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2024-06-11

Let's海王「メンタル問題は、すでに仏教が答えを完成させている! せいぜい200年しか歴史のない心理学で、メンタル問題をわかった気分になるな!」

テクノロジー発明されることのイメージとして

世界アップデートされるんだ」

と思いがちなんだけど、実際には

「色んなモノに参加する敷居が下がるだけ」

なので、アレな人でも本や動画作れるようになったり、本来生き残れない人が生き残れるようになるので、表面的にはレベルが下がるのよ…

メンタル問題は、すでに仏教が答えを完成させている! せいぜい200年しか歴史のない心理学で、メンタル問題をわかった気分になるな!

陰謀論を唱えるというのは極端にしても、

メンタル問題は、古典に答えが書いてあることもたくさんあるのに、古典で軸を作れていない人が、断片的に自己啓発本心理学研究を読む」

「せいぜい200年しか歴史のない心理学で、メンタル問題をわかった気分になる」

みたいなことが多くて…うん

私が本書くときにあたって心理学も色々調べたけど…それこそ人気の本からDaiGoさんまで

「〇〇の研究論文によると…」

みたいな断片的な情報が多すぎて、体系立てられているものや、汎用性をもって使えそうなものはむしろ哲学仏教の方に多くてけっこう困った。

ロジカルなら正しい」

もけっこう危険だけど、『実験データによると』はもっと危険からなぁ…。

切り口次第でどうとでもなるし、再現検証に手間がかかるからその場限りで人を言い負かすのには、ロジカル以上に使えることがある。

疑いだせばキリがない話だけどね…

ロジカルに考えても

潜在意識ってなんやねん」

イデアってなんやねん」

みたいなのがしっくり来る説明がないというか、どうとでも言えちゃうものは私は取り入れないようにしてるけどね

要するに悟りというのは「嫌なことがあってもそんな気にしなくなる」ぐらいの意味

その辺、仏教・禅は「悟りってなんやねん」と聞いた人にちゃんと答えてる人がおるから、なんでもありではない

悟りってなんやねん」

は十住心論、正法眼蔵般若心経あたりを読むと書いてあるんで、そこは整合性取れてる。

これを「仏教修行しないとできません」と言っちゃうのは仏教側にも驕りがあるとは思うけどやりたいことは伝わる

仏教仏教で驕りがあると感じたのは、

自分たちの考えのことを「真理」と言って、宗教ではないと主張する人も散見される

・真理から見て正しい間違ってるという「八正道」は一歩間違えると洗脳の道具になる

仏教修行以外で、到達できない領域を主張する

辺りは危険だと感じたポイントですね…

仏教哲学として面白い一方で、ヤバい人もたくさん作っちゃってる部分はこの「驕り」なのです。

驕りの部分を取り入れないで、哲学面白さを取り入れると役に立つのだが…驕りが入ってこないように適切な距離感を取る必要がある。

ここが仏教を取り入れる注意点かなぁ…

2024-04-21

anond:20240420224125

仏の教えは合理的基本的理屈の前提となっているのは、この世界には「因果関係」があって、あらゆる物事因果関係連鎖で成り立っていますってことだけ。

・絶え間ない因果関係の連なりがあるから諸行無常」。諸行無常ってのは、あらゆる物事は変化し続けているってこと。

諸行無常世界普通人間経験すると、「一切皆苦」と感じる。あらゆる物事が変化し続けているってことは、やがては人の望まない状態になり得るし、たいていはそうなるから人生には「四苦八苦」がつきもの

普通人間は、永遠不変の私がいることを素朴に信じていて、その『私』に強く執着している。しかし実際は、「諸法無我」。つまり永遠不変の私は存在しないということ。なぜなら、私はこの世界の一部であって、世界の一部であるからには因果関係連鎖によって一時的に立ち現れている物事しかいから。身体五感思考欲求一時的に立ち現れているものに過ぎない。私という存在もまた、諸行無常であり、ゆえに諸法無我

普通人間諸行無常世界に在って一切皆苦と感じるのは、『私』に強く執着しているから。世界も私も変化し続けているものから、『私』の思い通りになるとは限らない。それなのに、思い通りにならないとそのたびに苦しい。

一切皆苦と感じる原因が『私』に対する強い執着であるなら、その執着を薄め、消し去ればいい。この世界諸行無常であり諸法無我であることを、知識としてではなく、感得することができたなら、『私』への強いこだわりは霧散し、世界一切皆苦とは感じなくなるし、副産物として利己性も消える。これが悟りの境地。

・この世界諸行無常であり諸法無我であることを感得するには、感得するトレーニングを繰り返して感得する認知能力を高める必要がある。自転車に乗れるようになりたいなら自転車に乗るしかないのと同じ。このトレーニング仏教修行の中核。昨今では「ヴィパッサナー瞑想」とか「マインドフルネス」とか呼ばれている。ヴィパッサナー瞑想で得られる認知能力を「智慧」あるいは単に「慧」と呼ぶ。

