクロビやったらすべてがうまくいった!のレベルの賛否になっていたりする)をもらうのはちょっと疲れたので、こういうことを増田に書くのはやっぱよくないですね。なのでこれでおしまいにします。
しかし、読者の誤解等について、繰り返し自らの真意をアナウンスする姿勢。これは非常に大切なことだと思うし、またネットという場所(ツール)であるからこそ可能なことだと思う。元エントリとそれに付随する一連のエントリ。なんだか立派だな。