はてなキーワード: ちくま学芸文庫とは
http://yuma-z.com/blog/2013/06/shinsho-10/ のまねをして、今度は新書の紹介をしてみる。(それにしても新書の紹介なのに、女性が手に持っているのが新書でないのが納得いかない)いままで紹介した本の紹介は以下のリンク先からどうぞ。以下のリンクはいままでに自分が読んで面白かった本の紹介です。
自分が紹介する新書のリストは以下の5冊。10冊並べようかと思ったけど、数学入門や理科系の作文技術、日本人の英語あたりは元のブログに取り上げられているし、それらを除くと以下の4冊が残ったので。
英語→日本語に限らず、様々な言語の翻訳家の人たちのエッセイ集。「なぜ翻訳家になったか」というテーマのエッセイが多い。翻訳家といっても文芸翻訳の話で、技術翻訳の人は登場していないはず。だいたいが学者系の人たちで、日本に紹介したい本があるからやっているという人が多い。(逆に外国に日本の本を紹介したいという人もいる)
日本の文学を海外に紹介する人の話が楽しかった。日本に限らず、世界各地にはその地に根ざした習慣や文化があるわけだが、そういう習慣や文化をどうやって翻訳するのか。知らない人にわかるように説明すると、地の文よりも訳注が長くなってしまうとか、そういう問題点がある。そういったことを配慮しつつ翻訳するのは並大抵のことではないようだ。
加えて、英語→日本語と翻訳する人と、日本語→英語と翻訳する人では、前者が日本人ならば圧倒的に楽なのだそうだ。該当する言葉のイメージを母語の中から探すというのはできるけれど、逆はとても難しいそうだ。
翻訳というとどちらもできそうな感じがあるけれど、他の人が読むに耐えるレベルの翻訳はどうやらそうではないらしい。
宮崎駿さんが著者。前半は岩波少年文庫の中で自分が読んだ本を挙げつつ、その本を紹介するという内容。後半は宮崎さんの思い出話だ。本の紹介が上手で、読んでみたくなる。
紹介する本は岩波少年文庫のものに限られるので、ほかの書店の本は一切載っていないのが残念だ。しかし後半は宮崎さんがなぜ児童書を読み始めたのかということや、映画作りに与えている影響にも話が及んでいて、とりたてて宮崎さんのファンではない自分のような人にも楽しめる。最近のジブリの映画はつまらない、と感じている人は、この本を読んで興味を持った児童書を読むと楽しい時間を過ごせると思う。
村山斉さんが著者。最新の研究成果を元にして、宇宙はどうなっているかについて説明した本。最新の宇宙論を大まかに説明する本だ。なので、「どうしてそうなっているのか」ということよりも「今こんなことがわかり始めている」という説明が多い。
村山斉さんは最近多くの本を出していて、ほかの本と似た内容になっている(=かぶっている)という指摘がAmazonにある。自分はほかの村山斉の本を読んだことがないので、判断できないが、最新の宇宙論に興味のある人が手に取ってみると楽しい一冊であると思う。
もともとこの本は村山斉さんの講演が元になっているようで、各章の終わりには講演での質問が載っていて、それに対して村山斉さんが答えるというところがある。この質問に対して答えるところが良い。質問の内容をくみ取って的確に答えるのは難しいことだが、村山斉さんはしっかり答えているし、まだよくわかっていないところはよくわかっていないと曖昧にしないで答えている。質問も基礎的な話から、宇宙論のかなり専門的な質問もあって、それぞれに解答している。
築山節さんが著者。生活習慣を改善することで、なんとなく調子がでない状態から脱却する方法を説明する。タイトルはありきたりだし、書いてある内容もそんなに真新しいものはないのだが、読むと納得する。
大事なことは寝る時間を削らないとか、運動する時間を設ける、などだ。大変なときにはこういう基礎的な習慣が崩れやすく、そういう点を疎かにすると、短期的にはうまくいく。かもしれないが、それが長引いて長期にわたるとだんだんといまいち調子が出ない…という状態にはまりがちだ。その状態になったり、ならないようにするためには習慣を見直すことが第一で、習慣を改善するだけでうまくいくことも多いというような話が載っている。