・『私』に対する強い執着を薄める方法ヴィパッサナー瞑想以外にもう一つのアプローチがある。「慈悲」つまり利他的な心を育てる瞑想利他的実践を繰り返すこと。

ヴィパッサナー瞑想だけしていれば悟れるかというと、そうでもない。「戒」:瞑想に集中するための環境や習慣を整え、「定」:ヴィパッサナー瞑想必要集中力を高めるための瞑想も行う。これらをヴィパッサナー瞑想と合わせて「戒定慧」と呼ぶ。仏教実践基本的にこの三つ。もう少し詳しくは「八正道」と言う。

というのが、私の理解もっと詳しく知りたければ「」でくくった単語検索して一つずつ調べるか、書籍なら仏教思想ゼロポイントおすすめ

思想史的な観点ちょっとだけ補足。仏教教祖である釈迦の没後、スリランカミャンマーあたりに伝わったものが初期のノウハウ比較的色濃く伝えている。これは上座部仏教南伝仏教小乗仏教とか呼ばれてる。一方、中央アジア等を経由して中国に至るうちにかなりの変貌を遂げたのが、北伝仏教大乗仏教とか呼ばれてる。日本仏教中国経由で伝わったもので、基本的大乗仏教輪廻転生仏教オリジナルアイデアではなくて、インドネパールあたりにもっとから根付いていたアイデア(輪廻転生だの神や悪魔だのの有無は、今生きているあなたが苦から逃れるために重要なことではないですよ、肝心なのは八正道実践、ってのが仏教スタンス)。天国地獄アイデアはおそらく中央アジアあたりで仏教に混淆した。先祖の供養が大事みたいなアイデアはたぶん中国で混ざった。

2024-01-16

anond:20240116173207

それは苦しいね

空気を読むには非言語コミュニケーションが大切なのかも知れない

あと仏教八正道正語(傷つける言葉を使わない)がある

2023-12-24

八正道における正業とは?

仏教でいう正業(しょうごう)は、生活実践を示す八正道の一つであり、むさぼりいかり、おろかさという三毒に揺り動かされない正しい行為をいう。

2022-01-26

anond:20220126145620

全ては「人間がこの世に存在している」ということから来る苦しみなんだよ。

四諦と言うだろう。苦諦集諦滅諦道諦。この世の全ては苦しみであり、それは煩悩と執着から来る。苦しみを滅するにはあらゆる執着を捨て去り、八正道によって悟りへと至らなければならない。

2020-09-08

anond:20200907223020

ムカつくことも傷つくことも結局相手から何かしらの影響を受けているから大して違いを感じないない。

どちらも外乱に対してのロバスト性が低すぎる。

誰に何と言われても何も感じない心の強さを持ちなさい。

八正道実践して真の強さを身につけなされ。

2018-02-18

瞑想運動野菜というけど

瞑想というかマインドフルネスに抵抗があって、本を買って読んだりしてみてるわりに、全然実践できていない。

効き目がないと思っているわけではなくて、「まあこういう仕組みだから、こういう世の中でやると、こういう調整が効くんだろうな」と自分なりに納得もしてる。

じゃあ何がひっかかってんのかというと、自分がちゃんとした仏教徒じゃないからだ。

マインドフルネスは、宗教的要素を取り除いたとは言われるけど、きっぱりはっきり「八正道の中の正念」という概念イコールなことがあきらかだし、そもそもその宗教的要素を取り除いたっていうことに対しても「……いや、そんな勝手に取り除いていいものなのか?」っていう気持ちになってしまう。残りの八正道ノータッチでいいんだ?? ほんとに??

自己実現のために、信仰してない宗教教義のごく一部分だけをお気軽に使うの、自分のオシャレのためにまったくコーランも知らないのにヒジュラかぶちゃうみたいなアウト感をね……。感じてしまうんだよな~。

基本的自分が考えすぎなのはわかってるんだけど、うっかり他人重要な箇所に土足で入ってるんじゃないかって不安がどうしても残ってしまう。

写経体験みたいなものだと捉えたらどうかと言われたけど、マインドフルネス継続して行う習慣なとこがどーもな……。

運動はがんばってますスクワットちょっとずつ回数増やしてやってるのえらくないですか。

野菜お菓子の油程度ですぐ死ぬ胃腸から、気を使わなくても、自然と食べてる。

2017-12-30

釈迦様が2500年前くらいに通った道かな?

anond:20171230111228

こういうのに西洋人が嵌まるのは仏教がまだ浸透してないから仕方ないとして、

アジア人がまだこの理解度なのは残念です。

さて、この反出生主義の課題は、

苦痛を無批判に避けるべきものと捕らえるにとどまっている点で

そもそも苦痛とは何か、なぜ存在するのかまで

考察が行き届いていない所にある

仏教によると苦痛の原因は執着にあり、

執着は人が自由意思を持っているという幻想により発生していると解く。

まり反出生主義の問題自由意思問題で、人は何のインプットにも影響されず論理によって最適な行動をすると信じているから発生するのだ。要は本能を全て拭い去ると人は死ぬしかないよね?

