はてなキーワード: ドキュメンタリーとは
AKBはCD買うほどはまってないけど、テレビで流れてれば見るし、ヘビーローテーションはカラオケで必ず歌う。あとYouTubeで検索してライブとかトーク番組とかドキュメンタリー見てると結構胸に迫る。
がんばってる女の子はやっぱりかわいいし、素直に応援したいなと思う。顔のパーツ寄っていると評判の前田さんも、ライブでキラキラ笑って踊っているのは十分かわいい。
AKBでよく言われるのは「がんばってる姿が良い」って意見。で、それを否定する「がんばってんのはお前らだけじゃねぇ」って意見や「ごり押しで売れてるだけ」って意見も多い。
たしかに寒空のストリートで歌ってる人だって、海外に渡ってダンスの修行してる人だって彼女たち以上にがんばってるのかもしれない。彼らだってスポンサーがつけば売れるかもしれない。実力があるのに運がないだけなのかもしれない。AKBの成功はごり押しのおかげかもしれない。
だからといって彼女たちの努力の価値が下がるわけではないと思う。
努力は必ず報われるわけじゃない。がんばれば優勝できるわけじゃない。甲子園に行けない学校もある。だけど私は努力が報われる姿を見たいと願ってしまう。世の中に少しくらい、努力が報われることがあったって良いじゃないかと。
そしてそんな願いを、たぶんあの女の子たちにも同じように託してる。
AKBは甲子園どころか弱小チームぐらいの力で、それがズッタズタのボロボロになりながら努力と団結と涙で乗り越えていこうとするんだから、スポコンだよね。応援したくなる。
あとK-POPも中々嫌われてるけど、政治的な話を抜きにすればそこまで酷くないと思う。
私はどちらかというと個性的な濃い目の顔が好きなので、韓流グループは見た目で区別できないんだけど(みんな薄味で似て見える)、踊りなどのパフォーマンスはやっぱり計算し尽くされてて魅力的だと思う。ショービジネスを極めようとするとこういう風になるのかなとか。
ドラマも、なんだかんだいって日本の少女マンガやハーレクインみたいな展開は王道にして正道に決まってる。それをまじめに丁寧に作るんだから、面白いにきまってる。かといって日本人がおんなじ演技をしたら暑苦しくて受けないと思う。あくまでも「外国人がやってる」ことがウケたんだろうなー。吹き替えとか字幕だと、暑苦しさも自然と受け止められるし、わざとらしいのも許される気がする。
なんか支離滅裂になったわー
他責的であるということは、歪んだ自責の裏返しなのではないか。
私自身にもその傾向があるが、何事も他人の責任にする人がいる。
傍から見れば迷惑この上ない人だが、実はその人の心の奥底では、自分自身を強く責めている何かがあるのではないか。そして、その何かが必要以上に自分を責めてしまうので、心のバランスを取るために、その負のエネルギーを内部で処理できずに、外に向かって吐き出しているのではないかと感じる。
私が何故そのようなことを思いついたかというと、今日たまたまNHK教育テレビで自閉症の家族のドキュメンタリーを観たからだ。
障碍を持つ家族がいるために、色々と振り回される。そして、誰も責める相手はいない。そのような状況の中で、不器用な人は上手く処理できず、「上手くいかないのは自分が悪いのではないか」と思いつめてしまう。自分の中に負の感情を溜め込んでしまい、負のスパイラルに落ち込んでいるようにも感じられた。
私自身も両親が障害者だったこともあり、ドキュメンタリーに出てきた家族の気持ちは少しわかる。
私も両親に対する怒りを感じることがあっても、「障害者だから仕方が無い」ということでどこか自分の中に押さえ込んでしまう癖がついていたように思う。
そのために、それが歪んだ形で外に向かうこともあった。
(現在は両親は亡くなり、そのときの気持ちを客観的に見ることが出来るようになりつつはある)
器用な人であれば、上手くその理不尽さを乗り越えられるかもしれないが、コツをつかめない自分のような人はどんどん不満を心の奥に溜め込んでしまう。
だからこそ、他責的であるというのは一つのシグナルだと思うのだ。
そういう人が職場や身の回りに現れたら、まずその人自身が自分自身を見つめなおすように促す工夫が必要だ。
下手をすれば、その人は一生中二病的な状況から抜け出せず、一生を棒に振ってしまうかもしれない。
取り留めの無い文章ですまぬ。
http://blog.livedoor.jp/himasoku123/archives/51683817.html
こういう「良質」な番組があったとしても、母ちゃんは即座にチャンネルをフジテレビに変えてしまうから見れない。
自分が見て、「俺のほうが賢い」って思えるようなニュース以外は見ないから。
父ちゃんはマスコミは腐ってるといって自分のプライドを保ちたいだけで
別に自分が勉強してるわけではない。踊らされてるのをわかってない分ある意味母親より頭悪い。
で、私だが、これも弁護するつもりはない。私もダメだ。
そもそもテレビ見ない。
特にそういう真面目な話しとかに興味が有るわけではないし、
BBCニュースとか見ても、見方がわからん。あれ結構観るために基礎的な教養が必要だと思う。
子供の頃から見てれば自然に受け入れられるのかもしれないけれど、
多分、日本人が完全に日本語に翻訳されたBBCを見ても、わからんと思う。
「日経新聞の読み方」なんて本が売れるこの国で、
そして、それをありがたがって読んでいる俺が、BBCニュースを理解できるとは思わん。
そして、みんなそのこと=自分はバカ、であることはよくわかっているが、
そのことを直視して受け止めるのがツラいので、
今日も一日バカ番組を見て何も考えないか、マスコミの餌に食いついてプライドを保つか、
ネットで他の人の手垢がベタベタついた偏見まみれの記事を真実と思い込むか、そんな事しかできない。
キャラクターの魅力はあったとおもうので、そういうのも大きかったけど
わからなくても、わかってる人間が並走してくれて、助けてくれると思うと何とかなる。
みんなニュースに興味がないわけではないが、見てもわからんのだと思う。
わかるなら見たいと思ってる人はいると思う。
しかし、誰もその役をやらない。代わりに、
そこでわからなくても楽しめるような「萌え要素」=ニュースで言えば犯罪とか政治家の失脚とか、お笑い芸人とかコメンテーターの耳あたりの良い無責任発言ばっかり散りばめられた番組を作る。結局それで見る人ってのは、人格的にブヒブヒ言ってる萌え豚と一緒で数が限られる。しかも先細りしていく。
ちなみに池上さんはわかりやすかったけれど、そしたらそしたで
「ニュースは池上さんがやってるやつだけみればいいや」という独占状態になっていたなぁ。
俺も、禁書のアニメについては、アニメ自体は4倍速で見て、解説を読むとかやってたけど。
本当は池上さんがやってるような個別に丁寧解説とか要約じゃなくて、自分自身でニュースやコンテンツが楽しめるようになるためのメタ的な情報が必要なんだろうな。
歴史知識ないやつ向けのコンテンツって考えると、大河ドラマのように説明のための尺が十分に取れる作品でもお江みたいなのになっちゃうようだし、まして1クールのドラマやアニメなんてどうしようもないし、ドキュメンタリーについても掘り下げがむずかしいとかになるのか。はははどないせーちゅーねん。
どれだけの人が、はじまって5分の映画で、涙するだろうか。
泣きすぎて頭が痛いし、呼吸困難な状態で、
まともに文章を書けない状態だが、どうしても綴りたい。
仕事を早く切り上げ、雨の中、足早に家路に向かう。
コンビニ弁当を食べながら、金曜ロードショーのラピュタをみている。
金曜日だというのに、予定がないのは嫌だなと思ったりもした。
でも、ラピュタをみはじめて、すぐにそんな思いが消し飛んだ。
この思いになれることが、
2年前と今は違う。
社会復帰して、それなりに認められ、それなりのお金を手にした。
だが、孤独感は、なにも変わっていない。
いつでもみられるラピュタ。
季節を感じながら、食べる食物のように、
時をかんじるようにラピュタを観る。
多くの人が、同じ映画をみて、違うことを感じる。
これが、テレビなんだ。
孤独はつらいけど、
これほど、せつない気持ちになれるのも、
私は、テレビ放送が終わらぬ限り、
ラピュタを観て、涙するんだろう、と思う。
時代は、変わっていき、
どうなるのかは、わからないけど。
こんな作品が作れること、
作品をみて、感じられること、
やっぱり、人間ってすばらしい、と思う。
だから、みんな、つらいけど、生きていこう。
私もつらいけど、これからさきも、生きていこうと思う。
ラピュタをみるたび、多くのことを感じたいと思う。
そして、いつか多くの人を感動させられるものを、私も作ってみたい。
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少し昔のことを思い出してしまった。
この思いを自分ひとりで閉じ込めておくことができなくなったので、
少し綴らせていただきます。
当時、私は知能が弱い方でした。
障害と認定されるレベルではないので、
そう綴ることは失礼になってしまうかもしれませんが、
詳細を書くと個人が特定されてしまう恐れがあるので、
避けさせていただきます。
イジメだけではなく、冷たい視線や同情、哀れみも受けてきました。
障害のせいかわかりませんが、私は心の成長が遅いようでした。
善悪の区別がつかなく、よく母を困らせていました。
そういったことが私にはまったく理解できず、
楽しいこと、いたずらばかりして
クラスで決める会が開かれました。
思い出に残る曲をみんなで歌いたいと
言って盛り上がっていました。
合唱曲を天空の城ラピュタのエンディング曲「君をのせて」にしたいと
当時の私は、天空の城ラピュタすら知らず