ときどきこの本を見直して、うまくいっているときのタイムスケジュールや生活習慣と今の状態を比べてみるということをすることが良いだろう。その具体的なチェックポイントを挙げてある点が本書の良いところ。
ここからは余談。
新書というカテゴリーは、文庫でもないしハードカバーでもないというちょっと特殊なジャンルだと思っている。
昔読んだ高村薫さんのインタビューにこんなことが書いてあった。かなり昔には、
というすみ分けがあった。しかしこれは何十年も前から崩壊してしまったようだ。文庫はハードカバーで出版された書籍が何年か経った後に、再び出版社が同じ書籍を売り出したいがための「文庫化」される本が多数を占めるようになったためだ。(そうではない本もあるが、全体の傾向としてそうなってきた)
くわえて、
というような区分けがあったように思う。新書は、上の新聞と雑誌の間を縫うような「新聞のような時事的な問題を、雑誌と同じくらい詳しく、かつできるだけわかりやすく」というニーズがあって発展してきたものだと思う。要するに、今の池上彰さん的な立場を新書は担っていた。
新書には、もう一方で「学問の初歩を紹介する」という役割もある。これらは新書が出はじめた当時は多かったが、最近はそんなに多くない。(元のブログでは数学入門はこの手の新書だ)○○学と呼べるような大きな学問領域を一手に扱えるほど権威のある書き手が少なくなってきて、各学問領域内でも細分化された結果、一概に「こうだ」と言えるようなことが難しくなりつつあるからだと思う。加えてそれらを説明しようとすると、新書では紙面が足りないからだと思う。
そのためなのかどうかは知らないが、最近は特に、何か一つのテーマをなんとなく紹介する新書が多くなってきた。こういう新書は読むとそのときは何となくわかったような気がするけれど、時が経つと忘れてしまったり、素人目にはその紹介にはつじつまが合わないような時事問題が現れたりする。で、その結果として、その時々で「今」をなんとなくわかりたいときには役に立つ。けれども、全体としてみると、(特に経済問題や時事的な社会問題系は)役に立たないものが多い。陳腐化する。
の方が良い気がする。というか普通大学生ならば、新入生の手引きとかにレポートの書き方の説明や参考文献が載っているのではないか?大学の講義にそういうものがあるはずだ。なので、「理科系の作文技術」は名著だけれど講義に出て練習を積めばいいように思う。もちろん一気に上手くなるわけではないけれど、ノウハウ本を一冊読むよりも、一度学んだも講義資料を読む方がはるかにわかりやすいと思うのだが。講義の教授が木下是雄氏で、「理科系の作文技術」が指定教科書ならばともかく。
「なんで信じるのか?」の答えは「周りが信じているから」になると思う。
新興宗教ってその内部でコミュニティができてて、そこの中での価値基準が行動原理になってくる。
集金についても、そのコミュニティによって、だいたいどんなもんか相場があったりすると思う。
例が悪いけどお香典とかと同じかんじ。
このコミュニティが厄介で、
選民思考バリバリで、「正しい教えを知っている私たちが周囲の人を救わないといけない!!!」みたいなノリ。
意味の分からない言葉を熱心に唱えるのも、それに価値があると周りが思っているから。
じゃあなんでそんなコミュニティの中に入るかというと、
身内や地震に不幸があった時に、支えてくれたり助けてくれたりした人の影響というのが大きい。
具体的な奇跡や恩恵がなくても、そういう人の言うことを信用しちゃう。
中には折り込みチラシから〇〇さんの教えに感動して!!!みたいな人もいるかもしれないけど、多数派ではない。
結局のところ、入信についても、活動についても、人間の社会性というか、人と人との繋がりに引っ張られているんだと思います。
追記
Amazon.co.jp: 新編 新宗教と巨大建築 (ちくま学芸文庫): 五十嵐 太郎: 本
大学教養レベルの解析学は少なくとも習得しておきましょう.線形代数・確率・数論にも理解があることが望ましいです.情報理論と制御理論を熱力学を中心とした物理学とあわせて活用できるようにしましょう.進化を中心として生物の各階層,分子・細胞・個体・生態,のそれぞれを概観し,システム生物学入門のようにより簡単な系につきモデリングを緻密にできるようにしましょう.