因みに仏教におけるこの手の問題点解決策は四諦八正道となる。興味あるかたはこちらも。

2017-02-18

彼女配偶者がいない男は駄目っていうけどさ

俺の人生の目的悟りを開いて生きる執着を捨てることにあるんだ。

スッタニパータ、一角の犀の章を読んでもらうと分かると思うんだけど

自分の息子を欲しいと思うことさえあってはならぬ」ってある。

異性と一緒になるのって突き詰めると子孫を残すためだよね?

そういう意味で俺の人生女性は全く必要ないんだよ

もちろん五戒を守り八正道実践していくにあたって女性存在は認めるし、できる限り敬意を払うよ

仕事で協力が必要なら率先してこなすし、公共の場で援助が必要場合ならそうする。

でもそこまでだよ。それ以上を望むのなら他の男性をあたってほしい。

子供を作る以外にも付き合ったり、結婚したりする目的はあると考える人いるかもしれない。

でもそれこそ一角の犀のようにだよ。

一人離れて修行し歩くがよいなんだ。

2015-01-17

なぜ釈迦輪廻転生宇宙構造について無記としたのか

釈迦はいくつかの物事を無記としました。無記とは議論するべきでない、考えてもしょうがない物事を指します。

wikipediaによれば以下が無記の物事です。

世界永遠であるのか

世界永遠でないのか

世界は有限であるのか

世界無限であるのか

生命と身体は同一か

生命と身体は別個か

修行完成者(如来)は死後存在するのか

修行完成者(如来)は死後存在しないのか

修行完成者(如来)は死後存在しながらしか存在しないのか

修行完成者(如来)は死後存在するのでもなく存在しないのでもないのか

ではなぜ、釈迦はこれらを「考えても仕方のないこと」としたのでしょうか。これについて私見を述べたいと思います

まず第一に、釈迦は決して「信仰」を求めませんでした。信仰ではなく、「実践」を求めました。

何を実践するのかというと、八正道というものです。また、悪いことをやめ、良いことをすることです。

釈迦は、なぜそれらをしなければいけないのかを、体系だった哲学によって、論理的に説明しました。

厳密に数学的な論理的ではないですが、哲学として筋の通ったものでしたし、個々人が実践によって結果を体感することができました。

ここに、輪廻転生宇宙構造について無記とした理由があると私は考えます

その理由とは、輪廻転生宇宙構造釈迦悟りを開いてから超人的な力で知ったものであって、

悟りを開いていない一般の人々には「体感」することが不可能であることです。よって、実践によって「一般の人が」体感することができないもの、これは釈迦の言うことを信仰する以外にないのです。

輪廻転生については、釈迦超人的な力で知ったものであって、論理的に導き出せるものでもなく、科学的な観察によっても前世を知ることはできません。

いまでこそ超ひも理論などの宇宙構造について多少は知ることができていますが、完璧に知ることは未だできていませんし、完璧宇宙構造一般人が身をもって知る、体感するということは不可能でしょう。一部の天才物理学者数学実験を通して理解できるかもしれませんが、それ以外の人達はやはり間接的にしか知ることはできません。

体感できない、観察できないのだとしたら、釈迦の言うことを盲目的に信じるしかありません。しかし、釈迦は「盲目的に信じる」という態度を否定していました。

信仰よりも実践を重んじたのです。

から、どうあがいても一般の悟りを開いていない人たちには知りようがない、体感しようがないことは「無記」としたのだと思います

これは釈迦の、「たとえ私の言葉であっても盲目的に信じる必要はない」という態度の表れだと思うのです。

そしてこれはほかの宗教には見られない素晴らしい態度だと思います

2012-12-13

濱野智史前田敦子はキリストを超えた」と上祐史浩の話

[書評]浜野『なんとかはキリストを超えた』:あきれた。

http://d.hatena.ne.jp/wlj-Friday/20121210/1355153569

を読んで色々調べたらこんなのあった。

政権時代の変化、新しい思想・宗教

http://ameblo.jp/joyufumihiro/entry-11001677436.html

また、途中で話が脱線し、濱野氏が最近「はまり気味」のAKB48について言及されたので、私が、自分の持論として、AKB48とは、その数字と言い、グループの構成の仕方と言い、仏陀とその教えに「深い縁」があり、その人気の裏側には、仏の守護があるのでは!という話しをさせていただきました(笑)

 仏陀は、日本仏教では4月8日生まれ、その中核の教えは、四諦八正道。有名な無我の教えの本質は、「私」とか、「彼」といった、(そして「AKB48」といった、)名前によって一つの存在のように見えているものが、それを構成する様々な要素が無常に移り変わっており、実体がないというもので、メンバー総選挙で変わるAKBとよくシンクロした教えなのです(笑)

 記事は、9月18日発売の月刊サイゾーに掲載される予定です。

 
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