その女子を跳ね返していました。
男女合唱ができるようにしたみたいでした。
こういった歌謡曲は卒業するときにカラオケにでもいって歌えばいいんだ、
私としては、何事もなかったのと同じで
当時の記憶がどこまで正確かわかりませんが、
そのようなことがあったと思います。
この曲いいな、そういえばこの曲、合唱の課題にしようとしてた曲か、
あのとき歌えたら素敵だったろうな、と思いました。
時が経ち、私は大きく成長しました。
心も人並みに豊かになりました。
私の心には深く刻まれており、大変、価値のある思い出になっています。
私も、もう少し心が豊で
と後悔してせつなくなります。
私の心は成長したのだと思いました。
次のラピュタでは、私はどうなっているのでしょうか。
終わり。
私の近況も少し綴らせてください。
心は成長しましたが、障害の方は変わっていません。
年とともに悪化しました。
いくつかの病院にも行きましたが、治りそうもありません。
治る代物ではないので、返答に困ります。
そのおかげで、ある程度、人気者になれました。
でも、ある日それがとてつもなく嫌になってしまい、
他人とコミュニケーションを絶つようになりました。
今は誰とも接しない日々が続いています。
障害を乗り越えて何かを生みだしたいなと
泣き言ばかりで・・・。
ドキュメンタリー見ながら考えた。
もし、俺が生卵を誰かに投げつけたら、
俺はすぐに捕まるだろう。
たぶん傷害で。
もしかしたら、俺が生卵投げつけた人が心優しい人で、
「君も何か事情があったんだろう」「なにかが君にそうさせたんだろう」なんて言って、
きちんと謝ったら、ちゃんとクリーニング代を出したら、
それなりの誠意を見せたなら、悪いと感じたなら許してあげる、なんて言ってくれたとして、
俺がそれを無視したら、
もしくは、「そうです。社会が俺に生卵を投げつけさせたのです」なんて、真面目な顔で言い切ったら、
心優しき人も堪忍袋の緒が切れて、
やっぱり警察官がやってきて、
俺はきっと捕まるだろう。
こんなことをしたら、家族は、俺を助けないし、俺を見捨てると思う。
誰かが悪いんじゃなかったら、
なぜ、それは裁きを受けないのか。
なぜ、それは壊されないのか。
ましてや、誠意も見せず、分厚い書類を突きつけて、
「お前の被害金額をここに書け」とか、
「私自身はなにも悪くはありません。すべてはあの天災のせいなのです」とか、
こんなことをしても、国は、それを助けてる。
もし、生卵を投げられても、投げつけられた人の生活はほとんど変わらないだろうが(目に当たる、とかじゃなくて服に当たったとして)、
もし、放射能を投げつけられたら、生活は一変する。
もし、俺が生卵を投げたら、一人の人が傷つくけど、
もし、放射能だったら、大勢の人が傷つけられる。人だけじゃなくて、動物も、土地も、名前も、経済も、食も。
放射能の放出を止められなかったのは、その会社だけじゃなくて、監視できてなかった国も悪かったから、
指摘しなかったメディアも悪かったから、長年利用してきた市民も悪かったから、
いっぱいいすぎて裁きようがないから。
司法は死んだ。
俺は刑務所行き、
あの会社は、そのまんま。
利益を求めつづけるだろう。
いったい何が違うの?
なんでこうなるの?
http://anond.hatelabo.jp/20111011200303
が興味深かったので、ファンは対象外なのかな、と思いながらあえて読んだ。
上の書評はネタとしては面白いけれど、書評としては不適切なのではないかと思う。
この本はとてもシンプルに「小説のルネサンス」を主張していると思う。カジュアルに言うなら松岡修造の「お米食べろ」と同じノリだ。
「小説の読み方の教科書」では、小説の面白さの源流のようなものを求めて古きを探る。
そして、ドン・キホーテとハックルベリーの冒険という作品にいきあたり、世の中にはこんなに素晴らしい小説があったのだと興奮する。
さらに、現代は大衆がこの素晴らしい小説の持っていた力を失っている。そもそもその存在すら忘れ去れれていると嘆く。
もっとこれらの古き時代に学び、これらの良さを取り戻そうと誓う。(自分でやろう、とするところが個人的には好きだ)
そしてそのためには読者がこれらの小説を楽しむ力を取り戻すことが必要だ、と考える。
そこで、まずこの2つの小説を作者なりに読み解く姿を披露することで、読者と面白さを共有し、読書の楽しみを体験させる。
そして、こういう面白い小説を取り戻そう。「小説を読んで、心のそこから面白いと思う感覺」を養おう、と主張している。
NHKスペシャルの歴史ドキュメンタリーを松岡修造が担当しているような、そんな熱くて小気味良いノリは読んでいて楽しかった。
「小説の読み方」についてはおまけ程度の分量しか書かれていないが、ここでも
ストーリーの筋をおいかけるのではなく味わうことを中心に考えよう、と思い切ったことを主張している。
そのためだったら、あらすじは最初から知った上で読んでも構わないだろう、と言い切っている。
「ネタバレ」を食らったくらいで楽しめなくなる本を読むことは読書ではない、などと勇ましい限りだ。
実際私も、一度読んだ本でも本当に面白いものは何度読み返しても面白いと感じるし、
他の人の書評などで「別の読み方」を見つけた時などに嬉しく思うことがあるので言わんとすることは何となく分かる。
論理的には粗だらけだが、非常にシンプルかつ力強いメッセージのある本だと思う。
こういう本を書ける作者の小説はさぞ面白いのだろうかな、と期待させられる。
なんとなく「夢をかなえるゾウ」の二番煎じだろう、みたいに思って敬遠している内にタイミングを逸してしまい、
ドラッカーブームも長続きしなかったため、今更読んでもな、とは思っていたが、今からでも読んでみようか。
ただし全面的にほめられるかというとそうでもない。
構成と文章はかなりいただけない。
まず冒頭から特定の人物に向けての非難のようなものが始まり、ソレについての正当化のような文章が続く。
経緯を知らない私には心底どうでもいい話であり、蛇足以外の何者でもない。サービス精神の真逆である。
始めは作者にネガティブなイメージを持ち、立ち読みだったらこの時点で読むのをやめていただろう。
また、この読者批判?のようなものは、その後の文章でもちょくちょく顔を出し、そのたびに嫌な気分にさせられる。
どうしてこんなに前向きな主張をする人が、些細なことでネチネチと文句を言っているのだろうと不思議になった。
作者の主張とテキストの間に一貫性を感じないのは気持ち悪さを感じて非常にマイナスだった。
上の記事が「ファン向け」と言われたのもわかる気がする。上の記事で言うところの
は確かにあり、私にはこの部分は非常に読んでいて邪魔臭く感じた。シンプルな話をややこしくして何がしたいんだろう。
小説ではこのようなことがないようにお願いしたい。
日本人が英語を話せないのは、英語に比べ、日本語の音節当たりの情報量が極めて少ないからであり、日本人の脳がそれに慣れてしまっているからである。
日本語は他の主要な言語に比べ、同じ音節数の間に処理する情報量が際立って少ない。例えば中国語の4分の1とも言われる。日本語は1音節にかける時間はやや短いが、それでも同じ時間当たりでしゃべっている内容は遥かに少ない。用意された原稿を読むニュース番組などでは大して変わりはないが、考えながらしゃべる自然な口語になるとその違いが顕著になる。海外のドキュメンタリー番組で日本人が話しているのを見ると、英語話者と比べて同じ時間で話す内容の少なさに驚かされる。この場合、本人はまだ喋り終えていないのに吹き替えや字幕で既に情報は伝わっているので途中で画面が切り替えられてしまうことが多い。
赤ん坊の頃に1秒間に1の言語情報を処理するトレーニングしか受けずに脳ができあがってしまった人が、1秒間で2や3の情報を処理する言語を習得するには、単に新しい文法や発音を学ぶ以上の困難が伴う。逆に外国人からすると母国語よりも遅いペースで情報を処理すればいいので、ある程度単語を憶えれば簡単に喋れてしまう。だから日本人が英語や中国語をおぼえるよりもアメリカ人や中国人が日本語をおぼえる方が圧倒的に速いのだ。
「英語や中国語は日本語と文法・発音が違いすぎるから習得が難しい」とよく言われるが、音節当たりの情報量の違いに比べれば大した問題ではないと思う。なぜなら、文法と発音のよく似た日韓間でも同じことが起きているからだ。例えば第二外国語として韓国語と日本語をそれぞれ1年間学んだ日韓の学生を集め、日本人は韓国語で、韓国人は日本語で討論させると、日本人学生のあまりの「話せなさ」に韓国人学生は驚愕する。ただし文章を書かせるとそこまで悲惨な差が出ることはないのだそうである(呉善花『スカートの風』)。
韓国人は普段から漢語と土着語の二重構造に慣れているので、単に「日本語の漢字仮名交じり表記が特殊だから」ということだけではこの現象は説明できない。おそらく、筆記では会話ほどの情報処理スピードを求められない分、少しはマシなのだろう。
日本人が突出して英語が下手なのは、日本の英語教育のせいではない。しかし、英語を学ぶに当たって日本人だけが直面している独自の問題がある以上、日本人の為の独自の学習法をつくる必要がある。一方でいま文科省がやろうとしているのは「今のカリキュラムを前倒しして小学生から英語をやらせよう」という漸次的な施策である。これでは何も変わらないことだけは断言できる。
思うに、「日本語を唯一の母語とし、日本語の音節のリズムが染み付いている子供のための英語の授業」というのは、アルファベットや文法は後回しにして、「このカタカナをそのまま読めば通じなくもないよ」というカタカナ英語
(ex:
hospital→ハスペロウ
Can I have some water?→ケナイヘヴスムウオラ?)