http://anond.hatelabo.jp/20080721222220
まあ、どのくらいの数のイスラムオタがそういう彼女をゲットできるかは別にして、「オタではまったくないんだが、しかし自分のオタ趣味を肯定的に黙認してくれて、その上で全く知らないイスラムの世界とはなんなのか、ちょっとだけ好奇心持ってる」ような、ヲタの都合のいい妄想の中に出てきそうな彼女に、イスラムのことを紹介するために見せるべき10冊を選んでみたいのだけれど。
(要は「脱オタクファッションガイド」の正反対版だな。彼女にアニメを布教するのではなく相互のコミュニケーションの入口として)
あくまで「入口」なので、時間的に過大な負担を伴う4巻、6巻のシリーズは避けたい。
あと、いくらイスラム的に基礎といっても古びを感じすぎるものは避けたい。
映画好きが『カリガリ博士』は外せないと言っても、それはちょっとさすがになあ、と思う。
そういう感じ。
彼女の設定は
イスラム知識はいわゆる「テレビまんが」的なものを除けば、高校倫理と世界史程度はかじっている
サブカル度も低いが、頭はけっこう良い
という条件で。
まあ、いきなりここかよとも思うけれど、「井筒以前」を濃縮しきっていて、「井筒以後」を決定づけたという点では外せないんだよなあ。厚さも文庫一冊だし。
ただ、ここでオタトーク全開にしてしまうと、彼女との関係が崩れるかも。
この情報過多な作品について、どれだけさらりと、嫌味にならず濃すぎず、それでいて必要最小限の情報を彼女に伝えられるかということは、オタ側の「真のコミュニケーション能力」の試験としてはいいタスクだろうと思う。
片倉もとこ『イスラームの日常世界』(岩波新書)、桜井啓子『日本のムスリム社会』(ちくま新書)
アレって典型的な「オタクが考える一般人に受け入れられそうな入門書(そうオタクが思い込んでいるだけ。実際は全然受け入れられない)」そのものという意見には半分賛成・半分反対なのだけれど、それを彼女にぶつけて確かめてみるには一番よさそうな素材なんじゃないのかな。
「イスラムオタとしてはこの二つは“エッセンス”としていいと思うんだけど、率直に言ってどう?」って。
ある種のイスラム神秘主義オタが持ってる愛への憧憬と、ペルシア文芸のオタ的な悲劇へのこだわりを彼女に紹介するという意味ではいいなと思うのと、それに加えていかにも谷口悟朗な
「童貞的なださカッコよさ」を体現するマジュヌーン
の二人をはじめとして、オタ好きのするキャラを世界にちりばめているのが、紹介してみたい理由。
たぶんこれを見た彼女は「聖書学だよね」と言ってくれるかもしれないが、そこが狙いといえば狙い。
この系譜の作品がその後続いていないこと、これが東洋学では古典になったこと、イスラム世界の伝統とは相容れず、それが日本に輸入されてもおかしくはなさそうなのに、日本国内でこういうのがつくられないこと、なんかを非オタ彼女と話してみたいかな、という妄想的願望。
佐藤次高・鈴木董・坂本勉編『新書イスラームの世界史』(講談社現代新書)
「やっぱり新書は一般のためのものだよね」という話になったときに、そこで選ぶのは板垣雄三編『「対テロ戦争」とイスラム世界』(岩波新書)
でもいいのだけれど、そこでこっちを選んだのは、この作品にかける著者たちの思いが好きだから。
断腸の思いで削りに削ってそれでも三巻、っていう尺が、どうしても俺の心をつかんでしまうのは、その「捨てる」ということへの諦めきれなさがいかにもオタ的だなあと思えてしまうから。
全三巻の長さを俺自身は冗長とは思わないし、もう削れないだろうとは思うけれど、一方でこれが『新書アフリカ史』や『物語△の歴史』(中公新書)だったらきっちり全一巻にしてしまうだろうとも思う。
なのに、各所に頭下げて迷惑かけて全三巻を作ってしまう、というあたり、どうしても「自分の物語を形作ってきたものが捨てられないオタク」としては、たとえ著者たちがそういうキャラでなかったとしても、親近感を禁じ得ない。作品自体の高評価と合わせて、そんなことを彼女に話してみたい。
今の若年層で神戸モスクや東京ジャーミーを見たことのある人はそんなにいないと思うのだけれど、だから紹介してみたい。
現段階でイスラム建築研究の制度的担保がなされていない日本において、関連する新書はこの作品以外にはほとんどないとも言えて(中公新書の『モスクが語るイスラム史』は絶版)、こういうクオリティの作品が日本でこの時代にようやく出てきたんだよ、というのは、別に俺自身がなんらそこに貢献してなくとも、なんとなくイスラム好きとしては不思議に誇らしいし、報道や資料集でしかイスラム建築を知らない彼女には見せてあげたいなと思う。
