はてなキーワード: 接着剤とは
グループで男女混合だった事はあるけど、グループの中心は可愛く会話力もある女子で、私のような地味眼鏡はほぼほぼ、男子から話しかけられた事はなかった。空気。
グループでの会話の流れがうまく読めず、何を発言していいのかわからなかったし、たまに発言しても(今思えばASD故)場違いで流されておしまい。でも趣味のグループだったしみんなの会話を聞くのは楽しかったので集まりにはよく参加した。
TRPGオフ会というガチオタの集まりだったけど、主催者が女性だったので驚くほど社会人女性の参加者が多かった。当時はスマホもなく連絡手段はEメール、それもプロバイダと契約してADSL回線を自宅のパソコンに引けるリテラシーがないとメールアドレスを取得できなかった時代なので、自然パソコン好きな理系が多かった。
彼もシステムエンジニアだった。
オフ会のオタクあるあるなんだけど、各々自分の好きなことを早口でしゃべるので会話の接着剤になれる人がいないと場の一体感が出ない理系の集まりにおいて、彼は輝いていた。
誰かがぼそぼそつぶやいた発言をひろい、会話に乗り切れていない人がいたら流れをさりげなく説明し、自分を落として笑いのネタを作り、誰かのグラスが空になっていたらビールを注ぎオーダーを伝えた。
にこにこと笑顔を絶やさない彼の周りには人が集まり、オフ会は必ず彼に声がかかったし、主催者のお姉様方のお気に入りだった。(弟属性の彼は少し若くて私も年上)
私はといえば、TRPGのキャラ絵を描いて持っていったら大層喜んでくれて、それで個体認識された程度の立ち位置で、その他大勢の一人でしかなかったけど、それでもオフ会に参加しチャットルームに入りびたり、化粧もするようになり、なんとか彼に近づきたくてがんばった。
彼の自己評価は「恋愛対象にならず、いい人止まりになっちゃうんだよね」だそうで、確かに少し除湿した感があるコミュニケーションをとる人だった。(自分からは追わず、来る者には程々の距離感があった) ならば私にもチャンスがあるかもしれないと思っていた矢先に、チャットルームで彼が仲の良い先輩と今日これから呑みにいく話を偶然目にして、そこに食いついた。脊髄反射だった。当時貧乏アルバイターで会社に着ていく服など裸でなけりゃいい程度の認識で生きていたので、アレな格好だったろうと思い出しても赤面する。
そこで地味オタ女は一世一代の、精一杯のアピールをしたので。(具体的には三次会の深夜カラオケでうたた寝するふりをして彼の肩を借りた。)
そんな事をしていたらまあ、周囲に当然気づく人もいて一番協力してくれたのはTRPG仲間内でカップル成立したばかりの世話好きの姐さんだった。
姐さんの彼氏と合わせて四人で遊ぶ事が増えて、告白は私からした。
飲み会の時は周囲に気を配り、花火オフの時も皆が散らかした花火をせっせと一人で片付ける彼を尊敬している事を伝えた。(当然だが、私はまっったくその手の事ができなかったので)
彼は私から見たらコミュ強で人付き合いも苦にならないタイプなのに、恋愛市場での自分の価値には自信がないという、いわば心の隙間に私が付け込んだといえばそうなのだが、
私も恋愛市場での自分の価値は皆無だと思っていたのに、なぜこの時、こんなに頑張れたのか自分でもわからない。(彼は今でも私の事を可愛い可愛い美人だと言ってくれる。子供にも自慢する。ヤメロ。)
思うに、20代前半の若い頃は皆一様に経験が浅く、大人の付き合いを意識し始めるタイミングも人それぞれで、未熟さに気を揉むよりも若さ故の勢いとかそんなものに押されて生きていて、結婚するなら条件とか色々考えるのも大事かもしれないけど、みんなダメでみんないいって時代に、一緒に成長してくれる人を見つけるのもアリなんじゃないかな。そして若さは誰もが平等に手に入れることができる美しさ。周囲が若いと気付かないだろうけど、男も女も皆その美しさを有効活用すべきと思う。
色々とあるけど、でも、だから何? 彼は彼だ。マイナスがあるからって彼のプラスの面が消滅するわけじゃない。彼なら笑って「あなたはそう思うんですね」って言う。
彼はトンチキな発言をする私を面白がり、私を見限る事もなく、真摯に付き合ってくれ、私もそんな彼に応えたくて生まれてついてのモノはどうしようもないなりに反省したり改善の努力は続けている。
こんな私にも理解のある夫くんができました。