を作り、繰り返し読んで丸暗記させる、というところから始めなければならないような気がするが、なにぶん私自身英語が全くできないのでよくわからないですどうもすいませんでした。
ほんの少し前まで。
当時まだ子供だったけどニュースを見ながら ああここはもう当分住めない土地のはずだと思ってみてた。それでも暮らしてるらしい人たちのことを見て、放射能のことを何も知らないんだと思ってた。日本でもしもこんなことが起きたなら、それは的確な判断ができるだろうよくらいに思ってた。だって被爆国だもの。修学旅行にいけば 原爆の話を聞く国だもの。
戦後のこの日本で、民主主義のこの国で 知らされない出来事があるなんて思ってなかった。
完全検閲のある中国のことを 自由を求めてる人はいるだろうに監視されて可哀想だと同情してきた。結構本気で。
どうやらなんにも教えてもらえてない。
新聞とテレビしか見ない人と、ネットしかみない人と、テレビとネットの人では考え方に温度差が激しい。
新聞とテレビしか見ない人は、ネットは嘘だらけだといい、ネットしか見ない人は 政府は、マスコミは ほんとのことを何も教えないという。
今日見たYOUTUBEは、ドイツで放映されたドキュメンタリーだった。
http://www.youtube.com/watch?v=5n_3NK-tsOU
もう 外国のメディアを通してしか真実を知れないのか。そういうことなのか。
私が子供ころ思っていた「教えてもらえないなんて可哀想」な国なのか。この国は。
東電が値上げをするそうだが、普通の会社は 自分の会社が原因でなにごとかおきた場合 まず自分の会社が可能な限りの負担を負う。
今思えばいいがかりに近いアメリカト○タのブレーキパッドうんぬんの件に関しての対処についてもそう。
あの件で役職以上賞与いまだに全カット という話も聞いた。
東電が。役職の賞与を全カットし、一般社員の給与も70%程度まで減額し それでもやっぱり足りないので値上げさせてくれといっているのならまだしも。そういう話は聞いたことがない。むしろあったら教えてください。
私は電気料金を決める際に 必要経費(もちろん社員の給与含む)分を確保したうえでかかるコスト分を上乗せしていくという計算の方法をテレビで見てからずっと「ちょっと待て」と思わずにはいられないのだ。
だって、東電社員の給与が減るのは当たり前でしょう?仕事ができなくて困ってる人は東電の社員の比ではないのだから。
会社というものは、どんな「もしもの事態」のことも想定して動くものだ。
それでリカバリできない事態が起きたとしても自分とこの商品についてとれるだけの責任を取るのはどんな仕事であれ当たり前のことだ。
電気をうちが一元管理している という自負があるならば どんなことがあっても電力に困る事態を起こさないのが 仕事をするものの
当然の心構えじゃないのか。
少なくとも、日本の会社はそれが当然じゃないのか?そういう常識のなかで皆、働いてるんじゃないのか?その徹底したプロ意識で日本の会社は国際的に認められているんじゃないのか。
どうして電力会社がそこを「いやうちは」といえるのかが不思議でしょうがない。そしてどうしてそこを責めないのかも不思議でしょうがない。
「被曝しているという認識はまったくないまま沢水の簡易上水道を飲み煮炊きしていた。避難してきた人の炊き出しもした。3月20日になって水から300ベクレルが出たと聞いてびっくりした」「私たちはもうたっぷり被曝してしまいました」
なんだかな。
勇気を出して抗議活動を始めた村民の方々の言葉が、ちゃんと人々の耳にとどくだろうか。どうもあんまりメディアにとりあげられている感触がない。
自戒を込めていうなら、わたしたちの身体性はもう多分に問題があるのではないか。
鷲田清一先生が『悲鳴をあげる身体』の中で村上龍さんの『ラヴ&ポップ』冒頭、女子高生の語りを引くくだり(p. 152)。
NHKで『アンネの日記』のドキュメンタリーを見て「心がグシャグシャになった」彼女はもう翌日には「完全に平穏になって、シャンプーできれいに洗い流したみたいに、心がツルンとして」しまう。
感情が持続しない、持続しないから刹那的な快楽を追い求めていく。
あるいは、その持続不可能性への焦りが、周りの人、同じ社会にいきる人々のことを忘れさせてしまう。
この感じ。
震災のこと、また原発のこと、もうなんかみんな遠い昔のことのように「ツルンとした」心で眺めているようなそんな雰囲気を感じる。
本当に「今」おこっている悲しみを私たちはまっすぐに受け止められているだろうか。
僕は幸い被災を逃れたし、放射能の影響も受けえない場にいる。
でも、でも同じ日本人としてどうにかしたいと思う。そしてこの気持ちをちゃんと持ち続けないと。
この抗議活動一般について僕は積極的立場ですね。
ただ、思うに、そういう政治的重要事案じゃないからこそ、これだけ多くの人が集まったのかな、とも思う。
「韓流ゴリ押し反対」というのは、政治的なようでそれ自体は政治問題ではなく、「公共的な性格をもつ国内民間企業への批判」にすぎない。だからこそ、特定の政党に関与したり変に利用されることなく、これだけの人を動員できたということはあるだろう。日本人の多くが「政治」より「テレビ」に関心を持っているという事実も、今回の動員に味方した。
「もっと重要なことがある」と言っても、「もっと重要なこと」にはどうしてもキナ臭い政治が絡んできて、ネット上でさえこんな大きな潮流を作れないだろう。その意味では、対韓国の政治問題のとっかかりとして大きなデモを行うには、むしろ今回のテーマがベストだったとすら言えるのかもしれない。
ノンポリ、シラケ世代というものが出てきて、私たちは政治にリアリティを持つことができなくなったのではと思います。
振り返れば60年代、70年代の闘争にあって、おそらく政治はよりリアリティある身体感覚を実現できていたであろうと想像します。
そうであればこそ文化の領域において『特権的身体』なるものを標榜するアングラなんかがでてくる。現状に対する違和感を自分たちの手で具現化しようとしたと。
ところが闘争の祭りが終わって、この違和感は消費活動と直接的なスペクタクルを提供するテレビによって解消されるようになっていったと。
で、政治を知る私たちの大きな手段もテレビで、つまりは私たちは、どんどんどんどん、自分の身体で政治に触れることがなくなった。
劇場的な政治みたいな言葉も一時ありましたね、小泉政権ぐらいから。
もう私たちにとって、政治の現在を私たちの身体でもって変えようという(身体)感覚は極めて遠いものになってしまったんでしょう。
(ネット・コミュニティにおける暴力性も、こうした極端な受け身の立ち方の裏返しと考えられるかも。)
で、今回の抗議活動は、主題がどうあれ、積極的かつアクチュアルな身体でもって、そこに行き、歩き、語った。
先日、南欧ポルトガルの革命後数年の国内状況に関するドキュメンタリーを見ました。
そこで衝撃的だったのは、貧困にあえぐ農家の老婦がかたる、「政治は関係ない。私たちの生活を何も変えない。革命も何も変えなかった。」という言葉です。
本来政治に無関心になることは、これだけの絶望にあって初めて現れるべき姿だと思います。
http://d.hatena.ne.jp/yaneurao/20110808
上の記事だけだといまいちやねうらおさんが何にいらっとしたのかわかりにくいと思うので全文引用しました。
悪文の見本みたいな文章で、写してて辛かった・・・。
この文章、悪文なのもあったけどそれ以上の何かがある。
自分の思考経路をいちいちドキュメンタリー風に語る=確定した事実であるかのように扱うってのは常人ではなかなか難しいことを考えると
やはりもしドラ作者は「本物」だと思う。何の、かは知らん。
この作品をコミカライズするにあたって、ぼくが考え、また担当編集者の++さんからもお願いされたのは、
「小説版と同じものにはしたくない。何か付加価値を付けたい」ということだった。
なぜなら、マンガ界ではこれまで、けっして少なくない数のヒット小説がコミカライズされてきたにもかかわらず、
そのほとんどが、なかなかパッとした結果を残せなかった、ということがあったからだ。
