はてなキーワード: 逃げられないとは
生きづらい人たちが正しさに依存するんだろうね。
絶対に正しいことに従っていれば、間違っているのは、悪いのは、みんな「あいつら」だから自分は悪くない。生きづらくても、自分は正しいということを軸にすれば生きていられる。
そう思っていた時期があった。だから絶対に正しいことを探した。
私の頃はまだネットがなかったから宇宙物理の本を読んだりとかして、そういう方向で絶対に正しいものを探した。
でも、いつからかな。自分を許せるようになった。正しくない自分でも生きてていいって思えるようになった。
それから、生きづらさはなりを潜めて普通に息ができる生活が送れるようになった。
だけど、それは私が絶対に正しいことを探していた時にネットがなかったからそういう道を見つけられただけで、今はネット上に「絶対に正しい顔をしているもの」がたくさん溢れてるから、もし生まれるのがあと20年遅かったら、その絶対に正しい顔をしているものに依存してしまって、自分は正しいから生きていていいっていう間違った自己承認から逃げられない人生を送ったと思う。
私は正しくなくても生きていていい。もちろん正しくない他の人だって生きていていい。
だけど、自己肯定感が欠落してて自分が生きるのに理由が必要でその理由に自分は正しい価値観を持っているから、なんてのを選んでしまったら、当然自分が間違えることを認められないし、「間違えてる」他人は許せないし、それで攻撃的になるんだよね。
リベラルでも暇アノンでも、他人に対して攻撃的な人ってのは悲しい循環論法を持ってて、自分は正しい、だから自分と考えが違うあいつは間違ってる、間違ってるあいつを叩きのめす自分は正しい、みたいな感じで他人への攻撃が終わらない。
そこから降りる道はただ一つ、自分は間違えることもあるし、間違えても別にいい、ってことを認めるだけなんだけど、でも親でも恋人でもいいから他の人から「無条件の承認」を受けたことのない人はどうしても生きるのに理由が必要になっちゃって、それに正しさを選んじゃうことは修羅の道なんだけど、人って性善説で出来てるから正しく生きようとかって容易に思ってしまう。
私は正しくなくても生きてていい。あなただって正しくなくとも生きてていい。
正しさを盾にして身を守っている人に、この言葉が届けばいいなって思う。
今日もいつもの精神科に訪れたのだが、待合室に中年の女性と二十歳前後の女性が座っていた。どうやら親子らしい。
「じゃあこの用紙に必要事項をここまで書いてくださいね。ちなみに娘さんはどのような症状ですか?」
いやここで聞くの!?プライバシーの問題は?と思ったが、母親が
「いや…色々あるんですが、一番はよく手を洗うようになったこと。何度も手を洗うので周りから見てても辛くなってきて…」
と答えた。ああ、強迫神経症、潔癖症の類かな。大変だなぁと思ってチラッと母親の方を見た。
すると、母親の手に透明のビニール袋がはめられていてビックリした。
「(いや、お前が潔癖症やん!)」
と心の中でつっこんでしまった。いやぁこれ娘が悪いのではなく、母親から病気の症状が伝わってるだけでは?
娘さん、悪くないのでは…。母親も自分が病気なの分かってるならまだいいが、「娘が手を洗うのが気になる」って言ってたし自覚ないのかも。それならこりゃ娘さんは地獄だな…
そう思っていたら、突然母親が
「ここの先生、どんな方ですか?」
とこちらに尋ねてきた。えっこの流れで話しかける?受付の人は窓口に戻ったけど、聞こえる範囲にいる。変なことは言えない。
「え、いい先生ですよ。優しいし」
まあ嘘はついていない。すると母親が
娘を思っての話しかけなら、まあ理解できるか。でも普通は待合室で聞かないよな、と思ってると
「長いんですか、ここ通って」「治ってきましたか?」
と他にも質問をしてきた。うーん、やっぱりなんかこの方、距離感がおかしい気がする。
娘には「もう書けた?あっここまで書かなくていいのに!お前はもうなんで…」ともぼやいたりしてるし、母親にやはり問題があるのではと思わざるを得なかった。
でも病院に来ても、母親が病気だとは先生も言わないだろうし、娘は母親から逃げられないし、病気は治らないんだろうな…と思うとすごく悲しくなってしまった。
とここまでで話は終わり。あとは蛇足。
自分も前、妻に「あなたのお母さんってちょっと変わってる。なんか子供を愛してない感じがする」って言われたことがある。
「え、そんなことないと思うけど」と答えたが、「子供がこんなに困ってるのに放ってたりするし、うちのお母さんだったらもっと助けてくれる。なんか他人行儀だよ」と言われた。
そういう親子関係って、周りから見ないと分からないものなのかもしれない。
自分も病気になってしまっているが、もしかしたら親の影響もあるのかもな。もしそうなら、あまり自分のせいにし過ぎるのも良くないな。そう思った。