※発達障害で社会的に苦労したアレコレは元増田【追記】発達障害者が理解のある夫くんを得るまでや【追記あり】発達障害は「生きているだけで嫌われる」のかと大体一緒なので割愛。
ブコメに発達は相手を木だと思ってる故とかあったのでそんな事ない! 世の中には木も人もいる!と思って書いた。リレー小説と思ってください。
これって発達障害者なの?と思った方へ、地続きなんですよ。私は診断済みです。
ケン・ローチ監督の『わたしは、ダニエル・ブレイク』を観た。名作なので是非ファスト映画しないで観てほしいが、要するにダニエル・ブレイクという失業者の男性の物語を通じて、イギリスの中間層の人々の没落と緊縮財政の中で利用者の尊厳を奪っていくような福祉制度を批判している、ある種左翼的な映画である。取材に裏打ちされた、貧困に追いやられた人々のリアルな描写に胸が痛む。
この作品に、ダニエル・ブレイクと心を通わせるシングルマザーの親子が登場する。
シングルマザーで貯蓄も仕事もない母親は子どもに満足に衣服も買い揃えてやれない。小学生くらいの娘の靴も、ボロボロだけど接着剤でつないで凌いでいる。このボロボロ靴の のことで娘は学校でイジメの対象になってしまう。そして娘のイジメをきっかけに、靴を買い替えるお金を稼ぐために売春に手を染める。貧困が呼び起こす不幸のループに、やるせ無い気持ちになるシーンである。
以下は自分のこと。
この映画を観て自分はこれまでの人生で起きた後ろ暗いことにスポットライトが当てられた気持ちになった。
ボロボロ靴について。
小学生の頃、自分はスクールカースト下位のイケていない方で、いじめっ子体質の同級生に毎日ビクビクしながら過ごしていた。そんなスクールカーストにも下には下がいて、自分よりも遥かにいじめられていたKという同級生がいた。Kがいじめられていた理由は、Kの家庭に原因があった。Kの家庭にはお金がなく、Kに服を満足に買い与えてやれていなかった。Kはまさに、靴底に穴が空いたボロボロ靴を履いて学校に通っていた。
Kのことを思い出し、純粋に哀れに思える立場であるのであればどんなに良かったか。何を隠そう、自分もKのいじめに加担していたのである。いじめられて泣いているKに対して心無い言葉をかけて、さらに追い討ちをかけていた。よくある話で、いじめの対象が自分に向かないように、より自分の下のものをいじめていたわけである。学校のクラスという閉鎖空間で起こる暴力的な手続きの中で、自分もせっせと加担していたということだ。
人生で何度か、いわゆる風俗店に行ったことがある。当時付き合っていた彼女と別れ、1年以上セックスをしていなかったとき、吉原のソープランドへ行った。ソープランドでしっかり射精して、満足していたのだが、時間が余り、世間話をした。彼女はもともと美容師をしていたというが、さまざまな薬液を扱ったことで手荒れが酷く、泣く泣く仕事を辞めていまの仕事に就いているとのことだった。それ以上の話は聞いていないので、この仕事に至るまでにどんなことがあったのかはわからないけれど、以前某芸人がコロナ禍でお金に困った女の子が風俗に来るのが楽しみ、などと言っていたが、そのような類の事情があったのだろう。なんだか彼女をしっかり搾取してるようでやるせない気持ちになり、以降、風俗店には行かなくなった。
今年、娘が産まれた。かわいくて仕方がない。娘の幸せを願ってやまないが、『ダニエル・ブレイク』そんなは自分に対してきっちり刃を向けてくる。弱きを挫き、搾り取る側に自分が立っているということを、否が応でも思い出させる。
この映画は、もし自分の娘が将来いじめられたら?自分が失業し、娘に満足に服を与えてやれなかったら?妻や娘が生活のために売春せざるを得なくなったら?そのような問いを投げかけてくるが、自分がその問いを現実に突きつけられている人々を哀れむことを許さない。自分はただの加害者のクソ野郎だから。
こんなものを匿名で流しても、Kもソープ嬢も救われない。むしろ彼・彼女にとって自分はクソ野郎でしかない。その事実は絶対に変えられない。
一方、こんなのありきたりなよくある話でいちいち反省しなくてもいいという向きもあるかもしれない。だが、自分の中にある有害性について、ここで吐き出しておきたかった。
気に食わないことは全部統一教会のせい!みたいにしてるやつハテブはじめとしたネットで最近多すぎないか?