それらのケースにおいては、多くの場合が小説の単なる焼き直しに終わってしまっていて、
読者、とりわけ元の小説を読んだ人を満足させることには、なかなか至っていなかった。
やべー超格好いい。プロジェクトXの人の声で朗読したらアホな視聴者騙せそうな導入ですね。
「僕以外の人はみな能なしすぎてそんなこと考えたことねーだろバーカバーカ。マネジメント読んでる僕勝ち組」とでも言いたそうな感じ。そこにシビれr
そこで今度は、「ではどういう形で付加価値を与えていくか」ということがテーマとなったのだが、
あのスカスカ感は紙幅の関係だったのか、いや早まるな続きが書いてるぞ。
僕はもともと、これは「もしドラ」だけではないのだが、小説を書く際にはその設定であるとかキャラクターであるとかを、
かなり細かく、また深くまで練りこんでいく。
しかしながら、いざテキストとして表現する段になると、それらのものを必ずしもすべて表そうとはしない。
表すのは氷山の一角、ほんの一部だけで、それ以外はあえて捨てたり、あるいは隠したままにしておくのだ。
それは、そうすることによって物語世界により一層厚みや奥行きを与えられるということもあったし、
あるいは読者に想像する余地を残し、楽しみを提供していくという考えからでもあった。
端的に言うと、そういうふうにすると作品が面白くなるというのを知っていたのだ。
参考記事 つ http://d.hatena.ne.jp/aureliano/20080703/1215052052
例えば、主人公の川島みなみがドラッカーの「マネジメント」と出会う、この作品においては最も重要ともいえるシーンがあるのだが、
そこで両者の出会いのきっかけを作る書店員について、ぼくはその人物設定から背景、薦める理由までこと細かに考えていたにも関わらず、
それは、もちろん紙幅の関係もあるのだが、それ以上に、そうした方が小説として面白くなるということがわかっていたからなのである。
その通り、大胆に説明を省いたこのシークエンスは、「もしドラ」を象徴する何とも味わい深いシーンとなったのだけれど、
ところがこの小説の発表後、そこで予想外のことが起こった。
なんと、そのシーンを、面白い面白くない以前に、上手に理解出来ない人が、少数ではあるが現れたのである。
そのシーンを、何度読んでも「書店員がなぜその本を薦めたのか」を想像できない人が、すくなくはあるが一定数いるという事実が、
これに、ぼくは驚かされた。
彼らがそれを理解できなかったり、想像できなかったりする理由は、単に彼らの本の読み方の浅さ、拙さに起因するものなのだが、そういう人が少数ながらもいるということを、ボクは初めて知ったのである。
この人2回繰り返して言うの好きだなー。いや、3回か。
まぁコラムならいいんだけど「エースの系譜」である表現をページ内で5回繰り返してたことがあり、さすがにうんざりするので誰か注意してあげてください。
そうしてぼくは、これをゆゆしき問題であると受け取った。
本を読むのが下手というのは、何よりその人達にとって不利益である。非常にもったいない。あとちょっと上手くなれば、あるいは想像を働かす骨を覚えれば、彼らももっと面白くこのシーンを読むことができたはずなのに。それができないというのは、端的に言って可哀想である。
かかる状況は、作者としては何とかしなければならないのではないか。そうした問題が眼前に横たわっているならば、それを解決することこそがぼくの使命ではないか、そんなふうに考えるようになったのだ。
参考記事 http://d.hatena.ne.jp/aureliano/20110708/1310088660 とか http://d.hatena.ne.jp/aureliano/20080709/1215571196
そこでぼくは、小説では表現しなかった人物や設定、背景やプロっトというものを、コミカライズにあたって改めて表現することを決めたのだった。
そうして、小説を読むのが下手な少数の読者に対しては、その正しい読み方やおもしろがり方を伝授していく。
また、それ以外の上手な読み方のできる大多数の読者に対しては、いわばメイクングフィルムをお見せするような意味合いで、舞台裏を開陳していく。
参考記事 つ http://d.hatena.ne.jp/aureliano/20081130/1228031673
どうでもいいけど、「メイキングフィルムをお見せするような」と前の文で書いておいて、
「いうならばメイキングシーンをお見せするような効果が生まれる」ってどんだけ親切なんですか。
そうしてその手始めとして、まずは冒頭で、前述したみなみに「マネジメント」を紹介するという、この作品では最も重要な役割を果たす、
書店員であり、大学生の奥沢モモが登場することになったのである。このコミックでは、彼女をはじめ、ボクが小説を書く上で設定したほとんどの人物、設定、背景、プロットが順次明らかにされていく予定である。
ちなみにマンガを読んだ感想ですが、冒頭のもっとの重要なシーンの説明はやっぱりダメだと思いました。
「よくわからない」から「ダメ」になりました。大事なことなので二回言いました。
8/13 ヤマカンの人の部分を削除。
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94年ピューリッツァー賞受賞作品 マンハッタン計画―プルトニウム人体実験: アルバカーキー トリビューン
米の放射能人体実験 次々崩れた機密の壁 地方紙記者が追跡6年
My Eye Ball : day 57-1 ガイガーカウンター、これほどの差があるのか!
ページが見つかりません - SankeiBiz(サンケイビズ):総合経済情報サイト
普段から自然に浴びる量から致死量まで、わかりやすくまとめられた放射線量グラフ : ギズモード・ジャパン
労災認定を年間5ミリシーベルトで認めた事例もあるし、チェルノブイリでは、大人は5ミリシーベルト、18歳以下は3ミリシーベルトとの基準を設けていたのだ。
チェルノブイリ事故では年間5ミリシーベルトの被ばくを居住禁止の基準とした。
フランスで原子力事故時の公衆の安全基準となっている年間10ミリシーベルト
放射線の政府指針 50ミリ・シーベルトなら「避難」 10~50で「屋内退避」
●放射線被ばく : 放射性物質が(重力や、雨と雪によって)地面に次第に降下し、地表に蓄積されることでも被ばくする。
NEWSポストセブン|母乳から放射性物質検出 基準値以下だが「それ自体が問題」
ノーベル賞受賞の国際的医師団体「日本政府が設定した子供の許容被ばく線量高すぎる」
年間20ミリ・シーベルトという小学校の校庭の利用基準などを挙げ、「この数値を小学生などに求めることは許し難い」と指摘した。 - 小豆納言 - Yahoo!ブログ
米科学アカデミーが世界の最新データを基に30日までにまとめた。報告書は「被ばくには、これ以下なら安全」と言える量はないと指摘。
低線量被曝でも発がんリスク―米科学アカデミーが「放射線に、安全な量はない」
Blog vs. Media 時評 | 反例:低線量でガン増加確認のスウェーデン
北スウェーデン地域でのガン発生率増加はチェルノブイリ事故が原因か?
「低線量率放射線は問題ない」説、2005年に否定されていた RIDE THE WAVE 2ch
Vol.100 公衆の放射線防護レベルの緩和についての国際放射線防護委員会ICRPの忠告(3月21日)について - MRIC by 医療ガバナンス学会
「放射能予防薬」続々と到着…米国、最悪事態を想定か? - 政治・社会 - ZAKZAK
オンライン書店ビーケーワン:放射線の衝撃 低線量放射線の人間への影響 被曝者医療の手引き アヒンサー
Amazon.co.jp: 内部被曝の脅威 ちくま新書(541): 肥田 舜太郎, 鎌仲 ひとみ: 本
低線量放射線被爆(内部被爆)の方が影響が大きい - るいネット
『NHKスペシャル|汚された大地で〜チェルノブイリ20年後の真実〜』(文字おこし)(3)……400キロ離れた地で小児甲状腺がん・白血病増加:ざまあみやがれい!