マルジャン・サトラピ『刺繍―イラン女性が語る恋愛と結婚』(明石書店)
現地女性の「目」あるいは「語り」をオタとして教えたい、というお節介焼きから見せる、ということではなくて。「座学の教義理解からはとらえられない地域の日常を毎日生きる」的な感覚がイスラム教徒には共通してあるのかなということを感じていて、だからこそ地域を知るための基本書は『もっと知りたい○』(弘文堂)、『暮らしがわかるアジア読本●』(河出書房新社)、『◎を知る■章』(明石書店)以外ではあり得なかったとも思う。
「日常を生きる」というイスラム教徒の感覚を知りたいという気持ちが今日さらに強まっているとするなら、その「理解」の源は現地の声をじっくり聴くことにあるんじゃないか、という、そんな理屈はかけらも口にせずに、単純に楽しんでもらえるかどうかを見てみたい。
これは地雷だよなあ。地雷が火を噴くか否か、そこのスリルを味わってみたいなあ。
こういう日本人イスラム教徒のイスラム理解をこういうかたちで書籍化して、それが非イスラム教徒に受け入れられるか気持ち悪さを誘発するか、というのを見てみたい。
9本まではあっさり決まったんだけど10本目は空白でもいいかな、などと思いつつ、便宜的にハルヒを選んだ。
井筒から始まってハルヒで終わるのもそれなりに収まりはいいだろうし、YouTube以降のアニメ時代の先駆けとなった作品でもあるし、紹介する価値はあるのだろうけど、もっと他にいい作品がありそうな気もする。
というわけで、俺のこういう意図にそって、もっといい10本目はこんなのどうよ、というのがあったら教えてください。
「駄目だこの増田は。俺がちゃんとしたリストを作ってやる」というのは大歓迎。
こういう試みそのものに関する意見も聞けたら嬉しい。
意志と表象としての世界 ショーペンハウアーは、世界はわたしの表象であるという。このことは、いかなる客観であっても主観による制約を受けていることを示している。
【懐疑論の歴史】
『あらゆる言明、判断、認識は主観的で相対的なものであり、「真なるもの」の認識は不可能。』(アカデミア学派)
アカデミア学派はストア派の「絶対知」に反対し、人間の認識の限界の強調を行った。— あ (@phirosophia) 2016年3月7日
コミュニケーションにおける最大の問題は、それが達成されたという幻想である。
The greatest problem in communication is the illusion that it has been accomplished.
George Bernard Shaw
伊藤博文も塙次郎を暗殺したり、長井雅楽暗殺を画策したり、英国公使館を焼き討ちしたりと、安重根なんか足元にも及ばないテロリっぷりだったね https://t.co/N5rHoGk4Ik 「暗殺者を尊敬すべき人物とは、、厳重抗議を期待。」まずは日本政府に厳重抗議だ!(・∀・ )— PAN太 (@panta_rhei2004) 2013, 7月 1
文久2(1862)年に山尾庸三と伊藤博文が塙保己一の息子を暗殺したということが、大正時代に新聞報道された。その新聞名を知りたい。 | レファレンス協同データベース
英雄か悪党か‥コロンブス、ヴァスコ・ダ・ガマ、マゼラン(前編)
「そういうわけで、彼らはインディアンたちの手を切り落として、それが皮一枚でぶらぶらしているままにするでしょう、そして、『ほら行け、そして酋長に報告して来い』と言って送り返すのです。 彼らは刀の切れ味と男ぶりを試すため、捕虜のインディアンの首を斬り落とし、または胴体を真っ二つに切断し、賭けの場としました。彼らは、捕えた酋長を火炙りにしたり、絞首刑にしました。」
500年前にスペイン人がインディアスで行った悪行の数々・・・
米シアトル市、コロンブスデーの祝日を「先住民の日」に変更 | 世界のこぼれ話 | Reuters
コロンブスが北米に上陸する以前の年代にバイキングが持ち込んだとされる鉄釘をイングスタッド夫妻が発見し、これによりコロンブスの「新大陸発見(西洋人視点)」説は覆った。
NHK世界遺産 | 世界遺産ライブラリー [ランス・オ・メドウ国立歴史地区]
〈十字軍の遠征〉ではなく〈フランクの侵略〉: ボロだけどボロボロじゃない。
Amazon.co.jp: アラブが見た十字軍 (ちくま学芸文庫): アミン マアルーフ, Amin Maalouf, 牟田口 義郎, 新川 雅子: 本
