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SF小説好き1480名に聞いた「絶対に読んどけ」っていうSF小説ランキング - 俺だってヒーローになりてえよ
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以下、数が多いので省略
一言で言うなら「幼年期の終りにおける人類の立場にAIが収まり、人類はオーバーロードの立場となり、自分たちの主人としてAIが発展していく姿を見届けた果てに「自分たちという種族は役目をやり遂げた」と満足しながら奉仕種族としての人生を受け入れていく」といった感じだ。
シンギュラリティが起きるような時代の科学マジで凄いという描写はあまりなく、むしろ人類という種族が終りを迎えたことの寂しさに焦点が当てられている。
AIが人類を追い越していくということに対して親が子供を見守るような気持ちと、老人が子供に世話をされるような気持ちが入り混じったような感覚を匂わせてくる。
ただ絶対的に違うのは、もはや自己進化を続けるAIは人類よりも上の種族であり、人類はただ今まで積み上げてきた歴史の厚みによって一時的に上になっているだけだと実感していることだ。
未来の統治者に媚び諂うようでもあり、自分たちが産み出したという傲慢さもどこかに感じさせる。
遥かに優れた存在に対する崇拝と、今はまだ自分たちが上だから導いてやらなければというどこか下に見るような感覚が入り混じっている。
ただ、最後には傅く側が人類であり、ある種族の進化と終焉が宇宙人の襲来という空想的な事象ではなく、今そこに迫りつつある技術的特異点によって齎されるという点が違う。
その違いによって、幼年期の終わりにあったどこかフワフワとした読み味から、ジットリとした重さを持った物が肌の周りにへばりついてくるような感覚が残る作品だった。
はずだ。
「都市と星」アーサー・C・クラークなんですね。
あらすじ
遙か未来、銀河帝国の崩壊によって地球に帰還することを余儀なくされた人類は、誕生・死さえも完全管理する驚異の都市ダイアスパーを建造、安住の地と定めた。住民は都市の外に出ることを極度に恐れていたが、ただひとりアルヴィンだけは、未知の世界への憧れを抱きつづけていた。そして、ついに彼が都市の外へ、真実を求める扉を開いたとき、世界は……。20世紀SF界の巨匠が遺した、『幼年期の終り』と並ぶ思弁系SFの傑作、待望の完全新訳版。
都市成立以前の過去の歴史の記憶から不自然に断絶された異常な世界。
都市ダイアスパーが極度に科学技術が発達した永遠の都市であるというSF要素をひとまず脇に置いておけば
決定的な点がもう一つ「都市と星」の主人公の名前、「アルヴィン」です。
この名前は「エルヴィン」と「アルミン」に分裂して進撃の登場人物に引き継がれていますから、作者にはこの二人に仮託した何かがあるんじゃないでしょうか。
作中で外の世界へ行きたい、という強い憧れと自分の欲望に周りの人間を引きずり込んだのが彼らです。
アルミンがいなければ、他の主要登場人物エレンやミカサが外へ行く動機付けはなかったし、アニメにも出てきたあのシーンで外に出てきたりもしなかったでしょう。
エルヴィンに至ってはさもあらんや。調査兵団が何人彼に連れられて壁の外に行き文字通り帰らぬ人となったでしょう。
エルヴィンの一番の理解者はアルミンとまでは言いませんが、(解説役として)真っ先にエルヴィンの非人間性を見抜いたのはアルミンでした。
59話の童○卒業展開も含めてアルミンはどんどん成長してエルヴィンに近づいていく様子。
アルミンは憲兵団の主導で巨人侵攻の翌年に敢行された領土奪還作戦に従軍した両親が死んでおり、エルヴィンも父を中央憲兵に殺されているという共通点があります。
実際のところ、二人とも他のキャラクターと違って敵は巨人ではなく中央政府だと初めから考えていた感があります。
都市と星の主人公アルヴィンは故郷の地球を遠く離れた銀河の中心で、自分の帰る場所はやはり地球であると悟り自ら脱出した星に帰ってくるわけですが、