はてなブックマーク - 【放射能漏れ】尿から微量の放射性物質 福島市の子ども10人から 仏研究所「内部被曝の可能性」 - MSN産経ニュース
はてなブックマーク - 調べた全員の尿からセシウム - 中国新聞
飯館村の雑草265万ベクレル 福島、野菜を大幅上回る - 47NEWS(よんななニュース)
はてなブックマーク - 【原発】雑草から100万ベクレル超 県公表せず
はてなブックマーク - 001 東京電力福島原発事故後に産まれた耳なし子うさぎ
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はてなブックマーク - 7人の母乳から微量の放射性セシウム…福島 : 科学 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)
07.私が測った福島市の放射線量:ミシマさんの旅行ブログ by 旅行のクチコミサイト フォートラベル
My Eye Ball : day 60-1 この差が現実の差
放射性セシウム44万ベクレル 処理後汚泥から検出 福島 - MSN産経ニュース
福島市のカブ基準値超え 出荷停止解除後に再検出 - 47NEWS(よんななニュース)
はてなブックマーク - 東京新聞:タケノコから基準値超過 福島県の7市町村で採取:社会(TOKYO Web)
福島のアユ基準値超す 淡水魚で初、ワカサギも - 47NEWS(よんななニュース)
はてなブックマーク - asahi.com(朝日新聞社):ワカメと貝から基準超すセシウム 福島・いわき市沖 - 社会
はてなブックマーク - 2011/5/12 高濃度の放射性物質を海藻類から検出 グリーンピースの海洋調査で、政府に緊急調査を要請 | 国際環境保護NGOグリーンピース
淡水魚、全部ダメ 鮎、ワカサギ、ヤマメ、ウグイなどから基準を超えるセシウム検出
なんで原発から140キロ離れた宮城県のわらからもセシウムでてるんだよwwwwwwwww
岩手の牧草、基準値超える 福島以北で初めて - 47NEWS(よんななニュース)
はてなブックマーク - 岩手県でも牧草から規制値上回るセシウム : 社会 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)
海産物が続々終了 茨城産アワビ290ベクレル、ウニ370ベクレル ワカメ44ベクレル スズキ67 ネタ的なニュースちゃんねる
茨城の牧草また基準値超え 3市町で放射線セシウム - 47NEWS(よんななニュース)
asahi.com : 那須塩原・日光の牧草からもセシウム 基準値の10倍超 - マイタウン栃木
時事ドットコム:群馬の牧草からも放射性物質=セシウム最大2.5倍−県調査
ヘッドライン | 医療・健康 | 栃木、埼玉の牧草から放射性物質 一部で農水省の基準値超 - 47NEWS(よんななニュース)
出荷停止のホウレンソウ販売 7900束、千葉・香取産 - 47NEWS(よんななニュース)
牧草から放射性物質 全国初、許容値超す 八街と市原の千葉県施設|ちばとぴ ちばの耳より情報満載 千葉日報ウェブ
asahi.com(朝日新聞社):牧草の禁止地域設定へ 農水省、16都県に調査依頼 - 社会
茶摘み体験事業で製茶された茶葉の放射性セシウムについて | 板橋区
はてなブックマーク - 【原発問題】 東京都大田区の下水処理施設内の空気、避難区域レベルの高放射線量…東京都、「誤解招く」と公表せず
【福島原発】東京都杉並区の屋上に死の灰が溜まってる?? - YouTube
20110311μSv/h : 東京、一部で高濃度 土壌セシウム、茨城超す
核の米権威が警告!福島より高濃度…都内にある“危険エリア” - 政治・社会 - ZAKZAK
【東日本大震災】都内でも汚泥焼却灰から放射性物質 - MSN産経ニュース
東京新聞:甲状腺から微量ヨウ素 イスラエル駐日大使:社会(TOKYO Web)
環境放射能に関しては当センターの建物の屋上(地上18m)に設置されたモニタリングポストで計測を行なっております。
県内の水産物から微量の放射性物質検出、県「健康に影響ない」/神奈川:ローカルニュース : ニュース : カナロコ -- 神奈川新聞社
ヘッドライン | 主要 | 医療・健康 | 「足柄茶」に基準値超のセシウム 神奈川の農産物で初 - 47NEWS(よんななニュース)
神奈川「足柄茶」から放射性セシウム-300キロ離れてなぜここだけ? (1/2) : J-CASTテレビウォッチ
asahi.com(朝日新聞社):小田原産などの茶葉からも基準超す放射性セシウム - 社会
はてなブックマーク - asahi.com(朝日新聞社):仏で基準超は静岡・清水の緑茶 県、出荷自粛を要請 - 社会
静岡製茶で初の放射性物質規制値超え 「らでぃっしゅぼーや」自主検査で発覚 (1/2) : J-CASTニュース
はてなブックマーク - asahi.com : 「食えなくなる」放射性セシウム検出、静岡の茶農家 - マイタウン静岡
はてなブックマーク - 荒茶の検査しない…静岡知事、政府方針従わず : 社会 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)
静岡茶葉からセシウム…健康影響ないレベル : 社会 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)
【放射能漏れ】茶葉などから通常を上回る放射性物質 静岡 - MSN産経ニュース
静岡の「製茶」は基準値以下 放射性物質検査で - 47NEWS(よんななニュース)
チェルノブイリ原発事故その10年後 ベラルーシの子供は1kg当たり37べクレル以上のものは食べてはいけない
子供は1キロあたり、37ベクレル以上のものは食べちゃいけません : ほりこ
ベラルーシにおけるチェルノブイリ原発事故後の小児甲状腺ガンの現状
福島よりショボかったスリーマイル事故後の周辺の動植物達 : 2のまとめR
はてなブックマーク - おはようございます。何故か... - 写真共有サイト「フォト蔵」
乳ガンと肺ガンの発生率が3倍、甲状腺と白血病が10倍に増加していることが判りました。「ハンフォード死の一マイル(the Hanford Death Mile)」と呼ばれる地域
微量放射能による被害は10年後にやってくる…鎌仲ひとみ監督、「東京も汚染地域」放射能の恐ろしさを訴える - シネマトゥデイ
NHKスペシャル|NHK総合|2011/01/25(火)00:15 | TVでた蔵
3マイクロシーベルトという数値の放射能をある期間被曝した米国の兵士が、アメリカに帰国後、赤ちゃん授かったのですが、痛ましい姿(手の指が欠如している奇形)で生まれてきました。
樋口健二・原発労働者ドキュメンタリー文字おこし(1)「隠された被曝労働〜日本の被曝労働者〜」:ざまあみやがれい!
[チェルノブイリ][スリーマイル島][セラフィールド][ハンフォード]福島(7) - 増田まとめ
http://anond.hatelabo.jp/20110407001402
こういう記事が出るたびに、この話は本物かとか兄貴は実在するのかっていうにこだわる人がいるけど、そんなのってほとんど関係ないよ。
だって、この兄貴一人がそう思ったって話なんだから、極論を言えば、「東京も流されればいい」って思っている人が一人でもいればこの話は「ほんとう」だよ。
これだけ被災者がいれば、そう思っている人もいっぱいいるんじゃないですか。
まあ「なんとなくウソ臭い」って言ってる人が何を根拠にそういうのかは分からないですけどね。
自分の想定の範囲外のことを「ウソくさい」って一歩おくくらいだったら、みんなの嫌いな震災ドキュメンタリーを観てればいいんじゃないの?
あと、この兄貴はうつ病だメンヘルだというのは、まあ確かにそれはあるとは思うけど、病気という囲いの中に入れたところで、兄貴の発言が無効化されるわけではないですよ。
そもそもこの話っていうのは「兄貴」の話それ以上でもそれ以下でもないわけで、そもそも実在かどうかを議論しちゃう人は、ネットに公開された増田の意見ということで、その後ろにいるサイレントマジョリティかなにかの声を無意識に聞き取ってしまっているのでしょう。
こういう発想の人は、たとえば福島に住んでる兄貴は東電に感謝してます、みたいな記事が迫真の筆致で書かれていたら、大いにショックをうけてしまうのでしょうね。
とりあえず日本全国にばら撒いとくメッセージとして、「頑張れ」というのは妥当な部類に入ると思う。
もうちょっといいフレーズを考えたところで、マスコミが全日本人を元気づけるメッセージを配信することの不可能性は、なによりみんなが一番知ってることじゃないの?
その不足を補うのは、多くの人が言っているように、カウセリングや宗教かもしれない。
もっと手軽にボランティアとかでできればいいんだけどね。
どっちにせよ、ボランティアの連中がとりあえずばら撒いとく用のフレーズを相手も見ずに現地でばら撒いているのだとしたら、それは問題だろうが。
日本で中国のヒップホップなどを聴くことはあまりないので、何曲かまとめました。
中華ヒップホップ音楽【作業用BGM】 ‐ ニコニコ動画(原宿)
以下曲目。
01. 大丈夫 - YouTube
広東語・日本語・英語・普通語を操る日華の曲(でもこの曲では広東語でラップしてない)。
02. 台灣之子 - YouTube
台湾ヒップホップの草分け、L.A. Boyzの黃立成によって結成された麻吉。台湾語のラップ。
03. Hit the Rhyme - YouTube (Live ver.)
蛋堡 a.k.a Soft Lipa (台南)
收敛水 (2009)
2010年には日本のJABBERLOOPとアルバム「月光」(YT)を出した。同じく'10年の台湾ヒップホップダンス・ドキュメンタリー「街舞狂潮」主題歌(YT)も手がけてる。
04. Bring you da sky - YouTube
L.C.T (内モンゴル自治区フフホト)
トラックは「Resurrection」Common(YT)と同ネタで、「Dolphin Dance」Ahmad Jamal (YT)から。ミックステープ「龍咆」シリーズは無料でDLできる。
05. 風生水起 feat. 麥玲玲 師傅 - YouTube
風生水起 (2008)
'96年DMC世界2位のDJ Tommy(YT)に見出された、6WingとC君の二人組。フューチャリングの麥玲玲は香港一有名な風水師で、本当に曲中でラップしてる。
06. 雙截棍 - YouTube
この10年くらい中華圏で最も人気のミュージシャン、ジェイ・チョウの初期の曲。雙截棍はヌンチャクの意。
07. Used to love her - YouTube
同アルバムに収録されてる「巨蟒」(YT)は「大蛇は長くてカッコイイぜ」という歌。
08. 傻X II feat. 杨帆 - YouTube
呆宝静は広州のグループ「天王星 Uranus」所属。このアルバムは中国の女性ラッパーのコンピで、無料でDLできる(China Woman's Rights 2009 Mixtape)。
09. Dream Girl (Version C Kwan) - YouTube
陳冠希(エディソン・チャン)プロデュースのアルバム「O'Fama」収録。歌詞に「Facebook delete所有異性...」とでてくるのが香港っぽい。
10. 北京土著 - YouTube
張伯宏 (北京)
复生弥撒 (2007)
'88年生まれ、いわゆる80後(一人っ子政策以後の80年代に生まれた世代)の張伯宏、18歳の時の作品。
11. Learn Chinese - YouTube
アメリカ生まれの中国人ラッパー。アルバム「ABC」(American Born Chinese)は、2010年にアジア系で史上初の全米1位を取ったFar East Movement(YT)が全曲プロデュース。
12. 在梅邊 - YouTube
日本人っぽく「おうりき・ひろし」とも読める。前作「心中的日月 Shangri-La」からの西洋と中華音楽をミックスするChinked Outスタイルで、京劇などを取り入れている。
13. 在北京 - YouTube
中国人+カナダ華僑+アメリカ人*2の4人組、隠藏の一曲。メンバーの老郑XIVとSbazzoはソロでも色々と活躍している。
14. 激光中 - YouTube
2009
Roman Tam(羅文)のヒット曲「激光中」(YT)のリミックス。「廿四味YaSeiMei」は24種類の漢方が入っているお茶(廿=20)。
15. 含家玲 (Live ver.) - YouTube
LMF a.k.a. Lazy Mutha Fucka (香港)
大懶堂 (2000)
香港にヒップホップ・シーンを築いた伝説のグループLMFの問題作。含家玲は広東語のかなりキツイ罵倒語。
16. 韓流來襲 - YouTube (Live ver.)