赤穂浪士は現在の感覚で言うとテロリストですか... - 歴史 | Yahoo!知恵袋
赤穂浪士はテロ集団? - 大石たち討ちいりを行った赤穂浪士をテロ... - Yahoo!知恵袋
浅野内匠頭と赤穂浪士が葬られていることで有名であり、現在も多くの参拝客が訪れる。
義士祭が催される。
1964年にNHKで製作された大河ドラマ『赤穂浪士』は当時の大映の看板俳優・長谷川一夫を大石内蔵助役にして、
Twitter / panta_rhei2004 伊藤博文も塙次郎を暗殺したり、長井雅楽暗殺を画策したり、英国公使館を焼き討ちしたりと、安重根なんか足元にも及ばないテロリっぷりだったね
はてなブックマーク - 韓国大統領 安重根の記念碑設置への協力を習主席に要請 「尊敬すべき歴史的人物」 - MSN産経ニュース
はてなブックマーク - 首相「伊藤博文は偉大、尊重すべき」 - MSN産経ニュース
明治維新はテロリスト達の極悪政権ですか? - 明... - 歴史 | Yahoo!知恵袋
結局明治政府ってテロリストの塊 - 幕末維新って新しくもなん... - Yahoo!知恵袋
文久2(1862)年に山尾庸三と伊藤博文が塙保己一の息子を暗殺したということが、大正時代に新聞報道された。その新聞名を知りたい。| レファレンス協同データベース
品川御殿山の英国公使館焼き討ちに参加し、山尾庸三とともに塙次郎[注釈 2]・加藤甲次郎を暗殺する
初代・第5代・第7代・第10代の内閣総理大臣
自宅兼和学講談所の前で知人の加藤甲次郎と共に何者かに襲撃され、翌日死去した。
なお、大正10年(1921年)の六十年祭の折に
襲撃者
隊長:高杉晋作
副将:久坂玄瑞
伊藤博文と山尾庸三が塙忠宝を斬殺したこと | tomotake kinoshita
Amazon.co.jp: 伊藤博文はなぜ殺されたか―暗殺者安重根から日本人へ (三一新書): 鹿嶋 海馬: 本
google:安重根 テロリスト 暗殺者http://www.google.com/search?q=%b0%c2%bd%c5%ba%ac%a1%a1%a5%c6%a5%ed%a5%ea%a5%b9%a5%c8%a1%a1%b0%c5%bb%a6%bc%d4&ie=euc-jp
google:安重根 英雄 義士http://www.google.com/search?q=%b0%c2%bd%c5%ba%ac%a1%a1%b1%d1%cd%ba%a1%a1%b5%c1%bb%ce&ie=euc-jp
安重根義士記念館http://homepage2.nifty.com/hashim/seoul/seoul017.htm
安重根200ウォン普通切手http://www.kyokyo-u.ac.jp/koukou/kyoka/shakai/kankokushi/antoitoh/anntoitoh.htm
韓国海軍の潜水艦「安重根艦」が進水http://www.chosunonline.com/article/20080605000018
BoAら安重根義士記念事業会に5000万ウォン寄付http://news17.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1094718568/
[ロバ売りの親子][粉屋と息子とロバ]粉挽きとその息子と驢馬
[アローの不可能性定理][民主主義][じゃんけん][trade-off]
十銭をもって一円の十分の一。十銭をもって一銭の十倍。夏目漱石
「『空気より重い空飛ぶ機械』は不可能だ。」ロード・ケビン、英国学士院総裁
「ギターバンドはもう流行らない」と言われて、大手レコード会社デッカのオーディションに落ちたビートルズ
「君にそんなことができるはずはないよ」とあなたに言ったのは誰ですか?その人は、あなたの限界を定める資格を持つほど、大きな成功を収めたというのでしょうか?ナポレオン
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E6%9E%9A%E8%88%8C%E5%A4%96%E4%BA%A4
イスラエルの政治家。1977年から1983年までイスラエルの首相を務めた。
エルサレムのキング・ダビデ・ホテル(当時パレスチナを統治していたイギリス軍の司令部が所在)の爆破を行った。
一般市民を含む91人が死亡したもので「テロリズム」を国際的に認識させる結果となった。
http://www.afpbb.com/article/war-unrest/2087827/742814