高校に受かるまではそれなりに勉強したが、親の方針で大学に行けないことはわかっていたのでそれ以上の勉強はせず、なんとなく就職した先で早めに見切りをつけて(つけられていたのかもしれないが)退職。その後は適当に職を転々としつつ流れるように暮らしてきた。恋愛も、できないことはしないようにしていたら結果ひとりになっていた。
もう人生の後半戦なのだが、自分の生き様が正しかったとは思っていない。とはいえ他の生き方が選べたとも思えない。いざとなれば野垂れ死にだと嘯いても、そこまでの勇気はない。
自分から死ぬことも考えたが、親しい人間に先を越されてからそうすることもできなくなった。彼女は悩んで、悩みつくして世を去った。自分にはそこまでの覚悟も意志もなかった。
このまま希望もなくダラダラと生きていくんだろうなと思う。自虐ですらない独り語りだけど、なんか今夜は書かずにはいられなかったのです。お目汚し失礼。
非アスペ側がアスペ側を愛することはあるかもしれないので結果的に形として問題なくくっつくことはあるかもしれないけど、その時もアスペ側は非アスペを愛してはいないと思う
その通りだと思うよ。職能が高くてお金を稼げてるアスペの婚姻を見ていると、妻が死んだら若い女に取り換えるって感じ。
なんか妻の離婚や病死がやけに多くて、でもお金を持っているから次の女がすぐに見つかる。マジで半年とかで再婚するから、前妻が死ぬことにダメージ受けない生物なんだろうね。
定型の女性がアスペと同居していると精神が害されて早く死ぬと思う。
女は自力で金を稼げなければ愛されていなくても逃げられない。アスペ男から逃げて、逃げた先でどうやって金を稼いで生活していくの?ってこと。
なんかIQがあまり高くない感じ、人生の成功体験が少なくて、問題を男性になんとかしてもらいたい感じの依存的な性格の無能女がよく金持ちアスペに引っかかってる気もする。
アスペがみんなから顰蹙を買っても平然としているのが、低能の女性には「自信に満ちた魅力的な男性」に見えるっぽいんだよね。もちろん金を稼いでることは前提条件。
世界的に見た自閉症スペクトラム障害(ASD)の有病率は0.62%なのに対し、インセルの人々の中では、18~30%と非常に高いことがわかった。
インセルは女体をゲットできない苦しみだけを訴えるが、同性からも嫌われている。
ASDは先天性だから治らない、人に嫌われる性格の障害みたいなものである。
先天性の障害によって、「他人に嫌がられる中身」の人間になっている。人間性が嫌われる障害なのである。
つまり「中身の魅力」で他人に愛されるのは、「ASD以外の者(マジョリティ)の特権」であることがわかる。
ASDは治らないので、インセルは美容整形するのが早い。中身を変えるのは、先天性の脳障害なので不可能だが、美容整形すれば外見は変えられる。
イケメン整形をし、筋トレをして、外見で女体を釣る。中身は変わらないので、モラハラDVをしたり妊娠させるなどして、女体を衰弱させることで自分から逃げられないようにする。
あえて虐待しなくてもASDは普通に会話をしているだけで女体をカサンドラにして衰弱させる天才ではあるのだけど。
ま、これがASDが生きた女体を得る唯一の方法で、美容整形費用すら支払えないのであれば生きた女体獲得など諦めろという話だ。
稼げるエリートになることよりも、美容整形のほうが断然ラクなのだ。最も低いハードルすら超えられないようでは何もできないだろう。
世界的に見た自閉症スペクトラム障害(ASD)の有病率は0.62%なのに対し、インセルの人々の中では、18~30%と非常に高いことがわかった。
インセルは女体をゲットできない苦しみだけを訴えるが、女に限らず同性全員からも嫌われている。ASDは先天性だから治らない、人に嫌われる性格の障害みたいなものである。
先天性の障害によって、「他人に嫌がられる中身」の人間になっている。人間性が嫌われる障害なのである。
つまり「中身の魅力」で他人に愛されるのは、「ASD以外の者(マジョリティ)の特権」であることがわかる。
ASDは治らないので、インセルは美容整形するのが早い。中身を変えるのは、先天性の脳障害なので不可能だが、美容整形すれば外見は変えられる。
イケメン整形をし、筋トレをして、外見で女体を釣る。中身は変わらないので、モラハラDVをしたり妊娠させるなどして、女体を衰弱させることで自分から逃げられないようにする。
あえて虐待しなくてもASDは普通に会話をしているだけで女体をカサンドラにして衰弱させる天才ではあるのだけど。
ま、これがASDが生きた女体を得る唯一の方法で、美容整形費用すら支払えないのであれば生きた女体獲得など諦めろという話だ。
稼げるエリートになることよりも、美容整形のほうが断然ラクなのだ。最も低いハードルすら超えられないようでは何もできないだろう。