テレビには韓国のセルアウトばっかりじゃねえかという曲。サビはFuck You的な放送禁止フレーズ。
17. 中国話 - YouTube
Play (2007)
台湾の人気女性アイドルグループの曲だが、「世界が中国語を学んでいる」みたいな歌詞が媚中(大陸に媚びてる)と一部から批判を浴びた。
18. 恭喜發財 - YouTube
2007
蛋堡 Soft Lipaの所属するレーベルの謹賀新年曲。「恭喜發財」は「おめでとう、今年も儲かりますように」という中国っぽい新年の決まり文句。
19. 咖哩辣椒 - YouTube
潘瑋柏 a.k.a. Wilber Pan (台湾/アメリカ)
我的麥克風 Pass Me The Mic (2003)
弦子との不得不愛(YT)がヒットして、NHK中国語講座の主題歌になったりした人。
20. 廣東菜 - YouTube
2009
講者は広州のグループ、MC仁はLMFのメンバー。サビで「ホウメイ」といっているのは広東語の「好味」。
21. 北京晚报 - YouTube
カメレオンの如く舌を「er」と巻く北京弁の感じがよく分かる。
22. 霞飞路87号 - YouTube
嘻哈第一棒 (2004)
23. 我是重慶崽儿 - YouTube
潤土 (重慶)
映画「瘋狂的石頭」エンディング曲。内容は「Snatch」のパクリみたいなもんですが、北京や上海にはない地方都市の雰囲気や、現代中国の笑いが詰まってて最高です。
[2月 11日 (金)午後6:55~午後7:30 教育、2月 11日 (金)翌日午前3:25~翌日午前4:00 BS2]
番組HP: http://www.nhk.or.jp/zero/
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今、全国で大ブームとなっている歌声合成ソフト。その裏にあるのは人間の脳の特徴をとらえた最新の歌声合成技術だ。最先端の技術から、人間にとっての歌の深淵に迫る。
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“歌声合成ソフト”が、全国で大ブームとなっており、国内ヒットチャートで1位を獲得する音楽まである。その裏にあるのは、人間の脳の特徴をとらえた、最新の歌声合成技術だ。さらには、情感たっぷりの演歌を歌う新型の歌声合成ソフトや、安めぐみさんの声で、どんな歌でも歌わせられる夢の合成ソフトも紹介。人間にとって「歌」とじは何なのか? 最先端の歌声合成技術から、歌の深淵(えん)に迫る。
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【ゲスト】クリエーター…いとうせいこう, 産業技術総合研究所…後藤真孝, 【司会】安めぐみ, 山田賢治, 【語り】土田大
親が障害を持つ子供の権利を(過剰なまでに)求めるといった類のニュースが語られた時、近年になって定番のように貼られるコピペに、以下のようなものがある。
生まれついて重い障害を負って生まれた息子の為に、親は「サリドマイド児の親の会」を立ち上げて、休日は全て会の活動。
「障害者に理解のある社会=息子の為」との強い信念のもと、息子を連れて積極的にマスコミにも出たり、講演活動も行った。
さらに、息子を普通学級に進学させた。息子は重い障害を負いながらも大学に進学。一時は、マスコミにもてはやされた。
が、大学卒業後、障害を負った息子は何処にも就職できなかった。ここで、息子は生まれて初めて本音をぶっちゃける。
「子供の頃から、人前でさらし者にされて辛かった」「休みの日くらい、家族だけで過ごしたかった。家族だけで遊園地や旅行に行きたかったのに」
「普通学級になんて行きたくなかった。手の無い俺が、普通学級でどれだけ不自由で辛く、孤独だったか。
どれだけ、危険で屈辱的(同級生による排泄介護等)な思いをしたか!」と、延々と恨み言を言い出した。
で、親が「何で言ってくれなかったんだ!」と反論したら「言ったが、全て“お前のためだ”で済まされた。
一度だけ、同じ障害を持つ子供たちがいる養護学校に行きたいと言ったら“負けるな”と説教された」
「俺みたいな障害を持った子供が、親に見捨てられたら生きていけない。だから、言いなりになっていた」
「お前たちは“俺の為”と言っていたが、結局は自分たちが社会から注目されてチヤホヤされたかったダケだろう。
養護学校に進学した同じ障害を持った連中は、職業訓練を受けて就職して自立しているのに、親の見栄で、普通学級に進学させられた俺は、就職できなかった」
「俺の障害を受け入れてくれない、見栄っぱりな親のせいで、俺の人生はメチャクチャにさせられた!」
結局、息子さんは親に対する恨みつらみの遺書を残して自殺。最後に親御さんは「もっと息子の気持ちを考えてやれば良かった」
「健常児と同じようにする事が、息子の為だと思っていたが、間違いだった」と嘆いていたな。
【サリドマイド児】と冠してしまったことで、(主にサリドマイド禍にあわれた方々が、大卒の年齢に達するのが今から30年程度前であることから※)全体に無理が生じてしまったこと、にもかかわらずドキュメンタリーなどと真実味を付加してしまったことで、決して少なくない数の「嘘を嘘であると見抜けない」方々が、あたかも現実の出来事であるかのように喧伝してしまうことがもったいないほどである。
既に
http://ameblo.jp/rosexxxkasumi/entry-10613422332.html
といった記事で述べられているように、このコピペが真実であると誤解した方々が、出典として挙げる書籍に『青い鳥はいなかった―薬害をめぐる一人の親のモノローグ(飯田 進)』というものがある。
上記のサイトを見ていただければ、このコピペが=『青い鳥はいなかった』著者の息子、伸一氏ではなかったことや、コピペの状況自体に矛盾が生じることは容易に理解出来ると思う。
にもかかわらず、相変わらずコピペ=伸一氏であるとされる方々は一向に減らないし、さらには「俺はこの本を読んだけどこのコピペの内容が書いてあったよ」などとする者もいる。
ここではその誤解をはっきりと解くために、『青い鳥はいなかった』本文からの引用を交えてネット上に残しておきたい。
なお、本来『青い鳥はいなかった』という書籍は伸一氏との関係についてを主たる題材として扱っているわけではないため、これから取り上げる部分がこの本の限定的な一部分からの抜粋になることを付記しておく。
この本を紹介したアマゾンのページである。目次に注目していただきたい。
目次
わが内なる罪
父母の会創設
国際的な連帯を求めて
噴出する矛盾と内部対立
集団訴訟をめぐって
親の止まり木を目指して
裁判有利の展開のかげに
疑惑の根源
裁判の終結
和解の落とし穴
父母の会の解散
息子伸一の死
実際は「わが内なる罪」を序章とした一二章構成になっており、ここに前書きと終章が加わる。
『青い鳥はいなかった』を誤解している方の殆どは、この目次と、飯田進氏がサリドマイド児の親たちを中心にした「子どもたちの未来をひらく父母の会」発起人であり会長であったことのみをもって判断しているのではないかと想像するが、どうだろうか。
「わが内なる罪」で始まり「息子伸一の死」などと締めてあっては、いかにもコピペの親が飯田進氏であるかのように錯覚できるのは否定しない。
しかし実際「わが内なる罪」で語られている進氏の心情はこうだ。
まぎれもなく私は、重大な過ちを犯した。大倉医師の指摘したとおり、私は充分な統計的調査をすることなく、不用意にも息子伸一の誕生が、あたかも「被爆者に奇形児が生まれると、それをすぐに原爆の影響だと考える」思い込みを前提とした投書をしたのであった。(37頁38頁)
たしかに息子がうまれたときには、その障害の原因がサリドマイド系薬品にあったことを知っている者は、だれもいなかった。その罪意識は、それから私の心理と行動に支配的な影響をもたらすことになった。(41頁)
「息子伸一の死」ではより具体的にコピペとの差違を指摘できる。
知人が主催する公益法人に、伸一を就職させたことがある(268頁)
彼は結婚前もその後も、しばしばタイ、インド、ネパール、チベットなどへ旅行をしている。いわゆるバックパッカーである。いくら貧乏旅行とはいえ、それだけの経済的余裕があったのである。(269頁)
いわゆる不審死である(274頁)そして死因は急性肝不全(274頁)
さらに終章では
伸一は母子感染でC型肝肝炎になったのにちがいない。当時の輸血用血液は、アメリカなどからの輸入に頼っていた。その血液には、しばしばC型肝炎のウイルスが混入していたのである。(312頁)
もちろん伸一は、妻が入院中、連日のように病院を訪れている。見る影もなくやせ衰え、苦痛に耐えつつ死んでいった妻の姿を見ている。だから彼は、おのれが直面させられている運命を、知っていたのに違いない。(312頁)
事実上医療をこばみ、緩慢な自死にひとしい成り行きをたどった秘密もまた、そこに潜んでいたのか。なんたることか。(313頁)
『青い鳥はいなかった』で語られるのは父母の会の設立運営や、その後の訴訟に関して「こうするべきだった、こうあるべきだった、でも現実にはそうではなかった」という筆者の悔恨である。そして息子の死が「私が行ってきた行動を、全否定しているかのよう」に感じた筆者が死後の伸一氏へ当てた手紙のようでもある。