大統領(第11代)
1961年11月、ウムコント・ウェ・シズウェ(民族の槍)という軍事組織を作り最初の司令官になる。
それらの活動などで1962年8月に逮捕される。1964年に国家反逆罪終身刑となりロベン島に収監される
「監視カメラ」と「防犯カメラ」とは、全く同じものを指している。どちらの語を使用するかは、本人のイデオロギーによって決めることである。
くまもとのへろ:監視カメラと防犯カメラ - livedoor Blog(ブログ)
朝日、毎日は「監視カメラ」で、まぁ予想通り。
パレスチナの地をユダヤ、アラブの2国家に分割する国連総会決議を
マナーは国や民族、文化、時代、宗教のさまざまな習慣によって、形式が異なる。
ある国では美徳とされている事が、他の国では不快に思われることもある。
例えば日本ではげっぷをすれば不快に思われるが、アラブ諸国では食後にげっぷをするのが礼儀とされている、など。
他には日本では食事の際に飯椀を食卓に置いたままで食べるのは「犬食い」と呼ばれ批判されるが、
痛いニュース(ノ∀`):毎日新聞記者「韓国の電車内は携帯電話自由でとてもにぎやか。日本でも思う存分通話してもいいのでは」
常識とは18歳までに身につけた偏見のコレクションのことをいう
知人・知り合いから友人・友達になる基準・標準・条件?「すべては主観である。」
友人・友達から親友・心友になる基準・標準・条件?「すべては主観である。」
友人・友達・親友・心友と仲違いする基準・標準・条件?「すべては主観である。」
友人・友達・親友・心友と絶交する基準・標準・条件?「すべては主観である。」
友人・友達か知人・知り合いか
親しいか親しくないか
親切か不親切か
常識か非常識か
大陸到達か新大陸発見か アメリカ大陸の発見 - Wikipedia コロンブスが北米に上陸する以前の年代にバイキングが持ち込んだとされる鉄釘をイングスタッド夫妻が発見し、これによりコロンブスの「新大陸発見(西洋人視点)」説は覆った。 ランス・オー・メドー国立歴史公園
侵略か入植か 入植でなく侵略ーオーストラリア:情報浴ーブロードバンド:So-netブログ
同じか違うか
区別か差別か
良いか悪いか
美しいか醜いか
偉いか偉くないか
凄いか凄くないか
長いか短いか
大きいか小さいか
重いか軽いか
高いか安いか
高いか低いか
多いか少ないか
伝統か因習か
尊いモノか鰯の頭か
朝起きたら自分にこう言い聞かせる。
おせっかい、恩知らず、威張りやさん、裏切り者、やきもち焼き、社会性のないやつ、
こういう連中を避けて通ることはできない。
この連中の性質は、ひとえに善と悪について理解していないことによる。
「すべては主観である。」犬儒学派のモニモスが言ったことばだが、このことばの意味は明白だ。
そしてこのことばを真実である限り受け入れるならば、その効用も明白である。
人生は一瞬にすぎず、
人の本質は流転し、
その感覚は鈍く、
その肉体は腐敗しやすく、
その魂はとらえきれず、
その運命ははかりがたく、
その名声は不確実である。
一言で言えば、肉体に関するすべては流れであり、魂に関するすべては夢であり煙である。
はかない。
人の一生は戦いであり、旅のやどりであり、死後の名声は忘却される。
であれば、ぼくたちを導くことができるものは何か。
完全に我々の力の範囲内にあるものは我々の思想しかない。デカルト
人間は一生、他人の心などわかるはずもない。MASTERキートン
本当の幸せは内側からもたらされる。 誰もあなたを幸せにすることは
「仕事が楽」というのがどういう状況か判らないけど、残業もあんまり無くてきっちり週休2日休めるんだったら、とりあえずその時間で本でも読め。
とりあえず哲学系で言えば、こんなのはどうだ。
その他、見たことの無い昔の映画を片っ端から見てみるのもいい。
上記のポイントはこうだ。
たぶんうすうす気付いてるんじゃないかとは思うけど、「人生の意味」ってのは他人からただ与えられるだけのレディーメイドじゃない。どっかの怪しげな宗教が「人生の意味」をお手軽な商品パッケージとして提供していたとしても、それを選ぶかどうかは君の判断だ。
だから、「人生の意味」が判らなくなったら、答えじゃなくてヒントをなるべくたくさん手に入れること。哲学も宗教も仕事も、「人生の意味」のヒントであって意味そのものじゃない。とりあえずヒントがたくさんあれば、それを通して、今まで見えなかったものも何かしら見えてくるかもしれない。必ず見えるという保証は出来ないけど、ま、無いよりゃマシだろ。