果ては統一教会に都合の悪いことまで統一教会のせいにしてるやつまで出てきてること。
河村が表現の不自由展を否定したのは統一教会だったからなんだ!みたいなブコメまで出てきてたからね。
慰安婦の存在を顕示するほうが都合がいいのが統一教会なのに、なんで河村が統一教会だとあの動きになるのよ…
あと少子化対策?あんなの考えが古いジジイババアが作ればそうなるだろってやつに対しても「統一教会の教義を思えば合点がいく」とか、これもう陰謀論に片足突っ込んでるどころか肩まで浸かってるやん…ってこと言うからね。ネトウヨが「ミンスガー韓国土下座ー」とかやってたのと同じムーブなんよ…あ、もしかしてネトウヨが手のひら返して同じことしてんのか??(注:これも脳死スケープゴーティングです)
いい天気だからおしゃれして出かけたい。カーフやコードバンのコールハーン、チャーチ、エドワードグリーン、トリッカーズ・・・大体10万円前後の値段になってきた。
みんなスーツやめてネクタイやめて革靴もやめちゃって、ちゃんとしたのが欲しければ10万円。高すぎる。数万円でオーダーしてくれる近所の店ないかな。無理か。
おじさんはテクシーリュクスとか大塚ボンステップ一色だね。宴席とかで靴脱いで上がることもなくなってきたからもうなんでもいいのかも。靴のケアとかしてる時間ないしね。だからってベトナムとかカンボジアとか中国とかで作ってる接着剤でビニール張り付けたようなつま先とんがった靴とかスポーツシューズだと物足りないんだよなぁ。
つまんなかった。
話題になっているから見たけど「凄い長いストップモーションアニメだね!凄いね!」で終わってしまう。
モルカーは人間の愚かさと可愛さの塩梅が楽しかったけどジャンクヘッドはそういうのも特にないよね。
もうちょい具体的に考えてみるか
ストップモーションとしての品質は高い。でもそれ以上がない。CGばりの最新映画と比べると画面に安っぽさを感じる。意図的に安っぽくしているんだとしてもそれが画作りの面白さに繋がりきれてない印象。最初は物珍しさで凄い気がするけど30分ぐらい見るともう退屈になってくる。同じような質感、同じような小道具、同じような証明の当て方、物珍しさという作品が持つウリがどんどん失われていく。ジオラマ作りにおいて光源や影の効果をコントロールしきれておらず作品全体の縮尺が分かりにくくなっているのも減点ポイント。
作品として最低限。完全に自主制作映画レベルでしかない。圧倒的にマイナスと言うほどではないが加点要素は皆無。ただ、作品内で使われている独自言語が単なるハナモゲラ語でしかないのはちょっと寂しい。モルカーのプイプイは聞いてるだけで可愛くて幸せになれたが、この作品のモニョモニョ喋りはただ無意味な音声がそこにあるだけ。
場面転換を繰り返すにあたって違和感が発生しないようにする程度の意味しか感じられなかった。シーンNとシーンN+1の接着剤の連続といった感触。ポストアポカリプス的な雰囲気を作ることには成功したがそれを物語として展開することが出来なかっった印象。
感じは出ている。ただオリジナリティは見受けられない。受け手が既に持っている既成の概念を利用して作品内での説明時間を節約することに意識が向きすぎている。10分のアニメであればこれで正解なのだろうが2時間近くの映画にするならもうちょっと作品内で独自の世界を広げてよかったのでは?
でも世間じゃこれが80点ぐらいの作品として扱われているんだよなー。
不思議ー