飯田氏の行ってきたことを少しでも知ったなら、あのようなコピペの元ネタとして扱うことがいかに礼を失する行為であるかは理解してしかるべきであると思う。
障害をもった親の権利を(過剰なまでに)求める親や、その親を反差別だネグレクトだと叩く行為の是非まで問うつもりはないが、それを叩く材料として上記のコピペを「真実」であるかのように貼り付けたり、『青い鳥はいなかった』と結びつけて語ったとき、その行為は誹謗中傷であり、いいかえればそれこそが”差別”である。
最後に、コピペにある「遺書」と似て非なる伸一氏が「遺した書簡」が、筆者にとって「お前は肝心なところはわかっていてくれたんだな」と言わせる、筆者と伸一氏の間に決定的な断絶があったわあけではないことの証左であるし、また筆者がこの本でいいたかったことの半分程度を言いあらわす例ともなりうるので、全文を引用してこの日記を閉じる。
「サリドマイドの裁判は、親である第三者が闘った裁判であるのが特徴であった。かなり特殊な裁判であると言える。当事者である被害者は、幼児であったからだ。障害者である本人は、自分の被害をほとんど知らぬままに保証金をもらって和解したのが、サリドマイド裁判の実態であると言って差し支えないであろう。その裁判においてサリドマイド以外の障害者については、何もしなかったのも事実だ」(中略)[注、本文ママ]
「つまりサリドマイド裁判は薬害と言いながら、サリドマイド障害者の救済しかしなかったし、一緒に闘ったはずのサリドマイドとは認定されなかった他の障害者の救済は何もしなかった。いまだにその認識は、サリドマイド障害者にはほとんどない。」(290頁)
※に関する追記
サリドマイド禍はその時期がそれほど広範ではなく、「サリドマイド禍にあわれた方々」が大学を卒業する時期もある程度類推が可能である。コピペの記述などから考えても、「30年前」という時期をそれほど外してはいないと思う。
30年前といえば、時はバブル前夜。「大卒」という肩書きが十二分に武器となった時代。今とは違い、大卒で「就職できない」という事態はそれなりにレアケースである。「親の活動そのもの」が反社会的とされ、企業に嫌われた可能性もないではないが、コピペの記述からはどうもそんな雰囲気ではない。少なくとも、職業訓練よりは大卒の肩書きのほうがはるかに就職に有利であった時代に「普通学級で大学にいかされたせいで」就職できない、という記述には矛盾が生じている。
コピペに「危険で屈辱的(同級生による排泄介護等)」という記述があることから、その障害が日常生活や就業に支障をもたらすものであった場合は上記の限りではないが、そうであった場合、時はバリアフリーのバの字もなかった時代である。そういう時代に重度障害者が大学に通い、卒業する、ということがどれだけ大きな事態であったことか。それこそ大学始まって以来というレベルの出来事である。本人の確固たる意志に、親をはじめ、周囲の身を削るような協力があっても難しいような行為。にもかかわらず、本人に大学に行きたい、卒業したいという意志はかけらもなく、親も見栄が先行しているのを子供に見透かされるような程度の熱の入れようなのだそうだ。ここにもやはり矛盾がある
http://anond.hatelabo.jp/20101203150748
もう、いいおっさんの年齢なんですが、先日、とあるWEBサービスを公開しました。
5年ほど前からぼーっと考えていたんですが、如何せん事務職の自分には”創る技術”が無かった。
優れた若い技術者(id:amachangとかうらやましい)や、チャレンジ精神あふれる経営者(id:hiroyukiegamiとか)が出てくる中うつうつとしている自分に嫌気がさし、4か月前の7月頃からHTMLやプログラムの勉強を始めた。
プログラム素人が試行錯誤を繰り返し、幾度もの挫折を乗り越えてエロサイトを作る過程を追った、感動のドキュメンタリー。
文明の進歩は常に性欲と共にあった…とは言え、ここまでブクマを集めたのはエロの力ではなく、彼の努力が評価されたからだろう。
2010年の増田において唯一の2000users越え。堂々の第一位だ。おめでとう。
http://anond.hatelabo.jp/20100219230508
そろそろ2010年も6分の1が終わろうとしているぜ。元日に立てた今年の目標はどうよ?今年こそTOEICで900点?今年こそ海外留学する?そんな目標は日々の生活に追われてすっかり忘れ去ってることだろう。社会人にとって最も重大な敵は日々の生活が忙しすぎることなんだよな。学生の頃はまだ自分が怠惰であることに自覚できる。「オレ(私)はだめなやつだ…」そんな自己嫌悪にも浸ってられるんだ。でも、社会人はそれがどんなにしょうもない仕事の内容であっても、「オレは毎日、仕事をしてるんだ!今日は英語の勉強をしなくてもいいことにしよう。週末にいっぱいやればいいや」って思うことができるわけだ。
ブクマはするが勉強はしない、ものぐさなブクマカ心理を考慮した、実践的かつ簡潔な内容が支持されたのだろう。
第二位だ。おめでとう。
ところで、TSUTAYAに海外ドラマのDVDを借りにいった後輩は英語ができるようになったのだろうか?
http://anond.hatelabo.jp/20100307164305
「牛丼並盛で」
「牛丼for everybodyキャンペーン適用でよろしいですか」
「なにそれ」
派生ネタは…残念ながら広まらなかったようだ。それでも第三位。おめでとう。
http://anond.hatelabo.jp/20100419125641
ここ最近、会社の近くにすげえ気に入ったお店ができて、お昼は良く通ってんだよ。
しかし、かならず水曜日に糞DQN客が来て、水曜は避けていたんだ。
この前水曜日でもないのに、俺が飯くっていたら、そのDQN客がきやがって、「うわ~最悪」と思ったけど、食べはじめたばかりだったので、どうしようもなかった。
女性や老人がDQNを撃退して傍観者がメシウマ、というよくあるネタだが、これは展開の斜め上っぷりが人気の要因か。
第四位だ。おめでとう。
http://anond.hatelabo.jp/20101211092522
本当にババアどもはろくな事しないな、ということで
モンスターペアレントを激しく批判してみたら意外に支持を得て戸惑っているエントリ。
四位のエントリもそうだが、みんなDQNを攻撃してスカッとしたいんだよね。
第五位。おめでとう。
http://anond.hatelabo.jp/20100904122315
自分のブログに書こうとも思ったのですが、会社が特定されてしまいそうなのでここに書きます。どこかに書かなければならないと思ったのは、この事実を誰かに伝えなければならないと思ったからです。
私が勤めていた会社はシステム屋さんです。2タイプの職場があって、一つはお客に注文を受けてシステムを開発してリリースして終了。もう一つはお客の会社に居候させてもらってシステムの維持管理をするというものです。私は後者のほうです。
お客は工場も複数構える結構大きな企業で、様々なプラスチック製品やコンピューター部品を作るところであります。日本だけじゃなくて海外とも取引があったと思います。
こういうエントリがよく伸びるのも、SEが多いはてなならではか。
真偽が怪しいところは増田らしいとも言える。第六位。おめでとう。
http://anond.hatelabo.jp/20100423202625
私はTwitterが怖い。これだけ人気があるサービスだけれど、私は少なくとも三つの問題点を見て取れる: 1)Twitterは心理学にいう「間欠的不規則報酬」のほとんど完璧な実例である。これはスロットマシンが人を惹きつける仕組みと同じ。 2)Twitterを使うことで得られる強力な「人とつながっている感覚」は、脳を騙して「何か有意義な社会的交流を行っている」と思わせてしまいうる。その一方で、脳の別の(古い)部分では、そこに人間の生存にとって重大な何かが欠けていると「分かっている」 3)Twitterは「常時マルチタスク状態」の問題を悪化させる要因の一つであるーーもしかしたら他のものよりもっと強力かもしれない。Twitterをしながら(もちろん、emailでもチャットでも同じ)、深く考え込んだり、フローの状態に入ったりすることはできない。
心理学・脳科学的なエッセンスを混ぜ込むと、何故だか記事の説得力が上がるというテクニック。皆も真似してみよう。
第七位だ。おめでとう。
http://anond.hatelabo.jp/20100620143255
俺は英語学習オタクだ。これまでの人生の中で大量の時間を英語学習に費やしてきた。中学校から始めて、日本にいてできる英語学習法は殆ど試したと思う。高校時代には学習参考書や問題集を二百冊以上終わらせた。ネイティブの個人家庭教師がついていて、さらにマンツーマンの英会話スクールにも通った。大学は迷わず英語学科を選んだ。大学在学中にTOEFLのスコアは640を超えた(厳密には覚えていないが、目標が640でそれを超えたのは間違いない)。
英語学習の限界を悟りつつ社会人として本気で英語を学習するはてな村民マジかっけー!