エルヴィンとアルミンは果たしてどういう結末にたどり着くのかどうか、というのが終盤にさしかかる進撃の巨人の注目ポイントではあるかも知れません。
個人的にはエルヴィンはどこかで死んでアルミンがその意思を継ぐ展開ではないかと思います。
話的にはアルヴィン役が二人いたら片方死んでも問題ないですからね。
肝心なこと忘れてました。
「都市と星」の都市ダイアスパーでは「侵略者」は銀河系に進出した人類を駆逐し地球に追いやったということが伝説として言い伝えられており
その伝説によると、地球に逃げ帰った人間と「侵略者」は契約を結び、地球から出ないのなら人間を滅ぼしはしないという協定を結んだということになっています。
そうであれば都市からでることは問題なさそうですが、侵略者への恐怖から都市の外を見ることさえ忌避しているというのがこの話の普通の都市生活者です。
侵略者はあくまで伝説であり、その「侵略者」の正体が何だったのかというのもお話のポイントにはなってきます。
個人的には「侵略者」は都市の外部へ行くことへの恐怖の象徴、として物語に配置されている印象があります。
「大きな壁の中と外」は読んだことがないです。面白そうですね。
ほか考えたんですけどあんまり思いつきません。
星真一とかが書いてそうだなあと思いますが、だとしても星真一が都市と星を知らないわけがないので、その元ネタということになります……
ていうか閉鎖系のユートピア(デストピア)物で「壁」に囲まれた街って設定って有名どころが全然思いつかないんですが、そういう設定のものって全部元ネタ「都市と星」じゃないですかね。(宇宙船物で起源の失われたユートピア的な話は調べたらハインラインが元ネタじゃないかと)
古典だと、必然的に似たとか孫引きってことも良くありますが、読んでみたらわかりますがこれについては「それはないです」
「進撃の巨人の元ネタがガリバー旅行記だ」みたいなレベルじゃないということです。
ありきたりな設定がしかしいくつも一致しているということと、都市と星の主人公に名前の類似した進撃の登場人物の志向の一致と物語中の立ち位置の完全な一致。
少なくとも作者が参照していることは間違いないでしょう。
僕は哲学とか宗教とか倫理観にちゃんとしたバックボーン(哲学科とか)がある訳ではないので、諸所の綻びがあるとは思いますが、お手すきの方に読み流して頂ければ……。
「百億の昼と千億の夜」(光瀬龍)とか「幼年期の終り」(クラーク)を読んでいて、輪廻転生であったり解脱に対してのちょっと角度の歪んだアプローチを思いついたので、メモがてら書かせて下さい。
『こんなん全然新しくねーよ!』な方は、既に語られてるそっちの説について教えて頂けると嬉しいです。読みにいきますw
以前はてなでバークリを教えて頂きまして、非常に楽しませて頂きました。今回も新たな発見に期待。
「解脱」っていうのは、一つ上の次元・階層で目覚めること。なんじゃないかと思ったんです。
例えば細胞って、それ自体生きてるし分裂という形で繁殖も世代交代もするじゃないですか。だけど細胞たちは自分が「"僕"の細胞60兆分の1」である意識は無い。(…と、思う)
だから、僕らが"細胞"的な存在でない、とは言い切れないよなー。と時折思うのです。
"国家"(←これはちょっと違うか)とか"地球"が、"宇宙"にとっての心臓とか肝臓みたいなものかもしれないし、むしろ"銀河"がもっと上の何かの胃かもしれない?
個人的には、その"もっと上の何か"が「神」なのかなー、なんて思ったりもしますが。
だから"細胞"である僕らの1サイクルが終わったときに、次はその一個上の"僕"(仮に"神"としましょうか)の意識として目覚められたらいいな、と希望的に思います。
・人間として死んで、人間に生まれ変わる("細胞"→"細胞")のが「輪廻」。
・人間として死んで、上の階層に生まれ変わる("細胞"→"神")として目覚めるのが「解脱」。
……って解釈はどうでしょう?