第八位。おめでとう。
http://anond.hatelabo.jp/20101022175359
理想の未来を思い浮かべてみよう。いや、地球最期の男になった自分がゾンビの群れを蹴散らす妄想じゃなくて、社会から見た理想の未来を。エネルギーはクリーンで無尽蔵、品物は豊富で汚い仕事は機械が全てやってくれる。みんな幸せでしょ?
ネット社会の将来に関する翻訳記事。個人的にはいちばん面白く読んだ。
第九位だ。おめでとう。
http://anond.hatelabo.jp/20101122004732
「うん」
「結婚願望は、特にありません。」
このシンプルな見出しの中に村民を釣るためのキーワードが四つも入っているよ。
第十位に滑りこみ。おめでとう。
紅白時間帯だけどNHKオンデマンドで「チョコレート産業;ビターな真実」というBBCのドキュメンタリーを見てた。西アフリカのカカオ農園に潜入し児童労働・人身売買の実態をレポートするのだが、鮮やかな取材手順に感動した。http://www.nhk-ondemand.jp/goods/G2010022868SC000/?
レポーターが、プロのカカオ商から専門知識を学ぶ→偽のカカオ卸を設立(HPも設立)→ディーラーの振りしてガーナに潜入→農園で無理やり働かされる児童を確認→その農園の豆を実際に買い付けて、大手の流通ルートに簡単に乗ることを実証し「児童労働でとったカカオ豆は使ってない」と否定する大企業の証言の矛盾を指摘。
また同時に、人身売買で農園に送られてきた1人の子供の母親探しを、現地ラジオ放送で呼びかけ→しばらく後に母親発見→親子感動の対面映像→番組終了
このシナリオ!潤沢な資金と取材時間。BBCのもつグローバルなネットワーク、卓越したアイデアが合わさればここまで完璧なレポートができる。日本のジャーナリズムはもう負けを認めたらどうだ?
松本人志監督作品の映画「しんぼる」を見た。以下「しんぼる」及び「バベル」の相違点について言及しているため、両作品のネタバレ含むので注意。
松本人志はテレビで見せるフリートークと、コントで演じる役とのギャップが激しい芸人である。フリートークで自我を全面に押し出して、コントでの演技は別人格かのような憑依型。この二つを偏らず両立させて、しかも成功している。
映画「しんぼる」においてもまた、見た目奇抜だが、無口で平凡な思慮の浅い男(それでいてどこか狂気をはらんでいるような)男を自分に憑依させて演じようとしている。
では、何故見た目を奇抜にする必要があったのか、果たしてこの主人公があのような服や髪型のチョイスをするような人間だろうか?
見ているとそのような矛盾や違和感が何度も起こる、矛盾や違和感だけを繋げて映画にしたといっても良いぐらい出てくる。しだいに全てに何か理由があるんじゃないかと思うようになり、どうしてもそれを考えてしまう。最終的に「くだらない」が「面白い」って事ね、という所に一応行き着くが、やっぱり「で、それが何なの?」という疑問の答えにはなっていない。
この映画が、観客の解釈や理解をうながす為に作られているのは間違い無い。「もっと理由や意味を考えてみて!」と言われているような、そうやって考えるのが面白いという事だろうか。その結果裏切られてしまうカタルシスを楽しめ、そういう作品なのかもしれない。
解釈や理解しようとする事自体を楽しめ、というテーマだとして、ではその映画に正しい理解や解釈の正解は存在するのか? 存在しているはずだ。その方が面白いから。
という訳で、正解を探す事にする。
僕が考えた正解なんじゃないかと思う答えを検索してみると、バラバラの要素としては既出なのだが、統一されたものが無いのでここにその解説を書いてみよう。
「しんぼる」は、日本人の海外に対するコンプレックスを表現した作品だ! と強く断言してみる。
「しんぼる」は、2006年カンヌ国際映画祭で監督賞を受賞した「バベル」という映画を非常に意識した作品である。
バベルのネタバレになるが、バベルはメキシコ出身の監督と脚本家による映画で、ナショナリズム的な視点から観ると、思慮の浅い日本人のせいで、モラルの無いモロッコ人の子供が銃を使い殺され、それに巻き込まれた白人は自分達の事しか考えない。それにひきかえ他民族の子供を低賃金で助けるメキシコ人は陽気で善人だ、という解釈が出来る。松本人志はナショナリズムが強い思想の持ち主なので、バベルを観てメキシコ人ふざけんなよと、日本を馬鹿にすんなと怒ったはずだ。
だからしんぼるでは、同じ文脈で皮肉たっぷりに、思慮の浅いヘンな日本人のせいで、メキシコで不条理な出来事が起こり子供が不幸になる、バベルと同じくその因果関係に理由は無い。また物語の舞台となる国の数も同じ。バベルのアメリカモロッコで起こる出来事と違い、しんぼるでのロシア中国で起こる出来事は不幸ではなく、ただくだらない出来事なのだが、これはバベルの偶然性による不幸に対する皮肉なのだろう。バベルの偶然性による不幸が、メキシコ人監督の恣意的なナショナリズムにすぎない事への批判である。
さらに、映画の撮影の仕方も同じで、カットバックを使った演出もさる事ながら、しんぼるにおいてメキシコの場面での映像は、ドキュメンタリーのような手ぶれのあるハンディカメラの映像なのだが、これはバベルが終始そのように手ぶれのある映像だからである。
次いで、上記のバベルに対する皮肉を、さらに拡大して日本の文化による世界に対する皮肉、あるいはバベルを絶賛したカンヌ(フランス)のアートシーンに対する皮肉として、現代アートの文脈でアイテムが構成されている。
まず主人公の髪型や衣装は、フランス芸術文化勲章を持つ海外でも評価の高い草間彌生の格好で間違いない。脱出劇としては広すぎるあの白い部屋もインスタレーションそのもの。飛び出てくる意図的に日本の物に偏ったアイテム、それを使っての笑いは日本の文化の文脈のようでいて海外向けの笑いでもあり、これは海外でウケる日本の現代アートのコンセプトそのものである。
バベルやカンヌに反発を覚えながらも、欧米文化の中で迎合して同じ舞台に立たないかぎり世界的に受け入れられないというジレンマを抱え、それに対して下ネタとパロディという形で皮肉をこめ、彼らの持つ日本人のイメージを利用して、滑稽な道化のふりをして笑いを取り、しっかり世界にウケる現代アートの文脈にそって作品を作っている。
そして映画のクライマックス、最後の最後に、神のような姿になった主人公の背後の壁に立体的な世界地図が現れる。多くの日本人は何の疑問も持たないと思うが、外国人にとっては違和感のあるシーンである、その世界地図は日本が中心となっている。
このように「しんぼる」という映画は、日本と日本以外の世界を意識した作品である。世界に向けて表現しながら、媚びずに日本的であろうとした訳だ、しんぼるというタイトルも、英語のひらがな表記であるのはそういう理由だろう。
要約すると、松本人志による海外アートシーンを皮肉った「日本最高!」を世界に向けて表現した映画。
おそらくアートの文脈を松本人志が知っていたとは思えないので、その文脈を組み込んだのは脚本を共同作成している放送作家の高須氏によるものなんじゃないかと思われる。
憶測だが、バベルの脚本家か監督は菊地凛子演じる聾唖の女子高生のイメージを、例の毎日新聞waiwai事件の、元ネタの記事を見て得たんじゃないだろうか。元ネタ(http://www8.atwiki.jp/mainichi-matome/pages/435.html) 女子高生、ノーパン、チラ見せ、男を誘惑、家で裸、という点が同じである。最もリアルに創り込むべき役なのに、日本にそんな女の子居る訳がないというような人物を設定した矛盾。海外受けするメジャーなアニメや映画でその様なイメージの女子高生キャラが居てそれの影響を受けたとは思えないんだが、しいて挙げるなら岩井俊二作品の女子高生の不安定さと元ネタの記事を合わせた感じだろうか。
2%くらい同意。店員という連中に知識がなさ過ぎる。まあ大量生産の既製品を売るだけの仕事だからなあ。
こないだドキュメンタリーで商店街の再生プロジェクトみたいのやってたけど、その商店街の人たちがようやく気づきだしたのは、
昔は商店街の商店ていうのはちゃんとした専門店で、しかも自分のところで作って自分のところで売る、というデザイナー兼メーカー兼小売店だったけど、
いつのまにか大量生産品を仕入れて売るだけになってた。その路線なら大スーパーに勝てるわけがない、昔の形態にそのまま戻れるわけではないが、今の形にあった専門店になれるんじゃないか、っていうこと。
実際、今この専門店化で成功してるのはラーメン屋くらいであって、豆腐屋とかでさえなくなっていく現状だからねえ。
でもなんかやりようはあるはずなんだ。